平成9年度に開校した岐阜総合学園高校では、3年次生向けの科目として、「日本の文化」というのを開講しています。この科目を開いたねらいは、形式的には三つあります。(学校開校時には私もこの学校に在籍しており、地歴公民科の教員団の一人としてこの科目の開講を推進しました。)
日本人および日本の文化に対する理解を深め、日本人としてアイデンティティの形成に寄与せしめる。
日本の文化と他の地域の文化との比較等により異文化理解を進める。
真の国際人として1および2の両方を兼ね備え持つ人物を育てる。
もっと本音を言えば、普通の国際交流を担当するのは高校のレベルでは英語科の教員が主役ですが、英語科教員主導の国際理解教育へ一石を投じるためのねらいもありました。
いつも御世話になっている英語の先生方を悪く言うつもりはありません。しかし、高校レベルの国際交流では、英語を話すことと、表面的な日本の文化(書道とか踊りとか茶道・華道とか、形のあるものが多い)を紹介するに留まっており、
もう少し骨太の部分での交流はできていないのが実情です。
理由は簡単です。
英語の先生方の中には、英文学や米文学に詳しい方は多くても、日本の文化に詳しい方はあまり多くはなく、生徒も、日本の文化のとくに精神的な部分については、ほとんど知識を持っていないからです。
「あなたの宗教は何ですか」と聞かれて、ごく平気に、そう答えることの意味もあまり考えずに、「無宗教です」といってしまうところに、日本人高校生が日本の文化を語れない現実が端的に現れています。
2000(平成11)年、私は、岐阜総合学園高校で初めて日本の文化の授業を実施しました。
その冒頭で、今時の普通の高校生の日本の文化に対する理解度を確認しようと、プリントに次の質問を書いて、記述方式で答えさせました。
「正月という行事は本来何のために行うものと考えるか。(正月の意味は何か)?」
この時の生徒諸君の答えを分類すると次のようになりました。 (解答した生徒は35名)
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