2002-1  

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021 2002年 1月 6日(日) 9.11事件、今年のテーマ、ハリウッド               メニューへ 

 昨年の後半は、あの9月11日WTC事件がすべてでした。そして、今年は私なりにそれに答えを出していかなければなりません。そうはいっても、もちろん、あの事件が日本人の一市民の生活に直接大きな影響を与えたというわけではありません。政治に首をつっこむというわけでもありません。
 
 普通に授業していると想像してください。皆さんが好奇心の強い生徒だったら、先生に質問しないでしょうか。
「ビンラディンは何故あんなことするの?」「なぜWTCが世界経済の中心なの?、大きなビルだから?」「アメリカはアフガニスタンにかってに戦争ふっかけていいの?」「何故自衛隊の護衛艦が出かけるの?」・・・。
 
 地歴公民科の教師としては、大きな宿題を背負ったと同時に、腕の見せ所です。
 何故かといえば、アフガニスタンの問題、イスラム原理主義の問題、アラブとイスラエルの問題、なぜWTCが襲われたのかの本当の深い意味、アメリカ経済と世界経済に与えた影響、日本とアメリカの軍事同盟関係の意味などなど、生徒にしっかりと説明しなければならない山のような宿題をもらったといえるとともに、話すネタを山ほど提供してもらたわけですから。(今まで、アフガニスタンという国があることも知らなかった人も何人もいたでしょうが、今度はそこを舞台に、思いっきり新しい話ができるのですから、わくわくします。)

 しかし、問題は、演劇なら、脚本・上演場所・キャストが重要なように、授業のネタ仕込みと、舞台設定と、ストーリーの展開とその素材をどうするかです。
 今製作中です。
 自分が現場にいれば、世界史・日本史・政治経済(現代社会)のそれぞれの4月の授業の冒頭で、あの事件を説明した上で、「それが理解できる視点も持って1年学習してほしい」とするつもりです。いいかえれば、「テロとアフガニスタン」を
今年の授業のテーマとして、授業を組み立てるつもりです。

 1月2日(木)の10時からBSで放送された、「激動の世界経済@ アメリカ 繁栄はよみがえるか」は目からウロコ30枚の面白い作品でした。いや、もとからそのあたりに詳しい方にはそれほどのことはないわけですが、日常の多忙さにかまけて、「世界経済の動き」という大きな視点をおろそかにしているダメ社会科教師には、上述の課題を料理する格好の情報でした。

 その中で、ひとつだけ印象的なシーンを紹介します。
 カリフォルニア州のロサンゼルスの東、モハビ砂漠の中にある広大な飛行場は、今300機もの飛行機で大にぎわいとなっています。飛行機の種類は、各航空会社の大型旅客機。
 いえ、観光地の飛行場ではありません。あのテロ事件以後、アメリカをはじめとして世界各国の航空会社が、旅行客の減少に見まわれて運航便の縮小や路線の廃止を行いました。そのため、労働者の数では、延べ役10万人が解雇されたのですが、旅客機も大量に不要ととなってしまったのです。

 その飛行機たちがどこへ行ったのかなんて、想像もしていませんでした。
 ちゃんとした飛行場の隅に留めておくスペースなんかありません。他の航空会社に売るにも、すべての会社がリストラしているわけですからそうもいきません。可能な手段が、田舎の飛行場にひとまず保存しておくという方法でした。
 旅客機の値段は、なんと1機平均100億円、つまり、その飛行場だけで3兆円分の飛行機がいつか再び飛べる日を待って、じっとたたずんでいるということになります。保管料は、1ヶ月500ドルもかかりますが(日本駐車場料金に比べれば、でかい飛行機の割りには安いか)、今でもひっきりなしに申し込み電話が入っているそうです。
  今全米では、この飛行場の他に、同じような「保管場所」が、7カ所もあるそうです。テロが航空機会社に与えた影響を如実に物語るものでした。

 『朝日新聞』の1月1日付の朝刊には、アメリカのテロ事件の別の側面が描かれていました。アメリカに留学中だったレバノン人のある人物は、何年か前、ハリウッドの俳優の採用試験にたった5秒の面接で採用されました。理由は、彼の顔が「いかにも中東風の顔立ち」ということからです。
 役割はもちろん、アラブ人テロリストです。
 彼が出演した映画のうち「エグゼクティブ・デシジョン」(テロはこの映画のまねをしたといわれたいわく付きの映画)では、彼らイスラム教徒の俳優の「講義」で、二つのシーンが削除されました。ひとつは、少女を銃床で殴り殺すシーン。もう一つは、のっとりに成功して、朗々とコーランを読み上げるシーンです。
 前者は、何人にとっても当たり前ですが、とくに後者は、イスラム教徒にとっては、憤慨に値するものであったと思われます。いくら聖戦(ジハード)が説かれているといっても、本当のイスラム教徒が、航空機を乗っ取って、コーランを読むはずはありません。

 ブッシュ政権の施策を見ていると、その自信満々さが鼻につく、その傲慢さに眉をひそめる、といった思いを時々持つのは私だけではないと思います。
 この
ハリウッドの、画一的な(ステレオタイプな)偏向した「異民族像」は、その傲慢さや自信過剰と同じ根のものと思います。

 我ら日本人とて、その我慢のならないステレオタイプの犠牲者であることはいうまでもありません。
 以前にこの「DIARY」の中で、映画「パールハーバー」の不思議なシーンについて解説したことがあります。
  映画「パールハーバー」に見る日本のメージ

 その映画で、連合艦隊司令長官山本五十六役演じた日系人俳優マコさんの感想が取材してありました。
 「真珠湾攻撃を決める軍の会議をなぜ、のぼりを立てて野原でやっているんだ。戦国時代じゃあるまいし」
 時代考証は大丈夫との制作側の説明があったそうですが、セリフのチェックに日本から参加した若い女性は、軍人の言葉遣いすらよく知らなかったそうです。特に専門に勉強していない若い人なら当然でしょう。
 マコ氏はこうもいっています。「200億円近い製作費を使いながら、何故まともな考証がができないのか。ただ楽しめたらいいという風に、時代が逆戻りしている感じだ」

 アメリカとイスラム教徒の問題という、日本人にとっては第三者の立場から見ることができるテーマであるが故に、より公平に、より多くの視点から授業を構成しなければなりません。
 最後は、 前掲『朝日新聞』の記事に載っていた、韓国の映画監督、イ・チャンドンさんの言葉で終わります。
「好ましいグローバリゼーション? それは
ハリウッド的な大音量のスピーカーによる支配ではなく、世界の小さな声にお互い耳を傾けあえることでしょう。」 


022 2002年 1月27日(日) 「卒業」に思う             メニューへ

 世の中では、新しい年が始まったばかりですが、学校では、そろそろ卒業のシーズンです。
 最近の卒業式では、国旗の掲揚・国歌の斉唱等に関するトラブルが話題になっていますが、ここでは、そういうきな臭い話題ではなく、「卒業」にまつわる思いについて、思うところを書きます。

 卒業の時期は、教員にとっては、なかなかつらい時期です。そんなことは、教職にある人ならば、書くまでもないことですが、教員ではない読者のために、ちょっとだけその「つらさ」を語ります。

 我が県の高校では、多くの場合、ひとつの学校の赴任期間は7年前後です。新任とか主任級を除いた一般の教員は、1年生の担任から2年・3年と持ち上がって、生徒を卒業させます。
 若い教員であればあるほど、いや40を過ぎたベテランでも、その3年間に、クラスづくりを通して、教科指導を通して、生徒との感情の交流を通して、生徒を成長させると同時に、自分も成長していきます。これは、他の項目でも書いたと部分ですが、当然ながら、教師は毎年毎年同じことをやっているのではないのです。(教員の皆さんはかえって意外に思うかもしれませんが、それ以外の職業のには、実は、「教師は同じことを毎年やっている」と信じられています。)
 ※教育について思うこと「自分はどんな教員だったのだろう」

 そして、その成長のはてに、卒業式があるのです。
 生徒にとってこの卒業式は、別離と同時に新しい旅立ちでもあり、祝福されるべきものでしょう。しかし、教員にとっては、どこかで別離が必要であることはわかりますが、生徒への思い入れが強ければ強いほど、別離以外の何物でもありません。裏を返せば、「置き去りにされた」、「自分も一緒に卒業したい」という自然な感情が強くなるのです。

 そして、3年生が卒業していなくなったあと、大急ぎで気持ちの整理・転換をしなければなりません。当然ですが、次の生徒が入学してくるからです。それまでの、生徒との感情を素早く整理して、新入生を迎える新しい気持ちへと切り替えなければなりません。これがまた大変です。
 18歳で卒業していった生徒に代わって、15歳のまるで、何もかもリセットされているような錯覚を覚える新しい生徒に接しなければならないわけですから。そして、自分が3年間「成長」している分だけ、そのギャップはより大きなものになっています。

 「卒業式の涙」には、それぞれの立場からいろいろな思いがこめられています。

 ※なんだこりゃ「卒業T 手紙」
  


023 2002年 2月24日(日) お受験1              メニューへ

 2月19日・20日に岐阜県の新しい高校入試の制度、高校特色化選抜が行われました。
 我が家の次男Yも、他の受験生と一緒に、初めての仕組みに挑戦しました。
 
 中学校の進学指導には、学年全体説明会と三者懇談会と2度行きました。7月の説明会では、学校側も「学校特色選抜」と表現するなど、新しい仕組みが周知されていない感じでした。

 次男Yは、テストの成績はまずまずですが、それほど積極的な子でないため、いわゆる普通の通知票の成績、つまり内申書の点は、ほとんど普通の子という成績です。
 志望校は、通勤経路から行ってバスの乗り換えの必要がないG高校でしたが、その高校は、何と特色化選抜では、独自の試験はなしで、面接と内申点だけで選抜するという情報を聞き、父親としてはこれは無理だと考えました。
 定員は72名、たぶんそこは5倍以上の生徒が押し掛けるでしょうから、面接と内申点だけでは、内申点が悪い子どもは、ほとんど合格のチャンスはないと思われたからです。

 1月の三者懇談会では、担任の先生は、G高校と次善の策であるK高校とどちらを受験すべきかについては、明確に指導されませんでした。本来は特色化選抜なのですから、両校にどんな特色があって、どんな違いがあるかが、決定のポイントになるはずです。
 しかし、親としても、どちらも普通校、K高校のほうがこれまでの入試では入りやすい、といったぐらいの「特色」しか知りませんし、それ以上はとくに違いはないことは想像がつきます。担任の先生とは2年間のつきあいですが、彼女も、とくに二つの学校の特色を説明するわけでもなく、入試の内容の違い(K高校は独自学力試験がある)を説明するのみで、学校の特色など、説明するそぶりもありません。
「よく家で考えてきて、来週書類を提出してください。」で、懇談は終わりました。

 よく考えるも、何も、上に書いたこと以外、何も判断材料はありません。
 家に帰ると妻が非常に現実的なことを言いました。 
「受験料2200円も払うのだから、少しは受かる確率がある高校にしや」
 この御神託によって、彼の受験校は、
K高校と決定しました。

 学校独自問題は、とくにどの教科という指定もなく、時間は1時間です。内容は、おそらく、各教科の融合問題か寄せ集め問題になるはずです。
 面接があるということで、父が面接官になって少々練習しました。K高校は韓国への修学旅行があるというので、この日記の、
2001年6月09日(土) 修学旅行は韓国?」の話をしたらどうかと言う作戦も授けました。

 倍率は、7倍になりました。受験生には、昼食は用意しなさいという連絡は来ていませんから、9時10分から10時10分までの学力試験のあと、面接は、2時間弱でやらなければなりません。まあまあの力しかない次男Yにとっては、なかなか難しい試験となることは予想できました。

 学校独自問題は、NHK出版の『プロジェクトX第7巻 未来への総力戦』の中の、「『宗谷』発信・第一次南極観測隊」からの出題で、引用した長文から、いろいろな分野の質問をするという、なかなかカッコイイものでした。
 質問内容は、@国民主権、A緯度の計算、B氷山の一角という言葉の説明、C環境破壊、D英語の作文という、盛りだくさんです。
 同じ教員から見て、「こりゃ採点は大変だぞ」という、骨太の問題でした。

 面接は、予想以上に、あっけないものでした。9人の集団面接で、時間は15分、単純に計算して一人の持ち時間は、100秒です。しかも、この間に、三つの質問がなされました。
 @自分のアピールできること、Aこれまで学校で頑張ってきたこと、B学校で何がしたいか、の3項目です。

「韓国への修学旅行の話はできたか」「できなんだ」

 あっけない入試でした。
 今週の水曜日が発表です。クラスで30数人が受けましたが、確率から言うと、合格通知をもらう子は、クラスの中で、10人未満になるはずです。
 Yよ、3月の学力試験でもう一度頑張ろうや。
 


024 2002年 3月04日(月) 友に            メニューへ 

 岐阜県の学校特色化選抜の合格発表は、2月27日に行われ、我が次男Dは、見事不合格でした。はは、しょうがないね。ちなみに、次男の中学のクラス40人のうち、私学専願の生徒7人を除く33人が受験しましたが、合格者は、僅か4人でした。これでは、不合格の悲しみというよりも、「みんなで落ちれば怖くない」といった感じで、あっけらかんとしたものです。

 今度の特色化選抜は、いくつか課題を残してはいますが、これまでに大きな失敗は報告されておらず、その点では、大成功といえるでしょう。
 とくに、多くの学校が自分の学校で独自の問題を作ったのですから、欠陥のある問題、管理上の手落ちなど、いろいろな「失敗」が予想されるところですが、新聞紙上には、まだそういった報告はなされていません。
 その点だけをとっても、この入試では、現場の先生方が、それぞれ大奮闘されたことがわかります。まったく、頭が下がる思いです。

 その中で、全く悲しい出来事が起こってしまいました。
 S高校の教務主任が、入試の11日前の2月8日の夜に、突然亡くなってしまたのです。
 私が事務方をつとめる、有識者が教育改革への提言を行う懇談会では、「なんといっても、教育改革、教育改革といって、現場の先生方が忙しくて首がまわらんようにしてまうことが、一番いかんがね。」と口癖のようにおっしゃる委員がおられますが、この教務主任の死は、どうもそんな要素がありそうな気がして、胸が痛みます。

 もちろん、現場では、校長以下何人ものスタッフが、それぞれのご努力で教育改革の最前線を担っておいでであることは間違いありません。彼だけが重荷を背負ってしまったわけではないでしょう。
 しかし、なんといっても、入試改革などの責任者となる教務主任の突然の死ですから、「心労が重なった」と想像する方が自然といえます。

 その教務主任のK氏と私は、おのおのが二つ目の学校として赴任した山間のG高校で知り合って以来の友人でした。
 1979年の4月1日、G高校の玄関の前でお互いが同時に車から降りて、「こんにちは、よろしく」と挨拶した時からの、長いつきあいでした。

 彼は、ザ・ドリフターズの仲本工事をもっとずっとふっくらとさせた愛嬌ある顔と体躯の持ち主で、その大きな体からくる安心感と包容力、そして、実は繊細で優しい気配りが魅力の愛すべき男でした。

 高校の場合は、普通は転勤した直後は、担任がはずれるのが常です。彼は多分そう読んで、G高校に転勤して直後の、4月に入ってから奥様と華燭の典をあげ、それから新婚旅行へ行く予定を組んでいました。
 ところが、G高校という学校は、当時は新任の教員が10人近く赴任するという、平均年齢が大変若い学校でした。そのため、彼はまだ28歳であったにもかかわらず、堂々の中堅教員に位置づけられてしまい、予想に反して見事担任も当たっていました。
 しかし、彼は、そこでじたばたして、新婚旅行をキャンセルするような「小人」ではありませんでした。

 ひょいっと、新婚旅行に出かけていき、おかげで、彼の担当した1年4組の生徒に、新入学早々、担任がいないという不幸を味わわせることになりました。それでもクラスはうまくいったのです、彼の度量をしてみれば。
 もっとも、あとから聞きましたが、彼にとって不幸だったのは、この時新婚旅行先で、結婚指輪をいきなりなくしてしまい、奥様からあとあとまで、指弾され続けたことでした。

 葬儀式場は、教職員など学校の関係者はもちろん、数多くの生徒で埋め尽くされていました。
 担任を持っていない単なる教務主任でこれだけの生徒が、と率直に思いました。彼の年齢を加えても変わらぬ魅力が、その人望が、これだけの生徒に訴えかけたのでしょう。「俺が、教務主任で死んだら、こんなに生徒はこないぞ」と自分。

 弔辞を読んだ生徒代表が、「暑い時はいつも首にタオルをかけて・・」といったのを聞いた時、暑いシーズンは、いつも首にタオルをかけて、ひょいひょいと仕事をこなしていた彼が思い出され、おもわず、涙が溢れました。

 彼が、教育改革のおかげで亡くなったとは思いたくはありません。
 しかし、彼は、「教育改革、そんなもの何とかなるさ」と口では言いつつ、繊細な心で、ずいぶん悩んだことは間違いないでしょう。

 今は、その死を冷静に受け止めて、ただ冥福を祈るだけです。

 「M先生、もう、麻雀して遊んでもらえることもありませんね。」と挨拶された奥さんの言葉で、涙は、滝のようになりました。

 さよなら、K先生。御世話になりました。


025 2002年 3月31日(日) お受験2 転勤 春爛漫            メニューへ 

 年度のかわり目に、いろいろ整理しておきたいことをまとめて書いてしまいます。
 まず、
お受験2
  次男Yは、公立高校の学力試験(総合選抜)にも不合格となり、公立高校へは行くことはできませんでした。同じ高校で50人以上が不合格となる試験でしたから、ひょっとしたらと思っていましたが、いやな予感が的中してしまいました。
 もちろん、私立高校を受けていますので、そちらへ行きます。

 岐阜県は、全国の都道府県の中でも、全高校生のうちで公立高校生の占める比率が高い県で、おおよその数字ですが、80%ぐらいは、公立高校生です。(このパーセントが一番高い四国のある県では、90%以上と聞きました。)
 
 東京などの都会では、私立高校の占める割合が高く、私立高校は確固たる独自の地位を保っています。
 岐阜県では、個人的な意見ですが、各学校の歴史は古くても、県民の意識の中に、強く意識され始めたのは、ここ数年のことだと思います。

 ある時点までは、単に「公立高校の受験に失敗した生徒が行くところ」という位置づけでした。
 しかし、少子化の危機もあって、 いくつかの学校が、中高一貫教育、大学受験を目指しての実績造り等を積極的に進めたため、ずいぶんかわってきました。生徒指導等も、いくつかの学校では、ずいぶんと「厳し」く、保護者や地域から信頼されるものとなっています。

 授業料を始め学費が高いことは、どう見てもマイナス面ですが、それに見合うサービス、公立高校にはない付加価値を提供しようと懸命の企業努力がなされつつあります。
 
 次男Yが行くことになった高校は、進学実績を伸ばすことを「売り」にしている高校です。
 「入学のしおり」を読んで驚きました。
 1年生用のカリキュラムの週あたりの時間は、国語T=7時間、数学TとA=7時間、英語Tとライティング8時間となっており、英数国でなんと22時間です。
 公立の普通科高校では、せいぜい17時間でしょうか。

 「どうしてこんなに時間がとれるのか」と驚きつつ、一番下の週あたりの合計時間数を確認しました。
 その数値は、なんと、36時間。
 つまり、毎週土曜日もふるに4時間授業があり、さらに、週2時間7時間目があるというわけです。

 公立高校が、完全学校週5日制を進めようとする一方で、この動きは、いろいろに波紋を投げかけます。公教育の進む方向は何なのか。受験教育というのは、私立に任せていいのか。
 とにかく、公立高校でのんびり高校生活を楽しんで、サッカーをやり、韓国へ修学旅行へ行こうと思っていた次男Yは、自ら招いた結果とはいえ、あてがはずれました。4月からは、土曜日は、ほかの家族みんなが休みでのんびりする中、一人学校へ出かけることになりました。

 ついでにいうと、2月に行われた学校特色化選抜では、各高校で先生方の頑張りによって独自の入試問題が作られました。しかし、聞くところでは、一部とても中学生レベルの授業の学習では、正解できない問題が出題されたということです。
 それが事実かどうかは別として、すでに、ある塾からは、4月から中学校へ行く三男Dに対して、もう、それをネタにした勧誘が来ています。曰く、「いわゆる進学校へ行くには、学校の授業だけではついていけない。どうか我が塾で学習を」と言う趣旨のものです。

 変革期にありがちな、混乱が始まっています。

 次ぎに、
転勤です。
 この4月から、今まで2年間働いた職場から別の所へ転勤することになりました。
 これまでは、教育改革の目標や理念の確定など抽象的で純粋に事務的な仕事が中心でしたが、4月からは、また、先生に戻っていくことができます。
 完全学校週5日制の施行、新学習指導要領の実施(高校は来年から)、児童生徒の評価の問題、学力低下への懸念、児童生徒の参加型授業構成へ向けての挑戦と、課題は山積みです。
 2年ぶりに教科書を読んでしっかり頑張ります。よろしく。  


026 2002年 4月13日(月) 私立高校1 入学式                 メニューへ 

 次男Yの高校(岐阜市内の私立高校)の入学式に出かけました。そこで拾った、いろいろな発言と自分の思いを書き留めてみました。
 ちなみに、この私立高校は、伝統校ではありますが元々は女子校であり、近年、共学化と受験指導によって、特色を出そうとしている学校です。6年前からは、中学部を設置し、中高一貫教育も始めています。

 まずは、入学式前の保護者同士の雑談から。
 前置きですが、学校の入学式・卒業式などは、当然ながら出席している保護者のほとんどはお母さんです。美しく着飾った妙齢の女性の中に、少数の男性がいるというだけで、それは貴重な体験です。
 男親は連れだって出かけるということはまずありませんから、式典が始まる前の時間は、ひたすら周囲のお母さん方の会話に、耳を傾けて時間を過ごすことになります。

母A「まあ、お宅のお子さんもこの学校ですか」
母B「ええ、特色化選抜(何のことかご存じない方はこちらへ)は無理かなと思ったんですが、一般入試まで落っこちてしまって」
母C「うちもですよ、最近は、どの高校でも、たくさん落ちるので、もしやとは思っていたんですが」
母B「あの特色化選抜ってのは、受験生に取っては何なのでしょう?」
母C「たくさんの受験生に不合格経験をさせるだけのものかしら」
母A「うちのクラスでは、ほんの少ししか合格していませんよ」
母B「うちの子は内申点も高くはなく、何が原因で落ちたかわかりませんが、同じクラスのDさんのお子さんなんか、通知票の成績もクラスでトップクラスで、それでも、GK高校は駄目でした。」
母C「うちもそこを受験したけど、あそこは、ペーパー試験がなくて、面接だけでしょう。よっぽど口が達者でないと、だめでしょう。」
母B「うちのクラスでそこを受かったのは、EさんちのE美ちゃんですけど、あの子は、頭がいいのに加えてもう口は達者だし、あのくらいじゃないと、特色化の面接は受からないんじゃ。」
母A「ああ、E美ちゃん。小学校一緒だったから知ってます。あの子、小学校6年生の時から、『婦人会長』ってあだ名でしたもの。」
 
 聞いていて納得しました。
 無口な次男Yが、特色化選抜に挑もうなんてことが、そもそも無理だったというのがどうやら結論のようです。
 次ぎに控えし今年中学1年生の3男Dは、結構、口は達者ですから、婦人会長に対抗できるように、「特色化選抜対応ギブス」を装着させて、日頃から訓練しておかなければ・・・・。(このギャグ、年輩の方ならわかりますよね。(^.^) )

 式典は、普通に滞りなく進みました。校長先生、来賓の方からありがたいお言葉をいただいたはずですが、もう忘れてしまいました。
 
 式典のあと、担任や学年の担当者の紹介と、主任・部長の挨拶がありました。
 教師団の中には、予想していましたが、公立高校の退職した方も幾人か混じっておられました。公立高校の教員団も、このところ新規採用者が少なくて高齢化していますが、この私立高校の先生方も、あまり若くはありません。

 いろいろな先生の挨拶の中で、学年主任のI先生のお話が一番印象的でした。
「こどもが高校生になると、保護者の方には、誤解される方が多く見られます。高校生になったから、もう今までのようにいろいろ面倒を見なくてもいいのだ、という誤解です。
 確かに、高校生ともなると、保護者の目の届かない部分での行動が増えることは当然です。だからといって、親が「目を離してもいい」というわけではないのです。
 小さいころ、砂場に子どもさんを連れて行った時のことを思い出してください。子どもさんは友達同士で遊び、親御さんはまた親御さん同士で、会話をしているという状況であったとしても、時々母を見つめる子どもの視線があり、それに答える母の視線があったのではないでしょうか。
 高校生になっても、この基本は、変わらないと思います。子どもは、親の視線を感じながら育つものであり、視線を感じるからこそ、安心して進んでいけるのです。
 高校生の時期は、来るべき自立への準備期間です。どうか、親の暖かい視線の中で自立への模索をさせてあげてください。また、保護者の方も、同時に上手な子離れに取り組んでください。」

 教師としては、変に物わかりのいい親に、「自立させるから」と言って、親の責任を放棄されてしまうことが、一番困ることです。
 大変いいお話しでした。

 さらに、学年主任は、こうも続けました。
「私どもは私立高校ですから、あたりまえですが、転勤はありません。言い換えれば、一生jここで働くことになります。さらに、言い換えれば、生涯のすべてがこの学校ということになります。私どもの愛情と情熱を御理解いただいて、どうぞ本校の教育を信頼していただきたい。」
 公立高校の校長・教員に、これと同等のセリフが言えるだけの責任感があるかどうか、いや、あらねばなりません。

 余談1。
 入学式の会場の入り口で、次男と待ち合わせのためにたたずんでいたら、何人もの保護者(とくに母親)から、会釈されました。初めは何故なのかわかりませんでした。
 式典が済んでHR教室に向かう途中には、なんと、「すみません、先生ですか」と声をかけられました。
私は先生には違いありませんから、「ハイ」と思わず返事をすると、「あの、この書類ですが・・」といわれ、自分がこの学校の先生の間違われていることに気が付きました。「いえ、この学校の教師ではありません。」

 会釈されたのも、この学校の先生と間違われていたのでしょう。
 普通のスーツを着ていました。ただ、胸のポケットに、仕事の続きで、黄色のラインマーカーと赤のボールペンを差していただけです。それだけで、「教師」に見られてしまう自分に、驚きです。たぶん、本人は気が付いていなくても、充分教師くさいんですね。

 余談2。
 担任のM先生は、昔私がG高校の教員だった時代に、なんと、ご子息のご兄弟を担任したという関係でした。因果はめぐります。

 期待と不安をいっぱい積んで、とにかく、スタートです。



027 2002年 5月 3日(土) 日本の子どもはアメリカびいき?            メニューへ 

 『岐阜新聞』(2002年5月3日)に、「日本の子ども米国びいき」という次の記事が掲載されました。 

  • ブルーシー・アンド・グリーンランド財団が、主催する体験クルーズに参加した全国の小学校5年生から中学校3年生までの男女合計430人にアンケートしたところ、次の結果が得られた。
  1. 行ってみたい外国は?
      アメリカ 33%    オーストラリア 15%   フランス 9%
  2. 友達になりたい外国人
      アメリカ人49%
  3. 知っている外国人
      1位ブッシュ大統領   2位ブラッド・ピット  3位マイケル・ジョーダン
 今日本では、英語教育が小学校で拡大して行きつつある時期です。教える側がよほど意識しないと、英語=アメリカとのイメージが低年齢から定着し、アメリカやアメリカ文化を無批判に受け入れてしまうことが強くなる危険性があります。
 上記の財団の調査からそんな結論を導くのは無茶ですが、そういう意味で、こういう調査の経年変化も必要かもしれません。

 世界の歴史を普通に読めば明らかなことがあります。
 日本は、第二次世界大戦に敗れて、仕方なくではありましょうが、おおむね帝国主義的な発想を捨てました。つまり、19世紀末から20世紀前半にかけての「行為」を「反省」したのです。

 英米などの戦勝国は、いつ、「反省」したのでしょうか。
 
 昨年9月のNYのWTCビル爆破事件以来、アメリカの行為は、「男のアドレナリンが大沸騰」といった感じです。その背景にある、「世界の警察国家としてのアメリカ」の自負は、日本の教育の中に十分意識されているのでしょうか。
 英語熱と米国盲従とを、しっかりと区別していきたいものです。 

028 2002年 5月 4日(日) ネットで本を購入            メニューへ

 私は、仕事柄、たくさんの本を買います。
 4年前から、インターネット上の書店での本の購入を始め、今では、価格に換算して、全購入分の90%以上が以上がネット上での購入です。

 『岐阜新聞』(2002年5月3日)に、「ネット書店需要増」という次の記事が掲載されました。 

  • ネット調査会社マイボイスコムがインターネット上のアンケートで調査したところ、インターネット利用者で、ネット上の書店を利用したことがある人の割合は、1年前の27.9%から、35.6%へと、約30%上昇していることがわかった。

  • 「今後ネット書店を利用したいか」という問いにも、64.8%が「利用したい」と回答し、市場が着実に成長する可能性が高いと分析。

  • 頻繁に利用するネット書店の1位は、「アマゾン・コム」で、経験者の25.9%。そのあと、「楽天ブックス」・「イーエスブックス」・「クロネコヤマトのブックサービス」・「紀伊國屋ブックウェブ」の順。

  • 利用する理由の上位は、@「本の検索が容易にできる」、A「品揃えが豊富」など。

  • 利用しない理由の上位は、@「実際に手に取らないと買う気になれない」、A「安全面で不安」など。

 私は、2年前から、「紀伊國屋ブックウェブ」を利用しています。初めは、その割合はそう高くはありませんでしたが、今では、購入のほとんどがネット書店です。
 上記のアンケートと重複しますが、その理由は、利便性の良さです。
 たとえば、この3月22日に転勤命令が出て、また、仕事の内容が変わりました。蓄積しなければならない知識が予想されます。思い立ったが吉日です。その時すぐに職場のパソコンから「紀伊國屋ブックウェブ」に入って、「高等学校学習指導要領の解説」など、数冊を注文しました。
  ※紀伊國屋ウェブです。


 同ウェブには、会員になって個人のパスワードを獲得しておけば、いつでもどこでも注文できます。支払はカードです。宅配料がかかるタイプですが、1度の注文で、何冊頼んでも480円です。
 宅配料はかかりますが、本屋へ行って膨大な本の中から探す手間と比べれば、全く安いものだと思っています。
 
 当初、気軽に注文できるので、ひょっとしたら、「注文ばかりして、「積ん読」がべらぼうに増えてしまうかな」と危惧していました。」ところが、ウェブ上で、自分の注文と価格がしっかり管理されていますので、自分が書籍費にいくらお金をかけ、どのくらいしっかり読んだかが自ずとわかってしまいます。(つまり、本の購入に関する家計簿になっています)そのため、昔よりかえって無駄な衝動買いはしなくなりました。(^.^)

 早く届くのも魅力です。在庫がある場合は、ある日の深夜に頼めば、翌々日の昼には届き、つまり、勤めから帰った二日後の夜には、もう読めることになります。

 支払は、カードですが、これだけの人が利用しているのですから、心配をしていては、何もできないと同じです。

 この記事を読んで、第一位の「アマゾン・コム」にも早速行ってきました。
  ※アマゾン・コムです。
 ここは、カード支払の場合は、1500円以上は、宅配料は無料です。宅配の代引きを使うと、カードは必要ありませんが、代引き手数料が、1件あたり250円かかります。

 紀伊國屋と違ったサービスがありました。
 この前から、幸田真音著『凛冽の宙』(りんれつのそら)という作品が気になっていました。幸田さんという作者の経済小説はまだ読んだことがありませんでしたし、なんといっても、難しい漢字に惹かれる私は、この本のネーミングに底知れぬ魅力を感じていました。(凛冽ですよ、どういう意味ですか?)

 しかし、アマゾン・コムのカスタマーレビュー、つまり一般読者の書評(読後感想)が、ほとんどの人から不評で埋め尽くされていることを見て、やめました。こういう利用の仕方もあったのです。

 ネット書店、まだの人、試してみてはいかがですか。


029 2002年 5月27日(月) お騒がせしました。PC、何とか復活です。          メニューへ 

 緊急事態が発生しました。
 昨日晩、新しく買ってきた「パワーポイント2002」を前のにアップグレイドしてインストールしたら、ちゃんと指示通りやったのに、一度再起動したら、ウィンドウズが立ち上がらなくなってしまいました。
 ウインドウズ98に、最新版を入れたのが間違いだったのか、3年を経過したソーテックのマシンのハードディスクに寿命がきたのか、原因はいろいろですが、とにかく、あの非情な、青画面のメッセージが出て止まってしまいます。

例外が、0167:BFF9E2DB で発生しました。


 何も例外などしていないのに、悲しいです。

 知り合いの工業科の先生に尋ねてやってみた、「Safeモード」の起動もうまくいきません。
 
 
このままでは、HDの初期化・ウィンドウズの再インストールという道しかなさそうです。他にいい方法はありませんでしょうか。

 また、幸い、家庭内LANのおかげで、データはバックアップできており、こうして、今週も「未来航路」は、更新できます。
 しかし、これまできたメールとか、メールアドレスとかは、バックアップしていません。これらは、消え去る運命なのでしょうか??
どこをどうすれば、メールアドレスやこれまでのメールを救出できるでしょうか。
 ちなみに、壊れたパソコンのウィンドウズは、不思議と家庭内LANのパスワードを打ち込むところまでは立ち上がり、その段階で止めていれば、HDにもアクセスすることが出来ます。

 上記の点について、もし、うまい方法をご存じの方がありましたら、教えてください。お願いします。
 (そうだ、この子どもたち用パソコンには、父のメールアカウントは設定されていないのだった。それからやらなくてはいけない。)


 という記事を書いたのは、5月25日(土)
 それからいろいろな方からのご助言をいただいて、何とかわがソーテックPCは、復活しました。
 あぶなかぶない。もう少しで、メールアドレスをすべて失うところでした。
 今度は、ちゃんと、エクスポートしました。
 ご助言いただいた皆様。ありがとうございました。


030 2002年 6月22日(土) 東京渋谷・東電OL殺人事件             メニューへ 

 久しぶりに東京へ1泊の出張に出かけました。
 出張そのものは公務ですから、そう楽しいことばかりではありません。しかし、地歴公民科の教員として、「花の都」東京へ出てこられたことは、無上の幸福です。仕事が終わって、どうせ勤務時間内に帰庁できない場合は、帰庁時間を深夜にして、その分、いろいろな施設をめぐって、研修をするのが常です。このサイトの東京の部分の写真は、そうやって撮りためていったものです。

 今回の上京では、2000年の夏にある本を読んで以来、気になって気になって、ぜひ訪問したいと思っていた場所へ、行きました。

 その場所とは、渋谷区円山町16番地の8号、喜寿荘というアパートです。
 1997(平成9)年3月、このアパートで、当時東京電力につとめていた渡辺泰子さんというOLが殺されました。そう、あの、事件直後に週刊誌や昼のワイドショーをにぎわした「東京電力OL殺人事件」の現場です。

 私がこの事件に興味を持ったのは、佐野眞一著『東電OL殺人事件』(新潮社2000年5月)及びその続編の、同著『東電OL症候群』(2001年12月)を読んでからです。

 著者のノンフィクション作家佐野眞一氏の描く事件像の中に、@殺された渡辺さんという女性の凄絶な生き様へ得体の知れない感動を覚え、Aネパール人被告を犯人とする警察・司法当局の強引さに憤りを感じ、Bそしてこの事件の持つ必然と偶然の織りなす不思議な奥の深さの虜になってしまったからです。

 事件が起こった時、@については、まずは誰しもが興味を持ちました。
 慶応大学を卒業し、東京電力に総合職として勤務していた殺害当時39歳(昭和32生まれ)の、いわばエリートOLともいうべき渡辺さんが、昼の顔とは別に、なぜ、30歳半ばから、

 京王電鉄井の頭線神泉駅の2番ホームから、殺害現場手前の踏切を臨む。この駅を出た電車は、またすぐトンネルに入って、終点渋谷駅に向かう。
 渡辺さんは、平日は毎日、新橋にある会社から地下鉄銀座線で渋谷へ戻り、道玄坂を上がって円山町付近で「客」を探した。
 帰りは、この駅の反対側のホームから、遅くとも12時過ぎの終電に乗って、自宅のある杉並区永福まで帰った。

夜な夜な渋谷道玄坂や円山町で客引きをして売春をするという夜の顔を持たなければならなかったのでしょうか。

 性格、生い立ち、トラウマ・・・・。何人もの人が、様々な分析を行いましたが、結局は誰にも真実はわかりません。
 佐野氏とて、それは同じですが、彼の著述には、猟奇的趣味をこえた、被害者に対する「愛しさ」のようなものが感じられて、多くの読者を共感させます。

 Aについては、もうこれは、その辺の推理小説をはるかに超えた、奇怪な「冤罪」事件の様相を呈しています。
 犯人は、ゴビンダ・マイナリさんという、ネパールからやってきて不法滞在しながら働いていた当時30歳の男性です。

 不法滞在者であるネパール人だからでしょうか、目撃証言も不確か、コンドームに残った残存精液の鑑定も不確か、それ以外に説明できない要因がいくつもあっても、彼は逮捕されました。

 東京地裁の判決は、2000年4月にありました。この第1審では、上述した理由等が考慮され、「疑わしきは罰せず」の原則どおり、ゴビンダ被告は、「無罪」となりました。

 ところが、検察側の控訴によって行われた控訴審では、新しい証拠が提出されたわけではないにもかかわらず、証拠能力の解釈の違いによって、信じられないことに、逆の判決が出ました。
 すなわち、2000年12月東京高裁で、逆転有罪、無期懲役の判決が下ったのです。

 そもそも控訴審に入るときには、1審無罪となったゴビン

 神泉駅のすぐ北、踏切から10bのところにある、渡辺さんの死体発見現場。喜寿荘。
 半地下の居酒屋「まん福亭」の看板が掛かっている部分がその部屋。骨董品とも言うべき、古びた木造モルタルのアパートである。
 殺害の日は、97年3月8日土曜日。
 会社が休みのこの日、彼女は、9ヶ月前から「勤め」ていた、SMクラブで時間を過ごした後、この町にやってきて、殺害された。
 死体発見は、3月19日。
 ゴビンダ被告の住まいは、なんと、すぐ横の白いビルの4階。弁護側は主張する。「自分で殺害した死体を隣のアパートの部屋に放置したまま11日間も過ごすのは、普通では考えられない。彼が犯人でない証拠である。」同感。

ダさんに対して、司法当局は信じられない決定を下しました。これから書くことは、恥ずかしながら、地歴公民科の教師の私も、あまり詳しくは知らないことでした。

 第1審無罪判決の4日後、東京地検は控訴を行う同時に、ゴビンダさんを「再拘留」する請求を裁判所に行ったのです。 
 本来、第1審無罪となったゴビンダさんは、とりあえず無罪放免となって、本国へ帰ることができるはずです。いや、不法滞在者ですから、強制退去措置が成されるはずです。

 ところが、なんとしてでも、ゴビンダさんを有罪とすべく執念を燃やす検察側は、ネパール人である彼が本国へ帰ってしまうと、今後の裁判の進行上差し支えがあると判断し、彼の再拘留を求めたのです。
 
 自ら無罪判決を下した東京地裁は、「再拘留」の必要なしの判断を下しました。
 検察側は、今度は東京高検から、東京高裁へ、再び「再拘留」の請求を行いました。これに対して、東京高裁第4刑事部は、「再拘留」の決定を下したのです。
 この結果、無罪判決を受けたゴビンダ被告は、再び、拘置所に収監されたのです。
 普通の市民的感覚からすれば、「理不尽な仕打ち」と感じられるのではないでしょうか。

 佐野氏の両書は、検察側の証拠の不十分な点を、これでもかこれでもかと指摘していきます。普通の推理小説以上の展開です。

 Bについては、様々な要素が縦横にからんで、不思議な世界を構成しているとしか申し上げられません。
 とりわけ、我が岐阜県人にとっては、なのです。

 第1審の無罪判決の後、ゴビンダさんの「再拘留」を認めた東京高裁第4刑事部の裁判官の一人に、村木保裕判事がいました。この名前を記憶の人もいるかと思います。

 彼は、ゴビンダ事件にかかわった翌年、2001年5月、現職の判事でありながら14歳の少女と売春をしたという容疑で逮捕され、8月に有罪判決を受けました。

 この結果、教科書にもある裁判官弾劾裁判所の法廷にかけられ、江田五月・野田聖子(岐阜1区選出)ら国会議員からなる裁判員によって、罷免の判決を受けました。
 村木元判事は、岐阜高校の昭和51年3月の卒業生です。

 東電OL殺人事件は、弁護側の上告によって、現在最高裁判所で審理中です。
 最高裁は、それまでの地裁・高裁とは審理の仕方が違います。つまり、証人を呼んだり、事実関係を確認したりする口頭弁論は、例外を除いては普通は行われません。

 ただ、高裁の判決が法に照らして正しかったかどうかを書面審理するだけです。もちろん、傍聴もありません。
「上告棄却」か「差し戻し」かの判決は、東京拘置所に収監されているゴビンダさんに、配達証明郵便で突然通知されるのだそうです。それがいつかは、わかりません。


 私が渋谷区円山町を訪れたのは、6月の夏至の太陽がさんさんと照りつける暑い日でした。

 5年前の事件ですから、喜寿荘など取り壊されて残っていないのかもしれません。
 神泉駅南のラ・フォンテーヌという喫茶店でアイスコーヒーを飲みながら、ママさんに聞いてみました。

「変なこと聞きますが、5年前の東電OLが殺されたアパートってまだあります?」
「ええ、ありますよ。踏切の北のぼろアパート。」
「ああいう事件が起きたんだから、取り壊されたりしないんでしょうかね?」
「いいえ、ちゃんとありますよ。こういう町ですから、みんなそんなに気にしてないじゃないですか。」
「あの部屋に誰か住んでるでしょうか」
「さあ、そこまでは」

 アパートは、ちゃんとありました。
 現場の101号室に誰か住んでいるか、それは確かめずに、写真だけ撮って帰ってきました。

 最高裁判決は、たぶんそう先の話ではありません。 


031 2002年 7月21日(日) 夏休みと教職員                     メニューへ 

 さて、夏休みです。
 今は学校現場にいませんので、自分自身の労働は、来週になっても何ら変化がありません。しかし、この「未来航路」のサイトは、夏休みの影響を受けます。
 どういうことかといいますと、「未来航路」を見ていただいている方の多くは高校の教職員のみなさんなので、このサイトへのアクセス件数は、夏休みへ入る前の週あたりから次第に減少し、夏休みにはいると、それまでの3分の2近くになります。

 これは、想像しますに、まず、このサイトを学校でご覧になっている方が、かなり多くいるということです。
 そして、夏休みの直前の三者懇談会がある週は、自分の経験上、目の回る忙しさになりますから、ゆっくりインターネットをするヒマなどないという状態になります。したがって、アクセス件数がそれまでより減ります。
 そして、夏休みにはいると、これも経験上、学校へ出かける日数が減り、また、昼休みに弁当食べながらちょっとネットサーフィンという時間も減り、結果、アクセス件数は激減。

 勝手に想像してしましましたが、この1年半、夏・春・冬の休みになると必ずアクセス件数は減少していますから、たぶん、そういう事情ではないのでしょうか?
 ご家庭でも、「未来航路」をよろしくお願いします。

 さて、その、教職員の夏休みですが、今年は、異変が起きているのですね?
 昨年まで、先生方は、行政職の公務員が週休2日制を取っていることから、出勤している土曜日分年間28日分(0.5をかけて、日数にして14日分)を、夏休みに休日として取ることができました。さらに、教育公務員特例法のいわゆる校長の承認を受けて行うことができる「勤務場所を離れ」た研修、通称「自宅研修」の仕組みがあって、これを組み合わせて、事実上の先生方の「夏休み」ができあがっていました。

 しかし、完全学校週5日制の実施によって、14日分がなくなってしまいました。
 これによって、「非常識な自宅研修」が増えることを憂慮した文部科学省は、7月4日に通知を出しました。「法の条項は教師の権利ではない。休養や私用の等の研修実態のない場合はもちろん、職務と関係がないものや、職務への反映が認められないケースなど、不適当なものに(校長が)承認を与えるべきではない。」
 さらに、文部科学省は、夏休み終了後通知どおり実行されたか調査して実態を把握するといっています。

 これに対して、東京都の教職員組合からは、「超過勤務に追われ疲労で倒れる教師もいる。実態把握などは国の管理統制だ」と反発が出ています。
 ※『読売新聞』(2002年7月9日)

 まあ、自宅研修と称して、パチンコをやっているのは論外です

 教員採用試験会場の昼休み。中庭でたたずむ受験者。暑い暑い、ひたすら暑い。午後は、集団面接があるため、みんな黒っぽいスーツと上着持参。

が、この運用は、難しいものがあります。部活動がある高校や中学校と、そうではない小学校との違いもあるでしょう。
 みなさんの学校ではいかがでしょうか。
 掲示板にご意見・状況をお書きください。

 夏というともう一つ大事な行事があります。
 教員採用試験です。
 今年も例年どおり、7月21日に、これも例年どおりの会場で行われました。
 皮肉にも週末に梅雨が明けてしまい、猛暑の中での試験となりました。
 午前中は、普通の教室で42人が机を並べて、1時間30分の一般教養・教職教養、専門教科の試験です。
 会場は高校の教室ですから、もちろん冷房はありません。
 受験者は、汗を垂らしながらの奮闘です。

 状況を知らない方は、 「そんなことならラフなスタイルで」、と思われますが、そうはいきません。
 午後からはちゃんと集団面接試験があり、フォーマルな服装でないと面接では致命的です。したがって、男性も女性も、みんなスーツに上着持参となります。しかも、お馴染みリクルートスーツです。

 そうですねえ、いくら面接がなくても、筆記試験に短パンTシャツやタンクトップでは来られませんね。(試験官には受けたりして・・・。(^-^))
 
 うん、みんな、そうやって教員になっていくのだ。後輩もその試練を乗り越えて、たくましい教員になりたまえ。

 それにしても、教員採用試験の講座を開講している○○アカデミー(予備校)に一言いわなければ。試験対策に、冷房を切って暑さとひたたる汗に耐える訓練のメニューを増やしたらと。 

 いつものように、暑い夏が行く。


032 2002年 8月04日(日) 暑くて忙しい夏です                      メニューへ 

 当たり前ですが、暑くて忙しい夏休みが続いています。
 予想どおり、今週のこの「未来航路」へのアクセス数は、今年度最低を記録してしまいました。みんな見ておくんなせい!!。
 
 もっとも、私の今の勤務では、夏休みはありません。
 特別休暇は4日ありますが、今年は、いろいろ仕事が詰まっていて、昨年までのように4日まとめて取ることができませんでした。したがって、一昨年のアメリカ、昨年のパリ・ロンドンのような大盤振る舞い海外旅行は今年は、できません。(お金もありません。(-_-)…)
 「面白い海外旅行記だぞ」とメールで応援していただいた読者の方、今年は、家族での海外旅行記は、残念ながらありません。その代わりにというのはなんですが、9月の20日前後に、仕事で、北の方のちょっと変わったところへ行きますので、そのレポートが旅行記代わりとなります。どこかって、いや、パスポートがいるようでいらないような、北の方です。

 今年の夏休みが忙しいのは、たくさんの先生方が参加する委員会やら研修会やらいくつもの会が企画されており、その準備をしなければならないからです。
 
 自分たちは、これまでとは違った授業の在り方を目指しています。教師が一方的に話をするだけであったり、黒板に書くだけであったりする授業、いうなら、一方通行の授業ではなく、生徒が主体的に「参加」できるような授業、生徒が考えたり表現したりできるような授業、いうなら、双方向の授業を目指しています。

 そのためには、自分たちの委員会や研修会もそうでなければなりません。
 話し手が、所要時間の、たとえば60分のうちの、57分までを一方的にしゃべり、残り3分「質問ありませんか」というのは、参加者にとって、実になる形態とは思えません。

 なんとか、「双方向性」のある研修会や委員会になるよう、暑くて忙しい夏が続きます。


033 2002年 8月10日(土) 株安                               メニューへ 

 先週の現代社会クイズで株式価格のことを書いたので、株の売買に挑戦してみることにしました。
 今まで、株式を自分のお金で買ったことはたった一度だけあります。
 1998年2月に山一証券の株を1000株買いました。
  ※これを聞いて、「えっ、と思う方は、社会科の教師です(??)」
   詳しくは、現物教材「山一証券株券」をどうぞ。
 
 
 しかし、今回の挑戦は、本当の投資ではなく、あくまで、バーチャルな挑戦です。
 早速インターネットのサイトをいろいろ当たってみると、株価取引のシミュレーションができるサイトがいくつも見つかりました。
 私は、このうち、野村証券のサイトで挑戦してみることにしました。 
  ※授業に使える他のいろいろなシミュレーションサイトや、株式・証券関係の説明サイトは、
    こちらへどうぞ。
 
 野村証券のこのサイトでは、持ち金は100万円、売買の手数料も取られますから、本格的です。取引は架空ですが、株価は現実の価格です。
 8月3日土曜日に、2日の終値で、数社の株式を90万円分ほど購入しました。

 ところが、ところが、なんと、6日火曜日の東京市場は、株価が急落。日経平均で、マイナス225.94円の9478.99円となってしました。(終値では、少し持ち直して、9501.02円)
 これは、あろうことか、2002年2月に記録した、バブル後最安値をもう少しで更新するという、とんでもない悪い状況となってしまいました。
 私が購入した企業もすべてマイナスで、100万円の資産は、わずか2日にして、92万円となってしまいました。
 
 これが本当の投資なら、心配で仕事なんかやってられません。う〜ん、シミュレーションでよかった。
 しかし、ここでくじけてはいけない。どうやって取り返すか、目下作戦続行中です。

 最後に、不謹慎な話題ですが、株価というものは、面白いものだという例を一つ。
 
 大変お気の毒なことですが、8月5日にマブチモーターという会社の社長さんの自宅で、奥さんと娘さんが殺されて焼かれるという事件が発生しました。マブチモーターと言えば、少年時代、一生懸命作った、プラモデルや工作の作品の部品として使った、あのマブチモーターです。

 悲劇的な事件で、お気の毒ですが、私は、これは企業にはマイナスと判断しました。
 ところが、現実には、マブチモーター株は、値上がりをしています。「同情」というわけでしょうか??
 詳しい理由は、株式売買経験僅か1週間の私には分かりません。その道の達人がおいででしたら、ご教授願います。 


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