現物教材 経済1

002  自動車産業発展史解説セット                 |現物教材:目次:現代社会・経済へ

 日本の経済を解説する場合、日本史の教科書的な発想では、「明治時代中期 ○○産業」という具合に、それぞれの時代毎に全産業、経済のすべての諸相を説明する、いや、羅列することになり、生徒にとっては、興味のあるものにはなりません。
 そこで、特定の産業をテーマにして、その興亡盛衰を扱いながら、そこから日本経済を敷衍するという形を取る方法を試みました。この方が、よりドラマティックで、生徒の理解も進むと思います。
 
 私が、選んだテーマのひとつが、「自動車産業発展史」です。
 その説明のために、現物教材として、いろいろなものを主にプラモデルで集めました。以下にその数例を紹介します。但し、一度に全部ではなく、増補改訂しながら紹介していきます。
 また、「自動車産業発展史」については、各分野毎のページにクイズなどとして掲載していきますが、その一覧は次の通りです。これから順次増やしていきます。(のマークが目印です)

フォードモデルTの価格は10年後には何ドルになったか?

クイズ現代社会 経済編 01/12/31

フォード社が労働者の日給を上げた理由は?

クイズ現代社会 経済編 01/12/31

本田宗一郎の失敗とは何か?

クイズ現代社会 経済編 02/01/13

20世紀の優秀技術車に選ばれた唯一の日本車とは何か?

クイズ現代社会 経済編 02/01/27

フォード社を動かした経理畑の人々の呼称は?

クイズ現代社会 経済編 02/03/17

2001年のWTC事件でフォード社が被った被害の原因は?

クイズ現代社会 経済編 03/01/11


 自動車産業発展史解説セット 1

フォードモデルT。といってもこれは、通常のセダンタイプではなく、ふたり乗りのスポーツカータイプ。

 まずは、フォードモデルT。
 フォード社の創始者ヘンリー・フォードは、1902年に会社を創立。場所はもちろんミシガン州デトロイト。
 彼は、できるだけ規格化された製造工程で大量生産を行い、安い車を提供することを目標としまた。開発以来20番目の車、それがフォードモデルT(T型フォード)です。T型はシンプルな構造で、当時の悪い道路事情でも決してへこたれませんでした。
 大量生産の成功と、価格の引き下げが功を奏して、T型はアメリカで爆発的に売れ続けました。第一次世界大戦後しばらく続いたアメリカ経済の未曾有の繁栄も追い風となりました。
その結果、発売以来19年間に渡って大きなモデルチェンジをせずに作り続けられ、当時としては画期的な、1500万7033台の生産記録を残したのです。
 この記録は、1972年になってようやく破られます。破ったのは、ドイツのフォルクスワーゲン・ビートル
 第二次世界大戦に敗北したドイツは、1949年東西の分裂国家として再出発しました。
 もともと産業基盤はあり、労働力の質が高かった西ドイツは、米国の援肋を受けてたちまち回復し、急速に伸び続けました。ダイムラー・ベンツ、フォルクスワーゲン、BMW、ポルシエなどの自動車産業はその「奇跡の復興」のにない手でした。その意味で、自動車産業の果たした役割は、日本と同じでした。 
 ビートルは1978年、ドイツでの生産が中止されました。その後,一時ブラジルで,いまはメキシコで生産され,累計は2133万5800台余り(97年末)。
 これを追うのは、日本の名車トヨタ・カローラです。
 2000万台近くまで追走していますが、まだ届きません。

ドイツの国民的名車、フォルクスワーゲン・ビートル。本国では、1978年まで生産された。
ビートルの後継車、ゴルフ。


自動車産業発展史解説セット 2


1986年ウイリアムズ・ホンダ

 2回目は、ホンダのシリーズです。

 1番目は、
1986年F1でコンソトラクターズチャンピオンを取ったウィリアムズホンダのマシン。
 積載されたホンダRA166Eエンジンは、1000馬力以上のパワーを発揮し、コンピュータ制御によって優れた燃料消費を実現したエンジンとなりました。
 開幕戦のブラジルグランプリで、ナイジェル・マンセル。ネルソン・ピケの1位・2位独占(ワンツーフィニッシュ)を皮切りに、ふたりで合計7勝しました。
 2番目は、無敵の強さを誇った、
1988年のマクラーレンホンダ。
 プロフェッサーとの異名をもらった名ドライバー、アラン・プロストとアイルトン・セナとホンダエンジンMP4/4を擁したマクラーレン・ホンダは、開幕戦から11連勝を飾り、しかもそのうち8勝は、ワンツーフィニッシュというすさまじい強さでした。
 この年、セナが初めてドライバーズ・チャンピオンに輝きました。


 3番目は、1973年のCVCCエンジン搭載のCIVIC1500です。
 ホンダのCVCCエンジンは、アメリカのマスキー上院議員らが中心となって制定したエンジンの排出物に関する厳しい規制の法律、通称マスキー法の規制を最初に通過したエンジンとなりました。その完成とテストの通過は、1972年ののことでした。
 この低公害エンジンは、必然的に低燃費のエンジンでもあり、折しも1973年におこったオイルショックののちの欧米市場への売り込みに強力な武器となりました。
 ホンダは、1976年発売のアコードCVCCで、欧米市場を席巻することになります。


1988年マクラーレンホンダ


1973年CVCCエンジン搭載CIVIC1500

 F1カーはプラモデルなどで比較的手に入れることができますが、シビックCVCCは無理かもしれません。


003  山一証券株券                           |現物教材:目次:現代社会・経済へ

 右は、今は亡き山一証券株式会社の1000株券です。
 購入したのは、1998年の2月です。
 実は、山一証券は、バブル期の放漫経営がもとで、経営不振となり、1997年秋に会社破綻が表面化しました。
 その結果、1998年4月を最後に会社が消滅するという事態を迎えました。
 その、消滅直前に購入したのが、この株券です。
 1000株券ですから、会社が隆昌を極めていた1980年代後半には、これだけ持っていると言うことは、何十万円かの資産価値があったでしょうが、もちろん、今は0円です。
  「するとあなたは、いくら損害を蒙ったの?」と心配をいただいたとしたら、それはご無用です。私の損害額は、3000数百円でした。

 説明します。
 山一証券や北海道拓殖銀行が破局を迎えたとき、何とかこれを教材にする方法がないかと考えました。そして、「つぶれてしまった会社の株式は、もちろん無価値になる。じゃ、消滅する前に、最低の値段で買っておいて、授業のネタにしよう。」という作戦を立てたのです。
 知り合いの証券会社の営業マンに聞いたら、「そんな奇妙なことをする人は聞いたことはありませんが、ほんの少しですが手数料もいただきますから、まあ、会社が消滅して取引停止になる前に、買い注文を出してください。」とのことでした。
 これに気付いた1998年1月の段階で、株価は、1株2円でした。
 「よし、もう少し我慢すると、一株1円になる。」と狙っていたら、なんと、それからしばらくして、株価は3円に上昇。そのままずっと3円が維持されたのでした。
 営業マンに聞きました。「どうして3円なの?」
 「さあ、先生のような方が他にもいるのでしょうか。」

 しょうがないので、1株3円で1000株購入したのが、この株券です。

 今の時点では、もちろん手に入らない代物ですが、もし、同じ発想で教材を作ろうと思えば、今は、倒産企業がうようよありますから、お買い時です。
 ちなみに、岐阜県の企業で、地元の経済界を揺るがしている、大日本土木株式会社は、現在、株価が1円です。新聞の株式市況のページの隅の方に、「整理ポスト」という欄がありますから、探してみてください。