昨年、学校現場から県庁へと勤めが変わってから、それまでの自分や、これからの自分を考える時間が増えました。
現場にいた23年間は、とても長かったと思います。その23年間に自分は何をしたのだろうか、自分はどういう教師だったのだろうか、これからどうするべきだろうかと。
教師は、基本的には、とても「厚顔無恥な」存在です。 何しろ、いろいろなことをさもものすごく知っているかのように子どもたちや保護者に話すのですから。
現在のように45歳を過ぎれば、多少は、さもありなんという話をすることができますが、若い頃は、そりゃもう、夜ごと、明日話すことをそれらしく考えなければなりませんから。泥縄もいいところです。
若い先生は初々しくていいものですが、そりゃあそりゃあ、危なっかしいものです。
県庁勤めになってから、食堂などで、「あ、先生」と声をかけられることが増えました。自分の教え子で県職員となった人がずいぶんいるからで、県庁という何千人ものがひとつの建物にいれば、声をかけられる数も多かろうというものです。
中には、新任校時代(つまり、23,4年前)に教えたという元生徒という強者?もいて、その人たちから、「先生の授業でもらったプリントまだ持ってますよ。」などといわれます。これは、はっきり言って、嬉しさ少し、恥ずかしさたくさんです。
教員でない方から見ると、「そんな嬉しいことはないのでは」と思われるかも知れません。しかし、教師の思いは違うのです。
新任時代に作ったプリントなど、今から思えば、笑止千万な幼稚な作品で、それを持っているなどと言うのは、たとえていうなら、現在売れている女性タレントが、その昔AV女優だった頃の作品を「持ってるぞ」といわれたようなもので、できたら取り返したいと思うしろものなのです。(たとえが、極端でしたか?)
もうひとつ。
職場の行政職の人の中には、「今度人事異動で、昔の私の担任がくるって。やばー。」と、可愛らしい発想をしてくれる方もいますが、この反応も多くは「間違って」います。
自分の教え子に出会って、教え子がやばいのは、その人が生徒の頃によほど担任に迷惑をかけたかいろいろあった元教え子の場合です。しかし、40数人のクラスの生徒のうち、そんな子はほんの数人です。
あとの子は、HRの時間に、授業に時間に、ただひたすら担任の話を聞き、その姿を見てきたのですから、批判的に見て、「あの先生は昔ね・・・」などと言おうものなら、元担任は、どこかの穴に隠れなければなりません。
生徒は1時間中担任を見ていたでしょうが、普通から言えば、担任は、1時間の40数分の1しか、一人一人の生徒を見ていることができなかったはずなのです。
その昔担任した人だからといって、大きな顔など絶対できないのです。
このように、教員というのは、最初は、本当に厚顔無恥な、それゆえ、「穴があったらいつでも隠れたい」存在なのです。
しかし、毎日の努力は、教師の存在を次第に「意味あるもの」にしていきます。
県庁に来たばかり頃、ある行政職の人の何気ない言葉に猛反発して、口角泡を飛ばして論争した経験があります。その言葉は、「先生、教師はいいねー。毎年毎年同じことをしていればいいから。」でした。
新任の自分が、今から見て恥ずかしい存在であったのは、経験のない新任だったからです。それからの毎日は、先生方なら誰しも、40数人の視線を気にしながら、「ちゃんとした教師になりたい」と思いつつ、苦悶の中で努力する日々であったはずです。
その努力の存在を理解してくれない発言には、反対に猛反発せざるを得ません。
さて、どこへ落ち着くか分からないこの項目を終わらせなければなりません。
2001年9月4日の中日新聞のコラムに、愛知淑徳大学の清水良典助教授の「ポケットに栞を」という、「親のしつけと視線」に関するエッセイが載っていました。
その中で、助教授は山田太一氏の言葉を借りて、親がどうあるべきかを次の引用で結んでいます。
教師の場合は、対話も必要でしょう。しかし、厚顔無恥な存在から意味ある存在へ「変身」するためのヒントがここにある気がします。
教師は、子供の視線によって「成長」し、子供にとって意味ある存在になっていくのです。そして、「ただ若いから生徒に人気がある」という初歩的存在から、「なにがしかの人間として立ち現れる」ことができるようになるのです。 |