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 11 日本を考えるT 敬宮愛子殿下1  01/12/09        

 平成13年12月1日.皇太子妃殿下が内親王を出産され.皇太子ご夫妻にはじめてのお子さんが誕生した。まずは.どんな場所でどんな運命を背負って生まれた子どもであれ.人ひとりの誕生にお慶びと祝福を述べたい。

 しかし.この女児は.ただの子どもではない。ある意味では.これからの日本の運命を変えてしまう女児となるかもしれない。
 あの日.夕刻のニュースで「内親王」という言葉を聞いた時.「うーんこれで.いろいろ動きが始まるぞ」と思った。男の子なら文句なく待望の.皇位継承者ナンバー2(つまり.皇太子殿下の次ぎ)の誕生となったのが.内親王(女の子)では.現行の法律ではそうはいかないからだ。
 ※皇位継承は.日本史クイズ「2002年11月現在.日本の皇位継承者は何人いるでしょうか。」参照
 
 上記のページで現在の皇室のメンバーを確認してもらえればわかるが.1965(昭和40)年に生まれた現皇太子殿下の弟秋篠宮以降.皇族内では.合計9人の方が誕生しているが.それがすべて女性である。つまり.若い皇族はすべて女性ということになる。
 雅子妃殿下が.愛子殿下誕生直後の12月9日に38歳になられたという点から考えると.次子の誕生へは大きな期待はできないのが常識である。
 そうなると.現行法律を改正して.女性への皇位継承の道を開く問題が起こるのは必然の成り行きである。

 案の定.誕生の直後から.次のような新聞記事が登場した。

  • 皇室典範改正前向き 与野党実力者ら(産経新聞12月3日)
     皇太子ご夫妻に女のお子さまが誕生されたことを受けて.二日.与野党の実力者らから女性も皇位継承できるようにする皇室典範改正問題に関する発言が相次いだ。

     自民党の野中広務元幹事長はフジテレビの「報道2001」で.「日本は男女共同参画社会を目指しており外国にも(女帝の)例がある。改正は当然あっていい」と発言。加藤紘一元幹事長もテレビ朝日の「サンデープロジェクト」で.「山崎拓幹事長と昨日(一日)電話で話したが.彼(山崎氏)も私も賛成だ。(女性天皇は)古代にはよくあった話だ」と述べた。

     加藤氏と同じ番組に出演した民主党の菅直人幹事長は「原則的には今の憲法は男女平等をうたっており.その点で皇室典範はいわば例外だ。女性の天皇という制度はあってもいい」と改正に前向きな姿勢を示しながらも.「あまり慌てないで議論した方がいい。全国民的な合意をした方がいい」と述べた。

     一方.保守党の野田毅党首は熊本市での記者会見で「個人的には女性天皇を否定するつもりはない」としたうえで.「ただ.皇室典範を改正すべきかどうかは.もう少し時間をかけて議論した方がいいのではないか」と述べた。

     また.自民党の山崎拓幹事長は自らのメールマガジンで「女性天皇も含め.皇室の在り方を決めるのは.主権者たる国民」との見解を表明し.女性の皇位継承を認める場合の問題点として.
    (1)皇位継承順位をどうやって決定するか(2)女性皇位継承者が皇族以外の男性と結婚した場合の取り扱いをどうするか−を指摘。自由党の小沢一郎党首も兵庫県尼崎市内での記者会見で「男系に限ったのは明治以降の話で.女性の皇位継承は一向に差し支えない」と述べた。

 僕個人は.女性の皇位継承に賛成であり.それよりなにより.敬宮愛子殿下の誕生で.日本の象徴たる天皇に関して.いろいろなことから議論ができることが嬉しくて仕方がない。

 社会科の授業の中でも.「日本国及び日本国民統合の象徴」である天皇は.当然ながらいろいろな視点から学習すべき内容であることは間違いない。しかし.私の経験からいって.このあまりにも固くて大きな問題は.それぞれの教師のいろいろな考え方もあって.現実的にはあまり深くは教えられて来なかったと思う。

 そういう意味では.誕生と一連の騒動は.ちゃんと教育を行うチャンスなのである。

 皇室典範を改正して.女性の皇位継承を認めるという場合.上記新聞引用の赤字の部分のように.細かい技術的な問題もあることはある.。しかし.それより大事なことは.政治家のいろいろな思惑より.私たち一般国民が.男女を問わず象徴たる天皇にどういう意味を持たせるか.感じるかにある。

 国家の元首は.現代では.選挙等で選ばれたか.世襲の君主によるか.二つにひとつである。
 アメリカのように.「4年に一度のお祭り」をやって.元首であり自分たちの政治指導者である人物を選ぶ方法をとる国もあるが.わが国は.世襲制の天皇を元首に戴き.しかもそれを「象徴」と表現している。

 彼(彼女)は.いったい何の象徴なのか?
 天皇が我々の日本国を象徴するという場合.私個人的には.それは.彼の存在そのものが何らかの徳目を具現化する存在であるという以外に意味はないと思っている。
 具体的には.平和・友好といったわが国の政治方針や.誠実・穏和・勤勉といったあるべき人間的徳目の両方を具現化する「意味ある存在」である。
 
 天皇にこういう意味を持たせること.感じることの是非.そして.その内容について.これまで自分は残念ながら時間をかけて深く掘り下げて学習するテーマとすることはできなかった。
 他の社会科の先生はどうであろう?
 これについて.いろいろな角度から議論が起き.学習が行われ.特に若い世代の中に「象徴天皇制」に対する意識が高まっていくことを望むものである。
 徳目の後者の分野については.たとえば.調和と個性.義理・人情と合理性・契約的精神といった.相反するものについて.結論はでなくてもいい.「日本と日本人そのものの在り方を深く考える」動きがでることを期待する。

 皇室に何を期待するかという点で重要なのは.ズバリ本音を言おう.彼らの見栄えである。
 イギリスのダイアナ妃が世界から注目を集めたのは.その美しさがあったからであることは.誰しも否定しないだろう。また.チャールズ皇太子より.ダイアナの美形を受けついだウィリアムズ王子の方に国民の人気が集まり.大胆にも.ひとつ跳ばしてエリザベス女王の次はウィリアムズ王子が王位をついてはどうかという意見があるのも.本心の所.そういう意味での人気が原因であろう。
 これは.天皇や国王のプレゼンス(存在感)という点から言えば.現実的に重要な問題である。
 我が敬宮愛子様は.美人になるかどうかという点から言えば.失礼ながら.美人の確率はあまり高くないと思う。もっともこれは美人の定義が.目鼻立ちがはっきりしているという場合である。
 確率が高くない理由は.遺伝的要素にある。
 
 皇室をはじめとする日本古来からの支配者の血筋の方々は.いわゆる.弥生時代開始頃から渡来した新モンゴロイドの形質を保持している場合が多いことが.いろいろな点から立証されている。いわゆる.のっぺりとした貴族顔なのである。
 皇太子殿下も.おおむねその形質をお持ちのようなので.敬宮愛子様も.ドングリ眼の鼻高美人というわけにはいかないと思う。雅子様から受けつがれた遺伝的形質がどのくらい影響を発揮するかによっては.少しは幅はあるけれど・・・。
 ※日本人の形質は.目から鱗「日本人のアイデンティティを考えるT 現代日本人のルーツ」参照  
 
 敬宮愛子殿下が.日本における皇室というものや日本そのものの在り方・精神構造・文化を再度考え直すいいきっかけとなることは間違いない。
 そういう意味では.「無事.親王殿下誕生」よりも.よかったかもしれない。  

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 12 日本を考えるU 敬宮愛子殿下2  01/12/16         

 今日本は.バブル経済がはじけたあとの.暗い冬の時代を過ごしている。1990年代は.”失われた10年”とネーミングされたが.これが本当に.失われた10年になることを祈るばかりである。(つまり.決して失われた15年とか20年になることはないように・・・。)

 それでもまだ.反対に.経済は.ひとつがうまく行き始めるとみんながうまく行き始めるから.深刻の度合いはまだ少ない気がする。そして.経済は.基本的には.楽しみたい.もうけたいという欲望が原動力なのだから.ほおっておいても進む時は進むだろう。
 しかし.今自信を失いかけている教育は.ほおっておいてうまくいくとは.とても思えない。

 今週.二つの印象的な新聞記事を見つけた。
 ひとつは.「児童虐待で56人が死亡」というものである。
 児童虐待防止法が施行された昨年11月から今年の10月までの1年間に.児童虐待によって死亡した児童は.前年同期より13人多い56人に上ったという.警察庁の発表である。全国の警察が摘発した件数は.186件であった。
 
 こんなに多いとは思はなかった。そして.加害者が誰かという結果も意外だった。
 加害者を多い順に並べると.@母親の79人.A父親か母親の内縁者44人.B養父・継父33人.の順となる。いろいろな事情があれ.血のつながった母親が加害者の5分の2を占めているのだ。
 自分の利益か.何の利益か.子どもを慈しむことをさせなくしてしまった要因は何なのだろう。

 もうひとつは.ある女性からの新聞への投書だった。「よくぞ親にさせてくれた
 子供を産んだからと言って.すぐ親と胸を張って言えるものではない。私はお前たち子どもを育てることによって.無事立派な親にさせてもらった.という内容の投書だった。

 子どもを育てると言うことは.子どもとともに自分が成長することである.見方を変えれば.子どもが自分を成長させてくれるというこの女性の意見は.至極当たり前でいて.ややもすれば忘れてしまいがちな.重要な視点である。
 ともに成長することは.同時に.互いの存在を認め合うことであり.親がそういう視点を持てば.子どもも親を軽んじたりむげに反発することもない。
 これこそ.子育て.親育ての極意というものであろう。
 週刊朝日12/21日号の「敬宮愛子さまの未来」という記事の中で.ベル教育総合学院長の乃万暢敏氏が次のように述べている。
「皇后美智子さまが皇太子殿下をお育てになった時.その”子育て”を国民がまねをして.ブームになりました。今の若いお母さんは方は子育てに強い不安を持っています。皇太子ご夫妻がきちんとしたデザインを持った子育てをなさって.国民がそれをひとつお手本としてまねできるようになれば.この国の将来は明るくなっていくはずです」
 ことはそう簡単ではないだろう。
 しかし.皇太子ご夫妻.そして.その在り方を報道するマスコミが賢くさえあれば.もういちど.子育てに関して国民が「自信を持つ」.換言すれば.なにが本来あるべき姿なのかを理解する大きなきっかけとなることはまちがいない。

 敬宮愛子さん.あなたは.あなたの意志と関わりなく.国民の注目が一身に集まる人として生まれてしまいました。あなたの健やかな成長を.心から祈ります。  

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 13 卒業T 手紙   02/01/27        

「 あなたと初めて会ったあの春の日から.もう三年が過ぎ去りました。その三年間におこったことはどれほどたくさんだったでしょう。あなたはそのすべてを覚えていますか。
 前庭で締除をしていた私をつかまえて.「明日の弁当を頼む」と言ったのは四月の遠足の前日。その時はまだ.私はたくさんの生徒の中のひとりにすぎなかったから.あなたは私の名前すら知らなかったでしょう。修学族行のバスの中であなたの歌を開いた時はびっくりしました。よもやその敷からさださんの甘いメロディーが聞こえてくるとは思いませんでしたから。それから.サッカーにしろマラソン大会にしろあなたはほかの生徒以上に夢中になって”青春〃を楽しんでいましたね。もっとも私にさえあまりカッコよくは見えませんでしたが。

 受験勉強にと数学の問題をつくってもらってやったこともありました。「世界史の教師にだってこのくらいはできるに」と言って威張ったわりには.明晰さは今ひとつでしたが.もっとひどかったのは.夏の熱い夜に英語の予習をした時。初めは「生き字引き」になるはずだったのに.残念ながらもはや往年の単語カは消え失せていて.ついに
は「生き字引き引き」と化したのを覚えてますか。
 職員室横の小部屋で.「希望する大学を変更した方がいい」といきなり言われた時の悔しさは今も忘れません。恨みもしました。涙も流しました。
 本の並んだ下宿.みんなで押し掛けたファーストフード・・。

 様々な思い出を並べてきましたが.やはり私にとって一番大きな意味があったのは.あなたの授業そのものです。但し誤解しないでください。授業の方法がうまいからと言うのではなく.授業の中にあなたの生き様を感じたからなのです。
 授業中に展開されたあなたの世界に触れることが.私は大好きでした。そう.そこにはあなたそのものが堂々と感じられました。誰かが.「あの先生は同じ冗談を何回も違うクラスで話している。わざとらしい」と批判した時.あなたは顛色も変えずあっさりと言いましたね。「僕の授業に冗談などない。面白い詰もすべて授業を構成する要素なのだ。すべて計算されて組んである。だから.冗談などという軽々しいものではない。」

 こうして.空虚でまっ白だった私の心は.初めはゆっくりと.そして途中から急速にあなたの色に染まり.あなたの世界に包まれていきました。私はあなたとその世界を愛し.あなたも私を愛し.私という人間があなたの世界に触れながら成良していくことを楽しそうに見ていました。

 あなたは自分が感動した小説『されど我等が日々』の一節をことあるごとに私たちに語りました。「時代の困難に慣れあって老いてはいけない。困難から抜け出して新しい生活へ進み出せJと。
 あなたの授業が楽しかったのは.あなたそのものが毎日を楽しく生活していたせいだと思います。「俺は今の生活が楽しくてしょうがない。好きなことを存分にやって.それでなおかつ金がもらえるなんて最高。誰も見ていなかったら.毎日スキップをして校門を入ってくる」といつも言っていたのは.冗談でなく本気だと思います。

 とりとめもないことを長々と書いてしまいました。そろそろ何故私がこの手紙を書かなければならないのか.本題に入らねばなりません。
 私の話をまじめに怒らずに聞いて下さい。
 今.この時たあたって私は真剣に考えました。そして決心しました。思い切ってあなたの世界から離れてしまおうと。
 あなたは.身勝手で.短気で.偏屈で.独占欲が強く.そして憶病・小心です。おまけに.満背で.まだ27歳だというのに髪の毛が少なくて.どう見ても美男子ではなく.そしてガニ股です。あなたの素晴らしい面が理解できたと同時に.あなたの醜い面もいやと言う程.見ました。

 でも誤解しないで下さい。あなたの世界が嫌いになったわけではありません。あなたの偏見に満ちた発言がいかに多くの心を傷つけようと.あなたの無理解がどれだけの反感を生もうと.それでも私はあなたの世界が大好きです。そして.むしろこのまま.その世界に浸りきること方が.どれだけ安全でしょう。あなたのそばで甘える方がどれだけ楽しいでしょう。
 それも理解していて.それでもなお.あなたの世界から離れようと思います。

 理由を書きます。あなたは最後の授業で言いました。
「教師として.成績のいい子を教え国立大学に合格させることは.確かにうれしいことであり誇りとすべきことだるう。しかし.僕は思う。もし僕が弱い小さな光をあてなかったら.全然光りも輝きもしなかった人が.僕がちょっと照らしただけで何十倍も何百倍も輝いた。どの大学に合格しようが.一流銀行に入ろうがそれはどうだっていい。そんなふうに輝いてくれた人が数人.いやひとりでもいたら.僕は人間として幸福だし.ここまで生きてきて意味があろうというものだ。」

 私はあなたの強い光のおかげでここまで輝くことができました。そして.今度は.誰の光もうけずに自分で輝こうと思うのです。そのためにはあなたの世界から離れてしまわなければなりません。そうでなければ.自分ひとりの力で光を出すことは永遠にできないのではないでしょうか。

 自由にやりたいのです。私を守ってくれる保護壁を取りはずして.自由に飛び回ってみたいのです。ひょっとしたら.飛び上がれずに落下して地面をのたうちまわるかもしれません。あなたのおかげで持つことができた輝きをまた失ってしまうかもしれません。それでも.あなたの世界から飛び出てみたいのです。
 人間にとって過去はかけがえのないものです。そこから飛び出すことは.その中で育ってきた自分を失くしてしまうことになるかもしれません。けれども.人間には.それでもなお過去の甘えから脱け出さなければならない時がある。そうしなければ.本当の未来を失なってしまうことがあるとは思いませんか。

 私がこう書いても.あなたなら「そんな危険なことはやめろ」とは決して言わないと信じています。何故って.「困難と慣れ合わずに勇敢に生きろ」と私に教えてくれたのは.ほかならぬあなた自身だったのですから。

 この5年間に.私はあなたからどれだけのことを教えられ.どれだけの品物を与えられたことでしょう。それに反して.私があなたに与えたものは.何回かのお弁当と.車のフロソトガラスにぶらさがったマスコット人形だけ。

 わがままを許して下さい。生意気を許して下さい。私はあなたの世界の優等生なのです。だから.これからも優等生であるためには.今離れなければならないのです。そして.私が今あなたのもとを離れていくのは.他の何のためでもない。また.あなたと会うためです。今度は私も私の世界をつくって.一杯に光り輝いてあなたと会うためなのです。そうでないとしたら.何故この手紙を青く必要があったでしょう。
 私を判って下さい。

 家の前の谷川は雪解け水で一杯です。やがて来る春の陽ざしの中で.私は暖かかった冬のコートをぬぎます。その時.肌にあたる風に私はどんな反応をするのでしょうか。
 長い手紙になりました。最後に残すことばはこれしかありません。
 あなたとの三年間 そのすべてにありがとう。」

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 14 卒業U さびしいね   02/02/03         

 何回も書いているが.高校の教師は.1年生の担任から2年.3年と生徒と一緒にクラスを「持ち上がって」.一緒に無事卒業を迎えるというのが.普通にあるパターンであり.そうやって生徒を送り出すことが無上の喜びでもある。ひと仕事無事終えたという感じである。
 
 ところが.この喜びは.等しくすべての教員に平等に与えられるわけではない。たとえば.担当教科によって.事情がことなる。私のような社会.また理科の教員は.日本史・世界史などと専門の分野が細かく別れているので.自分が教えることができる科目がすべての学年に設定されていないと.持ち上がりはできないことになる。自分のクラスを教えずに担任をやるというのは.自分の県では普通はまずない。
 
 日本史が専門の私は.日本史が配置されている2・3年の担任の回数が圧倒的に多く.これまで16回の担任経験のうち.1年生の担任は僅か3回のみである。当然ながら.1・2・3年持ち上がりは.さらに少なく.たった1度.その喜びを味わっただけである。幸か不幸か.私が3年間担任を通し続けた卒業生が.岐阜県内にたった二人だけいる。(ちなみに平成元年3月の卒業生)
 制約が少ない国語・英語・数学の先生方は.比較的.持ち上がりの喜びの回数が多いことになる。

 平成6年4月に転勤した女子校で.6年度1年.7年度2年と.久しぶりにうまく持ち上がった。
 それまで12年務めた学校から新しい学校へと転勤したばかりであったことや.それまでと全く価値観が異なる初めての女子校であったことや.国際文化コースという.ニュージーランドでの海外研修を実施することを目的とする特別なコースの担任であったことに加え.自分自身が途中で椎間板ヘルニアの手術で入院したことがあり.いろいろな苦難を乗り越えて.たくさんの思いを経て.2年間が過ぎた。

 ところが.さあ3年生という時に.またしても.持ち上がり卒業の機会を奪われた。
 前年度末から.その学校と近くの工業高校との合併・総合学科高校への移行の計画が発表され.これまた幸か不幸か.平成8年度.私は授業を1時間ももたずに.新学科創設のフルタイムの準備作業員を任命されてしまったのである。
 いちおう.定数の関係で.それまでの.国際文化コースの副担任という形にはなったが.「自分の生徒たち」という思いは.事実上あきらめなければならなかった。

 平成9年3月.彼女たちが無事卒業式を迎えた。
 担任でない私は.卒業式に一般教員の一人として出席する以外.卒業生の誘導という係分担を与えられた。しかし.正直.担任として式場で生徒の名前を呼び.教室で保護者の前で生徒一人ひとりに卒業証書を渡すという.「晴れ姿」ができなかったことに.面白くない気持ちであった。
 組織の中でのそれぞれの役割の巡り合わせだから.誰のせいでもない.誰を恨むわけでもないのだが.何か.何処へも向けられない不満を持って.さびしさと.おもしろくなさとで.卒業式の日は.朝から鬱々としていた。
 もちろん.中年の一人前のいい教師が.そんなセンチメンタリズムに溺れかかっていることなど.職場の誰も知らない。

 式が済んで.生徒をHR教室へ誘導し.その日の役割はすんだ。HR教室に無理矢理おじゃまして.生徒の前で何かしゃべりたいという正直な気持ちは.変な意地が邪魔して行動にできなかった。
 私は.職員室にいるのが煩わしくて.所在なく.教育相談室のA先生のところへお茶を飲みに行った。A先生は.社会科の女性の先輩の先生であり.どこの学校でもよくあることだが.生徒の教育相談係りなのに.往々にして先生の相談係にもなる頼もしい先生である。

「こんにちは.A先生。ちょっとおじゃまします。ヒマなもんで」
「あら.Mさん.もう係り仕事はおわりですか。どうぞごゆっくり。」教育相談係のA先生とて.私の複雑な気持ちを察することなど無理な注文である。
「ちょうど良かった.中退したB子が来ていますよ。先生のクラスだったB子。今トイレかなんかですが.すぐに戻りますから.お相手してください。私ちょっと.用事で部屋を空けますから。」
 こちらの都合を言う間もなく.コーヒー1杯と引き替えに.A先生は.B子の接待役を押し付けて出ていってしまった。

 B子。2年生の時に担任した子である。
 初めは明るい元気な子で.部活動にも熱心だった。なかなかの運動能力があり.一時は期待もされていた。

 しかし.2年の夏休み中に彼氏ができてしまい.2学期以降は.学校外の活動の時間が増える.ずる休みする.授業はまともにうけない.という悪循環に陥った。深夜徘徊・外泊・家出等も加わり.親にも手に負えなくなった。
 何度も家庭訪問したが.どんどん学校から離れていった。学校以外の価値を見いだしてしまった人間に.学校内部のものがその価値を説明しても.ほとんど効果はない。

 何度かの家庭訪問も.最初は教師としての情熱がこもっていたが.最後の方は.最善の努力をしているという職務の証明のために.行くだけになってしまった。

 遠く電車の踏切の警鐘が聞こえる彼女の家の応接間で.長い沈黙が続いた。担任として話すことだけは話すが.打つ手をなくした親からも.面白く思っていない彼女からも.何の反応もなかった。自分の人生の自由を奪おうとしている教師に対して.反感を通り越して憎しみすら持っていると思える彼女の目が印象的だった。
 10分おきぐらいにかすかに聞こえる踏切の警鐘が.時がむなしく過ぎるのを教えてくれていた。

 結局彼女は.アルバイトしながら次の進路を自分で開拓するという「新たな目標」を持って.学校をやめていった。2年生の終わりのことである。
 
 そのB子が.卒業式にやってきた。
 自分の感情すら整理できない私は.彼女がいったい何故で今日学校へ来たのかということも.考えることはできなかった。あれほど行きたくないといった学校ではなかったのか。むしろ.彼女と再び会うということに対しては.狼狽が先に出た。

「M先生か.やばい人がおる。」B子は.部屋に戻ってきて.最初にそういった。
「やあ.元気か.今は何をやっとるんや?」私は.B子にいろいろと尋ねた。彼女は.また昔の明るい娘に戻っていた。もう.敵意は消えている。
「今日はまた.何できたの?」
「昔の友達の卒業式や.祝わないかん。」

「先生.ところで.こんなところで何をしているの。クラスにいかないの。」B子は当然.私が3年生の担任だと思っていた。
「いや.事情があって.今年は国際文化コースの担任ではない。」

 彼女は.観察するように私の顔を見ながら黙っていた。
 そして.しばらくして言った。
「先生.さびしいね。卒業証書渡せえへんのか。」

 この日.自分のまわりにたくさんの人間がいた中で.たったひとり.しかも.1年ぶりに再会した18歳の娘が.ほんの一言の説明を聞いて.私の思いを素直に表現してくれた。さびしいと。
 同時に.彼女が何故今日.学校へ来たかもわかった。

「B子.きみは卒業証書をもらえないんだ。」心に浮かんだこのことばは.もちろん口には出さなかった。
 一緒に卒業したかったのに.できなかったB子は.私以上に.さびしかったに違いない。そうでなければ.今日この日.彼女が学校へくるはずはない。

「あの時は.いろいろ大変だったな。」「先生もね。」
「たばこはやめたか。」「まだ.やめれん。」

 人の心とは.不思議なものである。
 もつれれば.もはや切るしかない。
 うまくつながれば.どんなことでも自然に伝えることができる。

 B子.くどく言ったことをもう一度言うぞ。妊娠したら.たばこはやめろよ。  

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 15 女.妻.母U 婚約指輪   02/02/10         

 自分に影響を与えた作家を幾人かあげなさいといったら.第1位は.司馬遼太郎であろうが.その次は難しい。第2位グループの一人に.今は北海道の動物王国で有名人となった畑正憲氏がいる。
 高校生のころに.氏の『ムツゴロウの青春期』・『ムツゴロウの結婚期』を読んで.いたく感動した。そして.その時.氏が.「『自分のことをこんなに赤裸々に書くと.もう恥ずかしくて街を歩けないぞ。』と他の作家から忠告を受けた。」と書いているくだりがあり.本当だ.自分の奥さんとの話をこんなに公表したら.確かに恥ずかしいぞと思った。

 本は出版できない私だが.今.ホームページで.その恥ずかしい方向へ進んでいる。妻が夫のページなぞ見ていないのを幸いに。
 久しぶりに.タンスの奥から.婚約指輪を探し出してきて鑑賞した。45万円以上もした高い買い物だったが.一度も人前で脚光を浴びたことはなく.こうでもしてやらないと.気の毒であり.あの「投資」は何だったのかと思いたくなる。
 ご丁寧に桐の箱に収まって.まるで「家宝」だ.こりゃ。
 厳かな「宝石鑑定書」までついていて.重量0.2405ct(カラット.これは重さの単位.1ctは0.2グラム).プロポーション(カットの仕方の図面入り解説).色調(カラー)ファインホワイト.透明度(クラリティ)VV1S2と書かれている。

 これを買う時には.ちょっとした物語があった。
 男にしてみれば.大金を投じて指輪を買うのだから.効果ができるだけ上がるよう.慎重に行動しなければならない。友人からの忠告で.購入予定先のI宝石店へ.事前に電話をかけておいた。
「婚約指輪を買いたいのですが.始めてなもんで(われながらまぬけたセリフ).よくわかりませんが.お願いします。」
「予算はおいくらぐらいがよろしいですか?」
「えーっと.そんなに安いものを買う積もりはないんですが.金持ちでもないので.45万円ぐらいで」
「かしこまりました。事前に準備をしておきますので.安心しておいでください。」

 45万円という半端な金額は.当初50万円用意してあったのだが.何かに使い込んでしまったので.少し減ったため.そうなった。僕がパチンコ好きだったら.指輪はもっと小さくなったに違いない。不幸中の幸いだった。

次の週末.連絡を取っておいた宝石店へ行った。
「お客様.ダイヤは.4つのCが重要なポイントです。つまり.カラット(重さ).カット(カットの仕方によるプロポーション).カラー(色目).クラリティ(透明度)の4つです。この4つのバランスが重要です。たとえば.カラットがいくら大きくても.カットがよくなかったり.クラリティが低ければ.美しいダイヤモンドにはなりません。」
「へー.4つのCですか。で.具体的に.どんなものがおすすめ品ですか。」
 この時点では.私が.いくらの予算を用意しているかは.彼女(で.その後しばらくしてから今までずっと我が家に住み着いている人のことです.念のため)には話をしてない。

「今.3つのダイヤをお見せします。」
店員A氏が見せてくれたのは.30万円から33万円ほどの品物で.それぞれ.大きくてカットと色の悪いもの.カットはいいけど小さいもの.カラーとクラリティはいいけど.カット・カラットが今ひとつのもの。

 見せられた彼女は.明らかに今ひとつの表情だ。僕の目から見ても.どれも今ひとつ。僕にしてみれば.45万円の予算があるといっているのだから.もっと高いものをといいたいところだ。
「うーん.もう少し全体にバランスのいいのはありませんか」

「ではこれはどうでしょう。」出てきたのは.カット.クラリティ.カラーは申し分ないが.少し小さめのもの。値段は38万円。彼女の目が.少し.輝いた。これは先ほどの三つに比べると.格段の良さなのだ。これなら.いけそうだ。

ところが.A氏は.もうひとつ別のものを取り出してきた。前のより.カラットも大きく.これは.もうどこから見ても満足なもの。値段は.42万円。彼女の目はというと.いうまでもなくらんらん.さんさんと輝きっぱなし。そしていった。
「ちょっと高いけど.これがいいの。」
「よし.これを買ってあげよう。決定.大盤振る舞い。」
彼女の目は.幸せ色に染まっていた。

 うまい商売とは.こういうものをいうのだろう。
 はじめから.42万円のものを見せられていたら.こうはいかなかったに違いない。これが.宝石屋さんの「事前の準備」なのだ。
 当時は.物品税が10%以上かかったので.予算を少しオーバーした。しかし.そんなことは.この駆け引きの中では些細なことだ。彼女は満足.それに答えて評価を高めた私も満足.予算以上に買わせたお店も満足。三方.大満足という大団円だった。
 
 ところで.この話を書くに当たって.このI宝石店へ20年ぶりに電話して.2つのことを聞いた。
 ひとつは.下取りの話。
「今は.離婚件数が.1年に26万件にも上る時代です。離婚した妻が.前夫からもらった婚約指輪を大切に持っているとは思えませんが.下取りとかの話はあるのですか?」
「結婚して1年以内の場合などは.ある場合もあります。但し.お客様のように.19年も経過されるた場合は.ダイヤの流行とかいろいろありますから.売られるよりも.ダイヤだけをはずして.別のものに仕立て上げるということが結構多いです。一度持ってこられますと.ご相談に応じますが。」
「いえ.それにはおよびません。」(め.滅相もない。)

 もうひとつは.婚約指輪の今時の相場。今でも.平均30万円から50万円のものが売れるとのこと。ところが.今の方がはるかに条件がいいといわれた。
「お客様が婚約されました当時は.1ドル250円の時代です。このところ少し円安ですが.それでも.今は1ドルは120から30円.ダイヤは輸入品ですから.円高になればなるほど.いいものが手に入ります。加えて.その当時は物品税が10%以上もつきましたが.今は.消費税が5%つくだけですから.両方でずいぶんお値打ちです。ですから.その当時の45万円のダイヤは.いまなら.20万円程度で.手に入るのではないでしょうか。」

 宝石店に聞いた話は.妻には言わなかった。後半の話でもすれば.お値打ちにダイヤを買う話へ行き着くことは.100%.断じて間違いない。
 かわりに.妻には別のことを聞いてみた。
「あのさ.婚約指輪ってさ.こうして.鑑賞する以外.何にも使い道がないんだけど.どこかへはめていくと言うことはできないの?せっかくの45万円が.もったいなくない?」
「いいですよ.どこかへはめていっても。その場合は.それにふさわしい洋服.バッグ.靴.髪型・・・」

 婚約指輪よ.桐の箱の中で静かに眠っていたまえ。許すぞ。


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