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 上越国境   | P1全行程目次・地図へ || 先頭へ |

 碓氷峠を探求してから、草津温泉経由で上越国境の水上温泉へ向かいました。ただしそのルートは、群馬県内を通るのではなく、いったん長野県に戻り軽井沢から北進し、草津温泉を経由して水上へ向かうルートを取りました。草津温泉を経由したのは、三つあります。
 1 もう一度、碓氷峠を通過し、鉄道遺跡群を撮影したかった。
 2 天気がよいと浅間山が見える。
 3 草津温泉で一風呂浴びる。

 ところが、軽井沢で渋滞につかまり、さらに草津温泉でも渋滞につかまり、結局一風呂どころか、足湯も浸かれずに町の中をうろうろしただけで水上に向かわざるを得ませんでした。
 おまけに天候が悪く浅間山は全く見えず、目標2・3は不発に終わってしまいました。残念。(+_+)

 3度目の渋滞につかまると水上にも時間通り着けないと心配もありましたが、最後はうまくいって、夕方の予定時間には水上駅に着けました。
 上越国境地帯を訪問した理由は、上信国境の信越本線と上越国境の上越線を比較するためです。
 上越国境には、上信国境とはまた異なる物語があります。 

実は、この上越国境へも、2009年5月の連休の旅行のあと、2009年6月25日・26日の出張の終了後に再訪しました。両方の写真を使用しています。

 写真05−01   上越国境                        (撮影日 09/06/26)

 上越線上牧駅(水上駅の一つ南)のホームから見た上越国境の山々。中央の最高峰は、言わずと知れた谷川岳。標高1978m。この駅のプラットホームは、3Dソフト「カシミール」のデータでは、441m。国境の山々は、上信国境のそれとは違った圧倒的な量感です。
 この駅は利根川の河岸段丘上にあります。下の川沿いの町は石倉温泉です。対岸の河岸段丘上のマンションの向こうに関越自動車道路の水上インターチェンジがあります。


 関越自動車道の水上インターチェンジから見た上越国境の山々のイメージ図。上の写真05−01とほぼ同じアングルです。

 写真05−02   谷川岳山頂                    (撮影日 09/06/26)

 水上駅に到着する直前の普通電車の先頭車両から撮影した谷川岳です。
 目の前に迫ってくると、まるで立ちはだかる壁のようで、ものすごい迫力です。6月というのにまだ山頂部には雪が残っています。


 上越線を考える | P1全行程目次・地図へ || 先頭へ |

 信越本線を学習したあとで、上越国境と上越線を考える場合、いくつかのポイントが存在します。

 信越本線の横川-軽井沢間は、長野新幹線開通後廃止されたが、上越線は上越新幹線開通後も全線残っている。その理由は何か。峠越えの方法に関係があるか。

 碓氷峠地帯の標高は約1000m前後、これに対し、上越国境の三国峠(約1300m)・清水峠(約1400m)はそれより標高が高い。鉄道の峠越えとしては、何か工夫が必要だったのか? 


 それでは、これらの課題を考えつつ、まず基本的なデータを提示します。年表と地図と説明図と時刻表です。


信越本線上越線に関する年表 (信越本線に関係する詳細の年表は1ページへ)

年・月

開通区間及び事件

1869年 11

政府、東西を結ぶ鉄道の建設を決定

1872年 09

日本で初めての鉄道、新橋−横浜(29km)開通 

1875年  03

中山道幹線鉄道計画により中山道鉄道の測量に着手 

1883年  07

日本鉄道(私鉄)、上野−熊谷(61.2km) 08熊谷−本庄 12本庄−新町 それぞれ開通 

10

太政大臣、中山道幹線の建設を指令(新たに大垣−高崎間の建設)

1884年 05

日本鉄道、新町−高崎開通 ※これにより上野−高崎間全通

1885年 10

官営鉄道の高崎−横川(29km)開業

1886年 07

幹線鉄道建設を中山道から東海道に変更 伊藤内閣総理大臣が東海道幹線鉄道着工指令
中山道幹線鉄道への資材運搬支線として計画されていた、直江津−上田-軽井沢-横川間は、北陸-長野-東京を結ぶ日本横断線として建設続行

1888年 12

直江津−高崎線の上田-軽井沢間完成、これにより直江津-軽井沢間開通
 ※これにより未開通部分は、横川-軽井沢間のみとなる

1889年 07

鉄道による新橋−神戸間全通(1895年、東西幹線の名称を正式に「東海道線」と制定)

1893年 04

横川−碓氷峠−軽井沢、アプト式で開業(信越本線高崎-直江津間全通) 

1906年 03

鉄道国有法施行 

1911年 11

信越本線横川-軽井沢間電化工事完成

1912年 05

信越本線横川-軽井沢間、ドイツ製アプト式電気機関車による列車運行開始

1920年  11 新潟県内の宮内(長岡)−東小千谷間、上越北線開通
1921年  07 群馬県内の新前橋−渋皮間、上越南線開通 
1925年  11 上越北線が越後湯沢まで南進 
1928年  10 上越南線が水上まで北進 
1931年  09 水上−越後湯沢間開業(清水トンネル9702m開通)、上越南線が上越北線を編入し、上越線と改称 勾配は、信越本線の最高勾配66.7パーミルに対して、20パーミルに抑制される
また、水上-石内間は開業時から電化区間となる(トンネルの煤煙対策)
1936年  12 土合駅開業 
1934年 03

信越本線に横川-軽井沢間にアプト式電気機関車ED42形配置される  

1963年 09

信越本線09/30アプト式旧線廃線 

10

信越本線、碓氷新線での営業開始 EF63形電気機関車による全列車粘着運転開始 

1967年 09 新清水トンネル13490m開通上越線複線化、下り土合駅開業、湯檜曽駅移転開業 
1982年  11 上越新幹線大宮-新潟間が開業(大清水トンネル22221m開通
1985年  10 関越自動車道路が全通(関越トンネル10926m開通、のち現在の上り線11055m開通) 
1997年
(平成9)
 

09

信越本線09/30をもって横川−軽井沢間廃線  

10

北陸新幹線高崎−長野間(117.4km)開業 長野新幹線と呼称

1999年

04

碓氷峠鉄道文化村開園  

 ※この年表の作成には、P1の一番下に掲載してある参考文献一覧を参照しました。(→)


 この図は、信越本線と上越線の比較説明図です。次の3つの情報が記載されています。
 1 標高   2 峠の部分の電化区間   3 信越本線と上越線の高崎-長岡間の距離


 写真05−03             (撮影日 09/06/26)

 上越線の水上駅−越後湯沢駅の間にある、湯檜曽(ゆびそ)駅の発車時刻表。
 もちろん普通列車しか停車しませんが、その数は1日なんと五往復です。
 通勤にも通学にもそう手軽には利用できません。つまり、この峠越えを地元のたくさんの人が利用しているわけではありません。
 2009年6月26日の17時48分湯檜曽駅着発の水上発長岡行きの電車は、降車客=1人、乗車客=0人という状況でした。
 信越本線の横川-軽井沢間は、新幹線開業にともなって、利用客が激減し1日僅か200人となってしまうことが、廃線の要因の一つでした。
 上越線水上-越後湯沢間も、決して利用客がたくさんいるわけではありません。それでも存続しています。

 


 いきなり年表地図11説明図03湯檜曽駅発車時刻表と、4つも載せてしまいました。情報がありすぎて、焦点が絞れないでしょうから、ちょっと黒板で整理します。
 そこから、信越本線(碓氷峠区間廃線)と上越線(現在も存続)の運命を分けたものは何かを考えます。


 次の質問に答えてください。

 ※例によって、黒板をクリックしてください。答が現れます。


 もう一度別の形で整理します。
 1982年の上越新幹線の開業によって上越線の利用者は大きく減少しましたが、それでも廃止とはなりませんでした。ところが、それから15年後の、1997年の長野新幹線の開業では、信越本線横川−軽井沢間が廃線となりました。
 その事情の違いは何だったのでしょうか。バブル期前後の日本経済の状況の違いとか大きな要因は別として、鉄道輸送という点から考えてみてください。

 ※例によって、黒板をクリックしてください。答が現れます。


 現在では、上越国境を越える普通電車は1日往復5本しかありませんが、その他に、次の列車が国境を行き来しています。
  ○特急あけぼの(上野−青森)1往復  ○特急北陸(上野−金沢)1往復  ○急行能登(上野−金沢)1往復
  ○ムーンライト越後(臨時列車 新宿−新潟)   
  ○貨物列車11往復


 写真05−04    急行能登             (撮影日 08/08/09)

 金沢発の上り急行能登は、22時15分に金沢を出て、02時30分頃上越国境を通過し、上野に06時05分に到着します。この写真は上野駅到着直前の撮影です。(山手線外回り線の先頭車両からの撮影)


 写真05−05 国境の貨物列車(撮影日 09/05/04)

 写真05−06 湯檜曽駅通過 (撮影日 09/05/04)

 この2枚の写真は、新潟県から清水トンネルを越えて群馬県に入ってきてた貨物列車です。長編成のコンテナ列車も、20パーミルならそれほど苦労なく通行可能です。


 上越国境の路線   | P1全行程目次・地図へ | | 先頭へ|| P5信越本線・上越線路線図へ |

 しかし、標高1978mの谷川岳を始めとする上越国境の山々の下にトンネルを掘ることはそう簡単なことではありません。この国境にもいろいろなドラマがありました。
 まずは、国境付近の路線図とトンネルをご覧ください。

 上の地図12は3D地図ソフト『カシミール』を使って描きました。『カシミール』http://www.kashmir3d.com/index.html


 全部で4本のトンネルが通っています。いずれも長大です。
 開通した順に整理します。
 1931年上越線清水トンネル(9702m、現在の上り線)
 1967年上越線新清水トンネル(13490m、現在の下り線)
 1982年上越新幹線大清水トンネル(22221m)
 1985年関越自動車道路関越トンネル(10926m、現在の下り線、のち上り線トンネル11055m開通)

 今回の私たちの旅行では、このうち、特にいろいろなドラマがある在来線のトンネルについて実地検分してきました。上の地図の
で示した3カ所です。
 ただし、持ち時間の関係と列車運行本数が少ないところから、訪問先は、
土合駅湯檜曽駅湯檜曽ループ)の二つになってしまいました。本当は松川ループにも行きたかったのですが、またの機会にしました。
 では、二つの駅をこのページと次のページにかけて紹介します。


 水上駅  | P1全行程目次・地図へ | | 先頭へ|| P5信越・上越線路線図へ || P5上越国境鉄道詳細図へ |

 といいつつも、最初は、上越国境の群馬側の拠点駅、水上駅と水上について紹介します。


 写真05−07    水上駅                (撮影日 09/06/26)

 水上駅のホーム南端からの撮影です。停車しているのは高崎へ向かう上り電車です。隣のホームには、回送電車が停車しています。正面の山は、湯倉山1334mです。


 写真05−08 水上駅改札口(撮影日 09/05/04)

 写真05−09 水上駅前  (撮影日 09/05/04)

 ちゃんと立派な自動改札口がありますが、これより先の国境の駅には駅員さんはいません。電車内の案内にも、「suicaが使えない駅」とお断りがしてあります。
 水上温泉は群馬県に数ある温泉のうちの一つです。駅前には土産物売り場と、谷川岳ロープウエイなど、国境の山岳地帯へ向かうバス路線のターミナルがあります。


 写真05−10 上:水上駅上り時刻表  
 写真05−11 左:水上駅下り時刻表

 水上駅の時刻表は上下線が非常にアンバランスです。
 上り東京方面は上野行きの特急水上1号〜3号も含めて、たくさんの列車が走ります。
 しかし、県境を越えて長岡に向かう電車は1日にわずか5本です。


 またいいところで、改ページです。
 湯檜曽駅の話は、次のP6で、土合駅の話は、その次のP7で説明します。


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