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このGWの旅行はまたまた強行軍自動車旅行 09/05/31記述 09/06/28修正 |
2009年5月4日未明から5日夜にかけて、本年度のゴールデンウィークを利用した旅行に行きました。妻と二人の旅行です。
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ルート説明と経費 | 全行程目次・地図へ || 先頭へ | |
というわけで、日程の基本方針と目的地が決まりました。 |
<訪問地と時間、走行距離>
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※全走行距離は983kmとなりました。実質運転時間は19時間30分でした。(休憩、写真撮影時間を含む) |
この旅行の二つ目のポイントは、鉄道を使わず安い高速道路を使用するので、費用が大変安く上がったことです。 |
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今回の二人分の総費用は、45,237円となりました。 |
最初のテーマは旧信越本線碓氷峠です | 全行程目次・地図へ || 先頭へ | |
今回の旅行の最初のテーマは、旧信越本線碓氷峠です。 |
信越本線に関する年表
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※この年表の作成には、以下このページの一番下に掲載(↓)してある参考文献一覧を参照しました。 |
あまりにも長い年表でしたので、簡単に整理します。次の質問に答えてください。 |
※例によって、黒板をクリックしてください。答が現れます。 |
北陸新幹線の高崎−長野間(通称長野新幹線)の完成に伴い、信越本線の横川−軽井沢間は廃止となりました。その理由は、新幹線の開業によって、同区間を利用する乗客数が激減すると推定されてからです。 |
※例によって、黒板をクリックしてください。答が現れます。 |
この数字では、路線の維持はできません。部分廃線もやむ得ないところです。 |
碓氷峠 信越本線の現況 | 全行程目次・地図へ || 先頭へ | |
1997年10月1日以降、横川駅−軽井沢駅間は廃線となり、 横川駅と軽井沢駅は、それぞれ「終点の駅」となってしまいました。下の地図は、現況を示しています。 |
この地図は3D地図ソフト『カシミール』を使って描きました。『カシミール』http://www.kashmir3d.com/index.html |
軽井沢駅 | 全行程目次・地図へ || 先頭へ || 軽井沢・横川地図1 現在へ | |
岐阜を未明の03:30に出発して、中央高速−長野自動車道−上信越自動車道路と走って、07:28には軽井沢駅前に着きました。 |
写真01−01現軽井沢駅正面(撮影日 09/05/04) |
写真01−02 記念館 (撮影日 09/05/04) |
以前の信越本線軽井沢駅は、現在は北側のしなの鉄道軽井沢駅と南側の長野新幹線軽井沢駅となっています。 |
写真01−03 旧軽井沢駅に展示してあるEC40形アプト式電気機関車 (撮影日 09/05/04) | ||||
記念館の南の待避線路には、記念物として2台の電気機関車が展示されています。
その結果、1893年の開業から17年後にこの区間のみ全国に先んじて電化を行うことが決定し、1910年に工事が始まりました。そして、1912年には電気機関車による運行が開始されました。横川駅の西にはこの路線に電気を供給する専用の火力発電所が作られ、後述しますが変電所も2カ所作られました。 |
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下は、 展示されているEC40形機関車の説明版です。 | ||||
写真01−04 (撮影日 09/05/04) |
文中のラック区間というのは、アプト式の区間という意味です。アプト式については、「長野・群馬・新潟・富山旅行2」で詳しく説明しますが、電気機関車のピニオンとレールの間に敷設した第3のレール(ラック)とをかみ合わせて急坂の登坂力を得る仕組みです。こうすると通常の機関車の動輪(動力を伝える鉄の車輪)と鉄のレールとで生じる摩擦力だけでは登坂できない急な坂でも登ることができます。 |
写真01−05 しなの鉄道の電車です。 (撮影日 09/05/04) |
軽井沢駅の1番線から発車しようとする、しなの鉄道の普通電車です。これは1番線のホームですが、3両編成の電車の最後部の遙か向こう、線路は途切れ、車両止めになっているのが確認いただけますか。 |
写真01−06 EF63形2号機 (撮影日 09/05/04) |
1997年の廃止まで、峠越えに活躍していたEF63形機関車。アプト式ではない通常形式の粘着輸送型の電気機関車です。本当はこの記念館に入って詳しく説明版等を読みたかったのですが、朝の07:30に到着してしまったものですから、この記念館は開館前でした。早朝に移動すると、この点だけはうまくいきません。 |
写真01−07 2番線の東の端。ここから先は廃線。 (撮影日 09/05/04) |
しなの鉄道(旧信越本線の線路は、)ホームの東の先で途切れています。向こうに見える車両は、長野新幹線の整備車両です。新幹線の駅は、しなの鉄道軽井沢駅の南、写真右手側にあります。 |
写真01−08 碓氷峠へ向かう国道18号線旧道から撮影した軽井沢駅方面 (撮影日 09/05/04) |
カーブしているのは長野新幹線の線路です。 |
本題からそれますが、新幹線開業に伴う在来線の第三セクター化について補足します。 |
写真01−09 しなの鉄道の列車 長野駅にて (撮影日 08/06/13) |
これは長野駅3番線の写真です。途中で分断されています。南側(向こう側)はしなの鉄道の列車が入ってくるホームとなっています。しなの鉄道は、軽井沢から篠ノ井間の鉄道となっていますが、電車は長野駅まで入っています。 |
横川駅 | 全行程目次・地図へ || 先頭へ || 軽井沢・横川地図1 現在へ || 横川1975地図へ | |
軽井沢駅を見学した後、07:57に駅前を出発し、旧国道18号線で碓氷峠を越えて、途中峠の長野県側にあるいろいろな鉄道施設を撮影し、08:55には横川駅に到着しました。 |
横川駅は碓氷川が山間部から平坦部に流れ出すことによってできる扇状地の扇頂部にあります。扇状地というくらいですから扇にたとえられているわけですが、扇頂部というのはその要の部分にあたります。 |
上の地図は、いつも利用させていただいている、国土交通省の国土情報ウェブマッピングシステムの国土画像情報の写真から作成しました。1975年撮影の航空写真を使っています。 |
現在の様子はこうなっています。 |
写真01−10 横川駅の西側から東、駅方面を撮影 (撮影日 09/05/04) |
上の地図03の時はたくさんの線路が駅の西側へ延びていましたが、今は、写真中央の1本だけが道路の中を西に向かっています。この線路が行く先に、碓氷峠鉄道文化村があります。これについては、「長野・群馬・新潟・富山旅行2」で詳しく紹介します。本線は、左手のバスの向こうで止まっています。 |
写真01−11 横川駅 (撮影日 09/05/04) |
横川駅1番線に停車中の高崎行き普通電車。手前には分厚いコンクリート壁が車止めとして立ちはだかっています。 |
【追加写真】 |
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写真01−15 横川駅と碓氷峠の山々 (撮影日 09/06/26 追加写真) |
現信越本線横川駅と信越国境の山々。 |
【追加写真】 |
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写真01−16 横川駅の線路の端 (撮影日 09/06/26 追加写真) |
横川駅の1番線に停車した電車の先頭からの撮影。 |
写真01−12 (撮影日 09/05/04) |
写真01−13 (撮影日 09/05/04) |
横川駅名物、峠の釜めしは健在でした。駅前のおぎの屋本店さんの釜めしは、900円です。 |
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写真01−14 (撮影日 09/05/04)) |
【追加写真】 |
> 写真01−17 横川駅とおぎの屋 (撮影日 09/06/26 追加写真) |
> 横川駅と元祖峠の「釜めし」おぎの屋。手前の私がたっている道路は旧中山道です。すぐそばに道路標識が立っていて、坂本宿まで2.0km、松井田宿まで6.3kmです。 |
このページはこれで終わりです。 |
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この旅行記の予習・復習には以下の文献を参考にしました。 |
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