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 横川−碓氷峠−軽井沢間の交通   09/06/21記述 09/06/28修正

 横川から軽井沢へかけては、碓氷峠越えの鉄道や道路が新旧いくつも通っています。そこにある古い遺物や新旧が織りなす景観は、鉄道ファンならずともとても魅力的なものとなっています。
 以下の8本がその鉄道と道路です。 

鉄道:1893年開業のアプト式路線の跡(「メガネ橋」旧碓氷第3橋梁を含む)

鉄道:1997年に廃線となった旧信越本線横川−軽井沢間の線路跡 ※1と一部重複

鉄道:1と2の一部を利用した碓氷峠鉄道文化むらのトロッコ列車

鉄道:北陸新幹線(長野新幹線) ※これはトンネルの中

道路:旧中山道 

道路:旧国道18号線

道路:新国道18号線

道路:上信越自動車道路

この8本のルートを地図に表すと、次の地図5となります。

 

 この地図は3D地図ソフト『カシミール』を使って描きました。『カシミール』http://www.kashmir3d.com/index.html

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 このページでは、このうち、旧信越本線を利用して運行しているトロッコ列車の部分について紹介します。

【追加写真】

 写真03−15   横川駅と碓氷峠の山々                      (撮影日 09/06/26 追加写真)

 現信越本線横川駅と信越国境の山々です。横川駅1番線の東の端から撮影しました。
 「終点」横川駅の1番線に停車する電車の先で線路は切れ、頑丈そうなコンクリートの車両止めが作られています。1番線の延長上に、このページで詳しく説明するトロッコ列車の線路があります。
 この写真は、連休の旅行中のものではなく、6月26日早朝の撮影のものです。前日から出張で前橋市に来ていたので、この際復習をと、26日9時からの会議が始まる前に横川に行ってきたのです。朝5時起き、6時出発のいつもの強行軍です。


 旧アプト線、旧信越本線そしてトロッコ列車

 下の地図06は、上の地図05の路線、つまり横川駅から峠の湯駅までのトロッコ列車の運行エリアを示しています。実はの線路は旧信越本線の線路を利用していますので、上の地図では読み取りにくいですが、の線路と重なっています。
 下の地図は、1975(昭和50)年の地図ですので、現在の施設は映っていません。
 ちょっと地図を見ながら考えてみてください。
 現在の碓氷峠鉄道文化むらから出発する
トロッコ列車は、旧アプト線旧信越本線との重複部分を利用して北上し、新信越本線が旧アプト線から分岐する点のちょっと先にある「とうげのゆ駅」まで通じています。下の写真のどの辺でしょうか。
 また、そこから先には
旧アプト線の跡が残っておpり、現在では遊歩道となっています。遊歩道の終点はかの有名な、メガネ橋(碓氷第三橋梁)です。下の写真にそれがかすかに映っていますが、どこかわかりますでしょうか?


 上の地図は、いつも利用させていただいている、国土交通省の国土情報ウェブマッピングシステムの国土画像情報の写真から作成しました。1975年撮影の航空写真を使っています。 
 国土情報ウェブマッピングシステムのページはこちらです。→http://w3land.mlit.go.jp/
 

 地図06の写真をクリックすると説明用の地図07が現れます。

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 旧信越本線とトロッコ列車

 碓氷峠鉄道文化むらの一番北側から出発したトロッコ列車は、「むら」の北縁に沿って西に向かいます。車両の屋外展示エリアから先は、旧信越本線の複線線路のうち下り線を使って運行されています。トロッコ列車と平行している部分の上り線の線路はすでに撤去され、そこがメガネ橋に向かう遊歩道になっています。
 トロッコ列車の
営業キロ数は、「とうげのゆ駅」までの2.6kmです。平行している遊歩道を歩けば、登りなら1時間弱、下りなら35分ほどです。


 写真03−01 遊歩道からトロッコ列車線路越しに展示車両を撮影しました  (撮影日 09/05/04)

 このEF6324とEF6325電気機関車と右端の189系電車特急あさまの展示場所が、屋外車両展示エリアの一番西の端です。手前の線路が旧本線で、トロッコ列車はここを走ります。ちなみに、EF63形は全部で25両製造されましたから、写真のEF6325機は、最後に製造されたものです。


 写真03−02   線路と遊歩道                    (撮影日 09/05/04)

 廃止前の線路は複線でしたが、トロッコ列車の運行部分については、現在では下り線のみがトロッコ列車の線路として利用され、上り線線路部分は舗装されて、そこが遊歩道となっています。


 写真03−03   トロッコ列車と遊歩道                 (撮影日 09/05/04)

 トロッコ列車「シェルパ君」です。蒸気機関車形のディーゼル機関車と客車2両の編成です。赤いランプが付いていますから、バックで運転中です。このトロッコ列車には、ターンテーブル(方向転換台)はありませんから、鉄道文化むら駅からとうげのゆ駅へ向かうときは後ろ向きに押して坂を登る形となります。坂を下りてくる逆の向きの場合は、普通の形で引っ張って来る形になります。
 このトロッコ列車「シェルパ君」が運転を開始したのは、2005(平成17)年です。信越本線廃線(1997年)から8年目のことです。トロッコ列車の扱いは、独立の営業路線ではなく、法規上は「碓氷峠鉄道文化むら」の
遊具施設です。
 それでも地元の方にとっては、「信越本線の一部復活」となりました。現在も「復活」への思いは続いています。


 写真03−04   トロッコ列車から撮影                   (撮影日 09/05/04)

 私たちは、トロッコ列車でとうげのゆ駅まで登り、帰りは下り道を歩いてもどってきました。この写真はトロッコ列車の中からの撮影です。先のカーブのところが、唯一の中間駅、まるやま駅です。


 写真03−05    まるやま駅と旧丸山変電所            (撮影日 09/05/04)

 まるやま駅と国指定重要文化財の旧丸山変電所です。トロッコ列車はこの駅で停車し、観光客は変電所を撮影することができます。何分停車か正確には覚えていませんが、降りて変電所のそばまで行ってゆっくり撮影する時間はありました。
 旧丸山変電所は、アプト線電化の1912年からアプト線廃線の1963年まで活躍しました。利用をやめてからは朽ちるままの廃屋となって荒れ果てていましたが、信越本線廃線後、碓氷峠の諸施設を文化財としてその価値を位置づける流れの中で、1994(平成6)年に国重要文化財の指定を受けて修復工事が進められ、2002(平成14)年7月に修復が終わりました。


 写真03−06   ラックレールの始点                 (撮影日 09/05/04)

 旧丸山変電所の説明版から引用しました。丸山変電所の北、線路が少しカーブする所から、峠へ向けてのアプト式ラックレールの入り口がありました。


 写真03−07   峠側から見た旧丸山変電所              (撮影日 09/05/04)

 アプト式時代は、線路は丸山変電所までは複線であり、そこから軽井沢までは単線でした。写真03−06に示されているラックレールの入り口は、カーブして直線に入るところ、ちょうど私が撮影している場所あたりになります。


 写真03−08    急坂                      (撮影日 09/05/04)

 丸山変電所を過ぎると前方に刎石山が見えてきます。写真でご覧のように、ここからが碓氷峠の急勾配の始まりです。遊歩道の人が歩いているあたり、左のトロッコ列車の線路の方に、鉄橋があるのが見て取れると思います。これが霧積川鉄橋です。


 写真03−09   終点                        (撮影日 09/05/04)

 中間駅のまるやま駅からトロッコ列車の終点、とうげのゆ駅までは、距離にして1km、時間にして約8分です。霧積川橋梁を過ぎると、まもなく終点が見えてきます。とうげのゆ駅に向かうトロッコ列車の先頭からの撮影です。
 右手の遊歩道(旧上り線)とは、少々段差がついています。
 また、写真の中央に映っている白い標識は「勾配標」です。この線路の勾配を示しています。この勾配については、後で説明します。


 写真03−10   とうげのゆ駅                 (撮影日 09/05/04)

 とうげのゆ駅を出発したトロッコ列車です。カーブを曲がってすぐの所に駅があります。トロッコ列車の線路は、明治以来の旧アプト線の旧線路上に敷設されています。
 また、右手の線路が、旧信越本線新線の下り線です。


 写真03−11 下り線「終点」   (撮影日 09/05/04)

 写真03−12 上り線「終点」 (撮影日 09/05/04)

 旧信越本線の下り線にかかる「立ち入り禁止」の表示です。
 下の青い字は、ちょっと読み取りにくいですが、この表示板の掲示者が、「
松井田町役場 企画財政課」であることが示されています。旧信越本線が廃線となったのち、横川-軽井沢間の鉄道用地は、松井田町(当時)が買収しました。そのため、この後で紹介する碓氷峠の施設も管理者はJRではなく、地元自治体です。
 しかし、上の「松井田町」の表示は正確ではありません。
 松井田町は、2006(平成18)年3月に東隣の安中市と合併し、新安中市となりました。したがって、現在の管理者は
安中市です。 


 写真03−13   とうげのゆ駅の道路地図               (撮影日 09/05/04)

 トロッコ列車の終点、とうげのゆ駅に表示されている「碓氷峠越え」の遊歩道案内です。


 写真03−14   遊歩道案内拡大図                (撮影日 09/05/04)

 上の写真の道路の部分だけをアップしました。
 とうげの湯駅からは、旧アプト線の廃線後を整備したアプトの道が、碓氷第3橋梁(通称メガネ橋)まで続いています。
 横川からこのとうげのゆ駅までは、距離にして2.6km、歩いて(登りです)50分ほどです。
 さらに、とうげのゆ駅から、碓氷湖を経て、碓氷第3橋梁までは約2.8km、1時間弱かかります。横川駅から往復すると、橋梁での滞在時間を含めて、4時間半ほどの日程となります。
 また、碓氷第3橋梁から先は、遊歩道はありませんが、国道8号線旧道を通って軽井沢まで歩くこともできます。案内図によると11km(約3時間)だそうです。

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 さて、碓氷峠と言えば、その急勾配と「メガネ橋」です。
 次のページは、66.7パーミルの急勾配と、碓氷峠に残る数々の「鉄道遺物」(古いものは国指定重要文化財)を紹介します。


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