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 横川駅から信越国境を臨む   09/06/07記述 09/06/28修正
 まずは、追加写真を使っての前ページとのつなぎです。 

【追加写真】

 写真02−19   横川駅と碓氷峠の山々                      (撮影日 09/06/26 追加写真)

 現信越本線横川駅と信越国境の山々です。横川駅の跨線橋から撮影しました。
 「終点」横川駅の1番線に停車する電車の先で線路は切れ、頑丈そうなコンクリートの車両止めが作られています。
 その後ろのバス・自家用車停車場の向こうは、このページで説明する碓氷峠鉄道文化むらの施設で、1番線の延長上に、次のページで詳しく説明するトロッコ列車の線路があります。架線柱の後ろにかすかに見える赤と黒の車両がトロッコ列車です。
 この写真は、連休の旅行中のものではなく、6月26日早朝の撮影のものです。前日から出張で前橋市に来ていたので、この際復習をと、26日9時からの会議が始まる前に横川に行ってきたのです。朝5時起き、6時出発のいつもの強行軍です。


 碓氷峠鉄道文化むら  | 全行程目次・地図へ || 先頭へ |

 横川での滞在はお昼までの4時間。目的を二つ設定しました。

 1

 最初は碓氷峠鉄道文化むらの見学です。これはこのページで説明します。

 2

 続いて鉄道文化むらの中から出ているトロッコ列車に乗って旧鉄道線路を2.6kmほど登り、碓氷峠の急勾配をちょっとだけ体験することです。これは次の3Pで説明します。

 碓氷峠鉄道文化むらの公式HPは、こちらです。http://www.usuitouge.com/bunkamura/


 上の地図は、いつも利用させていただいている、国土交通省の国土情報ウェブマッピングシステムの国土画像情報の写真から作成しました。1975年撮影の航空写真を使っています。 
 国土情報ウェブマッピングシステムのページはこちらです。→http://w3land.mlit.go.jp/
 

 

 上の地図で鉄道文化むらの概要を説明します。
 本体は地図の
のエリアです。碓氷峠越えの専用電気機関車EF63型が集結していた旧横川機関区の建物の一部をそのまま使っています。鉄道資料館鉄道展示館、その他があります。
 また、
トロッコ列車は旧信越本線の線路を使って運行されています。
 さらに、同じ線路を使って、現役のまま保存されている
EF63型電気機関車の運転ができるという、この地ならではの体験メニューもあります。ただし、講習を丸1日受けた後、別の日に運転という、安易には実行できない形となっています。さすがの私も今回はこれには挑戦できませんでした。(いつかやろうと思っています)
 その西側の
のエリアは、その昔は国鉄職員の官舎があった場所ですが、現在は鉄道車両の屋外展示場となっています。鉄道マニアだけでなく、普通の年配の方にはとても懐かしい本物車両がいっぱいです。 


 写真02−01   鉄道文化むら正面                 (撮影日 09/05/04)

 東側の駐車場の西端から、碓氷峠鉄道文化むらの正面を写したものです。
 交差点の中央の二筋は、横川駅の旧3番線(現在は駐車場)からつながっている線路です。(P2のこちらの写真からつながっています。→)その先、中央の警備員の後ろ、黒い屋根の下にあるのがトロッコ列車です。(これは次ページ→で説明します。)
 左手に正面ゲートがあります。右の街灯の柱の後ろの白い建物が
鉄道資料館です。内部には碓氷峠の鉄道路線の歴史の説明から、鉄道ジオラマまで盛りだくさんです。 
 右端の駐車場の端からは、アプト時代の旧線路跡を碓氷第三橋梁(通称メガネ橋、この旅行記のタイトルバックにしてあるかの有名な橋です)まで歩いて行ける
遊歩道の出発点です。 


 写真02−02 入場料 (撮影日 09/05/04)

 写真02−03 村内1周SL (撮影日 09/05/04)

 入場料は大人500円で、トロッコ列車の片道乗車券とあわせても、900円です。
 右は施設の外周をまわる
SLのグリーンリーブズ号です。この線路幅は、610mmの狭軌です。手前の線路は廃線前に使われていた信越本線の線路で、JRの通常の幅、1067mmです。この線路をトロッコ列車EF63形の体験運転電気機関車が通ります。

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 鉄道展示館  

 碓氷峠鉄道文化むらは、鉄道ファンとしてマニアックに楽しむ、普通の遊園地的に楽しむ、郷愁を感じながら・・・、等々いろいろな楽しみ方があります。これはメインの展示物、鉄道展示館です。


 写真02−04    旧横川機関区車庫を利用した鉄道展示館       (撮影日 09/05/04)

 中にはEF63形が複数台置かれ、運転台を始め内部を見学することができます。独特の油臭さが、機関車の体臭のように感じられます。左は、EF63形の運転シミュレーターです。
 外には、小さい子どもさん用のパンダやパトカーの遊具があって、この「鉄道文化むら」雰囲気を象徴する写真です。


 写真02−05   シミュレーターです           (撮影日 09/05/04)


 写真02−06   鉄道展示館の内部です            (撮影日 09/05/04)

 EF63形は碓氷峠のアプト式鉄道の廃止後、通常の粘着運転(普通のレールと車輪の摩擦での運転をこう言います)用に開発された機関車です。1962年から1976年の間に25両作られました。
 急坂を行き来する列車にとって最も重要な装置は、ブレーキです。
 このEF63形は、通常のEL14AS空気ブレーキ装置のほか、勾配抑速用電気ブレーキと電磁吸着ブレーキを装備し、下り坂での抑速や非常の場合の停止を確実に行うようにされていました。 


 写真02−07 運転席   (撮影日 09/05/04)

 写真02−08 電気機関車内部 (撮影日 09/05/04)
 EF63の運転席は子どもたちの人気の的です。右は倉庫のようですが、実は車体中央部の内部です。何が何だかわかりません。 
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 車両展示エリア 
 鉄道文化むらの西側部分は、屋外の車両展示エリアとなっています。その昔に活躍した懐かしい車両がいっぱい展示されています。

 写真02−09    屋外展示エリア                  (撮影日 09/05/04)

 このエリアは鉄道文化むらの一番西側のエリアです。廃線前は旧国鉄の官舎群があった場所で、新しく線路を敷設し直して、車両の展示場所としてあります。


 写真02−10    キハ20                     (撮影日 09/05/04)

 懐かしい気動車、キハ20系です。岐阜の近くでは、高山本線はじめ、ローカル非電化線で活躍していました。


 写真02−11    除雪用気動車                 (撮影日 09/05/04)

 これは珍しい北海道で活躍していた除雪車と気動車です。


 写真02−12    電気機関車群                  (撮影日 09/05/04)

 EF63形、EF58形などの電気機関車群です。

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 これが目玉の一つです  
 下の写真をご覧ください。これがこの鉄道文化むらの目玉の一つです。

 写真02−13   EF63形運転中                   (撮影日 09/05/04)

 この写真の左端の機関車は、上で説明した屋外展示エリアに停留されているEF63形です。
 ところが、中央の日の丸が付いている機関車は展示車両とは違います。ちゃんとパンタグラフをあげて、昔の本線上を走っているEF63形です。


 これがこの鉄道文化むらのオリジナルイベント、「EF63形電気機関車運転体験」です。碓氷峠鉄道文化むらの公式HPからの引用です。(→http://www.usuitouge.com/bunkamura/jyukou.htm

碓氷峠専用EF63形電気機関車の運転体験ができます。重量108tの本物の電気機関車をあなたの手で動かしてみませんか?1日講習を受け、修了試験に合格すれば憧れの機関士になれます。受講した近日中に運転できますよう、土休日に特別な運転枠をご用意いたしております。なお、受講翌日に運転することも可能です。
また50回以上運転体験者は単機推進運転、単機推進運転・連結体験、単機推進運転5回以上体験者は重連推進運転ができます。」

 ただし、いくら廃線となった鉄道線路と言っても、本物の電気機関車を運転するのですから、そう簡単にはいきません。
 次の手順となります。

1 

電話、Eメールでの「学科講習」の申し込み

2 

1日学科講習の受講、試験合格(この費用は30,000円)

3 

学科講習受講の次の日以降の電気機関車運転(運転区間 旧信越本線、保存線約片道約400mの往復所要時間 約30分(点検等含む)) 料金は1回5,000円(10回目乗車以降は割引) 

 ということは、1回30分運転するのに、最低でも正味2日間、料金にして35,000円を支払うことになります。遠くに住んでいる人にはそう簡単な代物ではないわけです。
 これを妻に内緒で実行するには、「浮気」並みの覚悟と嘘つきが必要です。(+_+)

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 ここでの学習といえば・・  

 しかし、なんといっても、ここ横川(碓氷峠)では、次のことを学習するのが王道です。 
 次の写真に写っている、何とも奇っ怪ないぼいぼは何でしょうか?

 写真02−14    ピニオン                     (撮影日 09/05/04)

 実はこれこそが碓氷峠アプト式鉄道の心臓部、電気機関車のピニオン(歯車)です。


 写真02−15    機関車の底部です                   (撮影日 09/05/04)

 中央に小さくピニオンが見えます。


 写真02−16    ED42形電気機関車                (撮影日 09/05/04)

 これが機関車の全体像です。
 1893年に開業した碓氷峠のアプト式区間は、当初は蒸気機関車で運転されていましたが、1912年に電化されます。日本の鉄道で初めての電化です。
 電化当時はドイツ製の電気機関車、10000形(後の分類ではEC40形、この機関車は軽井沢駅に展示されています。→)が使用されましたが、1919年に国産化されます
 そして、1934年、アプト式電気機関車ED42形がデビューします。この
ED421機関車は、その1号車です。1963年のアプト路線廃止まで29年間働きました。
 この機関車には電動機が3個あり、前後の2個は、普通に機関車の動輪を回転させます。真ん中の1個はラックモーターと呼ばれ、写真02−14の歯車を回転させ、これが下の写真のラックレールと噛み合って強い登坂力を得るのです。
 アプト方式区間はトンネルが多く、地下鉄と同じように架線からではなく、線路横の第3軌条から電気をとっていました。写真中央下の銀色と赤色で塗り分けられた部分がその電気をとる装置で、集電靴と呼ばれました。アプト区間以外や駅などでは普通にパンタグラフを通して架線から電気をとりました。


 写真02−17    ラックレールと第3軌条               (撮影日 09/05/04)

 線路と線路の間がレールがラックレールです。また、左側の木の箱のように見えるのが第3軌条です。


 写真02−18    ラックレールのアップです               (撮影日 09/05/04)

 これがラックレールに入る先端部分です。

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 さて、このページは碓氷峠鉄道文化むらを紹介してきました。
 次のページでは、横川−軽井沢間の旧鉄道路線や現鉄道遺跡とトロッコ列車について、紹介します。 


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