鶴岡市の西部にある山形自動車道路鶴岡ICで降りて、市内に入りました。
D |
「とうとうあの鶴岡に来ましたね。」 |
私 |
「そうです。藤沢周平の小説、山田洋次監督の映画3部作の舞台、鶴岡だ。」 |
D |
「その辺にたそがれ清兵衛が歩いていそうだね。」 |
Y |
「そんなわけはない。」 |
D |
「染川町はどこかな。」 |
妻 |
「何それ?」 |
D |
「映画『武士の一分』でも出てきた、海坂藩の城下町にある町の名前で、待合い茶屋なんかがある繁華街。木村拓哉の妻役の檀レイが上役と密会したところ。」 |
家族の中で私の次にこの小説や映画に興味を持っているのは3男Dです。彼は、小さい頃から無類の「剣好き」でしたから、なんの抵抗もなく「剣豪」が活躍するこの映画・小説のファンとなりました。
妻 |
「小説や映画では、「海坂藩」(うなさかはん)となっているけど、ここ鶴岡はそういう名前の藩だったの?」 |
D |
「違うねとーちゃん。もともとは庄内藩だよね。」 |
※ |
映画「たそがれ清兵衛」「隠し剣鬼の爪」「武士の一分」の解説は、日記・雑感「藤沢周平3部作」にあります。 |
藤沢周平の小説に出てくる、東北の譜代の小藩「海坂藩」7万石は、この地鶴岡にあった、庄内藩(正式には鶴岡藩)14万石をモデルにしたものです。
庄内の地を統治していた大名は徳川家の譜代の家臣から大名となった酒井家です。庄内・鶴岡の地へは、酒井忠勝が、1622(元和8)年に入封しました。信濃松代10万石からの転封です。
家康の家来には、「酒井」と言う血筋が二つありますが、忠勝の父は家次、その父は、家康の家来の4天王の筆頭といわれた酒井忠次です。(ほかの3人は、本田忠勝・榊原康政・井伊直政)
この酒井忠勝は、将軍家光・家綱時代に大老として権力を振るった酒井忠勝とは、同姓同名の別人です。
以後、戊辰戦争の際に政府軍と戦った第11代藩主酒井忠篤(ただずみ)に至るまで、ずっと、この家が庄内を治めました。
江戸時代の大名というと、薩摩の島津氏・長州の毛利氏ように、外様大名は、江戸幕府の最初からずっと同じ場所を支配して幕末に至るという例が多いですが、これは、必ずしも多数派ではありません。
もともとから徳川氏の家来で、石高数万石程度のの譜代大名となった家は、その時の都合によって結構転封をくり返しています。かの有名な姫路城を持っていた姫路藩は、最初の外様大名池田氏が転封されてからは、10数万石の石高で譜代大名が延べ9家も入れ替わり藩主となっています。
そういった中で、この酒井家は、譜代大名としては例外的に元和の転封以来240年以上の間、鶴岡の町を中心に庄内平野を支配しました。(同じ領地を長く支配した譜代大名の筆頭は、彦根の井伊家ですね。これは特別の例外です。)
わが故郷岐阜は、信長・秀吉時代には、金華山頂に城がありましたが、江戸時代になってからは単なる商業都市・岐阜町となりました。したがって、江戸時代の歴史としての「城下町」の経験はありません。
県都が「お城下」でない都道府県はそう多くないと思います。
個人的な思いですが、城跡、堀、藩校等と言ったものに、あこがれを感じます。 |