色丹島との草の根交流記17

 これは、私が2002(平成14)年9月18日(水)〜9月22日(日)に参加した北方領土色丹島訪問以来、友人となった色丹島のロシア人英語教師一家との間に続いている草の根の交流について記録したものです。


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017 オホーツクの海

 「こんにちは、お元気ですか。私は、今、サハリン島にいます。」

ナターシャの娘、カーチャ(表記は、Kate)から、日本語のローマ字綴りのメールが届いたのは、3月22日のことでした。(読みづらいので、私が普通の標記に変換しています。但し、たどたどしい部分は原文の雰囲気を示すためにそのままにしてあります。)

「私は休みです。母は、英語のコースあります。お手紙ありがとうございました。」

 色丹島は、未だにインターネット回線がつながっていません。きっと、ナターシャとカーチャが、サハリン島に渡って、送ってきたメールです。
 ナターシャが、サハリンの大学で英語の特別コースでも受講しているのでしょうか?
早速、二人にメールを送りました。(ローマ字と英語の対訳付きという変な形式ですが、煩わしいので。すべて普通の日本語で書きます。)

「カーチャ、メール、ありがとう。あなたの日本語はとても上手になりました。今は、学校は休みなのですか。サハリンにはどのくらいいるのですか。岐阜では春の花がいっぱい咲いていますが、サハリンはどうですか。」
 菜の花の写真を貼付しました。

3月31日、カーチャから返事が来ました。
「メールありがとうございます。とてもうれしいです。
あなたの花の写真はとてもきれいでした。サハリンは今、きれいじゃありません。
雪はグレイです。雪や雨が降っています。涼しいです。
 私は、明日、母の友達と船で色丹へ行きます。母は、来週行きます。」

続いて、 ナターシャからもメールが来ました。
「娘へのメール、ありがとう。彼女はとても誇らしげです。
 もちろん、彼女がすべての日本語の単語がわかるはずはありませんから、私が英語を訳して助けました。
あなたの想像のとおり、今色丹島の学校は7日間の春休みです。4月1日からは、第4学期がはじまります。年度末の6月まで続きます。
 
 私はというと、やりましたよ。
 英語の教師用の短期講座を受けて、最も上級の第14カテゴリーに合格しました。英語と、教育心理学と、コンピューターのテストに合格したのです。メール待っています。」
 やはり、ナターシャは、サハリンで英語の専門の勉強でした。

「第14カテゴリーの合格おめでとう、ナターシャ。
 最上級に合格したと言うことは、ぶしつけな質問だけど、あなたの地位とか、給料のランクとかは上がるのですか。」

「はい、そうです。この合格は、私の給料に少しのアップをもたらします。
 今ロシアでは、教育改革が進んでいます。積極的に勉強して能力を高める先生には、いいチャンスです。
 しかし、色丹島のような辺境の土地では、いろいろな情報やサービスが届きにくく、生徒たちは取り残されていってしまいます。」

「いろいろ条件は良くないけど、あなたのように情熱的に教育しようとする先生がいることが、生徒にとっては何よりです。英語も、それからボランティアでやっている日本語の特別授業も、頑張ってください。
 ただ、あなたが英語の先生として上手になると、あなたのしゃべる英語が流暢すぎて、私にはだんだんわからなくなっていくのが心配です。」

4月5日、今回のサハリンからものとしては、最後のメールが来ました。
「これが、サハリンからのお別れメールです。
 明日の朝、色丹島へ向けて船で発つ予定です。
 来る時もそうでしたが、島までは苦難の航路となりそうです。多分、岐阜にいるあなたには想像できないでしょうが、オホーツクには、まだ流氷が残っているのです。
 まっすぐ直線で色丹へ向かうことができればいいのですが、そうはいかないと思います。

 色丹へ帰ったら、また、インターネットも含めて、いろいろな方法であなたにコンタクトします。とりあえず、今晩、手紙を書きました。カーチャの写真も入れましたので、楽しみに待っていてください。
 でも、あなたの元へは、はたして、いつ届くのかしら。」

「ちょっとびっくりしています。
 4月のオホーツク海はまだ流氷ですか。
 航海の無事を祈ります。タイタニック号のようになったら大変です。
 今年のノービザ交流の予定、とりわけ、ナターシャが去年のようにまた札幌に来ることができるかどうか、わかったら教えてください。
 ごきげんよう、ご家族によろしく。」
 
 
 ナターシャの頑張りにも驚きましたが、4月のオホーツクの海に、まだ、流氷が存在していることに驚きました。 


  驚きのあまり、ちょっと流氷について調べてみました。
 まずは、私が驚いている理由を説明します。

 次の表は、この18年間の網走における流氷の観測データです。
 流氷初日は、流氷が初めて沖合に見えた日、接岸初日は、網走の海岸に流氷が接岸した日です。海明けと流氷終日はその逆です。

 

 この観測にも、本を聞いて詳しく調べてみないとわからないエピソードがあります。
ここでいう、「観測」とは、この科学が進んだ現在でも、人間の目で見ることができる状態を指しています。レーダーとかではありません。

 しかも、網走の高台にある網走気象台の、そのまた屋上にある測風塔という塔のてっぺんから見えるか見えないかの記録です。その高さは、標高53.2メートルだそうです。
  菊地慶一著『ドキュメント 流氷来る』(共同文化社2001年)P40

   年  流氷初日  接岸初日  海明け日  流氷終日
1987(昭和62年)  1月11日  1月21日  3月14日  4月12日
1988(昭和63年)  1月15日  2月10日  4月 6日  5月 3日
1989(平成元年)  2月 2日  な  し  な  し  4月 3日
1990(平成2年)  1月21日  1月30日  2月10日  4月 7日
1991(平成3年)  2月 5日  2月21日  2月27日  3月19日
1992(平成4年)  1月31日  2月 4日  3月13日  4月 8日
1993(平成5年)  2月10日  2月17日  5月 5日  5月 9日
1994(平成6年)  1月26日  1月30日  4月 2日  4月30日
1995(平成7年)  1月20日  1月21日  3月17日  4月28日
1996(平成8年)  1月29日  2月11日  3月19日  4月22日
1997(平成9年)  1月24日  1月31日  3月 7日  3月29日
1998(平成10年)  1月16日  1月27日  3月19日  3月26日
1999(平成11年)  1月13日  2月12日  4月10日  4月18日
2000(平成12年)  1月18日  1月31日  3月24日  4月 4日
2001(平成13年)  1月 6日  1月 8日  3月15日  4月 8日
2002(平成14年) (2001) 12月27日  1月17日  3月 9日  3月25日
2003(平成15年)  1月11日  1月26日  4月15日  4月28日
2004(平成16年)  1月31日  2月17日  3月 9日   月  日

2004年の流氷終日が空欄なのは、現段階では、まだ未確定だからです。もう観測はされていませんが、いつ何時、また戻ってくるかわからないというわけです。

 これを見ると、網走沖に流氷が観測できる期間は、年によってずいぶん違います。  
 昨年度は、驚いたことに、海明けがずいぶん遅くて、4月の中旬まで流氷にふさがれていたのですね。
 つまり岐阜あたりではとっくに桜の季節も終わっている4月半ば、昨年の今頃は、まだ流氷が網走に残っていいたわけです。
 
 ただ、私は、今年の海明けのニュースを知っていました。
 
 今年は、流氷の観測も比較的遅く、しかも、平年より早く3月9日に海明けとなりました。

 だからこそ、4月の上旬にまだサハリン→色丹島間に流氷があることが驚きでした。

 この写真は、上の表にはありませんが、1983年3月29日の網走の海岸の様子です。

 この年も海明けは大変遅く、海には数メートルの流氷が盛り上がっていました。陸の部分をご覧ください。海岸にも丘にも、もう雪はあまりありません。それでも、流氷は頑張っていたのです。

 ちなみに、モデルは、21年前の私たち夫婦です。拡大しないように。


 早速調べてみました。(データの入手先は、以下の所です。)

 北海道立オホーツク流氷科学センター http://giza-ryuhyo.com/ TEL 01582-3-5400 

 網走地方気象台http://www.sapporo-jma.go.jp/abashiri.html TEL 0152-43-4348   

 >気象庁 オホーツク海の海氷に関する情報や予報http://www.data.kishou.go.jp/kaiyou/shindan/index.html#db

 
 右の図は、網走地方気象台が作成している2004年の「網走・紋別地方海氷情報第73号」で、4月13日17時10分のオホーツク海の流氷の状況です。

同情報の概況は、次のように伝えています。
「オホーツク海の流氷は、知床半島の北約50キロメートルにある他は、沖合に離れ、全体に融解が進んでいます。また、根室海峡の流氷は、すべて融解しました。」

 網走や知床からは、離れていった流氷ですが、サハリンの東一帯には、まだ密度が高い状態で残っています。

 ナターシャがいた、ユジノサハリンスクから国後島と択捉島の間の海峡を通って、色丹島に行くには、彼女のメールにあるように、まだ残っている流氷群をさけなければなりません。

 同情報は、今後1週間の予想次のように立てています。
「オホーツク海の流氷は、さらに融解・後退が進み、北緯46度以南の流氷は融解するでしょう。

 オホーツクの海には、ようやくこれから春が訪れます。

 さて、次の手紙が来るのはいつなのでしょう。 


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