色丹島との草の根交流記13

 これは、私が2002(平成14)年9月18日(水)〜9月22日(日)に参加した北方領土色丹島訪問以来、友人となった色丹島のロシア人英語教師一家との間に続いている草の根の交流について記録したものです。


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013 Andrei                                       

 2003年8月21日に、色丹島のナターシャから手紙が届きました。
 7月に札幌で別れる時に、
「きみが着物を着て撮影した写真ができたら、送ってください。」
と頼んでいたので、送ってくれたのです。
 それが右の写真です。

 着物というので、私は勝手に普通の着物と思っていましたが、ご覧のように、ずいぶん豪華な花嫁衣装でした。
 彼女、とても、喜んでいました。 


 しかし、彼女がせっかく日本語を学習した成果は、この夏には、発揮できなかったようです。
 
 今年は、7月にビザなし交流団が色丹島を訪問する予定となっており、彼女は、交流受け入れ委員会の委員長の夫とともに、その世話をするはずでした。
 ところが、手紙によると、彼女に活躍の機会は訪れませんでした。季節はずれに早くやってきた台風のため、訪問団が渡航中止になってしまったからです。

 私は、昨年の9月に「教育者交流」の一員として渡航しましたが、今年は、同じ交流団は、色丹島ではなく、択捉島に行く予定です。したがって、唯一の交流の機会が失われてしまったのです。

 彼女は、しきりに予想外の台風を恨んでいました。本当に残念でした。
 

 ところで、この手紙を最初に見た時、封筒の消印を見て、不思議に思いました。
 上がその拡大写真ですが、分かりますか?

 切手は、普通の日本の切手(隅田川の花火)、消印は、ちょっと見づらいですが、根室局の8月20日です。

 つまり、この手紙は、日本で投函されたのです。

 最初はこう考えました。

「色丹島から日本へ手紙を送る場合、通常は、モスクワ経由となるから1ヶ月近くかかるけど、実はもっと早くする方法があるわ。色丹島の港に来た漁船か何かの船の日本へ寄港する船員へ手紙を託すの。そうすると1週間ぐらいで着くわ。」 
 いつかナターシャがこう言っていたのをい思い出し、この手を使ったのかと思いました。

 しかし、実はそうではなかったのです。手紙にはこうありました。
「この手紙は、夫が日本へ着いたら送ってもらうように頼みました。夫アンドレイは、8月21日から9月の11日まで札幌で短期の日本語研修を受けに行きます。」

 この手紙は、彼女の夫アンドレイが根室で直接投函したものだったのです。
 しかし、夫が日本へ来ることは、7月の時点では彼女は全く話をしていませんでしたので、びっくりです。

 早速、4島交流日本語修得研修を担当している、札幌の北方圏センターの担当者Aさんにメールで聞いてみました。
「ええ、7月の時点では、正式には決まっていませんでしたのでお話しできませんでしたが、間違いなく、ナターシャの夫の、アンドレイさんが今札幌に来て、日本語研修をしていらっしゃいます。」

 早速、手紙を書きました。
 実は、アンドレイさんとは、私が色丹島を訪問した時は、ほんの挨拶程度しか話をしておらず、本格的に会話するのは今回は初めてです。


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