チェチェンの歴史
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時 代
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で き ご と
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18世紀後半
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ロシア帝国、オスマン・トルコとペルシアとの対立状況を有利に展開するため、コーカサス地方支配を目指して南下政策をとる。抵抗するチェチェン人などと、「コーカサス(カフカス)戦争」が続く。
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1864年
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ロシア帝国、コーカサス地方を完全に併合。
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1917年
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ロシア革命起こる。チェチェン人は独立を目指すも、ソ連共産党軍(赤軍)に鎮圧される。ソ連邦にチェチェン・イングーシ共和国として組み込まれる。(チェチェン人とイングーシ人の共和国)
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1942年
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ドイツ軍、コーカサス地方を一時占領。(北隣のヴォルガ河畔のスターリングラードでは、激戦の上、ソ連軍が勝利)
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1944年
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ドイツ軍敗北。ソ連の独裁者スターリンは、チェチェン人とイングーシ人がドイツ軍に協力したという理由から、チェチェン人とイングーシ人を、当時のカザフ共和国(今のカザフスタン)へ強制移住させる。50万人以上が移動させられたという。
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1957年
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スターリンの死後、チェチェン人とイングーシ人の帰還が許される。但し、帰還できたのは、移住者のうちのおよそ3分の1。残りの多くは、移住時や移住先で死亡。
しかも、チェチェンの地は、彼らがいない間に移住してきたロシア人によって占拠されていた。チェチェン人のロシアへの怨念は高まり、一部はモスクワへ流れて、チェチェンマフィアを結成。
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1991年
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10月 ソ連崩壊の過程で、チェチェン独立を唱えるドゥダエフ大統領が就任。一方的に独立を宣言。(チェチェンとイングーシは分離)
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1993年
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4月 ロシアからの財政援助がなくなる中、経済の悪化を独裁政治で乗りきろうとするドゥダエフ大統領への不満が高まり、大統領派と議会派とで内戦状態に突入。
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1994年
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12月 エリツィン・ロシア大統領、チェチェンの独立を阻止すべく、ロシア連邦軍を派遣。
第一次チェチェン紛争開始。
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1996年
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4月 ロシア連邦軍の攻撃で、チェチェンのドィダエフ大統領が死亡。停戦合意。
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1997年
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1月 チェチェン共和国に、停戦合意派のマスハドフ大統領就任。
5月 エリツィン・ロシア大統領と平和条約締結。ロシア軍撤退。
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1999年
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チェチェンのイスラム武装勢力が、各地でテロ事件を起こす。
9月 ロシア連邦首相プーチン、チェチェン人掃討作戦を命令。ロシア軍再侵攻。
第二次チェチェン紛争開始。
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2000年
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2月 ロシア連邦軍、チェチェンの都グロズヌイ制圧。武装勢力は南部国境山岳地帯へ撤退。
3月 プーチンは、この行動が支持されて、エリツィンに代わってロシア大統領に就任。
6月 プーチン大統領、チェチェンの自治を認めず、ロシアの直接統治下におくことを決定。
チェチェンには、カディロフに率いられた、チェチェン共和国行政府(暫定政権)が誕生。
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2002年
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4月プーチン大統領、掃討作戦の終了を宣言。
10月 チェチェン人武装勢力によるモスクワ文化劇場占拠事件おこる。人質120人以上死亡。
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2003年
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3月チェチェン新憲法制定される。(連邦憲法に反しない範囲での自治権が認められる)
7月モスクワ郊外の野外ロックコンサート会場で連続自爆テロ
10月チェチェン大統領選挙でカディロフ氏当選、新大統領に。
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2004年
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2月モスクワ地下鉄で自爆テロ、39人死亡。
3月ロシア大統領選挙。プーチン大統領再選。
5月チェチェン大統領カディロフ氏、対独戦勝記念式典中に爆弾により暗殺される。
8月モスクワ発の2機の旅客機がハイジャックされ、爆発墜落。チェチェンの武装勢力のテロと推定される。
カディロフ前大統領の暗殺による、チェンチェン共和国繰り上げ大統領選挙実施。ロシア連邦政府の推す、アル・アレハノフ(チェチェン共和国内相)候補が当選。
9月チェチェン共和国の西にある北オセチア共和国(チェチェンと同じロシア連邦内の共和国のうちの一つ)の町ベスラン(首都ウラジカフカスから約30km)で、チェチェン武装勢力によって小学校が占拠され、児童・先生・保護者など数百人が人質となる。4日後、ロシア連邦軍が突入し、100人以上の犠牲者が出る。
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