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 2006年12月28日夜、本年4度目の家族旅行に出発しました。参加者は、私(父)、妻、長男K、次男Y、三男Dです。
 正月に尾道・広島、3月に熊野古道、8月に若狭・丹後・但馬と、今年はすでに3回も家族旅行に行っているのに、なんと、同じ年に4度目の家族旅行です。

「1年に4度も旅行して、家計が借金まみれになりはしないか?お金は大丈夫か?」

「電車で行くととってもお金がかかるけど、またお父さんの自動車運転なら大丈夫。頼むね。」

「わかった。だけど自家用車運転なら、あまり遠いところへは行けんぞ。しかも、仕事は休めんし、31日は、家で過ごしたい、いろいろ条件があるしなー。」

「本当は、トワイライト・エクスプレスで夕陽を眺めたいんだけど、電車は無理だから、その代わりに、どこかで日本海に沈む夕陽が見たい。」

「昔から、思っていたけど、1日のうちに、太平洋から昇る朝日を見て、日本海に沈む夕陽を見るというのをやってみようか。」

「今、自動車の宣伝でやっているやつだね。」


 というわけで、旅行の目的地と条件が揃ってきました。

  1. 出発は、私の仕事の関係から12月28日(木)の勤務終了後。帰宅は、12月30日(土)の夜。

  2. 12月29日(金)は太平洋から昇る朝日を見て、日本海に沈む夕陽を見る。

  3. 父ちゃんが惚れ込んでいる藤沢周平・山田洋次映画の舞台、山形県鶴岡を訪れる。(映画についてはこちらです。日記・雑感「武士の一分」

  4. 長男Kの大学の卒業論文(戊辰戦争について書いている)の舞台となっている会津に行く。

 これだけの条件が出てきた結果、目的地は、東北地方南部(宮城県・山形県・福島県)となりました。1車中泊、1旅館泊の日程では、むちゃくちゃな強行軍になりますが、以下の計画で出発しました。テーマは朝日・夕陽と歴史です。
 太平洋から昇る
朝日は、かの有名な日本3景のひとつ宮城県松島で眺め夕陽は山形県の日本海岸にある名湯、湯野浜温泉で見ると言う計画です。

 下の
地図は、旅行の全行程図です。
 
赤い文字の地名が訪問地です。クリックすると、説明や写真にジャンプします。


 <訪問地と時間> 

28日

20:00

岐阜発

29日

00:30

東京通過

05:30

松島着

 

10:15

松島発

13:30

鶴岡着

 

15:00

鶴岡発

15:30

酒田着

16:45

湯野浜着

30日

08:30

湯野浜発

13:30

喜多方着

14:30

会津若松着

 

16:40

会津若松発

20:45

東京着

 

21:30

東京発

31日

02:00

岐阜着

 全走行距離は2068kmとなりました。 実質運転時間は27時間30分でした。

<ルート選定、東京寄り道、費用などもろもろ> ルート説明図へ

 
 ルートですが、私たちが実際の通ったルートは、上図の黄色の線です。

  1. 岐阜のわが家から行くと、岐阜羽島インターチェンジで名神高速に入り、東名高速→首都高速→東北自動車道→仙台南部自動車道→仙台東部自動車道路→三陸道路とへて、松島インターチェンジで一般道路に降りて、第1目的地松島海岸

  2. 松島海岸から、逆に東北自動車道村田ジャンクションまで行き、そこから山形自動車道路へ分岐して、第2目的地鶴岡・酒田・湯野浜温泉まで。

  3. 湯野浜温泉から、東北道路へ戻って、郡山ジャンクションから磐越自動車道路を経て、第3目的地喜多方・会津若松まで。
     そして、会津から東京を経由しての帰り道です。

 実は、距離的には、地図の赤いルート、つまり、中央高速道路→長野自動車道路→上信越自動車道路→北陸・日本海東北自動車道路→磐越自動車道路→東北自動車道路と、東京を経由せず日本海側を経由する方が、近道です。
 最初はこのルートを考えていました。

 しかし、クリスマスを経ても大変穏やかで雪など降りそうでなかった今年の12月の天気は、年末になって、右のように急激に悪化しました。


 つまり、私たちが出発する28日の夜から、この冬初めての寒気が日本全体に入り、新潟や山形は大雪になると予報されていました。
 これでは、新潟経由は無理です。

<2006年12月末の新潟の天気>

27日

28日

29日

30日

 そこで、少し遠回りですが、東京経由で向かいました。

 これは、結果的にはよい経験になりました。

 50歳にしてはじめて首都高速道路を自分で運転して走るという経験ができたからです。
 首都高速道路というのは、東京の人には当たり前ですが、道路の上、川の上、トンネルなどいろいろなルートを通っています。中心部ではビルの谷間から、外縁部では高架のかなり高いところから、東京の夜景を楽しむのはなかなか情緒のあるものでした。
 電車から見るのと違って、くねくね周りくねる高速道路からの夜景は、より面白いものがあります。地方からのお上りさんには、とても魅力的でした。 


「もうすぐ渋谷?」

「109ビルはどれ?」

「なんじゃ、それ?」

「女性ファッションを売っている有名なビル。父ちゃんが知るわけない。」

「・・・・」

「あった、あれあそこ。109。」

「あれ、正面、六本木ヒルズ。」

「東京タワーは?」

「反対、反対、もっと向こう。」

「オカンを見てみたい。」

「オカンってなんじゃ。」

「ほら、リリー・フランキーの、『東京タワー物語』って知ってるだろう?あれから転じて、東京タワーをオカンと呼んでいる。」

「誰が」

「わが兄弟の間で。」

「(*_*)」


 東京タワーの夜景。
但し、今のものではなくて、これは、2003年5月に私が撮影したものです。


                ルート説明図へ

 それまで、東名高速を走る間中、ぐっすり眠っていた家族は、首都高速にはいると、いつの間にか全員起きていて、窓の外を見ながら大騒ぎです。 

 実は、この旅行の中で一番興奮を共有できたのが、なんと夜の東京でした。
 おかげで、帰り道には、わざわざ
東京タワーに寄り道して、夜景を見物するはめになってしまいました。(^.^)
 

 さて、
自動車で山形まで行くという強行軍の効果です。
 
実質総運転時間は27時間30分になり、いささか疲れはしました。しかし、松島・鶴岡までJRで出かけたことを考えれば、次のように経済的な旅行でした。
<経 費 比 較>

JR利用の場合

JR料金5人分 岐阜−松島−鶴岡−会津−岐阜

58,630×5

合計 293,150

自動車利用の場合

レンタカー料金

37,000

合計 104,230

高速道路料金

35,230

ガソリン代

32,000

 
 これで、自動車が自前なら、ほんとに安上がりです。(マイカーは、1995年製のオンボロカリーナのため、トヨタレンタカーで7人乗りアイシス(カーナビ付き)を借りました。カーナビが威力を発揮して、首都高速道路もすいすいです。)


<宮城県松島海岸> 全ルート説明図へ 「東北地方南部」図へ 山形県南部

 第一の目標は、宮城県松島です。
 
太平洋から昇る朝日は、別にどこの海岸で見てもいいのですが、敢えてこだわって、日本3景のひとつ松島を選択しました。

 このために、敢えて岐阜を20:00に出発しました。
 東名高速もあまり混雑しておらず、05:30には、松島海岸に到着しました。この日のこの地の日の出は、06:40頃です。
 少し仮眠して、無事日の出を迎えました。太平洋から昇る日の出です。


 日の出前、松島海岸五大堂横の海岸から、赤く染まりはじめた松島湾の島々を撮影しました。
(撮影日 06/12/29)

 


 06:45日の出直後の松島湾です。
 JR仙石線松島海岸駅前の海岸(雄島の南にあります)から撮影。背景の島は、焼島です。
(撮影日 06/12/29)












  ルート説明図へ


 松島まで来て、朝日だけ見て帰るのは、もったいない限りです。
 何しろ松尾芭蕉が、「扶桑第一の好風」(日本で一番風景がいいところ)とかの「奥の細道」に書き残した所です。もうちょっとこだわらなくてはいけません。
 朝7時から営業している食堂で、海の幸一杯の豪勢な朝食を食べた後、時間をつぶして、9時出航の島めぐり遊覧船に乗りました。


 松島めぐり観光船、マリン・スター号。乗船時間約50分、料金大人1400円です。
 湾内から一度湾外へ出て、そしてまた湾内へ、松島の島々を反時計回りにクルーズします。
 それぞれの島については、船内放送で、一つひとつ解説をしてもらえます。

 船首にはためく旗。

 左舷船首にあるサイドミラーに写っている乗船客。もちろんカメラを構えているのが私です。 


 島(岩?)には一つひとつ名前が付いています。
 浸食された小島と松が面白い造形となっています。これが松島の魅力です。しかし、すべての島に松が生えているわけではありません。
 遊覧船から撮影した面白い島々を紹介します。


 兜(かぶと)岩です。

鎧(よろい)岩です。


 名前は聞き漏らしました。牡蠣の養殖竿に囲まれた岩礁です。

 鐘島です、角度が悪いですが、島に五つの穴が穿たれていて向こう側が見えます。浸食作用がなせる技です。


 この島(岩?)も見事な造形です。名前は聞き漏らしました。


 小藻根島の南端。松と岩の浸食され具合が見事です。


 

 仁王(におう)島です。
 松島湾めぐりの中にある島の中で、浸食による造形という点では、形も色もこの島がハイライトです。
 
 しかもうまい具合に、松島諸島の一番外側、湾外に面したところにあります。


 松島の島々の見所のひとつは、「理科」的に視点からの分析です。浸食面に現れた地層の織りなす絵画的美しさは見事です。


 松島の島と島の間から顔を覗かせた、東北電力仙台火力発電所(塩竃市の南の七ヶ浜町にあります)です。牡蠣の養殖棚と島々と発電所、現在の松島の姿です。


「さて、松島めぐりを終えるに当たって、勉強をしておこう。例の有名な、『松島やああ松島や松島や』と言う句は、本当に松尾芭蕉が詠んだかどうか?どっちだ?」

「え、それって松尾芭蕉の句じゃないの?」

Y

「わからん?」

「そういう質問をするってことは、芭蕉じゃないんだ。」

「曽良君だったりして。」

「そうかもしれない。」

「ちょっとまて。君たち、どうして芭蕉のお供の曽良を、『曽良君』などと気安く呼ぶんだ?」

「『ギャグマンガ日和』と言うマンガがあって、これは、歴史物を主人公に扱っているんだけど、そこに、間抜けな芭蕉と賢い曽良というキャラクターが登場する。だから、曽良君にも親しみがある。」

「う〜ん、いろいろなマンガがあるもんじゃ。
 そんなことより、
正解は、『松島やああ松島や松島や』というのは芭蕉の句ではない
 この句は、江戸時代の後半つまり、芭蕉より100年ほど後の時代の相模国(今の神奈川県)の狂歌師で、田原坊と言う人がいて、この人がつくったといわれている。仙台藩の儒学者である桜田欽齊と言う人が、『松島図誌』と言う本に田原坊の句を載せたんだが、これがそのうちに間違って、芭蕉の作を言う話が広がった。もっとも、最初の田原坊の句は、『松島やさて松島や松島や』であったそうな。」

「そんじゃ、芭蕉は、松島に来てなんて詠んだの?」

「『奥の細道』には、芭蕉の句は記されていない。」

「ここへ来て感動しなんだの?」

「あまりの絶景に感動しすぎて、詠めなんだ。または、中国もあわせて一番の景勝地なのだから、軽々しく詠むことなどすべきではないと考えた。どちらかだと言われている。」

「なるほど」

「では、次の質問。芭蕉は、松島をどういう風に観光したか?

  1. 陸から眺めただけ

  2. 船で海を航行しつつ眺めた

  3. 私たちの遊覧船のように詳しく島をめぐった

 さて、どれでしょう?」

「そりゃ、海から見なきゃ、絶景とはわからない。2か3かな。」

「しまった、これではクイズにならなかったか。芭蕉は、ちゃんと塩竃から船で松島に入り、雄島からあらためて眺めている。
 ただし、私たちの遊覧船のように、島を一つひとつめぐったわけではない。たとえば、芭蕉の乗った船の位置からは、「
仁王島」などは遠くてあまりわからなかったはずだ。また、もちろん、今のように、写真で詳しく解説されていたわけではない。」

「それでも、感動した。」

「したがって、一つひとつの島と言うより、風景全体の調和に感動したと言うべきだろう。遊覧船で、一つひとつ解説してもらうのは、芭蕉流ではないかもしれない。

 もっとゆっくり松島の風景を楽しみたいところですが、そうそうに出発しなければなりません。
 この日の天気予報は、東北の太平洋側は晴。しかし、これから向かう目的地、日本海側の山形は、雪です。
 特に、仙台と山形の間の山地はひどい天気になっている可能性があります。

「山形で夕陽、見れるかな。」

「う〜ん、どうかな。とにかくホテルが予約してあるのだから、いかねば。」

一縷の望みにかけて、10時15分松島出発。                

全ルート説明図へ 「東北地方南部」図へ 山形県南部

 松尾芭蕉は、塩竃から船に乗って、海岸に沿って松島に着きました。雄島という海岸と橋で結ばれている松島湾西奥の島から、海岸を眺めています。
 現代の松島めぐりの遊覧船は、芭蕉の船の航路とは違って、ずいぶん遠くまで湾内をめぐります。
 下の写真は、上の地図の湾奥の
雄島付近の航空写真です。
 一番上左の夜明け前の写真は
五大堂の東の海岸から撮影しました。
 また上右の昇る朝日の写真は、
雄島の南の海岸から撮影しました。

 上の写真は、いつも利用させていただいている、国土交通省の国土情報ウェブマッピングシステムの国土画像情報の写真を2枚合成してつくりました。国土情報ウェブマッピングシステムのページはこちらです。


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