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熊野古道 「中辺路」大雲取越・舟見峠
「中辺路」大雲取越の舟見峠に行った時のこと

 家族旅行の記録とは離れて、4月29日に一人で2回目の熊野古道に来た時の、もうひとつの、「熊野古道ちょこっと探検記」をお話しします。

 1回目の
大雲取越・胴切坂(正確にはその手前まで)の場合は、熊野本宮と那智大社の中間にある小口から、大雲取越を那智に向かってちょこっと歩きました。
 今回は、
那智方面から小口に向かって大雲取越をちょこっと歩こうという計画です。
 
 選択したのが、最も単純な、那智の
那智大社青岸渡寺)から、舟見峠までの往復4時間弱の行程です。
 下の地図をご覧ください。
 
舟見峠は、那智大社・青岸渡寺(標高333m)から距離にして約4.5kmの場所に位置しています。標高は883mです。

 目的地までの
標高差は、550mで、かなり急な登りです。

この地図は、グーグル・アースよりGoogle Earth home http://earth.google.com/)の写真から作製しました。川の流れ、都市・山の位置ともフリーハンドで書いていますので、正確さは今ひとつです。あくまでイメージ図です。


 3月11日に宿泊した那智勝浦温泉のホテルから那智の滝を遠望した写真。
 写真中央の白い線の部分が、
那智の滝です。今回の出発点の那智大社・青岸渡寺は、写真の那智の滝と手前の峰との間にあります。

 一番奥の峰のうち、那智の滝の真上に当たる部分が、
舟見峠です。標高883.4m。かなり高いところまで上ることが分かります。
 そして、その右側の一番高い山が、
大雲取山(標高965.7m)です。山の頂上には、アンテナが立っています。写真でもかすかに見えます。
 こちらから見えると言うことは、当たり前ですが、向こうからも見えると言うことです。その写真は、このページの下の方に掲載してあります。 


補陀洛山寺と補陀洛浄土

 那智駅の北、那智の滝に上る道の登り口に、ちょっと変わった寺があります。これも熊野信仰にかかわっている寺ですから、本題の前に、ちょっと紹介します。

 名前を
補陀洛山寺ふだらくさんじ)といいます。


 紀勢本線那智駅のすぐ北側に、国道42号線から那智の滝方面への県道(46号線)の分岐点があります。
 これは、古代では、紀伊半島を海岸沿いに迂回してきた熊野古道「
大辺路」と、紀伊田辺−熊野本宮−那智大社−熊野速玉大社を結ぶ、熊野古道「中辺路」の合流点でもあります。分岐点を少し上ったところに、補陀洛山寺はあります。
 本堂の背景の山は、もくもくした樹形の照葉樹林です。
  熊野古道全体の地図はこちらです。
01-02map_Kii_peninsula_middle_old_road.jpg',627,530,627,530
  


 この寺は、平安時代前期から、江戸時代中期にかけて、奇妙な宗教活動の舞台となりました。
 この寺の僧が、寺の南の砂浜から、海上にあると想定されていた「
補陀洛」(ふだらく)を目指して、船で海を渡って行ったのです。
 
 この寺の名前ともなった、「
補陀洛」(ふだらく)とは、何でしょうか。

 熊野三山の神様と、
本地垂迹説による本地仏をまとめると、以下のようなります。
  ※これの詳しい説明は、「探検記1」にあります。こちらです。

神社名

祭 神

本地仏

熊野本宮大社

熊野坐神(くまのにいますかみ)

阿弥陀仏
熊野速玉大社

熊野速玉神(くまのはやたまのかみ)

薬師如来
熊野那智大社

熊野牟須美神(くまのむすびかみ)

千手観音

 3神の本地仏である、阿弥陀仏・薬師如来・千手観音は、それぞれ、仏教世界でいう苦しみのない極上の世界=浄土の主でした。
 因みに仏教では、釈迦如来が主の北方浄土も加えて、東西南北の浄土は、次のように「分担」されています。

  • 東(瑠璃浄土)    薬師如来

  • 西(西方浄土)    阿弥陀如来

  • 南(補陀洛浄土)   観世音菩薩(いわゆる観音様)

  • 北(北方浄土)    釈迦如来

 つまり、那智大社の本地仏、千手観音は、南方の浄土=補陀洛浄土を主宰する仏さんであり、那智の地は、その観音様の浄土の地と信仰されていました。
 それどころか、熊野三山には、阿弥陀浄土・瑠璃浄土・補陀洛浄土と、3仏の主宰する3つの浄土があるとされていましたから、ずいぶんと欲張りな、豪華絢爛な場所です。
 まあ、この豪華さが、全国の民衆の信仰を集めた理由にもなるのです。
  
 ここまでならすごく分かりやすいのですが、さらにもうひとつ別の考えもありました。
 那智の地は補陀洛浄土そのものではなく、
海上にある本当の補陀洛浄土の東門とされ、観世音菩薩の加護をうけるには、海を渡ってその浄土に行かなければならないというのです。

 確かに、補陀洛浄土を目指して、那智の地にやってきたら、滝はありますが、現実には浄土はありません。来てみたら、「浄土は海の向こうだよ」ということなのです。今なら誇大広告、いや詐欺といわれてしまいそうです。

 ちなみに、
観世音菩薩=観音様を祀った寺院は、東京浅草の観音様の他、全国にあまたあります。京都の有名な寺院、清水寺も千手観音を本尊としています。
 清水寺といえば、「清水の舞台から飛び降りる」あの
舞台建築が有名ですが、あれは、本堂の南に作られています。
 つまり、
南にある補陀洛浄土を見る(心を向ける)ための舞台です。
 
 江戸時代には、記録に残るだけで、この舞台から人が飛び降りた事件が234件ありました。
 これらの人は、「多重債務の果てに借金で首が回らなくなって自殺」という人もいるでしょうが、基本的には観音菩薩に導かれて、南の(ここが重要です)補陀洛浄土に向かって身を投げたという発想の人が多かったと思われます。

 清水の舞台は、方向を変えれば、西にも東にも飛び降りることができますが、そんなことしたら、観音様には導いてもらえそうもありません。自殺の時は、南に飛び降りましょう。(^_^)

 さてさて、話を本題に戻します。
  
 南の海に補陀洛浄土があると信じられていたのなら、そこへ向かう人がいたとしてもおかしくはありません。

 この寺の伝えによると、およそ800年の間に、
25名の僧侶が補陀洛浄土を目指したのです。 

参考文献
細谷昌子著『熊野古道 みちくさひとりある記』(新評論 2003年)P300
宇江敏勝著『世界遺産熊野古道』(新宿書房 2004年)P182
小山靖憲・笠原正夫編『街道日本史36 南紀と熊野古道』(吉川弘文館 2003年)P180


 これが補陀洛山寺の境内にある「補陀洛渡海船」の復元模型です。
 この船の絵が描いてある「
那智参詣曼荼羅図」(なちさんけいまんだら)をもとに、1994年、南紀州新聞社の社主寺元氏によって再現されました。
 「
那智参詣曼荼羅図」というのは、オリジナルは室町時代に書かれた絵図で、江戸時代に熊野信仰を全国に広めた女性の僧、熊野比丘尼(くまのびくに)が、布教に利用したことで有名です。
      地図へ


 補陀洛渡海船のアップです。
 僧侶が乗る部分は、入母屋造りの小屋になっており、船の四囲には、それぞれ鳥居が立っています。

 渡海する僧は、この中に閉じこめられて海上へ「放たれ」ました。

 実質的には、船が難破して沈まなければ、「渡海」ではなく、海上で餓死し、即身成仏となるための儀式といってもよい不思議な行為でした。


      地図へ


大門坂から青岸渡寺・那智大社

 那智の滝への入口の補陀洛山寺のあたりは海岸に近く、標高は5m程です。
 しかし、
那智の滝の滝壺周辺は、標高240m程ですから、ここまでもずいぶんの登り坂です。


  県道46号線は、那智の滝近くになると九十九折りに滝を目指します。
  しかし、中辺路の古道は、大門坂の急坂を真っ直ぐ、那智大社を目指します。
 写真は、右が県道。
 左は、石畳の
大門坂古道
 この写真の撮影場所は、下から県道を上って来て二つ目のヘアピンカーブを曲がるところです。
 (撮影日 06/04/29 この写真は舟見峠をから下りてきたあとに撮影しました。)      

地図へ


 4月29日の夜明け、私は、県道46号線沿いの那智の滝駐車場(といっても公衆便所横の駐車スペース5台分ほどのもの)に止めたマイカーの車中で夜明けを迎えました。

 当日の日の出はほぼ5時頃。前日夜8時過ぎに岐阜を出発して、283kmを走って、午前1時過ぎにこの駐車場に着いた状況では、睡眠不足のはずのなのですが、もう4時半には目が覚めてしまいました。
 車から出ると、滝の音が囂々と聞こえます。
 昼間なら周囲の喧噪でそんなには聞こえないのでしょうが、静かな夜明け前は、那智の主役は滝そのものです。真っ暗な中、滝壺近くに行ってみました。
 暗闇にぼんやり光る白いスジとなって、轟音を立てて落ちる滝は、荘厳と言うか、なんというか、人間など寄せ付けない存在です。
 


 熊野古道「中辺路」大雲鳥越・舟見峠

 那智の滝(標高240m)から、青岸渡寺・那智大社(333m)までは、標高差が100m近くありますから、境内までの石段を登るのがまず一苦労です。これだけで十分、はーはーぜーぜーとなります。

この探検記では、あちこちでその場所の標高を表示しています。
これは、3D地図ソフト「カシミール」を使って確認しているもので、ほぼ正確なデータです。
「カシミール」の説明はこちらです。


 如意輪観世音菩薩を本尊とする青岸渡寺。標高333m。

 那智の滝。青岸渡寺から。滝の落ち口の標高は350mぐらいです。


 「中辺路」大雲取越への道の入口は、青岸渡寺横の石段です。


 青岸渡寺横の熊野古道「中辺路」大雲取越の入口。ここから、熊野本宮まで36km。
 右は、入口に立つ道標。かなり古いものです。


 5時55分、すっかり明るくなった空の下、上の階段を上って、熊野古道「大雲取越」に入りました。

 
「探検記5」で説明したように、1201年の10月20日、後鳥羽上皇の一行は、風雨の中を同じ道に入り、艱難辛苦を味わって、熊野本宮に到着します。なぜそんな天候下にあえて大雲取越に挑んだのかは分かりませんが、現在の皇族なら、そんなことはあり得ません。
 歴代上皇の中でも、
白河鳥羽後白河上皇などはこのルートは通っておらず、これに敢えて挑戦したのは、後鳥羽上皇のみです。

 1992年
現皇太子が熊野の地に来られました。
 1221年の承久の乱以後、皇族の熊野詣では行われなくなりましたから、「710年ぶりの皇族来訪」と話題となりました。
 中辺路を歩かれたのですが、熊野本宮−那智大社の小雲取越・大雲取越の難所ではなく、熊野本宮−紀伊田辺間のルートでした。
 

参考文献 細谷昌子著『熊野古道 みちくさひとりある記』(新評論 2003年)P312


  青岸渡寺から舟見峠までの行程は、4.5km。『るるぶ』などに掲載されている通常の人の無理のないスピードでは、所要時間は「1時間50分」となっています。休憩も含めて往復すると、4時間です。
  ただし、今回の私のこの日の日程は、例によって訪問地がてんこ盛りの過密日程ですから、そんなにのんびりは歩いてはおられません。
4.5kmを1時間ちょっとでという目標の下、体力の限界に挑戦して上りました。
 ただし、前回の小口−胴切り坂で、インタバルトレーニングをやってしまって失敗していますから、ペースには気を付けました。
 青岸渡寺を出てしばらくは、石段等で整備された急坂を上がります。これはなかなかの坂です。しかし、20分も頑張ると、急に空間が開けます。妙法山の北側にある、
那智高原の公園です。(標高512m)
 ここはかつて、
和歌山県が全国植樹祭を開催した際に会場となったところです。
 熊野古道というと、秘境を歩くという思いこみがあります。中にはそう言うところもありますが、このルートなどは、舟見峠の近くまで古道とほぼ並行して、舗装された林道が通っています。したがって、楽して行きたければ、峠の近くまでは自動車で登れます。公園を抜けると、尾根づたいに舟見峠を目指します。

  舟見峠まであと2.1kmの所にある、登立茶屋の跡
  大雲取越は、北側の小口側もそうでしたが、こちら側も、古道の周囲は杉や檜の人工林が中心です。
 古来からの照葉樹林はいつの頃からか、植林によって杉・檜林に変わってしまっています。
  後鳥羽上皇の通った頃は、昼なお暗い照葉樹林が古道を覆い、夏は、木の上から
ヒルが落ちてきて首筋に食いつくという状態であったと想像されます。  

地図へ 


 登立茶屋の跡に立っている、説明看板です。


      

地図へ


 朝、夜明けとともに登山していますから、この2006年4月29日に限っては、大雲取越は私が一番乗りです。
 古道を歩く途中で、同じ種類の動物の糞と思われるものをいくつも見つけました。(左の糞と右の糞は別物です。)

 町の中の犬の糞とは違って、見つけた糞はどれも、古道の石段の中央におとされていました。
 どうみても、落とし主の動物が、「
ここは俺の縄張りダー。」といって落としていったように思えます。
 夜の間に、昼間人間に侵された縄張りを回復しようとしているのかもしれません。


「君の縄張りを侵すのは、今日はこのおじさんだ。
 ほれほれ。」

 急にひらめいて、リュックから三脚取り出して、自分で撮影したのがこの写真です。

 何を思いだしたのかというと、昔、流行した、「ドクタースランプ アラレちゃん」のうんこいじりのシーンです。(^_^)


      地図へ
 


 舟見茶屋跡からの眺め
 

ちょっとは道草しながら、それでも足を速め、7時15分に、目的地の舟見峠に到着しました。
 所要時間、1時間20分です。我ながらよく頑張りました。


 

舟見峠手前200mにある、舟見茶屋跡。

 ここから古道からはずれて数十メートル上ったところに、「展望台」があります。

      地図へ
 
 


 苦労して上ってきたことを吹っ飛ばしてくれる見事な眺め。

 写真中央右手の山が
妙法山。(標高 749.1m)手前、その中腹にあるのが、先ほど説明した那智高原の公園(旧植樹祭会場)。
 余談ですが、
妙法山は、富士山を見ることができる南限となっています。
 ここから、322.6km先の富士山の写真が、1999年元旦の日本TVズームインで放映されました。

那智勝浦町の公式サイトに説明があります。
こちらです。
http://www.town.nachikatsuura.wakayama.jp/kankou/09fujisan.html

 もちろん、この日のような曇りの日ではダメです。天気がよくて、澄み渡った日、おそらくは冬の早朝などにしか見えません。

 中央左手の緑の濃い山は、
那智の滝の背後にある原生林。ご神体那智の滝の神域であったため、人の手が入らず、昔のままの熊野原生林の姿をとどめています。
 
 中央はるか向こうの突端は、
那智勝浦の温泉街。その右手、妙法山の背後は、クジラの町太地

 晴天でないのがまったく残念。今度は、いい天気の日にもう一度上りたいものです
。      地図へ 


 那智勝浦の温泉部分をカメラの機能を最大限に使ってアップしました。
 写真中央の大きな平たい建物は、勝浦町の体育館です。体育館手前の肌色の部分は、グランドです。グランドの左手前は、
勝浦川河口です。

 下の写真は、そのグランド横の
勝浦川河口から撮影したものです。赤丸の所が、舟見峠。そのすぐ横は、この地域の最高峰大雲取山(標高965.7m)。峠と山が横に並んで見えますが、峰が違います。
 山は実際には、4.5km程北側(奥)になります。
地図へ


 舟見峠周辺で、10分間休憩し、7時25分に青岸渡寺に向けて降りはじめました。
 下り坂を急ぐ時にはよくあることで、膝の調子がおかしくなり始めましたが、何とか耐えて、8時35分には青岸渡寺横の石段に戻ってきました。
 往復、2時間40分の強行軍でした。

 さてさて、「探検記5」の”小口−胴切り坂手前”の2時間15分の「探検」と比較して、どちらがお薦めでしょうか。
地図へ

熊野古道「中辺路」大雲取越ルート比較

小口−胴切り坂手前往復

項目

青岸渡寺−舟見峠往復

約4.3km

距離(往復)

約9km

2時間15分

標準所要時間

3時間40分

300m

標高差

550m

 ほどよい距離、山歩きが不得意な人でもなんとかなります。
 円座石をはじめ、秘境大雲取越という感じはする。
 多分、観光客は少ないです。
 元気があれば、もう少し先の本当の難所、胴切り坂に挑戦できます。

いい面

 舟見峠の眺めは爽快。
 那智の滝から至近、周辺駐車場に車を置いて、挑戦できます。

 達成感は今ひとつ。
 現地まで自動車かバスで行くことになります。新宮−小口間は、自動車で30分ほど。
 那智−小口間は、同50分ほど。

マイナス面

 半日はまるまるかかります。
 標高差は半端ではありません。
 すぐ側を林道が走っていて、秘境感は少ないです。
観光客は多いです。


 「そんな「ちょこっと探検」を比較していないで、「
大雲取越」を全部踏破したら。」という意見も聞こえてきそうです。
 さらに、「
大雲取越」、「小雲取越」、両方踏破というプランもあるでしょう。
 

  1. 那智大社−小口間の大雲取越(概ね18km) 標準所要時間 6時間 

  2. 小口ー熊野本宮間の小雲取越(概ね18km) 標準所要時間 5時間30分

 いつかやってみたい、その気にさせる魅力はあります。  

那智勝浦町の公式サイトには、熊野古道の経路・地図・所要時間・標高などが写真もそえて、詳細に示されています。こちらです。http://www.town.nachikatsuura.wakayama.jp/kankou/32kodoumap.html


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