| 旅行記のメニューへ  | | 熊野探検記のメニューへ | | 一つ前へ | |  次へ |

海の魅力2、太地のクジラ
海の幸

 南紀といえば、海の幸も魅力です。
 南紀の漁民は、昔から、カツオ・マグロ、そしてクジラをとらえ、日本の沿岸漁業でも、有数の技術を誇ってきました。
 

「マグロという魚は知っているだろう。その水揚げ高で全国1、2位を争っているのはどこの漁港かわかるかな。」

「ここでこういうクイズを出すっていうことは、当然目的地のどれか一つだね。」

「それは想像できても、その港の名前は解らない。」

「難問だったね。これは普通の教科書には載っていない。」


生鮮まぐろの漁港別水揚げ量順位(「平成14年水産物流統計年報」)から
本マグロ(クロマグロ)(生)
順位 漁港名 水揚量(t)
1 塩竈(宮城) 2490
2 境(鳥取) 574
3 勝浦(和歌山) 206
4 油津(宮崎) 145
5 石巻(宮城) 60
6 気仙沼(宮城) 49
7 那覇(沖縄) 45
8 銚子(千葉) 34
9 伊東(静岡) 26
10 鹿児島(鹿児島) 18
 

全国合計

3,800

びんながマグロ(生)
順位 漁港名 水揚量(t)
1 勝浦(和歌山) 7,176
2 気仙沼(宮城) 5,091
3 勝浦(千葉) 4,547
4 銚子(千葉) 2,889
5 那覇(沖縄) 2,688
6 塩竈(宮城) 2,487
7 油津(宮崎) 2,115
8 石巻(宮城) 970
9 甲浦(高知) 628
10 那珂湊(茨城) 387
  

全国合計

30,984

めばちマグロ(生)
順位 漁港名 水揚量(t)
1 塩竈(宮城) 2,368
2 気仙沼(宮城) 1,536
3 勝浦(和歌山) 1,452
4 那覇(沖縄) 1,068
5 勝浦(千葉) 836
6 鹿児島(鹿児島) 764
7 銚子(千葉) 600
8 石巻(宮城) 111
9 伊東(静岡) 98
10 小名浜(福島) 84
 

全国合計

9,145

きはだマグロ(生)
順位 漁港名 水揚量(t)
1 勝浦(和歌山) 2,036
2 鹿児島(鹿児島) 1,443
3 那覇(沖縄) 1,194
4 油津(宮崎) 579
5 勝浦(千葉) 577
6 沼津(静岡) 468
7 塩竈(宮城) 306
8 銚子(千葉) 263
9 枕崎(鹿児島) 240
10 気仙沼(宮城) 239
  

全国合計 

8,836


「正解は、宮城県塩竃とこれから行く和歌山県勝浦
すべての種類のマグロの総量では、那智勝浦が一番。本マグロでは、宮城塩竃が一番。」

「昼ご飯は、それで行きましょう。」

勝浦漁港のマグロ

 那智勝浦漁港の魚市場。
 
 この写真も、フリーの写真集からお借りしました。
 こちらのサイトです。
【日本の写真集】
デジタル楽しみ村


   

目次と地図へ


「南紀地方は、江戸時代から、日本の漁業をリードしてきた。日本史の教科書にも、書いてある。江戸時代の諸産業の発達の所だ。」

「漁業は網漁(あみりょう)を中心とする業法の改良と、沿岸部の漁場の開発によって重要な産業としての地位を確立した。網漁は中世末以来、摂津・和泉・紀伊などの上方漁民によって全国に広まり、上総の九十九里浜地曳き網による鰯漁・・・・などが有名になった。

※石井進・五味文彦・笹山晴生・高埜利彦著『詳説日本史』(山川出版 2004年)P184

「九十九里浜の地曳き網は、16世紀に紀州から伝えられたそうだ。」

「はいはい、ぐたぐた言っていないで、昼ご飯は、海の幸、海の幸。」

 12時半頃、新宮に到着。
 リクエストに応えて、第一日目の昼食は、『るるぶ』に紹介されていた、新宮駅近くの寿司店「十二社」にお邪魔しました。

「『るるぶ』に載っているメニューは全部注文しよう。せっかくの海の幸だから、大盤振る舞いだ。」


「十二社」寿司店、新宮駅のすぐ隣です。

寿司定食。1600円

十二社巻。1400円

サンマ寿司。750円


 「十二社」寿司店のすぐ脇には踏切があり、新宮駅構内が一望できます。普通電車一編成(青色)と、京都からやって来た特急オーシャンアロー号(真ん中)、名古屋からやって来たワイドビュー南紀号(右)。新宮は、京都・大阪、名古屋のどちらからも遠いところです。

 雑誌の紹介に違わずおいしい寿司料理でした。
 ただし、ちょっと食べ過ぎました。午後の熊野古道「探検」に影響が出ました。


太地(たいじ)のクジラ

 さてさて、南紀の海の幸といえば、マグロもカツオもおいしいですが、ここならではの話題といえば、やはり太地のクジラ漁です。

 那智勝浦から太地にかけては、クジラ肉の売店、クジラ料理のお店が一杯です。 

 そんな中で、2日目の昼食に選んだのは、これも『るるぶ』に掲載されていた、クジラ肉のピザ屋さん、「ピザハウス クジラ」(大きなお店ではありませんから捜す時は注意。)

「このクジラ肉は、あまり、硬くないね。」

「昔、学校の給食で食べた、クジラの竜田揚げなんてのは、給食時間に食べ始めても、硬いもんだから、5時間目になってもまだ口の中に残っていた。

「本当?」

「ちょっとオーバー、オーバー。でもそれぐらい硬かった。」

「確かにこの肉は硬くない。なんでだろう。」

「そもそも、捕鯨は禁止でしょう。ここの肉はどうやって手に入れるの?」

「そうだそうだ、調査捕鯨かなんかで捕るクジラの肉じゃないの。」

  とんちんかんな会話に、お店の美人奥様が助太刀です。

「みなさん、シロナガスクジラの様な大きなクジラは捕鯨禁止ってことはご存じでしょうが、捕獲してかまわないクジラもたくさんあることはご存じですか?」

「(代表して)知らない。」

「太地では、捕獲が許されているゴンドウやツチクジラを捕獲しています。
それらのクジラの肉がちゃんと正式なルートで販売されているのです。」

「へぇー、知らなんだ。」

「それから、ご主人の小学校時代の給食のクジラ肉は、南氷洋で捕獲されたシロナガスクジラの肉を長期間冷凍保存して運んできて、調理したものです。
 安価ですが、当然、肉としては、質は悪く硬いのはやむ得ないのです。」


「なるほど、今このピザのクジラ肉は、昔食べたものとはまったく違うものというわけですね。」

「そうです。太地でとれた、ゴンドウやツチクジラの新鮮な肉ですから、硬くありません。」

 これはこれは、大きな誤解をしていました。不勉強でした。早速くじら博物館で勉強しなければいけません。


くじら博物館

 那智勝浦から自動車で15分ほどの距離のところに、太地町の太地くじら博物館があります。クジラに関する大規模な博物館はもちろんここが日本で唯一です。
 先ほどの肉のことや、クジラのこと、そして、捕鯨砲のことなど、いろいろ勉強できました。
 帰ってから読んだ参考文献の内容も一緒にして、ちょっと面白いことをお話しします。 

太地のクジラ漁業については、太地漁業協同組合のHPが参考になります。こちらです。


クジラの種類

 現在確認されているクジラは、世界に83種類あります。
 意外なことに、クジラとイルカは生物的には同じクジラ目というグループで、名称上は、成長した際の
体長が4メートル以上をクジラ、未満をイルカというのだそうです。
 クジラ目は、形態学上は、大きく二つに分類されます。
ハ(歯)クジラ

 クジラの中の多数派で、口内に歯をもっています。歯の数は250本。
 しかし、この歯は口に入れた獲物(魚類)を砕くためのもの咬むためのものではなく、獲物は丸飲みされます。歯はどんな時に使うのかと言えば、メスをめぐるオス同志の争いとかに使われるそうです。

  マッコウクジラ、ツチクジラ、ゴンドウクジラなどのクジラ類とすべてのイルカ類

ヒゲ(鬚)クジラ

 口内に歯はなく、かわりに、「ひげ」が生えています。
 ただし、このクジラの「ひげ」というのは、普通の人に大きな誤解を与える代物で、普通に言う私たちのひげとはまったく別のものです。このタイプのクジラは、歯が退化してなくなり、上あごの歯肉の部分が逆に進化して、人間で言うと爪のような角質(これをヒゲと呼ぶのです)が、口内に板状に並んでいるのです。
 クジラ類の中では少数派です。

 シロナガスクジラ、ナガスクジラ、イワシクジラ、ミンククジラ、ザトウクジラ、セミクジラ、コククジラなど


 これが、ヒゲクジラの口の中の模型です。上あごに生えているのがクジラのヒゲです。歯ブラシの大きなものを考えていただければ概ね当たっています。
 これは何のためのものかというと、ヒゲクジラ類の主食である海中にいる動物プランクトンやオキアミや小さい魚類を、海水ごと飲み込み、海水から餌を漉(こ)し取って、餌だけを食べる「装置」なのです。
 ずいぶん能率的な「装置」です。
 20世紀前半に至るまで、今は捕鯨反対国のアメリカやイギリスも捕鯨を盛んに行いました。しかし、彼らの目的は、鯨油を取ることであり、クジラから鯨油を取ったあとは、海中へ投棄していました。
 これに対して、日本人はしとめたクジラの各部分をすべていろいろな用途に使いました。
 クジラのヒゲは、弾力性があるため、からくり人形のバネなどにも使われました。


 これは本物のクジラのヒゲを使って、生えている様子を再現したもの。

 クジラの種類によって、ヒゲの形や大きさもまちまちです。

※実は、私は、現物教材としてこのクジラのヒゲを所有しています。
   昔は太地のくじら博物館で土産物として購入できたのですが、今はできません。今となっては貴重品です。
   こちらです。


クジラ肉の正規の流通

 国際捕鯨委員会(IWC)の提案によって、1982年以降は、商業捕鯨モラトリアム(クジラ資源回復までの間、一時的に商業捕鯨を停止)が実施され、南氷洋のシロナガスクジラなど捕獲を始め、「商業捕鯨の停止」措置がなされ、現在まで続いています。

 しかし、捕鯨は世界中で全面的に禁止されているわけではありません。
 83種類のクジラのうち、シロナガスクジラなど13種類は、IWCの直接管理ですが、残り70種類のクジラの資源管理は、IWC各加盟国に任されています。したがって、生息数の多いクジラについては、捕獲も可能なのです。

 現代におけるクジラ肉の正規の流通方法としては次の5つがあります。

調査捕鯨

 国際捕鯨条約第8条の調査捕鯨の項目によって、加盟国は科学的な調査のためにクジラを捕獲してもいいことになっています。しかも、その肉は食用に利用できることになっていますので、本来は捕獲禁止対象となっているクジラの肉も一部食用に回ります。
2002年には、日本は調査捕鯨で、ミンククジラ590頭、マッコウクジラ5頭などを捕獲しました。

沿岸小型捕鯨

 IWC各加盟国管理の70種類のクジラのうち、水産庁の調査に基づいて、幾種類かについては小型捕鯨船による捕鯨が許されています。太地では、マゴンドウなどが捕獲されています。

追い込み漁

 太地や静岡県の伊豆半島伊東市富戸(ふと)で行われている漁です。5トン前後の小型漁船十数隻でクジラを湾内に追い込んで網で囲って捕獲します。スジイルカやゴンドウなど小型の鯨類が対象です。

突き棒漁業

 資源量が豊富なイシイルカを年間1万8000頭捕獲。漁船上から手投げ銛投げて捕獲するという原始的な漁法によっています。

定置網漁業

 2001年7月から認められた措置。別の魚を捕る目的で設置された定置網にかかったクジラ類の肉を販売可能としました。


「平頭銛の話」

 太地の話の最後に、「平頭銛(へいとうもり)の話」を掲載します。

 平頭銛というのは、クジラを撃つ銛(もり)の種類の一つです。銛といいうのは、クジラや魚の体に突き刺すものですから、当然ながら、先がとがっているものと思うでしょう。
 ところが、クジラを撃つ銛は、現在では先がとがっておらず、三角錐を途中で切断した形をしています。
 銛がこのような形に工夫されたのは、1950年代後半、ある日本人学者の「目から鱗」の発想の転換からでした。

 実は、この「平頭銛の話」は、私たちの世代には懐かしい話です。
 私たちが学んだ教科書、石森延男編『中等新国語』(光村図書出版株式会社)に、この銛の発明者、平田森三東京大学教授(物理学者)の小論が載っており、今から38年前に学習したからです。
 
 ところが、インターネットで検索してみましたが、「平頭銛(もり)」でヒットするのは、僅かに21件(2006年5月5日現在)です。
 面白い話、「目から鱗の話」のわりには、あまり書かれていません。(教科書の小論も、平田教授がこの教科書のために書き下ろしたもので、これ自体は公刊されていません。)
 そこで、この未来航路で、取り上げようと言うわけです。

平田森三著「平頭もりの話」石森延男編『中等新国語』(光村図書出版株式会社 1966(昭和41)年)P68


 懐かしい教科書です。同世代の方は覚えておられますか?
これをまだ自分で所有しています。物持ちがいいのがとりえです。


 太地くじら博物館のすぐそばにある、捕鯨船資料館「太地くじら浜公園」
 実際に南氷洋で使われていたキャッチャーボート、第11京丸が資料館となっています。全長約64m、697トンの船内には、捕鯨砲や電波探知器などが当時の状態で展示されています。

 第二次世界大戦後、捕鯨が再開されますが、この時点で、すでに、クジラ資源の減少によってクジラがたくさん捕れる場所は少なくなってきており、その主たる場所はシロナガスクジラなどの大型クジラが多数生息していた
南氷洋となりました。
 捕鯨船団は、大型の
捕鯨母船(捕ったクジラを解体処理し冷凍して日本まで運ぶ)を中心に、クジラに直接銛を打ち込んで捕獲する複数のキャッチャーボートから構成されていました。


 第11京丸の舳先にある捕鯨砲

 クジラめがけて銛を打ち込む装置ですが、大砲と同じ原理で火薬を使って銛を飛ばしましたから、まさしく
捕鯨砲なのです。

 捕鯨砲に装着された赤い銛を見てください。

 銛の先はとがっているのではなく、尖頭部が切り落とされたような形になっているのが分かりますか。


   目次と地図へ



 東京大学の教授であった平田博士は、1951年、捕鯨船第1太平丸に乗船して、宮城県沖に出漁しました。
 本来の目的は、電気銛という新しい銛(クジラに刺さった銛に電流を流して早期にクジラをしとめる銛)の実地試験を行うためでした。しかし、そこで従来の銛による捕鯨の様子を観察して、それまでの普通の形態の銛の「限界」と改良の必要性に気づきます。

 博士はこんなシーンを目撃しました。
 クジラの近くまで接近して、素人目にも必中という距離から放たれた従来の銛(先がとがった尖塔銛、せんとうもり)は、クジラの少し手前の水面に着水しました。素人考えなら、そのまま水にもぐってクジラの体に突き刺さるものと思いきや、なんと、水面にもぐらず、そこでぴょんとジャンプして、クジラを飛び越えてしまったのです。

 これはどういうわけでしょう?

 このことをしっかり理解するには、まず、クジラの泳ぐ状態の認識が必要です。
 クジラは、呼吸のために水面に姿を見せますが、水上に出ている部分はほんの少しです。
 したがって、銛を撃つ砲手は、当然ながら、水中に隠れているクジラの体の中心部をねらって、銛を打ち込みます。上図の
青矢印の様に銛を進ませて、クジラに当てるのです。

 クジラの水面上に出ている部分は僅かであり、それをねらうと、クジラの表皮球面への入射角度が浅すぎて、銛は、すべって向こう側へ飛ばされてしまいます。

 
 つまり、クジラにちゃんと命中させるには、クジラ手前の海面をねらう必要があるのです。


 翌日も、命中コースにある銛がクジラを飛び越えるという同じ光景を見た平田博士は、すぐにその改良を提案しました。さすが物理学者です。
 実は、博士は、この銛がクジラを飛び越える話を乗船以前から聞いており、その理由と対策についても、考えがおありでした。

 銛が水面にもぐらずに、飛び上がるのは、次の理由です。

「もりが水面ではねかえることについて、わたしは、この試験船に便乗する前に、すでに捕鯨の専門家たちから聞かされていた。この話を聞いた時、わたしはすぐに、水平に近い角度で水面に投げつけられた石が、ぴょんとはね上がる光景を思い浮かべた。石の速度が大きく、水面をうつ角度が小さい時には、石はすこし水にもぐったあとで飛び出してくる。このとき、石が進むために押しのけられる水は、底の方へ動くよりも、自由な水面の方へ動きやすい。つまり、石に対しては水面に近い方へ押し上げようとする水の抵抗の力がはたらきつづける。したがって、石の進路はしだいに曲げられ、ついに石は、水面から上に飛び出すのである。
 ななめに水面に撃ちこまれたもりがはね上がるのも、これと同じことなのだ。」

前掲教科書 P70より引用

次のサイトには、飛び石が水をどのように押しのけて行くかのシミュレーションがなされています。素人には分からない論文ですが、写真は興味深いものがあります。
東京工業大学矢部孝「CIP法レーザー飛行機への応用」(PDFファイルで、その3・4ページ目に写真があります。)

 

 
 では、もりが水面下に真っ直ぐ入っていくようにするには、どう工夫したらいいでしょうか。

  素人考えでも、水切り石のように薄っぺらで先のとがった石の方がよく水を切ってジャンプするわけですから、直方体のように角に面がある石なら、あまり水を切らないで入水するということは分かります。

 さらに、水中で直進する原理について、 平田博士は、物理学的には、次の原理を考えました。

「細長い小さな板きれの真ん中あたりに指をあてて、水の中を押してみると、板は必ず指で押す方向に直角になろうとする。もし、すこしでも板がななめにかたむくと、前方に出た方の板の端にはたらく水の抵抗が、後方にさがった方の端にはたらく抵抗よりも大きくなるので、板のかたむきはもとにもどされる。このことは、捕鯨もりにも応用できそうである。」

前掲教科書 P71より引用

 
 これらの理論的裏付けによって、考案されたもりが、平頭銛です。
 特に難しい工夫ではありません。
 銛の先を切り落として、平らにした銛です。

 この銛を使った実験が行われました。結果は、見事成功でした。銛は水面でジャンプせずに水に入り、しかも、水中を見事に直進したのです。


 しかし、捕鯨の専門家たちは、この銛を使うことについて、不安を表明しました。いくら水中を直進しても、もう一つ問題があったからです。

 「熱心な砲手は、銛がクジラに突き刺さるようにと、銛の一つ一つをヤスリをかけてとがらせている。そんな銛先を平らにして、果たしてクジラの体に突き刺さるか」、というもっともな疑問でした。

 しかし、これも、博士は大丈夫と思っていました。


「なるほど布きれをさし通す針の先は、よくとがっていなければならない。割ばしでは、手で強く押してもささらない。しかし、それは突きさす速さがのろい時のことだからである。もし、じゅうぶんに大きい速度で突き当てれば、93ミリの平頭でも、パンチで厚紙が打ちぬかれるように、クジラの皮を貫通できるに違いない。」

前掲教科書 P76より引用


 この心配も、まったく杞憂に終わりました。
 先端の平頭部分の直径が100ミリの平頭銛でも、皮の厚いマッコウクジラの体内に、じゅうぶんに深く突き刺さったのです。

 かくて、尖塔銛に変わって、平頭銛が使われ、クジラをしとめる成功率は向上していきました。


太地くじら博物館内にある平頭銛


 さてさて、南紀の海の話、太地のくじら博物館の話は、これで終わりです。

 「いつ熊野古道を歩くんじゃい。」とお叱りが聞こえてきそうな展開です。
 次ページから、熊野古道へ、熊野の山々に戻ります。


<このページで予習・復習に使った参考文献です。>

小松正之著『クジラとの歴史と科学』(ごま書房 2003年)

二野瓶徳夫著『日本漁業近代史』(平凡社 1999年)

小山靖憲・笠原正夫編『街道の日本史36 南紀と熊野古道』(吉川弘文館 2003年)


| 一つ前に戻る | | 次へ進む |