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<アメリカからの情報>

008 アメリカ人の見たラスト・サムライ 2003年12月27日記述 目次へ戻る

 今はすっかり有名となった「ラスト・サムライ」ですが、実は、私がこの映画に特に強く興味を持ったのは、2003年の9月に、アイオワに住むアメリカ人の友人スティーブから次の内容のメールをもらったからです。
「ハリウッドが日本の武士道をテーマにした映画を作ったとのことだ。主演はトム・クルーズ。妻と娘のヒラリーは、是非見に行きたいと言っている。日本では、どんなタイトルでいつから公開されるのだろう。」

 その9月にはちょうどトム・クルーズが来日し、日米の俳優による共同記者会見が開かれたばかりでしたから、スティーブにはその様子を説明するメールを送りました。
 そして、映画のタイトルが「THE LAST SAMURAI」で、明治時代になってからの武士の反乱を描いたものであることを伝えました。

 実はスティーブはアイオワで剣道を習ったことがあり、剣術や武士については、普通のアメリカ人とは違って知識があり、また強い興味を持っているのです。
 1992年に来日したときは、岐阜市の加納高校という学校を訪問し、剣道部の生徒と試合をしたほどです。
  ※スティーブや私の相互研修の話をご存じない方は「1992年の研修」をご覧ください。
  
 メールではまた、セオドア・ルーズベルト大統領と新渡戸稲造の著書「武士道」の話を説明し、アメリカで発行されている「アメリカ版武士道」を紹介しました。
  ※セオドア・ルーズベルト大統領と新渡戸稲造の「武士道」の話はこちらに説明しています。
     クイズ「アメリカの独立・発展1」、現物教材「武士道」

 したがって、彼は十分な予備知識を持って、「ラスト・サムライ」を見るはずであり、その結果として、どんな感想を持つのかは、私にとっても興味深いものでした。
 
 ちょっと脱線です。
 スティーブの家の航空写真が届きましたので、掲載します。 


 2000年の6月27日に、スティーブの叔父が自分の飛行機から撮影したもの。右はそのアップ。北の空からの撮影。

 木々に囲まれた茶色の屋根の部分が住居。白い大きな建物は馬屋。小さな白い屋根の建物は道具置き場の小屋。白いフェンスで囲まれた部分がスティーブ・ハンソンの土地。

 馬屋と住居の北側の縦長の緑の土地は馬の放牧場所。私もここで、乗馬した。100メートル近い直線を馬が結構力んで走ると、乗っている素人は、もう、大変な恐怖となる。

 フェンスの北側の濃い緑の部分は、トウモロコシ畑。
 フェンスの西側に1軒、道路を挟んだ南側に1軒、隣家が見える。

 ハローウィンの時は、娘たちは、もっと遠くの家まで御菓子を「せびり」にいく。


 閑話休題です。
 
 ラスト・サムライは、12月6日、日米同時公開となりました。
 12月20日の晩、我が家より2週間遅れて、スティーブ・ハンソン家の面々(彼と妻のメアリーと次女ヒラリー)は、デモイン市内の映画館へ行きました。
 メールは、早速、12月21日の届きました。

 次女のヒラリーの感想は、「すべて良かった」。
 トム・クルーズファンの彼女は、トムが出演するだけで満足なはずですから、これは、当然と言えば当然な感想かもしれません。
「娘は、日本人の精神について非常に興味を持った。その律儀さと言ったものが気に入った。」とスティーブは書きました。

 妻のメアリー(中学校の地理の先生)は、やはり、最後の戦闘のシーンのクライマックスが印象深かったと言っています。
 つまり、渡辺謙演じる反乱武士の首領、勝元が連発ガトリング銃で倒れようとするところで、政府軍の指揮官が連発銃の使用を中止し、さらに、倒れた勝元に対して政府軍将兵がみんな土下座して、その死の荘厳さを讃えるところです。

 さて、スティーブですが、いろいろ知識がある彼は、まずいろいろな疑問が生じました。

 「武士の反乱に本当にアメリカ人が参加していたのか?」
 といった、史実とフィクションの混同(誤解)もありましたが、次の質問はなかなかのものです。
 「小雪演じる妻の子どもが、トム・クルーズ演じるアメリカ人大尉に渡した巻物の意味は何か?」

 子どもが習字紙に「侍」と書いたものを渡すシーンの解釈を聞いているのです。ここでは、子どもの書いた「侍」と言う文字を通して、トム・クルーズが侍の精神を理解していく部分の象徴として使われています。

 「今日も家族で、昨日の映画のいくつかのシーンについて、話をしている。日本の文化、日本人の所作、いろいろなことが感動的で、本当にいい映画だった。」

 スティーブは最後に書きました。
 「実は、家族と違って、私一人が強く印象に残っているシーンがある。
 それは、トム・クルーズが、小雪が演じる妻や子どもたちと食事をするシーンだ。その時の、小さい子どもたちの仕草が、とても印象に残っている。
 何故なら、そのシーンは、私に、1992年私が初めて日本に行って、きみの家に宿泊して、きみの妻や家族と初めて食事をした時のことを思い出させるからだ。
 初めての日本の食事、わからない日本語・・・。何とも言えない緊張感の中で、きみの息子たちのcuteな顔が、私を和ませた。」

 映画が、私たちの絆をまた深くしました。


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