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<アメリカからの情報>

006 20ドル札の怪とヤンキース松井  2003年05月24日記述| 目次へ戻る |

 我が友人、アイオワのスティーブは、民主党支持者です。ブッシュ大統領のタカ派振りや、ラムズフェルド国防長官、ウォルフォウィッツ国防副長官らネオコン(ネオコンザーバティブ、新保守主義者)の対外強硬論には我慢ならないと思っている一人です。
 もちろん、イラク戦争についても、「なんの疑問もなく戦争は正当だ」とは思っていません。
 さらに、ブッシュ政権は、教育予算を減らしつつあり、そのため全国的に教員の給料が減らされる傾向にある中では、スティーブの辛口批判もますます顕著になる今日この頃です。
 この中で、教員の給料については、もう少し確認のメールやり取りをして、またいつか向こうの事情を報告します。

 今日は、彼からの情報で得られた二つの面白い話をします。
 
 ひとつは、20ドル札の怪です。
 下は、今使われているアメリカの20ドル札の表裏です。

表の政治家は、ジャクソン大統領

 裏はお馴染みホワイトハウス

 表のジャクソン大統領というのは、ワシントンやリンカンやルーズベルトといった超有名大統領とは違って、高校の時に世界史をちゃんと勉強した人でないと知らない人です。

 アンドリュー・ジャクソン第7代大統領は、1828年の選挙で選ばれた人物で、翌1829年から1837年まで、2期8年間
にわたってその地位にありました。日本で言うと、江戸幕府の天保の改革の直前の時代です。

 この大統領は、それまでの6人と違ってアメリカ史上初めての西部出身の大統領でした。
 アメリカはこの時次第に西部へ西部へと広がっていく時代でした。植民地時代からの伝統がある東部(独立当時の13州)と違って、西部は本当に実力主義の社会でした。ジャクソンの政治はそれを背景として、東部の伝統的な資本家や実力者の影響を抑えて、社会の平等化を進めました。これによって、アメリカの民主主義はさらに前進しました。この時代のこの流れを、ジャクソニアン・デモクラシーといいます。

 というふうに話を進めてきましたが、この20ドル札の怪には、ジャクソン大統領は関係ありません。(^.^)

 裏面のホワイトハウスの図柄の方が、問題です。
 普通に見ればちゃんとしたホワイトハウスですが、これを、右のように折り畳みます。

 つまり、半分に折って、さらに、これを裏側へ90度角度を変えて折ります。
 
 すると、下の2枚のように、野球のホームベース型をしたものができあがります。

 Aは元の札の裏側の下半分の図柄が見えるようにして折ったもの、Bは逆に、元の札の裏側の上半分が見えるように折ったものです。

 さて、これが何見えるでしょうか?

A 下半分が見えるように折った図柄

B 上半分が見えるように折った図柄

 なんと、Aは2001年9月11日の同時多発テロ事件で炎上する、ワシントンのペンタゴン(アメリカ国防総省)の図だというのです。
 そう見えますか?

 ということは、もちろん、Bは、あのニューヨークのワールドトレードセンタービルの炎上の様子というわけです。

 さしずめ、日本のTVのワイドショーなら、「20ドル札はあのテロ事件を予言していた」とでもタイトルされるでしょうか。

 なかなか面白い想像だと思いますが、いかがでしょうか。

 これは、アイオワ州の地元新聞、「デモイン・レジスター」の2002年9月某日に掲載されたものです。
 (デモインは、アイオワ州の州都です)
  ※戦後直後の発行された日本の「拾圓札」のデザインにも面白い解釈があります。まだの方はこちらへ。

 もう一つの話題です。
 ニューヨークヤンキースの松井選手は、その一挙手一投足が注目を集め、イチロー選手と並んで日本のスポーツ報道の大きな部分を占めています。ちょっと過熱しすぎと思われるぐらいです。
 おかげで、日本では阪神タイガースが、1985年の優勝以来の18年ぶりの快進撃を続けているのに、紙面の扱いは、相対的に小さくなっていると思いませんか?
 
 日本のメディアによるとニューヨークでは、すでに松井は超人気もので、松井関係グッヅは相当な売り上げだそうです。その分、最近の今ひとつの活躍に対しては、そろそろ辛口の批評も出てきているそうです。

 ここで、いつもの確認です。
 だからといって、松井選手が、全米でよく知られていると思ってはいけません。アメリカは大きな国です。確かにニューヨークは人口が多い町ですから、そこに住む人々がよく知っていると言うことなら、人数的には、たくさんの人が知っていることになるでしょう。しかし、全米の人が知っているわけではないのです。

 また、スティーブに頼んで、アイオワ州デモインのリンカン高校の生徒に尋ねてもらいました。
「きみたちは、ヤンキースの松井という日本人選手を知っているか?」

 アイオワでは、日本の総理大臣の名前を知っている生徒は普通はいません。松井はどうなんでしょう。
メールの返事は、「they were unaware of him」(彼らは知らない。)でした。
(さすがに3年目のイチロウは、みんな知っているとのことでした。)

 ちなみに、デモイン・レジスターのWebサイトで、「Matui」、「Matsui」を検索してみましたが、1件もありませんでした。

 アイオワ州には、メジャー・リーグの球団はありません。隣の州の、シカゴ・カブス、カンザスシティー・ロイヤルズなどのニュースは新聞に載りますが、ニューヨークヤンキースのニュースは、特別扱いにはなっていないと言うことでしょう。

 ワールドシリーズにでも出て大活躍でもしない限り、松井は全米的に認知されないということでしょうか。 
  



007 アイオワ・リンカン高校の事件  2003年10月11日記述| 目次へ戻る |

 ご存じのようにアメリカでは、9月に新学期が始まりました。

 今年度も、アイオワ州に住む友人、スティーブン・ハンソンは、州都デモインのリンカン高校の世界史と経済の教員です。
 彼の学校での出来事を報告する前に、ちょっと脱線です。

これは、彼女が42歳の頃、今から10年前の写真です。あしからず。

 「今年度も」という表現は、日本と少し意味が違います。
 日本の公立高校の教員の場合なら、「今年度も」というのは、転勤することもなく、今までと同じ高校に勤務するという意味になるでしょう。しかし、アメリカでは、日本のような転勤はありません。
 その代わりに、毎年毎年、管理者である校長と契約を結びます。

 つまり、「今年度も」というのは、彼の場合は、今年度もリンカン高校で働く契約を結んだと言うことです。

 彼は、今年度は、基本給年俸54,000ドルで契約を結びました。但し、これは、7月・8月を給与対象の月に含んではおらず、10ヶ月分の給料です。

 右の写真ですが、魅力的な女性は、スティーブの妻のメアリーです。
 彼女は、一時期を除いてずっと中学校の地理の先生です。
 美人なのはわかりますが、この写真は何なのかというと、なんと、彼女が副業としている「モデル」の営業用の写真なのです。
 簡単いえば、売り込み用の特別な写真なのです。(10年前にもらったまま忘れていましたが、荷物整理をしていたら出てきたので、独占掲載です。(^.^))

 彼女は、数年前まで、40代の間中は、れっきとしたモデルでした。
 日本の先生にだって美人はいます。
 中年になっても美しい方はおられます。私の職場にもそうなれそうな人が一人いますが、どう考えても、日本では教員が副業にモデルというわけにはいきません。
 アメリカでは、「教師」は普通の職業の一つですから、副業にモデルをしようが、何の非難もありません。

 さて、本題です。
 スティーブの勤務するリンカン高校では、9月下旬から10月上旬にかけて、事件が相次いでいます。

 9月の下旬には、アジア系の生徒3名が自動車事故で亡くなりました。
 ドライバーは16歳でしたが、無免許ではありません。
 アメリカでは、16歳ならOKです。但し、免許を取ってまだ2ヶ月の時点での事故でした。スピードを出しすぎてカーブを曲がりきれず、「竜巻警報」のサイレンを発するポールに激突したのです。(「竜巻警報」というのが、これまたびっくりです。)

 3人の葬儀は、保護者たちの要請で、学校の体育館を借りて行われました。葬儀は3時間続き、2500人が参加したそうです。
 同じアジア系の生徒を始め、多くの生徒が彼らの死を悼み、また動揺しました。 
 10月2日になってすぐ、2番目の事件が起きました。
 Billyという生徒が自殺しました。両親の厳しい教育方針と期待に応えられずに、首をつったのです。
  この自殺は自動車事故とは無関係と考えられましたが、学校は、生徒たちが動揺し影響が広がらないよう、先生方に生徒たちの様子をよく観察するように指令しました。

 ところが、心配していたことが起きかけます。
 10月6日の月曜日の夕方、9人の生徒が結んだ「自殺協定」が発見されたのです。きっかけは、コンビニで生徒同士が話していたことを、学校がつかんだのです。
 スティーブたち一般教員には、その日の夜に協定の存在を知らせるメールが入りました。

リンカン高校にあるリンカン大統領の胸像。みんながさわるので、鼻の頭だけピカピカ。私も11年前にさわった。

 校長の決断は迅速でした。
 詳しい調査を行って確証を得た校長は、警察と連絡をとり、7日未明の2時から5時にかけて、該当する生徒9名の家庭へ、警察官を「保護」のために差し向けたのです。
 この処置によって、2名の生徒が病院に運ばれました。自殺の危険性があるほど精神的な動揺があったと言うことでしょう。保護者も校長に感謝する談話を発表していました。
 このニュースは、なんと、その日の「デモイン・レジスター」紙の朝刊の一面に載ったのです。(私は、彼からのメールが届いた後、インターネットで確認しました。http://www.desmoinesregister.com/yahoo news(英語版)にも載っています。

 
 スティーブが感想を聞いてきたので、次のようにメールしました。
「いくら警戒していたとは言え、情報の入手から確認、対応と、まるでアメリカ映画を見ているようなスピードだ。特に、そういうときに、普通に警官が出動するところが日本とずいぶん違う。日本なら、生徒指導部長・学年主任・担任が動くのだろうが、いくらなんでも、その程度の情報で、真夜中の2時には動けないだろう。

 彼からは、反対に次のようにメールが来ました。
「校長の判断は正しかったと思うが、アメリカでは日本とは反対に、管理部門が情報を独占して、普通の教員には何も情報が来ない。自分の学校の事件を新聞で知るというのも、残念なことだ。
 おまけに、次の日は、教師も生徒もマスコミの取材攻勢にあった。
 早く平穏な日々が来ることを望みたい。」

 リンカン高校では、年間計画に従って、10月15日・16日に保護者との懇談会が開かれます。
 これ以上何も起こらないことを祈るだけです。   


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