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E 樹海で思うこと−おわりに− | 目次へ戻る |     

 西湖蝙蝠穴(地図上の)を探検した我々一行は、右の地図の点線で示された遊歩道を通って、スタート地点、野鳥の森公園()へ戻ります。

 本日の行程の最後の部分です。
約1.7km、疲れていたことと、登りの部分が結構あって、35分かかりました。

 この部分は、青木ヶ原樹海の西湖に近い部分であり、北辺にあたります。
 また、本日のルートで最初に通過した風穴や氷穴にがある部分と比べると、地形的には富士の裾野を北に下った所であり、標高もやや低いせいか、樹海の森の明るさも、ずいぶんと明るく感じます。

 また、遊歩道自体も、歩行者が歩きやすいよう、もともとの溶岩の上に、木のチップが敷かれていて、とても快適です。  

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  地図上のEからAに向かう遊歩道(点線で示された道)。鬱蒼と茂っている点は同じでも、樹海の南部とはやや植生が違い、森の中は明るい。
 遊歩道は木片が敷かれていて、南部のそれの溶岩むき出しの道に比べれば、とても歩きやすい。
 もちろん、溶岩流の上に樹林であることには違いはなく、他の部分と同じように、溶岩が作る奇形があちこちに見られる。
 下はその一つ、英(はなぶさ)という名前が付けられた小さな洞穴。 


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 元気な息子たちは、とっとと歩いて先に行ってしまい、私と妻と後から追いかけることになりました。

「松本清張の小説、「波の塔」というのを知っているかい?」

「知らない。」

「1960年が初版の、松本清張初の恋愛小説だ。今もカッパノベルスから出ている。」

「それが、どうしたの。」

「その小説の最後で、主人公の若い人妻がこの青木ヶ原へ入って自殺する。定説では、それが、青木ヶ原樹海が自殺の舞台となった最初だそうだ。」

「へぇー、流行のきっかけとなったということね。」

「正確には、そのあとで作られた同じ名前の日活映画で有名になったというべきかもしれない。有馬稲子って美人の女優がいるだろう。最近はあまり映画では見かけないけど。彼女が主演していた。」


 この小説には、樹海を描写したところが2カ所あります。

 最初の部分は、人妻頼子が恋人の検事小野木から、身延線沿線の温泉へ向かう途中、車内で樹海の存在を教えてもらうところです。
 もちろん、その時点では、自殺するなどと言う彼女自身の未来は見えていません。

「富士山まで、近いんですか?」
 頼子は珍しく子供っぽい質問をした。
「河口湖まで一時間です。富士登山はそれから山麓までバスで行くんですが……ぼくは、この汽車の途中がいいと思いますね。」
「何がありますの?」
「裾野を覆っている樹林ですよ。迷いこんだら生きて出られないくらいの樹海があるんです。今日のよぅな暑い日だと、炎天に燃えて、むんむんするくらいな痩気を感じるんです。」
 小野木は学生時代に友だちと、やはり夏に、そこを歩いたことが・ある。そのときの記憶を言うとと、頼子は、目をみはっていた。
 乗っている汽車が出て、急な登りにかかると、頼子は草いきれが窓にも打ってきそうな近い斜面をながめていた。
「いつか−」
と頼子は小野木に言った。
「そこに連れてってくださらない。」
 頼子は、まだ樹海のことを目に空想しているらしかった。
「そんなところに行って、どうするんです。」
「だって、小野木さんが、今、いいところだとおっしゃったわ。」
「それは、そうですが、普通ではおもしろくないところですよ。」
「わたし、そういうのを見るの、好きなんです。」
 小野木が、驚いたのは、その言い方の強さだけではなく、頼子の心にそんな願望があることだった。」
 ※同書P142


 そして、もう一カ所は、不倫が破局を迎えて、頼子が樹海へ入っていくシーンです。
 1960年というと、東京オリンピックが開かれる4年前、日本経済はこれからやっと高度経済成長の時代へ向かうという時代でしたから、富士五湖周辺もまだあまり観光地化されていなかったようです。
 小説の中でも、河口湖に周辺は観光客が多いが、西湖の周辺はまだ開けていないと表現されています。

 小説『波の塔』カッパノベルス、初版第1刷は1960(昭和35)年、かの有名な60年安保闘争の最中の6月30日年に発刊されました。
 写真のものは、2004年4月5日発行の初版第105刷。ロングセラーです。
 本文だけで548ページの大作ですが、単純な恋愛小説ではなく松本清張ならではのラブサスペンスですから、一気に読めてしまいます。
 ただし、筆者が松本清張であるせいからか、それとも今から40年以上前の小説だからか、不倫といっても、情交の場面の描写などはほとんどありません。
 『失楽園』など渡辺淳一の小説をイメージして読むとあてがはずれます。



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 静かなものである。そこに立って潮を眺めると、対岸が茶褐色の溶岩だった。樹林がその上に立ち、それから裾野の方まで果てしなく海のように広がっていた。
 樹木の先はほとんど高低がなく、広漠とした面積にわたって均らされていた。これが人間を圧倒していた。もし、風雨がこの巨大な密林に降りそそげばどうなるだろう。樹海は怒り、波浪のように揺れ、音を起こし、吼え、轟くに違いない。そのときの原始の形相が、頼子に幻視を起こさせた。
 いま、湖面は、波一つなかった。魚もいないのか、皺一つなかった。
 頼子は、これほど孤独な湖を見たことがない。正面に富士山があったが、これまで見なれた富士山と違って、太古のままの火山だった。茶褐色の溶岩の岸と、その上に広がっている樹海の濃いオリーブ色とが、湖のふちに映った。原始の山と、林と、湖とが荒々しく対立していた。
 (中略)
 青年が、案内書を持ってきて見せた。
 − 樹海には、ブナ、ケヤキ、イチイなどの木々が、散乱する溶岩の裂け目に鋭く根をおろし、立ち枯れの木は白い木はだをむきだし、ヘビのように横たわる倒木は、千古の苔を宿した人跡未踏の原始密林である。この中に迷いこむと、死体も発見できない。」

 ※同書P544〜P546


「松本清張は、樹海を『太古からの原始林、自殺しても死体は見つからない』と表現しているんだ。これが、自殺者にとって魅力と映ったのではないだろうか。とにかく、現在も、たくさん人がここへ自殺にやってくる。」

「へぇー、そうなの・・・。でも、やっぱり、こんなとこで亡くなったら、死体って見つからないでしょう。」

「いや、本当に見つからないのなら、自殺者が多いってこともわからないはずなのだ。ところが、これがね、結構ご遺体が発見されるものだから、却って有名になった。」

「人知れずってイメージじゃないのね。」

「遊歩道から、50メートルも入るともう前後左右どっちかわからない密林となるから、その辺で自殺する人も多いらしい。この中を50メートルも行ってごらん。もうそれ以上は行こうとは思わなくなる。」

「50メートルって、あの辺じゃない。近いわね。」

「しかも、見つかった死体は、やはり死体だから、まあひどいものらしい。本に書いてあった。」


 前にも引用した監察医の上野氏は、合同大捜索で遺体が発見されたときの様子を、次のように書いておられます。

 観光客が散策を楽しむ遊歩道からはずれた、だれも通らない、通れない、道なき道を百メートルは入った場所である。普段は静寂に包まれていたであろうその空間は、このときばかりは遺体発見の報を聞いて駆けつけた捜索隊員でちょっとしたにぎわいを見せていた。その喧騒に、人垣の隙間からわずかに見える白い物体が、なかば安堵しているようにさえ感じたのは私だけであろうか。
「先生、もう白骨化してるんですか?」
 というスタッフの問いかけにうなずきながら、私はあたりを丁寧に見渡した。目を凝らして見ると、人骨らしき白い物体が、数カ所に散乱していたからである。
 数名の捜査隊員が、白い物体を取り囲むように集まってきた。その頭上二メートルぐらいの高さの枝に、汚れてポロポロになったサラシのような布地が輪をつくっていた。状況から察するに、ここで首吊り自殺を行ったが、時を経て腐敗した死体は地面に落ち、野犬かなんかに好き放題に食い散らかされたに違いない。
 都会の喧騒を離れて、人目に触れずに雄大な大自然の中で最期を迎える樹海での自殺は、ロマンチックな死に方だと広く思われがちである。しかし、その実態は、美しいイメージとはあまりにもかけ離れたもので、大自然の営みである食物連鎖の中で動物や昆虫に食い荒らされて野ざらしにされたままに朽ち果てていく、むごたらしい死に方以外のなにものでもなかった。
 ここを死に場所に選んだ人たちは、果たしてこの実態を理解しているのであろうか。」
  ※上野正彦著『自殺死体の叫び』(ぶんか社 2000年)P14
 
 監察医の先生の、冷静な描写です。もちろん、自殺には否定的な考えをおもちです。  
    

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【2009年8月29日 追記】
 ページ32も引用した樹海近くに住む早野梓氏は、樹海の「魅力」を次のように書いています。

 人類は森から生まれた
 青木ケ原樹海は、「日本人の象徴的存在の富士山」にある。「自殺志願者にとっては死を覚悟するには適度な距離」がある地域である。何よりも「森」である。また「地球の根源とも関わるのマグマの噴出した熔岩台地」にある。かつて地球はマグマの海だった。青木ケ原樹海が他の森とは何か異なることは確かだ。青木ケ原樹海で自殺者が多いのには、そんな理由があると分析する人もいる。
 ミトコンドリア説によれば、人間は、アフリカの森から誕生した。
 好奇心旺盛の人類は、森からサバンナに進出した。それが、二足歩行の人類誕生の一歩であった。サバンナに進出したから二足歩行となった。二足歩行は、人類の脳を「頭」という部分に集中させ肥大化させていった。森とは違い、隠れる場所のないサバンナでは、他の動物の犠牲にならないようにするために、道具を造る知恵が必要となった。人類の脳は地球時間から見れば短時間のうちに爆発的に発達していった。隠れ場所を持たない非力な人類には、何よりも知恵が武器であった。
 そういう意味では森は他の脅威動物から隠れるという重大な生命的要素を持つ。
 人類は、地球のアチコチに進出して行ったが、どこに行っても、「森」は人類の「故郷」であることは、記憶の奥底からは消えないのだろう。青木ヶ原は、そんな「森」として、人の根源的生命のモトが、より濃く凝縮していると言えるのかも知れない。しかも世間を脅威と捉える人には、大量の大きな熔岩を、何らかの防壁と感じて、脅威から逃れられる好ましい空間と思ってしまうのかも知れないのだ。だから、樹海に人が魅かれるのだろうか。」

   ※早野梓著『青木ヶ原樹海を科学する』(批評社 2006年)P149−150 

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「もう、こんな話はやめよ。なんか気持ち悪い。」

「そうだな、森林浴じゃなくて、怨霊浴になったりして。」

「いや。」

 歩くうちに森は開け、我が一行は無事、スタートした野鳥の森公園に戻ってきました。

「はぁーい、本日の探検は終わり。富士山麓の自然を満喫できて幸せだったと、日記に書いておこう。」

「気持ちよかったけど、疲れた。」

「さあ、車に乗るぞー。念のため、乗るときは、肩や背中になんかとりついてないか確認しよう。」

「はぁ??」

「・・・・・(-_-;)」

 2004年上半期の直木賞候補の中に、田口ランディさんの『富士山』が上がっていました。富士山をテーマにした4つの短編を集つめたものですが、その中に、「樹海」という作品があります。
 樹海で一晩過ごすという冒険を企てた中学3年生の少年たちが、最後は、富士山から生きることの大事さを教えられるというストーリーです。
  ※田口ランディ著『富士山』(文藝春秋 2004年)
 
富士は、本来は何かエネルギーを与えてくれる神々しい山なのです。

 青木ヶ原樹海は、本当に素敵な自然を味わえることができる場所です。
 自然を楽しむ以外の目的では、ここには、来たくないですね・・・。


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