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C いざ樹海へ   | 目次へ戻る |                     

 青木ヶ原というと、何かそれすべてが秘境のようなイメージがありますが、実は、その中には、何本かの遊歩道が走っています。
 私たちは、樹海を一周するコースを選択しました。
 出発点は、野鳥の森公園駐車場です。
 
 次の地図をご覧ください。野鳥の森公園から時計と反対回りに樹海をぐるっと回ってまた野鳥の森公園に戻るコースです。


 の経路で探検しました。
 次の図は、ルート間の距離と所要時間です。歩行時間は時計で正確に計りました。距離は、現地の看板の案内などから調べました。

 野鳥の森公園、この時の富士山頂は雲の中。 樹海遊歩道の入口。元気に出発。

 遊歩道。天気いい昼間なら、迷うことは、絶対ない。

 「お〜い、迷子になるなよー。」

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 「昼なお暗い樹海」というイメージがありましたが、樹木はうっそうと茂っているものの、それほどの密林ではありません。インドネシアの熱帯ジャングルというのとは違うのです。
 基本的には溶岩の上の森ですから、保水力があまりありません。
 この日は朝まで雨が降っていたはずですが、わき水もないし、普通の森特有の湿っぽさはありません。
 遊歩道には200mごとに、右の写真のような道しるべがあります。遊歩道に沿って歩いて行けば、目的地にちゃんと付けます。
 


 森の奥はさすがに不気味です。


D

 「とーちゃーん、あそこに何か落ちている。」

 3男Dは小さい頃かあちこちからいろいろなものを拾ってくる習性があって、この時も、めざとく何か見つけたようです。
 普通なら、特に何も思わないところですが、はっと思い出しました。前項で引用した監察医の上野正彦氏の本の一説です。

 「樹海での自殺を見続けてきた地元の人たちの話では、自殺志願者たちは森の奥深くに入るとき、手に持っているバッグなどの荷物をひとつひとつ捨てていくそうである。身元をわからなくするという単純な意味の行動ではなく、そうすることで、この世への未練を断ち切ろうとしているに違いない。」

 ※上野正彦著『自殺死体の叫び』(ぶんか社 2000年)P25 

 もし、Dが見つけたものが、そんな品物の一部だったとしたら・・。 

 「D、だめだだめだ、絶対に拾いに行っちゃいかんぞー。この樹海では、何も拾ってはいかんぞー。」

 ずいぶん予習をしてしまった父と、何も知らない森林浴の妻・息子たちとは、気分が違います。
 とりあえず、2.6km。
 脇目もふらず一生懸命歩いて、最初の目的地、富岳風穴にたどり着かなければなりません。


 野鳥の森から200メートル地点の樹海の森。3枚の合成写真。もし中に入れば・・・・。

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【2009年8月30日追加記述】
 樹海のそばに住んで樹海をまるで自分の庭のように思われている早野梓氏は、つぎのように書いています。

 「 樹海散策
 ある日、東京から粋のいい若いマスコミの方が来られたので、私は、鳴沢氷穴と富岳風穴間の東海自然歩道を案内した。すると、その人が、
「こんなにはっきりとした太い道があるのだから、樹海も、たいしたことはない」
と言うので、私は少し意地悪をしてやった。その道を、20メートルほど逸れてみたのだ。そこにはきれいな山野草の花がさいていた。
「ここにきれいな花がありますよ」
というと、その記者はさっそく、その花に向かって、写真を撮り出した。その隙に、私は太い樹木の陰に身を隠した。
「さあ、そろそろ戻りましょう」
 と声だけをかけた。
 すると、その記者は、
「お−い、どつちに行けばいいんだよ」
 と大きな声で叫んだ。
 道をちょっと逸れるだけで、大きな熔岩と、密集した樹木のせいで、どのようにそこまで入ってきたのか分からなくなってしまうのである。東海自然歩道は、熔岩と樹木に遮られて、まったく見えなくなる。
人間の眼は、三次元までしか視界に入らない。行く時の光景を覚えたつもりでも、その光景の裏側、つまり帰り道の光景を見てはいないのである。
 うまく目印をつけておいた方がいいが、何においても過信は禁物である。人間の脳の能力では、視界に入るものをすべて記憶できるわけではない。注意を払った視界しか記憶していないのである。まして、視界の裏側は見えていないので、過剰なくらいの注意が必要なのである。
 懲は、道から逸れる場合でこのくらいの距離だと、基本的には、やや斜めに後ろ向きに歩く。どう来たかより、どう帰るかを覚えておく方が大事なのだ。樹木を覚えるのも帰り側から見た樹木の形を覚えることが大事なのである。
 この程度の道でも、大きな熔岩の裏側には、永久の眠りを選択した人がいることが少なくない。熔岩の細い隙間には、かなり古い白骨が発見されることがある。それだけ、人目につきにくい場所ではあるのだ。
 マスコミの若者も死体があるかも知れないと思っているから方角を失うと、たかが20メートルほど道を逸れただけでもパニックに陥ってしまうのである。冷静に考えれば、道のある方が陽の光が多いはずだから、やや明るいはずだし、観光用の道なのだから、誰かが歩いていれば声が聞こえるから、道への方向は分かるはずである。」

 ※早野梓著『青木ヶ原樹海を科学する』(批評社 2006年)P114−116 

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 樹海の中は、平坦な所はあまりありません。もし、遊歩道から踏み行ったら、進むのは難儀です。地面は溶岩と木の根っこだらけです。


 おまけに、溶岩の上にできた森ですから、あちこちに、溶岩の割れ目があります。


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