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井川線・奥泉駅 | 先頭へ ||旅行行程地図へ||旅行日程と費用へ| |
SL列車は金谷から1時間20分余りで、大井川鐵道本線の終点、千頭(せんず)に到着します。 |
写真02-00 1991年の写真 (撮影日 91/08/25) |
写真02-01 崩落現場 (撮影日 11/05/04) |
左:20年前に千頭を訪れた時の写真。C11は依然として活躍しています。 |
井川線は、大井川鐵道本線より遅れ、1954年9月に、千頭から井川村までの全線が開通しました。 |
写真02-02 井川線奥泉駅 井川線の主力ディーゼル機関車DD20形 (撮影日 11/05/03) |
井川駅と奥泉駅との間には、川根両国・沢間・土本・川根小山と4つの駅がありますが、川根両国駅近くで起きた土砂崩れによって、2011年8月まで半年間、両駅間はバス代替輸送が行われました。 |
写真02-03 普通の狭軌です(撮影日 11/05/03) |
写真02-04 奥泉駅構内(撮影日 11/05/03) |
DD20形ディーゼル機関車は、1982(昭和57)年から1986(昭和61)年にかけて6輌が導入されました。現在の井川線の非アプト区間の主力機関車です。小さい車体ですが、ディーゼルエンジンは強力で、他の機関車との重連連結制御が可能な機関車です。多忙期には、10輌の客車を引っ張ります。 |
写真02-05 車内は狭いです(撮影日 11/05/03) |
写真02-06 次はアプトいちしろ(撮影日 11/05/03) |
井川線はもともとダムの資材運搬用の鐵道です。大井川の渓谷をトンネルと橋でぬうように建設されたため、トンネル幅などの関係上、車両の幅は狭くなっています。 |
長島ダム・アプト線 | 先頭へ ||旅行行程地図へ||旅行日程と費用へ| |
井川線の魅力はいろいろありますが、その一つは、日本で唯一のアプト式鉄道が導入されていることです。このアプト式は、まだ完成して21年目です。 |
上の地図は、Google から正式にAPIキーを取得して挿入した、大井川上流部(寸又峡温泉・千頭・接岨峡温泉・井川ダム)の地図です。 |
奥泉駅の次のアプトいちしろ駅に到着すると、これまで後押ししてきたDD20形に加えて、さらに新しい電気機関車が最後尾に繋がれます。これがアプト式電気機関車、ED90形です。 |
写真02-07 アプトいちしろ駅とアプト式機関車ED90形 (撮影日 11/05/04) |
この写真は、井川線に乗車した翌日、寸又峡から千頭へ戻る途中のバスの中から撮影したものです。寸又峡をつくっている寸又川は、奥泉と千頭の間で大井川に注ぐ支流です。バスは、県道77号線を走りますが、この県道は千頭から奥泉の北まで大井川に沿ってさかのぼり、そこから分かれて峠を越えて、西の谷の寸又峡へ向かいます。二つの谷の間にある尾根の峠を越える手前で、ほんの30秒ほど、眼下に大井川鐵道井川線と大井川ダム湖を見ることができます。 |
写真02-08 アプト式専用電気機関車 ED90形 (撮影日 11/05/03) |
井川線はこのアプト式の区間だけ電化されています。この写真の部分がアプト区間の始まりです。鉄道用語でアプト区間のエントランス(入り口)と言います。 |
写真02-09・10 左:アプトの歯です 右:列車の最後尾につながります (撮影日 11/05/03) |
写真02-11・12 左:連結作業です 右:ED901連結完了 (撮影日 11/05/03) |
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ED90形は、DD20形の後に連結されます。この理由は、もしED90形を前に連結して引っ張る形にすると、最後尾のDD20形機関車とED90形電気機関車とで、軽い客車をその間に挟む形になるため、急勾配のアプト区間では、客車の連結器のところで、編成が座屈してしまう可能性があるからです。 |
写真02-13 アプトいちしろ駅のホームの長島ダム側先端 急勾配を登るアプト式線路 (撮影日 11/05/03) |
写真02-14 いよいよ出発です(撮影日 11/05/03) |
写真02-15 高い渓谷です(撮影日 11/05/03) |
後からDD20形とED90形が押している以上、先頭には機関車はいません。しかし、運転手は当然前にいます。 |
写真02-16 押すED90形(撮影日 11/05/03) |
写真02-17 長島ダム堰堤(撮影日 11/05/03) |
写真02-18・19 長島ダム駅 海抜485mです (撮影日 11/05/03) |
写真02-20 長島ダム駅と大井川。川底ははるか下方です。 (撮影日 11/05/03) |
アプトいちしろ駅から水平距離約1.5kmの間に約100mを登りました。 |
写真02-21 アプト式電気機関車の切り離し (撮影日 11/05/03) |
赤い客車は、1962年から1983年にかけて導入された、井川線の主力客車、Cスロフ300形です。 |
奥大井湖上駅 | 先頭へ ||旅行行程地図へ||旅行日程と費用へ| |
長島ダム駅を過ぎると、列車はまたDD20形ディーゼル機関車のみに後押しされて進みます。 |
写真02-22・23 第3橋梁と奥大井湖上駅 (撮影日 11/05/03) |
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長島ダムのダム湖が湾曲している部分に、第3橋梁(長さ283m)と第4橋梁(長さ191m)が架けられ、奥大井レインボーブリッジと称されています。 |
写真02-24 Happy bell(撮影日 11/05/03) |
写真02-25 第4橋梁 (撮影日 11/05/03) |
左:奥大井湖上駅には、「Happy Bell(風の忘れもの)」という記念に鳴らしたくなる素敵な鐘があります。 |
接岨峡温泉駅・関の沢橋梁と大井川 | 先頭へ ||旅行行程地図へ||旅行日程と費用へ| |
奥大井湖上駅の次が、接岨峡温泉駅です。 |
写真02-26・27 接岨峡温泉駅 (撮影日 11/05/03) |
写真02-28・29 接岨峡温泉駅近くの橋 (撮影日 11/05/03) |
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左:駅手前の橋。まだ長島ダム湖の一部で、緑色の水がきれいです。 |
写真02-30・31 谷沿いに山中を行く井川線列車。対岸から撮影。 (撮影日 11/05/03) |
接岨峡温泉駅から歩いて45分余り、大井川の支流、関の沢川にかかる関の沢橋梁をはるかに見通せるポイントに到着しました。ここがその撮影ポイントです。 |
写真02-32 関の沢橋梁を渡る井川線列車 (撮影日 11/05/03) |
関の沢橋梁は、長さは114mとそれほどではありませんが、高さ70.8mもあり、これは鉄道橋としては日本一の高さです。 |
大井川と東西日本 | 先頭へ ||旅行行程地図へ||旅行日程と費用へ| |
ここでこのページの最後として、とてもスケールの大きな学習をします。 |
※例によって、黒板をクリックしてください。答が現れます。 |
1ページでは、「地元の方か社会科の教員でもない限り興味はないことかもしれませんが、上の地図の接岨峡以南は、この川がほぼ駿河(するが)と遠江(とうとおみ)の境をなしています。」と書きました。 |
しかし、今世紀になって大井川鐵道や国道ができる前、江戸時代などにおいては、井川など最上流域の人々が海岸地域と交流するルートは、今とは違っていました。接岨峡の渓谷をぬって、大井川を下ることは事実上不可能で、むしろ村の東の安倍山地を大日峠で越えて、あとは安倍川筋に府中(静岡市)へ出るのが一般的でした。したがって行政的にも駿河に属するのが自然だったわけです。 |
さて、話を本題に戻します。 |
これによれば、見ロ(東日本の表現)と見ヨ・見イ(西日本の表現)の境界線が、駿河と遠江、つまり、関の沢川や大井川にあるということになります。 |
【大井川 鉄道の旅2 参考文献一覧】
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これで1日目の旅は終わりです。 |
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