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 今回は「大井川 鉄道の旅」      | 先頭へ ||目次と地図へ|

 いつも妻と出かける旅行に関して、この4月からは、ちょっと事情が変わりました。
 4月から私が、土曜日曜や休日にも勤務のある職場に移ったため、一緒に金曜日の夜から土日にかけて出かけるという今までの定番のパターンができなくなりました。
 連休の旅行も、長い休みを取って遠くへ行くというわけにはいきませんでした。

「近いところで、いいところないかな?」

「温泉と鉄道、これがあれば、他は何もなくてもいい。」

「それと何かおいしいもの。」

「では、その昔子どもたちといったことがある、大井川鐵道の沿線に出かけよう。温泉と鉄道と、おいしい食べ物ではないかもしれないが、茶畑での茶摘み体験しておいしいお茶をつくるというのもある。前回の讃岐うどん旅行のように、帰ってきてからお茶をつくろう。」

「なんか、また、鉄道中心になりそうだけど・・・。」

「いや、黒部峡谷のトロッコ列車と同じで、中部電力の電気の勉強もできる。原発問題で大騒ぎの折、電力事情を知ることも大事だ。それから、高所恐怖症の私はあまり行きたくないが、吊り橋も二つある。」

「いやん、吊り橋怖い。」

 かくて、岐阜からJRで大井川に向かい、大井川鐵道で、上流の寸又峡温泉にいって宿泊するという旅となりました。





地図01 旅行行程地図へ||説明01 旅行日程と費用へ

「新幹線で静岡県を通って東京へ向かうと、大きな鉄橋を4つ渡るけど、大井川の他は何川の鉄橋かわかるかな?」

「新幹線で東京へ行くときは、ちょうど静岡県を過ぎる頃は行きも帰りも眠っているので、気がつかない。」

「一つはわかるだろう。いつもTVなんかでもおなじみの、富士山を背景に新幹線を鉄橋が渡っているシーンがあるでしょう?」

「そうか、2時間サスペンスドラマだと、東京の刑事が大阪とか京都に出張とか捜査に行く時には、必ず、つなぎのシーンで出てくる場面。」

「そうそう、それが、一番東にある大きな川、富士川鉄橋。
 もう一度西から順にいうと、
天竜川大井川安倍川富士川
 このうち、
天竜川は諏訪湖から伊那谷を通って流れてくる川。富士川も内陸の山梨県から流れてくる川。
 
大井川安倍川は、静岡県の内部、県の北端に源がある。大井川は、静岡県が一番北にとんがった部分、南アルプスの3000m級の山々が源になっている。水量も多い。」

「なるほど。とんがったところね。」


 大井川鐵道始発駅 金谷 | 先頭へ ||旅行行程地図へ||旅行日程と費用へ

 大井川は、南アルプスに源を発し、静岡県中央部を蛇行しながら南進し、最後は、東南へ向きを変えて、御前崎と焼津港のほぼ中間で駿河湾へ注ぎます。
 地元の方か社会科の教員でもない限り興味はないことかもしれませんが、上の地図の接岨峡以南は、この川がほぼ
駿河(するが)と遠江(とうとおみ)の境をなしています。


 写真01-01  東海道線大井川鉄橋             (撮影日 11/05/04)

 駿河東南部の牧ノ原台地をの東端に沿って、大井川は大きな川幅で駿河湾へ向かって流れます。この写真の撮影場所は、大井川の西岸にある金谷の駅から牧ノ原台地へ上がる道のほぼ中程から撮影したものです。川の向こう側が島田です。
 江戸時代には大井川には橋がなく、私人足によって渡河しました。かの有名な、「
箱根8里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と歌われた、大井川の渡しです。
  ※クイズ日本史「江戸時代:大井川の川止めは、水かさがどれだけになったら?」はこちらです。→


 写真01-02  金谷駅 (撮影日 11/05/03)

 写真01-03  金谷駅ホーム (撮影日 11/05/03)

 金谷駅は、JRの駅と大井川鐵道の駅が隣接しています。
 左の写真は駅の正面、北側に当たります。背景は
牧ノ原台地の東端となります。
 右の写真は、
金谷駅の西にある牧ノ原台地をくぐるためのトンネルです。名古屋方面から来ると、トンネルを出るといきなり金谷駅に到着です。
 旧東海道は、この山を越えて西へ向かい、
金谷宿と掛川宿との間の難所、小夜の中山越えへ向かいます。この写真ではわかりませんが、駅の西南側に旧東海道の石畳が残っています。
 一方、東海道線はトンネルを抜けたあと、西南へ大きく迂回し、難所越えを避けて、南の菊川を経由して掛川に向かいます。


 この場所に大井川鐵道という私鉄があるのは何故でしょう?
 大井川鐵道の歴史をひもとかなければなりません。


 ※例によって、黒板をクリックしてください。答が現れます。


 日本の木材需要は、第一世界大戦中に急速に拡大し、その後1923(大正12)年の関東大震災後の復興需要によってさらに大きく飛躍しました。その時点で、奥大井の木材を運ぶ手段を川の筏流しから鉄道へ転換することは、運搬量の飛躍的増大という意味で大きな意義がありました。
 そこで、
1925(大正14)年に大井川鐵道が設立され、1927(昭和2)年には、第一期工事として金谷-横岡間が完成し、1931年には、金谷-千頭間39.5kmが全通しました。その先の、井川線については、2ページで説明します。
 ※参考文献1 大井川鐵道編『大井川鐵道 オフィシャルガイド』(大井川鐵道)P13-14

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 写真01-04 JR金谷駅と大井川鐵道金谷駅(駅南の牧ノ原台地へ上がる途中の坂から)(撮影日 11/05/03)

 大井川鐵道金谷駅は、JR金谷駅の北隣に隣接する、ホーム一面線路一つの可愛い駅です。SLがやってくるということがなければ、本当にごく普通の地味な地方私鉄の駅です。
 この地方私鉄にも、大手私鉄で活躍していた往年の花形車両が再就職しています。停車している薄緑色の電車は、
元南海電鉄高野線で走っていた流線型21001系の特急・急行用電車です。1994(平成6)年にここへやってきました。


 写真01-05-08  金谷駅で購入した駅弁。列車の中でおいしく食べました。 (撮影日 11/05/03)


 写真01-09  ED501に牽引されて入ってきた「SL列車」            (撮影日 11/05/03)

 11時07分発のSL牽引列車が入ってきました。
 金谷に向かうときは、先頭には電気機関車が牽引しています。SLは、この後にくっついていて、千頭行きとなったときの先頭になります。千頭までの間、後ろから機関車が押すわけですから、SLは、の負担はそれほど大きくありません。したがって、川の上流へ登っていくのに、SLはあまり大きな煙は吐きません。


 写真01-10 C11227の後ろ姿(撮影日 11/05/03)

 写真01-11  客車の車内  (撮影日 11/05/03)

 写真01-12   翌日、私の乗車した電車とすれ違うC11 227牽引列車              (撮影日 11/05/04)


 写真01-13    C56 44に牽引されるSL列車、塩郷の吊り橋近くから撮影     (撮影日 11/05/04)


 塩郷の吊り橋 | 先頭へ ||旅行行程地図へ||旅行日程と費用へ

 今回の旅行の楽しみの一つは、大井川水系にかかる吊り橋を渡ることです。
 大井川水系にはいくつかの吊り橋がありますが、そのうちもっとも下流にあり、最も長い吊り橋が、
塩郷(しおごう)の吊り橋です。この橋は、大井川鐵道の塩郷駅の上流150mにあり、大井川東岸の塩郷地区と西岸の久野脇地区結んでいる全長220mの吊り橋です。橋は大井川と大井川鐵道本線と県道77号線をまたいでいます。


 上の地図は、Google から正式にAPIキーを取得して挿入した、静岡県榛原郡川根本町塩郷・久野脇地域の地図です。


 写真01-14  塩郷の吊り橋、久野脇地区のやや下流部から撮影              (撮影日 11/05/04)

 右側(東岸)に県道77号線と大井川鐵道が通っています。塩郷駅はこの写真には入っていませんが、右端の先になります。


 写真01-15  県道下から(撮影日 11/05/04)

 写真01-16  東のゲートです (撮影日 11/05/04)

 塩郷の吊り橋は、大井川鐵道鵜塩郷駅から歩いて3分のところにあります。
 県道から、坂道と階段を少し登ります。
 


 写真01-17   東側から  (撮影日 11/05/04)

 写真01-18  大井川鐵道電車 (撮影日 11/05/04)

 全長220mですから、渡り甲斐があります。
 渡っているときに大井川鐵道の電車が真下通ると、なかなかの迫力です。
 


 写真01-19  西岸から   (撮影日 11/05/04)

 写真01-20    西のゲート (撮影日 11/05/04)

 この2枚の写真は、西の久野脇地区の橋のたもとです。
 私が先に渡り終えて、あとから来る妻を撮影しました。この時間帯はそれほど多くの観光客はおらず、人に邪魔されず、マイペースで渡ることができました。それでも、
高所恐怖症の私は、さっさと渡り終えました。
 こちら側にはいろいろの説明が書かれた説明板があります。
 


 写真01-21・22  西のゲート近くにある説明板です。     (撮影日 11/05/04)

 愛称は、2002(平成14)年に『恋金橋』と決まったそうですが、本当は、西岸地区の地区名を冠して、「久野脇橋」というわけですね。
 注意書きには、「1m以上の十分な間隔を取り、10名程度で通行するように」となっていますが、現実には、多い時には何十人もの人が同時に渡っています。(-_-;)
 


 写真01-23   塩郷駅 (撮影日 11/05/04)

 写真01-24  大井川本流 (撮影日 11/05/04)

 2枚とも、吊り橋上からの撮影です。
 左:
塩郷駅は、橋のすぐ下流です。
 右:吊り橋中央部からの大井川の眺めはなかなかのものです。このすぐ上流にダムがあるため、水が流れている幅はそれほど広くはありません。ただし、そばを人が歩いて通り過ぎていくと、橋が揺れていささか心が乱れます。されに誰かとんでもないやつが、橋の上を駆け足したりすると、かなり不安になります。
 この日は風は吹いていませんでしたが、強風の時は、さらにスリリングでしょう。
 


 写真01-25   吊り橋下を通るSLC56 44 と列車              (撮影日 11/05/04)

 真上から撮影したかったんですが、写真01-13の写真の撮影のあと、レンズ交換に手間取ってしまい、いい場所を取り損ねてしまいました。
 SLは、この橋の真下で盛大に煙を吐く、なんて無茶なことはしません。もっとも、後に電気機関車が後押ししているはずですから、それほどの負担ではないのかもしれません。


 上の塩郷の吊り橋(久野脇橋)のレポートは、旅行1日目の千頭に行く時ではなく、2日目に千頭から金谷に帰る途中に立ち寄った時の見聞をもとにしています。


 大井川鐵道千頭駅 | 先頭へ ||旅行行程地図へ||旅行日程と費用へ

 金谷からSLに揺られて、1時間20分ちょっとで、大井川鐵道本線の終点、千頭(せんず)に到着します。金谷から39.5kmです。
 これから上流へ向かうには、
寸又峡(すまたきょう)方面は大井川鐵道のバス、接岨峡(せっそきょう)・井川ダム方面は、井川線に乗り換えです。


 写真01-26  私たちの列車を牽引してきたC11 227 お疲れ様           (撮影日 11/05/03)


 写真01-27・28  C11 227の機関部分    (撮影日 11/05/03)

 SLは躍動感と迫力の一方で、この細かな細工が、たまらなく魅力です。 


 写真01-29   古いSL   (撮影日 11/05/03)

 写真01-30  元近鉄電車 (撮影日 11/05/04)

 左:SL49616でしょうか。大正時代を中心につくられた9600形です。電気機関車は、E10形のE103です。
 右:翌日、帰る時は
千頭からは旧近畿日本鉄道16000形に乗って塩郷へ向かいました。この元近鉄電車は、昭和40年代から活躍したもので、大阪阿部野橋と吉野間を走っていました。 


 普通なら千頭からは、井川線に乗って上流の接岨峡・井川ダム方面へ向かいますが、今年春に千頭駅のすぐ先で崖崩れが起きて、千頭-奥泉間が普通となっていたため、代行バスに乗りました。奥泉から井川線に乗車です。
 井川線やダム、接岨峡・寸又峡温泉の話は、次のページで紹介します。


 【大井川 鉄道の旅1 参考文献一覧】
  このページ1の記述には、主に次の書物・論文を参考にしました。

大井川鐵道編『大井川鐵道 オフィシャルガイド』(大井川鐵道)


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