この下りは、イギリスの教科書には、次のように書かれています。
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「フランス軍はたちまちのうちに壊滅し、6月25日に降伏した。2週間前にイタFリアの独裁者ベニ卜=ムッソリーニは、彼が勝利の側と考えた陣営に彼の国を引き入れた。イギリス帝国は孤立していた。いっぼうヒトラーは英仏海峡を越えての侵入を準備していた。イギリス人のなかには、そのような状況を絶望的とみなしたものもいた。だが、チャーチルはそうは考えなかった。「いかなる犠牲を払おうとも、われわれはわれわれの島を守り抜くであろう。われわれはけっして降伏しない」と、彼はいった。海岸は有刺鉄線や地雷でおおわれた。教会の鐘は警戒警報を鳴らす時に備えて、静まりかえっていた。しかしながら、ヒトラーの侵攻艦隊が無事に海に乗り出すことができる前に、彼は制空権を獲得しなければならなかった。ドイツ空軍を指揮していたゲーリングは、必要なことはただ「5日間の青天」である、とヒトラーに請け合った。彼らは二人とも予期せぬ成り行きに驚かねばならなかった。
8月はじめに、ドイツ空軍は、イギリス空軍(RAF)と南イングランドの飛行場を破壊するという仕事にとりかかった。しかし、ドイツ空軍ははじめて、きわめて有能な敵軍に向き合うこととなった。すなわち、イギリス側は、海岸沿いにレーダー観測所を備え、ドイツのメッサーシュミット機よりわずかに性能のすぐれたスビットファイア戦闘機が攻撃の先頭に立っていた。数的には劣勢であったけれども、イギリスのパイロットは敵に対して非常に深刻な損失を負わせたので、9月半ばまでにその侵攻作戦は無期延期の状態となった。実質上ドイツのイギリス大決戦は終わった。ヒトラーの計画は、数百人のRAF戦闘機操縦者の手腕と勇気によって覆された。そのパイロットのほとんどすべてが25歳以下であった。「これまでに、これほど少ない軍勢でこれほど多くのものを得たことはけっしてない」と、チャーチルはいった。ドイツ空軍は、イギリスの軍需生産に痛手を与えることを望んで、ロンドンおよびそのほかの主要な都市に対する夜襲に切り換えた。いわゆる電撃作戦(ザ・ブリッツ)は、1941年の春までつづいた。毎夜、サイレンが鳴って、家族に非難−地下室や特別に作られた防空壕や、ロンドンでは地下鉄の駅に−するように警告した。広範囲の破壊にもかかわらず、イギリスの抵抗は揺るがされなかった。」
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R・J・クーツ著今井宏・河村貞枝訳『全訳世界の歴史教科書シリーズ イギリスW』(帝国書院 1981年)P288
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ここには、レーダー観測所とスピットファイアーの優秀性のみが強調されていますが、本当は、それらにもまして、このクイズで問題としているドイツ軍の誤判断による作戦が、戦いの流れを大きく変えました。
その発端は8月24日の深夜に起こった「事件」です。
この日の攻撃にも、ドイツ空軍は爆撃機・戦闘機合計1030機を発進させました。
そのうちの一部は、He111爆撃機による夜間爆撃であり、その目標はテムズ川河口の工場地帯とドックでした。しかし、そのうちの一隊は機の位置を見失い、爆撃目標を発見できず、仕方なしに適当な場所に爆弾を投棄しました。ところが、その位置は、何とロンドンの中心市街地であり、それまで、両軍が控えていた都市への無差別爆撃(軍事目標を爆撃するのではなく、都市の住民そのものを爆撃対象とする)を、偶然にもドイツ軍機が誤って行ってしまったのです。
この事件が、それまでとは違う展開を生みました。ここがこのクイズのポイントです。次の黒板で考えてください。 |