アメリカ独立・発展その2
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<解説編>
 

 【アメリカの奴隷制度・黒人差別に関する問題】 シリーズです その1 その2 

■他の分野の関連クイズ

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803 【アメリカの奴隷制度・黒人差別に関する問題その1】 14/02/08 全面修正
 アメリカで法律によって等しく黒人への政治的差別が撤廃されたのは奴隷解放宣言から何年後?| 問題編へ |     

 高等学校の世界史の教科書として採用数が多い「詳説世界史」(山川出版)の南北戦争後のくだりには、次のようにあります。「アメリカ合衆国の重工業化と大国化
 南北戦争後、荒廃した南部の再建が共和党の主導のもとですすめられ、連邦憲法の修正により奴隷制は正式に廃止され、解放黒人に投票権が与えられた。しかし、南部諸州は連邦軍の撤退をうけて、、1890年頃から州法その他によって黒人の投票権を制限したり、公共施設を人種別にわけるなどの差別待遇をすすめたので、憲法の条項は骨抜きになった。また、解放された黒人には農場の分配がおこなわれなかったので、黒人の多くは、シェアクロッパーとして貧しい生活をおくった。」(p276)

木村靖二・佐藤次高・岸本美緒他著『詳説世界史』(山川出版 2013年)新学習指導要領対応の山川世界史

 つまり、実質的には、南北戦争によって黒人は奴隷の地位からは解放されましたが、法的にも社会的にも差別は続いていました。
 では、いつ差別が正式に撤廃されたのか。
 答えは、1863年の
奴隷解放宣言から101年後です。
 
 1960年代のケネディ政権時代に全米で進められた公民権運動(civil right movement)の結果、1964年に公民権法が成立されます。ケネディ暗殺後のジョンソン大統領の時代です。
 先述の山川出版の教科書はその説明を次のように表現しています。
「ケネディ大統領は、国内では
キング牧師に指導された公民権運動に理解を示したが、1963年11月に南部遊説中に暗殺された。後継には副大統領のジョンソンが就任し、64年に選挙権や公共施設での人種差別を禁止する公民権法を成立させ、「偉大な社会」計画を発表して、「貧困との戦い」を推進した。」
 
 戦後史のくだりには、山川詳説世界史では、この版から、公民権運動の指導者
キング牧師の名前が登場しました。
 映画やドラマでわかるとおり、アメリカの黒人差別は、未だに現代的課題です。それを生徒にリアルに教えるには、前世紀のできごとをいかに現代と結びつけるかが問題です。残念ながら、上述の教科書通りに教えていたら、アメリカの公民権運動を生徒に理解させることは不可能だと思います。教科書に頼らないごく常識的な視点が必要です。
 
 キング牧師は、1963年8月、25万人の人々と平等を求めてワシントンD..C..へ大行進(March to Washington)を行い、リンカーン記念塔の前で有名な「
I have a dream」の演説を行いました。この行進の模様はアトランタのキング牧師博物館に等身大の人形を使って再現されています。
   →「Martin Luthur King Jr National Historic Site」http://www.nps.gov/malu/index.htm
 彼は1964年にノーベル平和賞を受賞し、1968年に暗殺され、39歳の短い生涯を終えました。
   →「アメリカとの草の根交流 素晴らしきアメリカ(リンカン記念堂)」へ


806 【アメリカの奴隷制度・黒人差別に関する問題その2】
 アメリカ合衆国
ヴァージニア州政府が、奴隷制度について、公式に謝罪したのは、西暦何年?  | 問題編へ |     

 このことについては、高等学校の教科書には全く触れられていません。上述の、公民権法の制定が1964年でしたから、もちろんそれよりはあとのことだと推定しなければなりません。

 ヴァージニア州が全米の各州の先頭を切って、奴隷制度への公式謝罪をしたのは、
2007年2月、つまり、1863年の奴隷解放宣言から、なんと144年後のことでした。
 以下の内容は、それを伝える、「
The Washington Post」(2007年2月25日)のデジタル版からの引用、紹介です。
  ※http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/02/25/AR2007022500470.html
 
 2007年2月24日(土)、アメリカ合衆国ヴァージニア州の州都
リッチモンドにおいて、同州議会下院・上院は、アメリカの州議会としては初めて、州の政治として奴隷制度にかかわったことについて、深い遺憾の意を表し謝罪する決議を、全会一致で可決しました。なお、この決議には、先住民のアメリカインディアンに対して搾取を行ったことについて、謝罪する内容も同時に含んでいます。
 決議においては、南北戦争後は、州政府がアフリカ系アメリカ人に対して、人頭税の付加と読み書き能力テストを課すことによって事実上選挙権を制限したこと、1950年代においては、教育の場において白人とアフリカ系アメリカ人との隔離政策を進めたことなどが説明され、それら人種的偏見・差別を克服する一連の施策の総決算として、この公式謝罪がなされたことが示されています。

 ヴァージニアは、高校の世界史の教科書にも登場するアメリカ合衆国史上有名な州で、イギリスが北アメリカにおいて最初に植民地
ジェームズタウンを建設した場所です。
 
ジェームズタウンは1607年に建設されており、2007年は、その開闢400年の記念すべき年でした。決議は、その400周年を祝う祝典の後になされたものでした。
 決議の説明によれば、1619年にはアフリカから初の黒人奴隷が到着しており、ヴァージニアは自身が奴隷制度を続けたばかりか、アフリカからの奴隷をアメリカ南部各地へ搬送するハブの役割を担っていました。
 ヴァージニアは、南北戦争においては南軍の中心となり、アメリカ南部各州によって結成された
アメリカ連合国の首都はこのリッチモンドに置かれました。
 そういう意味では、このヴァージニア州が、リッチモンドの州議会で奴隷制度に公式に謝罪したことは、どこの州が行うよりも大きな歴史的意味があったといえます。
 




 これが契機となって、アラバマ、メリーランド、ノースカロライナ、ニュージャージー、フロリダの各州も公式謝罪を行いました。
 そして、翌2008年には、アメリカ合衆国下院において、「奴隷制と20世紀後半にまで続いた人種差別・隔離政策について、アフリカ系アメリカ人に謝罪する決議を行いました。
 この事実は、二つの点で意義があると思います。
 一つはどれだけの年月が過ぎていようが、悪いことは悪いと謝罪するという倫理観のすがすがしさです。アメリカ民主主義の魅力でしょう。
 もう一つは、言うまでもなく、人種差別・偏見の解消には、悲しいぐらい長い時間が必要だということを示している点です。 
 


 おまけです。
 このクイズは、奴隷解放の側の文献から探し当てて構成したものではなく、実は、
ハーバード白熱教室で有名なマイケル・サンデル教授の『これからの「正義」の話をしよう』(早川書房 2010年)の記述をヒントに、構成したものです。
 
 
サンデル教授は、過去の歴史に対する謝罪に関しては、実行すべきという意見と「現代の人間には過去のことを謝罪する義務」はないという二つの対立する意見があることを指摘し、それを説明する具体的な事例のひとつとして、アメリカにおける奴隷制度への謝罪を取り上げています。
 この本は、「正義」とはどうあるべきかという大変難しいテーマを取り扱ったものです。政治哲学というのは、抽象論だけで話が進むと、10ページも読み進めないうちに、挫折してしまいます。
 しかし、このサンデル教授の著書には、たとえ話と具体例が非常に多く挿入されており、大変わかりやすい本となっています。

 サンデル教授は、この本の中で、ベンサムのような最大多数の幸福の実現を社会の尺度として重視する功利主義の哲学、およびカントを初めとする理性尊重の自由と選択を重んじる哲学(リバタリアンの自由主義も含む)の限界を指摘しています。
 そして、自らは、コミュニタリアンとして、コミュニティの歴史や伝統に規制される共通善を考慮に入れた思慮と施策こそ正義の実現であると主張しています。
 その一つが、奴隷制度をはじめとして、過去の過ちに対する謝罪です。

 正義として、これから何を大切にすべきか。また、これからの政治哲学としては、なにが必要かという視点から、この本は読んで価値のある一冊です。
 説明に使われている具体例を学ぶだけでも、面白いですよ。
 


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