お待たせしました。ここでやっと問題の正解を示します。
正解、幅広い人材登用のきっかけとなった制度は、江戸幕府第8代将軍徳川吉宗による享保の改革で始まった足高の制(たしだかのせい)です。(1723年から実施)
教科書的には次のように説明されています。
「旗本の人材登用にあたっては、大番頭5000石、大目付・町奉行・勘定奉行3000石など役職による基準(役高)を定め、それ以外の禄高のものが就任する時、在職期間中のみ不足の石高(役料)をおぎなう足高の制を設けた。」 |
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石井進・五味文彦・笹山晴生・高埜利彦他著『詳説日本史』(山川出版 2004年)P197 |
この制度を十分に理解するためには、現在とは異なる封建時代の仕組みを理解していなければなりません。
大名の藩を例に説明します。
大名を補佐して藩政を動かす役職に「家老」というのがあります。かの有名な忠臣蔵の大石内蔵助は、播州赤穂藩浅野家のの家老です。この家老の職に就くのは、どの藩でも、ほんの数家の家臣に限られています。そして、その各家の禄高は、1000石とか500石とか、世襲制によって、代々受け継がれていきます。そのため、ある家老家にあまり有能ではない当主が現れてしまっても、そこで大きな失敗でもしない限り、禄高はまたその子どもに受け継がれていきます。ここが封建制の一番本質的なところです。
もし家老の家が5家あって、誰も有能ではないことに苦悩した大名が、人材抜擢(登用)を決意し、次の中老クラスの家柄から3人ほどを家老に抜擢したらどうなるか。たとえば、200石だったその中老家の禄高は、家老になることによって500石以上に格上げになります。出世したのですから当然です。そして、ここが大事なところですが、世襲ですから、次の世代にもその禄高は受け継がれていきます。つまり、次の世代になると、本来の家老家の5家と、先代に新しく家老に抜擢された3家と、禄高という観点から言うと、8家の家老待遇の家が出現してしまいます。ここが世襲制の面白いところです。この原理がすべてに当てはまるわけですから、封建制の下では、人材抜擢を行えばそれだけ、大名が家臣に与える禄高の総合計は増えていってしまうことになります。
それを防ぐにはどうしたらいいか。方法は二つあります。
一つは、誰かを抜擢したら、他の誰かを処罰して、禄高を減らす方法です。しかしこれはシステムとして行うにはちょっと無理があります。
そこで考えられたのが、この方法です。元々のその家のベースの禄高は変えずに、若し抜擢したらその期間だけ、役高との差を与えようというわけです。
幕府で言うと、禄高1000石の旗本が勘定奉行(基準役高3000石)に就任した場合は、在職期間中のみ、基準役高と禄高との差の2000石を受け取ることができるという仕組みです。その人物が引退すれば、跡を継ぐ子どもは、また前と同じ1000石というところからスタートするという仕組みです。
これなら、人材抜擢によって、家臣の総禄高がどんどん増えていくと言うことは避けられます。
川路聖謨の場合、勘定奉行になったときには、扶持米にして僅か200俵の禄高でしたから、二つの措置がとられました。まずは、ベースの家禄の増加です。勘定奉行は、寺社奉行らとの均衡をはかることから最低でも禄高500石が与えられましたので、川路もそれまでの扶持米に代わって、はじめて知行地500石を領することになりました。
※A川田貞夫前掲書『人物叢書 川路聖謨』P180
そしてそれ以外に、足し高の分として、基準役高との差2500石が与えられたということになります。
この足高の制については、高校の教科書には必ず登場する重要事項であり、試験勉強で記憶した思い出がある方も多いと思います。しかし、よほど特別な復習でもしない限り、授業での「再登場」はありません。そして、当然ながら、その効果がどのようなものであったがどうかは、全く触れられていません。
このクイズは、そういうつながりのない授業をなくすためのネタということになりrます。
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