| メニューへ | |  前へ | | 次へ |

江戸時代の生活について確認する1
 授業で扱う江戸時代の生活について確認します。
 
 火打ち石について 05/05/01作成 05/09/24修正
 はじめに                                                            目次へ

私たちが高校で歴史を習ったひと昔(いやふた昔かな)前は、江戸時代の歴史像というと、「『百姓は生かさぬように殺さぬように』というイメージで年貢をしぼりとられる」、「封建的で不自由」、といったステレオタイプの暗いイメージが中心でした。
 それがまったく間違っているわけではないのですが、今日では、ずいぶんと違ってきました。
 すなわち、農民や町人の生き生きとした生活の実体が明らかとなり、「前近代」としての江戸時代の「豊かさや多様な文化が、一般にも紹介されるようになりました。

 古い江戸時代像から新しい江戸時代像へ、ちょっと授業の内容を変えてみませんか。 


 火打ち石について何を確認し、説明するか                                目次へ

という、大見得切った「はじめに」ではじまったわりには、第一回目のテーマが「火打ち石」です。この「未来航路」の基本は、あくまで「現物主義」「現実主義」ですから、お許しあれ。

 さて、みなさん、火打ち石というと、何を連想されますか。
 現代の生活では登場することはありませんが、TVや映画を見ていると時々登場するあの、火を付ける道具です。
  「火を付ける」というと、原始時代は、
弓きり式とか舞ぎり式とかヒモきり式の木と木を擦り合わせる「発火具」が使われました。
  ※これは、現物教材で紹介しています。こちらです。
 
 しかし、やがて、もっと効率のよい、「火打ち石」が発明されます。
 これが日本に入ってきたのは、古墳時代の頃と推定されています。奈良時代、平安時代には朝廷では使われていましたが、まだまだ庶民が使える道具ではなかったようです。
 これが、江戸時代には、一般庶民に普及し、かまどや灯明、たばこの火の火付けに使われるようになります。

 ところが、この道具に関しては、現代人には大きな
誤解が二つ生じています。

  1. 時代劇等の誤ったイメージが固定化していて、火打ち石の原理や使い方に大きな誤解があります。

  2. 1にも関連して、火打ち石で火を付けることはそう簡単ではないというイメージがあります。

 ここでは、この二つの誤解を解いて、江戸時代の「火打ち石」の道具としての原理と使いやすさを確認したいと思います。

 「切り火」についての原理、使い方の誤解                              目次へ

 次の写真は、「火打ち石」の写真です。
 これをどうやって使うか、ご存じですか? 


 火打ち石は、関東では、常陸産の瑪瑙(メノウ)が「水戸火打ち」として人気があり、また、関西では、京都は鞍馬産の灰青色のチャートが使われました。しかし、火打ち石を両手に持って、カチカチやっても、火花は出ません。
 ※常陸産の火打ち石については、茨城県のサトさんの「奥久慈レポート」の
   「常陸国風土記」と「火打ち石」の川に詳しく説明されています。こちらです。


 もし、右の写真のように、この石を二つたたいて火花を出すという使い方を思い起こされたとしたら、それがここで言う誤解です。
 確かに、江戸時代では、職人や花柳界の人びと、危険な職に就いている人びとが、これから仕事に出かける際に、切り火をして出かけていきました。
 たとえば、TV番組では、銭形平次や半七親分のように、目明かしの親分がこれから命がけの仕事に出かけるという場合に、奥さんが火打ち石を使ってカチカチと「切り火」をだすというシーンが出てきます。
 古来、火の神は家を守る最高神とされ、火には、呪術的な魔除けの力があるとされていました。切り火は、邪をはらい浄化するための行為と考えられていたのです。
 しかし、TVや映画では、その場面を間違った形で表現している場合が往々にしてあり、それが、
誤解を作ってしまっています。
 TVや映画では、右上の写真のように、石を二つぶつけて「切り火を作る」シーンが多く見られ、これが普通のやり方と自然に思っている方が多いのです。
 切り火を作る方法は、こんな方法ではありません。


 正しい「切り火」の出し方                                           目次へ

 では、正しい切り火の出し方はどうするのか?次にそれを説明します。
 まずは、100円ライターの火花の説明です。


 先の火打ち石を二つぶつける方法が間違っていることは、普通に100円ライターの着火の原理を考えてみればわかります。
 ライターは、手で回す堅いギザギザのヤスリ部分と、
削れて火花を出す部分の二つからなっています。この二つを擦ると火花が出て、それがガスに引火して着火することは言うまでもありません。

 削れて火花を出す部分は、普通には「ライター石」と呼ばれている部分で、100円ライターは使い捨てですが、ZIPPOライターでは、消耗品として補給します。(左上の写真)

 もっとも、「ライター石」といっていますが、そもそもこれが間違いで、これはセリウムと鉄の合金です。つまり、「ライター石」ではなく、「
ライター鉄(金属)」なのです。
 火打ち石の説明からライターの説明へ移ってしまいましたが、原理は同じです。
 つまり、火打ち石で火花を出す場合、石を二つぶつけても火花は出ないと言うことです。反対に言えば、火花を出す金属が必要なのです。
 これは、一般にはあまり知られていませんが、その火花を出す金属は、「
火打ち金ひうちがね)と呼ばれています。


 この3枚の写真が、切り火の正しい道具と使い方です。
 右手に持っているのは「
火打ち石」です。
 そして、左手には、「
火打ち金」をもっています。右手の火打ち石で、火打ち金の金属を削り取るようにたたくと、下方へ火花が出ます。
 初めてやると数回に1回しか火花は出ませんが、少し練習すると、ほぼ毎回火花が出るようになります。
(ただし、この写真の撮影には苦労しました。デジカメのシャッターの微妙なタイミングと火花が出た瞬間がピターと合うまでに、時間で30分、写真で100枚以上の挑戦でした。妻と次男Yが疲れました。撮影者は私です。)

 「火打ち石」という言葉は現在に伝えられているのに、「火打ち金」という言葉は、あまり伝わっていません。その理由について、国立教育研究所に勤務され理科の先生として楽しい授業を開発され続けられた板倉聖宣先生は、次のように分析しておられます。

板倉聖宣著『サイエンスシアターシリーズ 熱と火の正体-技術・技能と科学-』

(仮説社 2003年10月)P75

「火打石発火法では、火打石より火打金のほうが大切な役割をはたしているように思われます。それなのに、多くの人びとは「火打石」のことばかり知っていて、「火打金」のことを知らないでいます。日本だけではありません。ヨーロッパでも、火打金より火打石=フリントのほうが有名です。どうしてでしょうか。私は長い間そのことが疑問でしたが、最近やっと、その謎がとけた気がするようになりました。
 じつは、大昔の人びとは、<火打金というような特別な道具>を使わなかったようなのです。農具の鍬や鎌のように硬い鋼があれば、それに火打石を打ちつけて火の粉をとばすことができたからです。・・・中略・・・昔の人は「かたい鉄=刃金がなければ、火打石だけでは火花がとばない」ということを十分承知しながら、「火打石」とだけ言ったのでしょう。そこで、後世の<火打石を使って火を起こすことがなくなった時代の人びと>は、誤解することになったというわけです。」

 ※この書物からは多くの示唆をいただきました。感謝いたします。


 火打ち石での着火                                          目次へ

 さて、次は、誤解の2つ目の説明です。
 上の説明で切り火の出し方はわかっていただけたと思います。
 では、普通に火打ち石を使って着火するには、どうやったらいいのでしょうか?
 また、それは難しいのでしょうか?
 
 以下が着火の手順です。


 左の写真をご覧ください。
 右手に
火打ち金、左手に火打ち石を持っています。
 上の切り火の時とは、左右の道具が反対であることに注目してください。
 さらに、左手の
火打ち石の上には、ねずみ色の繊維のようなものが映っています。

 これは、
火口(ほぐち)です。
 
火口は、火打ち石と火打ち金によって発生した火花を火種にするための燃えやすい繊維状のものです。
 この状態で、火打ち金を振り下ろして、火花を火打ち石と火口に載せるようにします。


 火打ち金火打ち石の角に当てて削るようなつもりで振り下ろすと、火花が発生します。
 火花は、火口の方に飛べばすぐに繊維が燃えて、小さな
火種になります。 




 火口に火花が落ちればしめたもの。
 あとは、火を付ける時のいつどもどこでもの原則で、フーフーやって、
火種を大きくします。

 右の写真の状態なら、もうたばこには十分点火できます。 


 次は、火種を炎にする過程に移ります。この作業は、縄文時代人なら、なかなか苦労するところです。
 繊維の密集した火口の中に火種を入れて、ひたすらフーフーしなければなりません。
 しかし、江戸時代人は、もっと素晴らしい工夫を考え出していました。
 この3枚の写真には、火打ち石(この場面では単なる台の役目です。)と火口以外に、アイスクリームのスティックのようなものが映っています。これは
付け木です。
 つまり、火種から炎を作る道具です。
 先端の部分には、薄く黄色に見える薬が塗ってあります。これは硫黄です。

   このため、30秒もフーフーすれば、すぐに付け木に着火して炎が出ます。この方法で、発火させるのにどのくらいの熟練が必要か?
 もちろん私も、最初は火花を飛ばすのに時間がかかり、さらに、火種を炎にするのにも時間がかかりました。

 しかし、30分もやり続けると、すぐに上達します。
 熟達した現在では、火打ち石と火打ち金を持ってスタンバイしてから着火まで、確実に1分以内でできます。
 もちろん、マッチやライターのように瞬時というわけにはいきませんが、それでも、この火打ち石による発火方法がすごく簡単な方法であることは、おわかりいただけたでしょうか。


 ここで、本題のテーマへ戻ります。
 かくて、江戸時代では、火打ち式の発火具を使用すれば、庶民も、比較的簡単に火打ち石から点火(炎を得る)ことができたというわけです。
 そして、当時同じく進んでいた菜種油の普及と重なって、江戸庶民の夜は、それ以前とは異なる様相を呈したのでした。


火については、他に以下の2カ所でも説明しています。
火おこしセット(舞ぎり式の発火具):「現物教材 日本史 原始古代009」
菜の花と菜種油:「目から鱗の話 菜の花と菜種油」

 最後に、道具一式の紹介                                            目次へ

 ここで使用した道具は、もちろん自家製ではなく、現在も発火道具として販売されているものです。
 以下、「吉井本家謹製 火打石 江戸の火おこし道具」を紹介します。


 この詰め合わせセット?で、3990円です。ちょっと高いのが難点ですが、うまくいくことは請け合いです。 


火打ち石 火打ち金(ひうちがね) 火口(ほぐち) 付け木とロウソク

 吉井本家さんのサイトはこちらです。
 私のページでは写真でしか説明できなかったことが、動画で示されていて、とてもリアルにわかります。もちろん、その他の説明も豊富です。
  また、常陸産の火打ち石については、茨城県のサトさんの「奥久慈レポート」の
   
「常陸国風土記」と「『火打ち石』の川」に詳しく説明されています。こちらです。


【追加1】 火打ち石画像、難しい学問の場で活躍(05/09/24)記述  
 
 いろいろ書いていると、思いがけないところから、思いがけないメールをいただくことがあります。
 2005年8月、浜松医科大学のA先生から写真の利用の依頼を受けました。
 A先生は、浜松医科大学光量子医学研究センターに勤務の方です。
 光学顕微鏡の操作実習をする際、受講生の方に光の発生について直感的に理解をしてもらうには、なんでも、ライターや火打ち石の写真を見せるのがいいそうです。
 その写真として、このページの上に掲載した、火花が散っている写真がちょうどいいと判断されたようです。というふうに説明されても、素人にはよくわかりませんが、とにかく、家族中で苦労して撮影した写真が、世の中の科学と技術の発展に貢献することになったのです。(ちょっと、オーバーですか(^.^))

 かくて、2005年8月8日から開催された、
第14回浜松医科大学メディカルホトニクス・コース顕微鏡イメージングの基礎において、わが写真が活躍しました。(出典「未来航路」って書かれても、医学分野の先生方には、何のたしにもならなかったと思いますが・・・。)
 ※上記大会の案内です。(http://www2.hama-med.ac.jp/w3a/photon/14thmpc/14thmpc.html
 ※さらに詳細な説明です。(http://www2.hama-med.ac.jp/w3a/photon/14thmpc/14thmpc.pdf
 
 A先生は、講義の前日に、スライドを改良されようとして、夜インターネットを捜索中にこのページにたどり着かれました。お役に立てて幸いです。


【追加2】 火打ち石の原石 送ってもらいました。(05/09/24)記述  
 上述の、「常陸国風土記」と「『火打ち石』の川」(こちらです。)のサトさんからメールをいただき、昔から関東地方に火打ち石を供給してきた常陸(茨城県)産の火打ち石の原石、メノウをもらいました。
 以前にご自身で拾われたり、友人から贈られた物とのことです。


 奥久慈産の赤メノウです。
 赤メノウは現在、宝石などの装飾品や印鑑などに使われています。ブラジル、ロシアなどが産地ですが、日本で売られているのは前者が多いようです。

 奥久慈の昔のメノウ産地のズリから拾ってきたメノウのかけら及び、同じくズリから拾ったメノウの結晶(仏頭状の結晶が特徴、このようなメノウを玉随ともいうそうです)だそうです。ズリというのは、石炭の場合もそうですが、掘り出した鉱石のうち商品価値にならない物を捨てておく場所のことです。

 左上の地図は、Google から正式にAPIキーを取得して挿入した、茨城県北部地方の地図です。


 茨城県の「奥久慈」地方というのは、県の北部久慈川の上流部で、福島県・栃木県と接する地域のことです。
 サトさんからこの地域における火打ち石の採掘に関する文献のコピーを送ってもらいました。
 それによると、この地域から火打ち石としてのメノウが採取されはじめたのはかなり古く、『常陸国風土記』にその記述があります。
 江戸時代には、いくつもの鉱山によってさかんに採掘されました。
 明治になってマッチの普及とともに火打ち石の需要は減り、鉱山も次々と閉山されていきましたが、火打ち石採掘用としては、一応昭和初期までは残っていました。

 太平洋戦争後は、装飾品のメノウを採取する鉱山として一部が存続しましたが、昭和30年代には、閉山となってしまいました。


| メニューへ | |  前へ | | 次へ |