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各地の鉄道あれこれ19
 全国各地の鉄道の話題あれこれについて紹介します。

 和歌山電鐵貴志川線 たま電車 11/06/20記述 13/01/14追加

 前のページでは、岡山電気軌道の岡山市内線を紹介しました。その時に触れたのが、岡山電気軌道による和歌山鐵道貴志川線の経営です。
 このページでは、
貴志川線たま電車についてレポートします。記述には、岡山電気軌道のHPおよび次のHP・文献を参考にしました。
 

岡山電気軌道HP http://www.okayama-kido.co.jp/ 

 

国土交通省HP 地域モビリティ確保の知恵袋 
 実践例 「地域や自治体の熱意と行動により地方鉄道を再生」〔和歌山電鐵株式会社〕
  メニューページ http://www.mlit.go.jp/seisakutokatsu/soukou/chiebukuro/
  報告例 http://www.mlit.go.jp/seisakutokatsu/soukou/chiebukuro/PDF/jirei_wakayama.pdf 
 

服部重敬編著『路面電車新時代 LRTへの軌跡』(山海堂 2006年)P246-247


 上の地図は、Google から正式にAPIキーを取得して挿入した、和歌山市とその東部の地図です。
 中央左上にJR阪和線・貴志川線
和歌山駅があり、そこから、田中口日前宮神前と南へ延びているのが貴志川線です。
 
竃山から東へ向かいます。ちょっと拡大して東へクリックしていただくと、交通センター前岡崎前吉札伊太祁曽山東大池遊園西山口甘露寺前と続いて、終点が貴志駅です。


 写真19-35 和歌山城(撮影日 10/06/04)

 写真19-36 吉宗像(撮影日 10/06/04)

 和歌山市の中心部には、紀伊徳川家の和歌山城が現存しています。どっしりと構える平山城です。右はもちろん徳川吉宗像です。残念ながら市内電車は走っていませんので、「天守閣と電車」という画像はありません。


 元は南海電鉄貴志川線 2005年9月30日廃線予定

 貴志川線は、阪和線・紀勢本線和歌山駅とその東の郊外の貴志川を結んでいる路線長14.3kmのローカル線です。もともとは、独立して設立された山東軽便鐵道に歴史の源がありますが、1961年には大阪難波に本拠を置く南海電鉄の支線となりました。支線といっても同じ和歌山市に乗り入れている本線とはつながっていない路線でした。
 どこの地方鉄道の歴史も同じですが、乗客数は高度経済成長期には最高を示しその後衰退の一致をたどります。具体的には、最盛期の1974(昭和49)年には年間約360万人の乗客数を記録しましたが、それをピークにその後は減少が続き、2000年を過ぎると最盛期の半分強の190万人台となってしまい、この結果年間赤字は5億円程度にもなりました。
 このため南海電鉄は、2003(平成15)年10月に沿線市町村に対して廃止の意向を表明し、2004年9月30日には廃止届けを提出したため、2005年9月30日を以て廃線という予定となりました。
 南海の廃止意向表明以降、沿線自治体は、対策協議会をつくり、また、沿線住民も「貴志川線の未来を"つくる会”」など市民団体を結成し、何とか路線存続の道を模索しました。 


 岡山電気軌道の経営引き継ぎ 岐阜・名鉄600V路線との比較

 存続方法が模索される中で、非常に具体的かつ建設的な方法が提案されました。次の方法です。

 上下分離式により運行会社としての民間の新規事業者を公募する。 


 10年間での赤字負担の上限を8億2000万円とし、和歌山市と貴志川町が6.5:3.5の比率でこれを負担する。

 南海電鉄が所有している鐵道用地の取得費と将来実施する必要がある変電所の大規模修繕費などを県が負担する。前者はその上限は2億3000万円。後者は2億4000万円、合計4億7000万円

 この方針により、上下分離式により運行会社としての民間の新規事業者を公募することとなりました。
2005年2月

 県・市・町が貴志川線存続で合意、運行事業者を公募 

  2005年4月

 応募者9者の中から両備グループの岡山電気軌道を選定 

  2005年6月  継承事業者として岡山電気軌道の100%出資会社、和歌山電鐵株式会社を設立(社長は、両備グループの代表小嶋光信氏)
   2005年6月  南海電鉄、当初、05年9月末までの営業を、06年3月まで半年延長することを表明 
   2006年4月  新会社による貴志川線運行を開始 

 このようにトントン拍子に話が進んだのは、地元の協力、とりわけ和歌山県と和歌山市・貴志川町が、応分の負担を行ったことが大きな要因となっています。
 実は、同じ頃、名古屋鉄道が岐阜市内線および周辺の600V路線(揖斐線・美濃町線・田神線・市内線)の廃線を2005年3月を期限に行うことを表明しており、岐阜市からの運行協力への打診を受け、2004年4月には受託の方針を打ち出したことがありました。
 私たち岐阜市民は、これでひょっとしたら廃線は免れるかもしれないと期待を抱いたものでした。

 しかし
、岐阜市は名古屋鉄道からの資産の売却費19億7800万円をはじめ、当初10年間の維持費用が合計84億円という膨大なものになるとの試算から公費負担を断念し、岡山電気軌道も経営受託を断念しました。和歌山とは異なり、岐阜の場合は、3路線で路線延長合計36.6kmもあったことなど、事情は異なりますが、公費負担をするかしないかが、この場合、上下分離方式を実現できるかどうかの違いとなりました。
 名鉄の上記路線は、予定通り、2005年3月末に廃線となりました。(→詳しくは、岐阜・美濃・飛騨「名鉄揖斐線廃線物語」をご覧ください。 


 和歌山電鐵の経営努力

 和歌山電鐵は、貴志川線の再生について、次のようにポイントを指摘しています。

 地域住民の熱意とアクション
 「貴志川線の未来を”つくる”会」の活動(自治体への陳情、自主的勉強会、沿線マップの作成、駅の掃除や維持管理など支線活動の実施)などが貴志川線存続の機運をつくった。 


 行政の支援(和歌山県、和歌山市、貴志川町の上述の財政的な支援)

 南海電鉄の事業継承への協力

   運営委員会の設置による各種アイデアの実現
 県、市、商工会議所、沿線学校の校長・生徒会長・PTA会長、「未来を”つくる”会」等の市民団体のメンバーからなる運営委員会を毎月開催し、経営上の数値を公表するとともに、利用促進策やサービス改善について協議している。

 これらによって、南海時代よりも営業本数を増やしていく積極的な経営を行うとともに、「日本一こころ豊かなローカル線」のコンセプトを元に、いろいろ「楽しい」アイデアが実現されています。
 1 岡山市吉備津出身のデザイナー、水戸岡鋭治氏によるイチゴ電車の運行
 2 
ネコ駅長、「たま」の就任
 3 パーク&ライド方式のための駐車場の整備
 4 おもちゃ電車、たま電車の運行
 5 川柳電車の運行

 これらの結果、南海電鉄の最終年の2005年には、年間利用客は192万2000人でしたが、和歌山電鐵に受け継がれた20006年には211万4000人に増加し、さらには、2008年には219万人にまで増加しました。(ただし、2009年は217万人へと、2万人減少。)
 
 以下に、その様子を紹介します。写真は、2010(平成22)年6月3日・4日に、和歌山市に出張した際に、いつもの早朝の探検によって、4日の6時から8時にかけて撮影したものです。 


 写真19-01・02 JR和歌山駅自動券売機    (撮影日 10/06/04)

 和歌山電鐵貴志川線の和歌山駅は、JR和歌山駅の一部にあります。自動切符販売機にも、小さく貴志川線と書かれています。よほどうまく探さないと目につきません。


 写真19-03 貴志川電鉄ホーム(撮影日 10/06/04)

 写真19-04 精算済証(撮影日 10/06/04)

 JR和歌山駅のメイン入り口(西側)から入ると、1番線があります。そこから数えて9番目、9番線が和歌山電鐵貴志川線のホームです。地下通路を通ってホームへ登ります。
 左の階段の上が改札口です。入るときは外で貴志川線の切符を買って入りますが、出る時は、貴志川線の改札口で右写真の精算済証をもらって、JRの改札口へ持っていかなければなりません。


 写真19-05 隣はJR8番線(撮影日 10/06/04)

 写真19-06 貴志川線ホーム(撮影日 10/06/04)

 和歌山駅貴志川線ホームは、9番線1面しかありません。


 写真19-07 6時19分着電車(撮影日 10/06/04)

 写真19-08 ワンマン運転(撮影日 10/06/04)

 6時19分和歌山駅着の電車がやってきました。これは普通のデザインの電車です。ワンマンカーですので、到着すると整理券発券機の点検や料金箱の移動等が必要です。


 写真19-09 ホームの宣伝横断幕           (撮影日 10/06/04)
 「貴志川線の未来を”つくる”会5周年」の横断幕です。左が可愛いい「たま駅長」のキャラクターです。 

 写真19-10 3種類の特別電車           (撮影日 10/06/04)
 貴志川線の3種類の特別電車。左から、「おもちゃ電車」、「いちご電車」、「たま電車」。

 写真19-11・12 6時32分和歌山着のたま電車がやってきました (撮影日 10/06/04)

 外はネコのデザインです。中はどうなっているでしょう?このたま電車は折り返し、6時43分発、伊太祁曽駅行きとなりました。これに乗って貴志駅に向かいました。


 写真19-13  たま電車の内部です          (撮影日 10/06/04)
 2両編成の1両目中程からの撮影です。
 内装は楽しいというか、おじさんには恥ずかしいというか、ここまで徹底すると見事です。

 写真19-14 運転席の後(撮影日 10/06/04)

 写真19-15 2両目車両(撮影日 10/06/04)


 写真19-16 連結部分(撮影日 10/06/04)

 写真19-17 連結部分反対側(撮影日 10/06/04)


 写真19-18 扉もたま(撮影日 10/06/04)

 写真19-19 いくつかある本棚(撮影日 10/06/04)


 写真19-20 本棚(撮影日 10/06/04)

 写真19-21 これも本棚(撮影日 10/06/04)


 写真19-22 たまの席(撮影日 10/06/04)

 写真19-23 文庫(撮影日 10/06/04)

 本物のネコのたまは電車に乗るわけではありませんが、一応レプリカはあります。


 写真19-24 可愛い席(撮影日 10/06/04)

 写真19-25 車両年齢40歳(撮影日 10/06/04)

 右の写真の下段の黒い部分の名前は、このたま電車の改装にあたって、1口1000円で募集したサポーターに応じた方々のお名前です。いちご電車とたま電車はサポーターが、おもちゃ電車は企業が改装を支えました。


 写真19-26 6時59分伊太祁曽駅に到着。和歌山からの所要時間は、17分です。(撮影日 10/06/04)
 このたま電車は、ここで折り返して、7時05分発の和歌山行きとなります。
 伊太祁曽駅は、貴志川線の車両整備場があるところです。

 写真19-27 折り返し和歌山駅に向かうたま電車         (撮影日 10/06/04)

 写真19-28 伊太祁曽駅にあるいろいろなグッズ          (撮影日 10/06/04)

 写真19-29 伊太祁曽駅の車庫にいたおもちゃ電車といちご電車           (撮影日 10/06/04)
 3つの特別電車の運行は、貴志川線のHPに示されています。 

 写真19-30 (撮影日 10/06/04)

 写真19-31 (撮影日 10/06/04)

 私は、伊太祁曽駅から後続の7時27分発貴志行き電車に乗って、終点へ向かいました。
 終点貴志駅は、その時は改装中で、現在は、完成しています。ここも1面しかホームのない小さな駅です。ここに本物のネコ、たま駅長が勤務しています。


 写真19-32・33 たま駅長の「営業時間」。こんな朝早くは不在です。(撮影日 10/06/04)


 写真19-34  これがたま駅長の勇姿          (撮影日 10/06/04)

 たまが駅長となったのは、上述の通り、和歌山電鐵の創業時に企画した利用者を増やす楽しいアイデアの一つに選ばれたからでした.
 しかし、そうなったきっかけは、社長となった
小嶋光信氏のちょっとしたアイデアがきっかけでした。
 たまは元々南海電鉄の支線時代から貴志駅の隣の売店で買われていた猫でした。しかし、和歌山電鐵への移行の際に、たまの身に危機が迫ります。それまで、たまの猫小屋が公道の一部を占拠していたことが市当局の目にとまり、その撤去が迫られたのです。そのとき小嶋氏が考えたのが、「ただの猫ではなく、駅長の猫なら駅にいても誰からも文句は言われないだろう」という奇抜な発想でした。
 和歌山電鐵は2006年4月1日に開業しましたが、これにより、たまは2007年1月に駅長に就任しました。以降、「たま駅長」「たま電車」がブランド化され、和歌山電鐵の集客に一役買っているというわけです。かくいう私のように、和歌山にきたついでに乗ろうと言う、岐阜県人もでるわけです。
 


 楽しい鉄道です。一度乗ってみませんか。 


 2013年1月、たま駅長は、社長代理に就任したとのことです 13/01/14追加記述

 新聞によりますと、 たま駅長が2013年1月5日付で、和歌山電鉄の社長代理に就任したとのことです。
 たま駅長は、上述のように、2007年1月に駅長に就任しました。その後、「客招き」のための「招き猫」のポーズが大受けとなったため全国にその名を高めた功績により、1年で、スーパー駅長(社内の事務職のランクでは課長級)にスピード出世しました。その後も栄進してさらに常務に就任していました。
 このたび、さらに昇進して、社内のNo2の社長代理になったというわけです。
 この背景には、たまのブランド化による集客効果があります。南海電鉄時代は年5億円の赤字路線だった貴志川線は、和歌山電鐵移行の2006年度には、乗客数の約10%像を実現しました。普通こういうイベント的な事業による効果は、熱が下がると減っていくものですが、たまブランドは今も有効で、乗客数は現在も、移行前の13%増を維持しています。
 和歌山県への経済効果は、就任1年次の11億円と言う実績を遙かに超えていると考えられています。
  ※参考 『読売新聞』2013年1月9日朝刊


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