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各地の鉄道あれこれ18 |
全国各地の鉄道の話題あれこれについて紹介します。 |
各地の路面電車その7 岡山電気軌道 電車と城5 |
各地の路面電車シリーズその8は、岡山市内の路面電車、岡山電気軌道です。取材のために、2011(平成23)年2月27日に岡山市を訪問しました。鉄道ファンの視点のみで書くと、読んでいただく方が少なくなってしまいますので、都市開発・地域振興の視点も少し入れながら説明します。
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岡山電気軌道概要と見所 |
岡山電気軌道の路面電車は、岡山駅前から、2方面へ延びています。しかし、この2路線を合わせても営業キロ数は合計4.7kmにしかならず、日本の路面電車としては最も短い路線です。 |
赤いラインは、清輝橋線、緑のラインは東山線です。 |
JR岡山駅はおおむね南北にホームが設置されており、その駅前から東の岡山城の方に向かって、幅50mのメインロード、桃太郎大通りが走っています。 |
写真18−01 桃太郎大通りの岡山駅前電停とJR岡山駅とは地下でつながっています (撮影日 11/02/27) |
写真18−02 清輝橋行き(撮影日 11/02/27) |
写真17−03 東山行きです(撮影日 11/02/27) |
時刻表など見ないでもいいくらい、次々に電車がやってきます。 |
写真18−04 清輝橋線新西大寺町筋(さいだいじちょうすじ)電停の時刻表 (撮影日 11/02/27) |
赤いラインの清輝橋線だけでも1時間に7本の運転本数です。東山線は、、昼間時間帯は、3〜5分間隔で運転されています。 |
次の写真を見て、岡山電気軌道の特色を考えて下さい。 |
写真18−05 清輝橋線大雲寺電停ですれ違う、左:黄色8301、右:青色8101(撮影日 11/02/27) |
※例によって、黒板をクリックしてください。答が現れます。 |
いろいろ努力している会社であることがわかります。では、以下に上の@ABCの特色を説明していきます。 |
岡山電気軌道の見所 |
写真18−06 東山線西大寺電停の7201(撮影日 11/02/27) |
まず、@女性運転士とAの架線柱です。 |
写真18−07 特別出演 ありし日の名鉄電車岐阜市内線 (撮影日 04/10/24) |
かつての名鉄電車岐阜市内線は、道路端の支柱から張られた補助線が架線を支えていました。徹明町通りを徹明町から金町へむかう572の後ろ姿です。(単なるノスタルジー写真です。(^_^)) |
写真18−08 清輝橋線新西大寺町筋電停の8101(撮影日 11/02/27) |
次は、BホームとCパンタグラフです。 |
岡山電気軌道には、ほかにもいくつかの特色があります。 |
写真18−09 新型車両9300形 (撮影日 11/02/27) |
ドイツで開発された低床車を日本向けに設計変更し、新潟鐵工所で製造された2台車2車体の低床連接車です。熊本市交通局の9700形(こちらです→)と基本設計は同じですが、前面のデザイン等が異なっています。 |
ついでですから、水戸岡氏のデザインによるJR九州の代表的車両を二つ紹介します。 |
写真18−10 787系つばめ(撮影日 07/07/27) |
写真18−11 885系かもめ(撮影日 07/07/27) |
JR九州の車両を見ていると、ほんとに飽きません。1日中ホームにいたくなります。 |
岡山電気軌道の話に戻ります。 |
写真18−12 3007 通称「くろ」、京橋を渡って、県庁通りの西大寺電停へ向かいます(撮影日 11/02/27) |
車両本体は、3000形ですから、岡電の車両のうちの最も古い1953年製です。正面がガラス2枚窓、真ん中に支柱ありというレトロな車両です。元は東武鉄道日光軌道線を走っていましたが、1968(昭和43)年に転籍してきました。 |
写真18−13 7101、「たま」電車。県庁通りから左折して旭川にかかる京橋へ (撮影日 11/02/27) |
県庁前通りを左折して旧西国街道沿いに、終点に近い小橋・中納言・東山方面へ向かう「たま」電車。 |
岡山電気軌道の経営努力 |
これまで見た来たように、岡山電気軌道は、僅か4.7kmの路線しか保有していませんが、それだけにいろいろな経営努力をしています。 |
実は、岡山電気軌道は、名鉄岐阜市内および周辺の600V路線の廃線に際して、その経営委託を打診されたこともあります。この時は、岐阜市などの自治体が、鉄道などの資産の購入に経費負担を行うことに踏み切れなかったので、ご破算となりました。 |
岡山城と岡崎電気軌道 |
さて、このページ最後は、いつもの挑戦、城と路面電車のセット撮影です。 |
写真18−14 (撮影日 11/02/27) |
豊臣秀吉の五大老で有名な宇喜多中納言秀家の父、宇喜多直家が旭川が複雑に分流する地域に拠点を置き、秀家が岡山に本丸を築いたことがこの城の始まりです。 |
ところが、これまで撮影した肥後熊本城・土佐高知城・伊予松山城などのように、市街地の中心部から電車と城がはっきりと一緒に撮影できるという場所はありませんでした。 |
写真18−15 見えました電車です (撮影日 11/02/27) |
城の西側、JR岡山駅側は、ビル群に埋もれて全く電車は見えません。 |
写真18−16 この写真は上とは代わって9003形「クロ」が京橋を渡っています (撮影日 11/02/27) |
さっそく、東山線の京橋に向かいました。お城から、旭川沿いに、図書館・県庁と巡って、小橋・中橋・京橋に至りました。ちょうどいい散歩です。 |
写真18−17 京橋南からの岡山城です (撮影日 11/02/27) |
写真18−18 岡山城と京橋を渡る「タマ」電車 背景の建物は県庁 (撮影日 11/02/27) |
写真18−19 岡山城とMOMOです (撮影日 11/02/27) |
江戸時代以来のお城と、県庁と、そして回りを巡る路面電車。 |
【参考文献一覧】
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これで、各地の路面電車シリーズ7 城と路面電車5 を終わります。 |
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