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各地の鉄道あれこれ18
 全国各地の鉄道の話題あれこれについて紹介します。

 各地の路面電車その7 岡山電気軌道 電車と城5

 各地の路面電車シリーズその8は、岡山市内の路面電車、岡山電気軌道です。取材のために、2011(平成23)年2月27日に岡山市を訪問しました。鉄道ファンの視点のみで書くと、読んでいただく方が少なくなってしまいますので、都市開発・地域振興の視点も少し入れながら説明します。
  ※岡山に行った経緯は、旅行記:「伊予讃岐・備前岡山旅行1〜3」をご覧ください。
  ※また、以下の記述には、次の二つの文献を参考にしました。ありがとうございました。

柳沢道生著『路面電車 全線探訪記』(現代旅行研究所 2008年)P79−87

服部重敬編著『路面電車新時代 LRTへの軌跡』(山海堂 2006年)P236−245


 岡山電気軌道概要と見所

 岡山電気軌道の路面電車は、岡山駅前から、2方面へ延びています。しかし、この2路線を合わせても営業キロ数は合計4.7kmにしかならず、日本の路面電車としては最も短い路線です。
 開業は古く、1912(明治45)年5月に現在の
東山線の一部、岡山駅前−城下−弓之町の間が開通し、来年で100周年ということになります。(城下−弓之町はのち、城下−番町まで延長されましたが、1968年に廃止されました。)

 短い路線の割には運行頻度が高いため、車両は3000形(3両)、7000形(2両)、7100形(2両)、7200形(2両)、7300形(3両)、7400形(1両)、7500形(1両)、7600形(1両)、7900形(5両)、そして最新型のLRTである9200形(1編成2両)の合計22両が走っています。



 赤いラインは、清輝橋線、緑のラインは東山線です。


 JR岡山駅はおおむね南北にホームが設置されており、その駅前から東の岡山城の方に向かって、幅50mのメインロード、桃太郎大通りが走っています。
 岡山電気軌道の路面電車は、駅前には
東山線清輝橋線の2路線ともやってきます。 


 写真18−01 桃太郎大通りの岡山駅前電停とJR岡山駅とは地下でつながっています (撮影日 11/02/27)


 写真18−02 清輝橋行き(撮影日 11/02/27)

 写真17−03 東山行きです(撮影日 11/02/27)

 時刻表など見ないでもいいくらい、次々に電車がやってきます。
 駅前には、降車場と乗車場があり、その間にクロスのポイントがあります。降車場で乗客を降ろした電車は、東山線東山行きは、そのまま直進し南側の乗車場で乗客を乗せ、クロスポイントを渡って左側の線路を東へ向かいます。
 また、清輝橋行きは、降車場からクロスポイントを渡って北側の乗車場で乗客を乗せ、そのまま直進して分岐点の柳川方面へ向かいます。


 写真18−04  清輝橋線新西大寺町筋(さいだいじちょうすじ)電停の時刻表  (撮影日 11/02/27)

 赤いラインの清輝橋線だけでも1時間に7本の運転本数です。東山線は、、昼間時間帯は、3〜5分間隔で運転されています。


 次の写真を見て、岡山電気軌道の特色を考えて下さい。 


 写真18−05 清輝橋線大雲寺電停ですれ違う、左:黄色8301、右:青色8101(撮影日 11/02/27)


 ※例によって、黒板をクリックしてください。答が現れます。


 いろいろ努力している会社であることがわかります。では、以下に上の@ABCの特色を説明していきます。


 岡山電気軌道の見所

 写真18−06 東山線西大寺電停の7201(撮影日 11/02/27)

 まず、@女性運転士Aの架線柱です。
 岡山電気軌道の女性運転士の採用は、1981(平成3)年と古く、路面電車としては日本で最初でした。上の写真18−05の8101の運転士もこの7201の運転士も女性です。
 また、道幅が狭い一部を除いて、架線は道路の真ん中にT字型の架線柱を立てて、両側に架線を吊り下げる
センターポール方式です。道路端の架線柱から道路いっぱい補助線を張って架線を取る付けるという方法に比べれば、都市の美観という点から、好ましい方式です。 


 写真18−07 特別出演 ありし日の名鉄電車岐阜市内線           (撮影日 04/10/24)

 かつての名鉄電車岐阜市内線は、道路端の支柱から張られた補助線が架線を支えていました。徹明町通りを徹明町から金町へむかう572の後ろ姿です。(単なるノスタルジー写真です。(^_^))


 写真18−08  清輝橋線新西大寺町筋電停の8101(撮影日 11/02/27)

 次は、BホームCパンタグラフです
 電停は、複線線路の間にあります。したがって、普通の路面電車と違って、電車の右側サイドから乗り降りします。
 屋根の上にあるパンタグラフは、開発した第6代社長石津龍輔氏の名前を取って、
石津式パンタグラフと呼ばれています。1951年から使われています。
 通常のJRの車両などと違い、下部の四角い櫓の上に小さなパンタグラフが載っています。JRなどは、バネや空気圧で架線に集電部分を押しつけますが、この石津式は、櫓部分にぶら下がっている重り(錘)の反作用で持ち上げる方式となっています。シンプルな構造で維持管理が簡単で、もちろんこちらの方が経費的には安くて済みます。ただし、高速で走行すると離線(集電部分が火炎から離れる)しやすいという欠点があるそうです。 


 岡山電気軌道には、ほかにもいくつかの特色があります。
 まずは、1編成だけですが、
新型車両9200形の導入です。 


 写真18−09 新型車両9300形           (撮影日 11/02/27)

 ドイツで開発された低床車を日本向けに設計変更し、新潟鐵工所で製造された2台車2車体の低床連接車です。熊本市交通局の9700形(こちらです→)と基本設計は同じですが、前面のデザイン等が異なっています。
 デザインは、
JR九州の車両デザインを一手に手がけて車両デザインに革命的変化をもたらした岡山市吉備津出身のデザイナー、水戸岡鋭治氏によるものです。
 ちなみに、写真の運転手さんも女性です。 


 ついでですから、水戸岡氏のデザインによるJR九州の代表的車両を二つ紹介します。 

 写真18−10 787系つばめ(撮影日 07/07/27)

 写真18−11 885系かもめ(撮影日 07/07/27)

 JR九州の車両を見ていると、ほんとに飽きません。1日中ホームにいたくなります。
 この2枚の写真は、2007年の7月に、佐賀インターハイに出張した時に博多駅で撮影したものです。


 岡山電気軌道の話に戻ります。
 さらに、1両だけですが、旧型車両の中に変わったデザインの車両があります。 


 写真18−12 3007 通称「くろ」、京橋を渡って、県庁通りの西大寺電停へ向かいます(撮影日 11/02/27)

 車両本体は、3000形ですから、岡電の車両のうちの最も古い1953年製です。正面がガラス2枚窓、真ん中に支柱ありというレトロな車両です。元は東武鉄道日光軌道線を走っていましたが、1968(昭和43)年に転籍してきました。
 もちろん最初はこのようなデザインではありませんでしたが、これも水戸岡氏のデザインによってこのように黒一色に金色の筋という斬新出で立ちに生まれ変わりました。
 コンセプトは、岡山城の黒です。岡山城は、その黒塗りの壁から別名「烏城」(→こちらです)と呼ばれていましたので、その烏のイメージから、「烏の濡れ羽色」の黒を車体の色としました。
 この区間は道幅が狭く、センターポール化はなされていません。また、電停にもホームはありません。


 写真18−13 7101、「たま」電車。県庁通りから左折して旭川にかかる京橋へ (撮影日 11/02/27)

 県庁前通りを左折して旧西国街道沿いに、終点に近い小橋・中納言・東山方面へ向かう「たま」電車。
 岡山電気軌道が経営している和歌山県の「
わかやま電鉄貴志川線」で大人気の「たま」電車のデザインを借りて、2009(平成21)年4月にデビューした「たま」電車です。
 「
わかやま電鉄貴志川線」については、次のページでレポートします。ここでは、岡山電気軌道のHPをご覧ください。
  ※岡山電気軌道HP 
http://www.okayama-kido.co.jp/
 この先の中納言という電停は、岡山城の2代目城主となった宇喜多中納言秀家に由来しています。 



 岡山電気軌道の経営努力

 これまで見た来たように、岡山電気軌道は、僅か4.7kmの路線しか保有していませんが、それだけにいろいろな経営努力をしています。
 岡山市は、2009(平成21)年に政令指定都市に移行し、人口も微増して、2011年4月段階では、70万を突破しました。
  ※岡山市のHP 市政情報 推計人口から http://www.city.okayama.jp/soumu/bunsho/bunsho_00162.html

 
 しかし、どこの地方都市にもあるように、岡山市の中心部人口は減少しています。このため、岡山電気軌道の利用者も平成10年以降は、毎年数%ずつ減少しており、何もしなければジリ貧となってしまう状況にあります。
 このためにいろいろな努力がなされたのです。時系列でもう一度列挙します。
 



 実は、岡山電気軌道は、名鉄岐阜市内および周辺の600V路線の廃線に際して、その経営委託を打診されたこともあります。この時は、岐阜市などの自治体が、鉄道などの資産の購入に経費負担を行うことに踏み切れなかったので、ご破算となりました。
 岡山電気軌道のそれまでの状況や、その後で経営を引き継いだ和歌山電鐵貴志川線の考えれば、全く惜しいことをしたといわざるを得ません。



 岡山城と岡崎電気軌道

 さて、このページ最後は、いつもの挑戦、城と路面電車のセット撮影です。
 岡山城は、戦後にできたコンクリート製ですが、立派な天守閣が建っています。


 写真18−14            (撮影日 11/02/27)

 豊臣秀吉の五大老で有名な宇喜多中納言秀家の父、宇喜多直家が旭川が複雑に分流する地域に拠点を置き、秀家が岡山に本丸を築いたことがこの城の始まりです。


 ところが、これまで撮影した肥後熊本城・土佐高知城・伊予松山城などのように、市街地の中心部から電車と城がはっきりと一緒に撮影できるという場所はありませんでした。 
 最近では、グーグル・アースという便利なものがありますから、事前に完璧に予習ができますが、残念ながらその画像では、この場所は大丈夫だという場所は見つからなかったのです。
 こうなれば、逆に、天守閣の最頂部に登って、実際にそこから路面電車が見えるかどうか確かめなければなりません。そこから電車を見ることができれば、逆の視点から撮影が可能です。 


 写真18−15 見えました電車です             (撮影日 11/02/27)

 城の西側、JR岡山駅側は、ビル群に埋もれて全く電車は見えません。
 ところが、城の南側遠方には、旭川の下流部の橋の上を渡る電車が遠望できました。
 写真の右手の建物は岡山県庁、その手前は岡山県立図書館です。
 えっ、電車がわからないですって。
 川に3本の橋が架かっていますが、その真ん中の橋に青と白の電車が走っています。手前の中央の橋の上の大きな構造物のさらに向こう側です。
 えっ、まだわかりませんか。 


 写真18−16 この写真は上とは代わって9003形「クロ」が京橋を渡っています  (撮影日 11/02/27)


 さっそく、東山線の京橋に向かいました。お城から、旭川沿いに、図書館・県庁と巡って、小橋・中橋・京橋に至りました。ちょうどいい散歩です。
 そして、京橋の少し下流から、以下の写真が撮影できました。


 写真18−17  京橋南からの岡山城です          (撮影日 11/02/27)


 写真18−18 岡山城と京橋を渡る「タマ」電車  背景の建物は県庁     (撮影日 11/02/27)


 写真18−19 岡山城とMOMOです           (撮影日 11/02/27)


 江戸時代以来のお城と、県庁と、そして回りを巡る路面電車。
 岡山にも、日本の県庁所在地(旧城下町)の伝統的な風景が存在しました。


 【参考文献一覧】
  このページの記述には、主に次の書物・論文を参考にしました。

柳沢道生著『路面電車 全線探訪記』(現代旅行研究所 2008年)

服部重敬編著『路面電車新時代 LRTへの軌跡』(山海堂 2006年)


 これで、各地の路面電車シリーズ7 城と路面電車5 を終わります。


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