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各地の鉄道あれこれ10
 全国各地の鉄道の話題あれこれについて紹介します。

  地下鉄、地上に出る その1 渋谷(続々)08/12/14 

 渋谷駅についての続編です。
 前のページまでは、渋谷の谷の形状と、地下鉄銀座線が地上に出ることについて説明してきました。
 ここでは、さらに細かいところにこだわって、「百貨店のビルの3階のど真ん中に地下鉄の駅がある」ことについて、現在の状況と、その駅が江来た当時の状況との違いにこだわって、渋谷駅の開業時の状況についての正確な状況を考察します。
  合わせて、「未来航路東京特派員」さんが、またまた活躍してくれ、新しい写真がたくさん手に入りましたので、最後にその報告を掲載します。(特派員さん、感謝です。)


 正確な記述と理解が必要 

 さて、本題の正確な記述とは何でしょうか?
 1939年に現在の銀座線の渋谷駅が開通した時、駅は、地中ではなくビルの3階にありました。これは間違いありません。ホームはビルの3階相当位置にあり、乗客はビルの3階から出入りしました。
 そのころの流行歌にも歌われています。

「「東京の渋谷じゃ地下鉄が、ビルジングの3階から出入りする。ハハのんきだね」と唱われたという。」

  ※宮脇俊三前掲著P89

 その結果、現代に発行されている解説本では次のように叙述されています。

  ※注及び赤字での強調は引用者が施しました。

「ビルの三階に作った地下鉄渋谷駅
 山手線内への進出を望む慶太(注:五島慶太)は、地下鉄着工の翌1936(昭和11)年10月、渋谷から天現寺橋までの山手線内に路線を持ち、駅前に高大な敷地を所有する『
玉川電気鉄道』(略称・玉電)を買収する。
「山手線の内側に乗り入れるための地下鉄を敷くには、さしあたって渋谷に各線が連絡できる総合駅を建設する必要がある。そのためにも、円内に路線をもつ玉電との連携が必要だ。玉電との連携無くして、我が社の路線が山手線を越えていくことも困難だ。この問題を解決するためには、どうしても玉電を傘下に収めなくてはならない」
 短期間に玉川電鉄の乗っ取りを果たした慶太は早速、渋谷駅の大改造を手がけた。そこで省線・山手線と東京横浜電鉄、玉川電鉄線の接続が円滑に進む駅とするために、省線・渋谷駅のホーム部分も慶太が建設費を負担して、
山手線をひとまたぎにした地下2階・地上4階の「玉電ビル」(現・渋谷駅、東急百貨店のあるビル)を建てるのだ。
 そして二階を玉川電鉄線が発着するフロアーにあてる一方、地下鉄の駅では最も高い、地上12.1メートルの三階部分にホームを配置(1996年から日比谷線・北千住駅の14.0メートルが最高位になった)して、
駅ビルの中腹から車両が出入りする型破りな構造としたのだ。さらに玉電ビルを貫き、山手線の外側に出た井の頭線に沿って、地下鉄の折り返し線を建設するとともに、車庫も完成させるのである。
  (中略)
 慶太は、渋谷駅を起点としたそれぞれの鉄道を所有しており、亡くなった主人を待ちわびる名犬ハチ公の像も完成したばかり(1934年4月建立)だった。そこで、関東で初めての鉄道会社が直営するデパート(東横百貨店=現・東急百貨店)の経営も合わせて、駅全体を『
渋谷ユニオン(集合)ステーション』(二つ以上の鉄道が共用する駅)と気どって名付けて、集客力を高めようと目論んだのだ。」

  ※中村建治前掲著P175−177

 しかし、だからといって、今のように東横百貨店のビルの真ん中に穴が空いていて、そこからホームに入るというわけではありませんでした。
 上の引用の赤字・青字部分を正確に読み取らなければなりません。特に、
青字部分は正確に理解しなければなりません。あくまで玉電ビルからの出入りです。つまり東急東横百貨店の中腹から地下鉄銀座線が出入りするとは書いてありません。それは、現代の姿から勝手に想像した錯覚です。


 写真10−01 渋谷駅東口                        (撮影日 08/12/11)

 現在の東口のバスターミナルです。
 2階の青い看板の部分は東急東横線の渋谷駅です。バスターミナルがある明治通りを高架で横切っているのは、屋根付き横断歩道通路です。その上の3階部分に、この写真では電車は写っていませんが、銀座線が走っています。 


 写真10−02 東急渋谷駅西側から                    (撮影日 08/12/11)

 東急東横線の渋谷駅を国道246号線上の歩道橋、高速3号渋谷線の高架下から撮影しました。


 写真10−03 ハチ公像と東急5000系                  (撮影日 08/12/11)

 渋谷駅ハチ公広場(北西口)には、東急電鉄の5000系が展示されています。この車両は、1954(昭和29)年に東急が製造した超軽量車両で、戦後の東急近代化に貢献しました。 

写真10−04 内部 (撮影日 08/12/11)

写真10−05 正面 (撮影日 08/12/11)

 展示車両は「5001」つまり、5000系の1号車両です。内部は資料館となっています。右の写真の青年は本サイトとはまったく関係のない人です。たまたま写ってしまいました。


 現実の姿 当初の駅は今の駅のイメージとは違います

 右は宮脇俊三氏の著書の表紙です。本の紹介と言うことで、引用をご容赦願います。
 この表紙の中央には、東横百貨店と電車の駅の写真が掲載されています。
 看板は、横書きなのに「
店貨百横東」と右から書かれていて、戦前の表記であることがわかります。
 
質問1: これは、どの角度からの写真なのでしょうか?
 実は、百貨店の南南西側からの撮影で、写っている駅と電車は、
東横線の渋谷駅と電車です。
 手前左側には、山手貨物線の線路と、引き込み線の行き止まりの部分が少し写っています。おそらく山手線渋谷駅のホームから撮影された写真です。
 このページの主役の
地下鉄銀座線はまだ存在していません。
 
 質問:2 これはいつ頃撮影されたものでしょうか?
 東横百貨店の開業が1934年、地下鉄渋谷駅の開業が1938年ですから、その間であることは間違いありません。

 
質問3: ではこのあとどこに地下鉄線路が建設されたのでしょうか?
 

 ※宮脇俊三著『昭和八年渋谷駅』(PHP研究所 1995年)

 この百貨店を貫いて地下鉄線路が敷設されたのではありません。
 百貨店の南側に、東横線の渋谷駅、山手線を跨ぐガードを新たに造り、山手線西側に新しく建造された玉電ビルに繋がる路線が敷かれました。したがって、今と違って、山手線東側の東横百貨店の中に駅があったわけではありません。 


 下の地図は、地下鉄銀座線渋谷駅ができる前の渋谷駅周辺の地図です。

  ※宮脇俊三前掲著P105、林順信編著前掲書P123より作製(参考文献リストはこちら↑ 


 上の地図は、上の本の表紙の写真とほぼ同じ時代の渋谷駅周辺です。現在は廃線となった玉電玉川電気鉄道)が、戦後1979(昭和44)年までは走っていました。
 その段階では、渋谷駅の西側には、北から
京王井の頭線渋谷駅(2階)・玉電渋谷駅(2階)・地下鉄銀座線渋谷駅(3階)と並んでいました。

左 写真10−06 大正末頃の玉電 (撮影日 08/12/11)
右 写真10−07 現在の玉電口   (撮影日 08/12/11)
 左の写真は、上の渋谷駅ハチ公口の展示車両5000系の中に説明してある写真群の一つです。ただし、他の参考書籍では、この写真は、1933(昭和8)年頃の玉電渋谷駅とされています。玉電食堂などがあるところから見て、1933年頃が正しいと思われます。
 右の写真は、現在のJR渋谷駅の出入口の一つ、
玉川改札(玉川口)です。40年程前に廃止になった玉電ですが、入口の名称としてはまだ存在しています。 


  帝都高速度交通営団編『営団地下鉄五十年史』(帝都高速度交通営団 1991年)P8に掲載されている写真は、上の地図ののち、1937年に玉電ビルの建設が始まった時の様子が分かります。
 この写真は、すでに、1934年に開業していた東横百貨店の西側から渋谷駅西側方面を撮影したものです。真下の山手線は視野に入っていませんが、写真の中央に玉電の仮の停車場が設置されており、その向こうに電車が3両ほど見えます。
 その左(西側)には、このビルができた時は2階に上がる玉電のためにスロープが建設されつつあります。
 さらにその左には、銀座線の車庫が高架の3階に建設されつつあります。高架部分はまだ繋がっていませんが、すでに車両は5編成ほど入っています。


 もうひとつ、決定的な写真があります。
 佐藤信之著『地下鉄の歴史 首都圏・中部・近畿圏』(グランプリ出版 2004年)のP19の掲載写真です。
 もとは、銀座線開業の頃と想像される、銀座線線路と東横百貨店の絵はがきの写真です。これによると、地下から出て明治通を高架でわたった地下鉄線路は、東横百貨店のビルに隣接する駅につながっています。この時はまだ百貨店は大きな建物ではなく、その隣の3階部分に地下鉄の地上駅が設置されている状況です。


 これらのことを総合して考えれば、次のように説明するのがより正しいといえるでしょう。

「銀座線渋谷駅の開業に当たっては、青山通りの下を通ってきた線路をそのままの高さで渋谷の谷の中に高架で導き入れ、それまであった東横百貨店(現在の東横百貨店東館)の3階南側部分に隣接し、また新しく建設した玉電百貨店(現在の東横百貨店西館部分)の3階部分に乗り入れる形とした。」

 これでいかがでしょうか。 


 現在の渋谷川

 最後に、東京特派員が撮影してくれた、渋谷の地形の原点、渋谷川の現在の写真を掲載して、このシリーズを終わります。


写真10−08  (撮影日 08/12/11)

写真10−09  (撮影日 08/12/11)

 左 国道246号線の歩道橋、高速3号渋谷線の下から撮影しました。暗渠から出て下流へ向かう渋谷川です。
 右 左の写真より一つ下流の橋から東急渋谷駅方面を撮影したもの。渋谷川は、この先、原宿にかけて暗渠です。

写真10−10  (撮影日 08/12/11)

写真10−11  (撮影日 08/12/11)

 左 4本目の橋から上流を臨んでいます。左手は東急東横線の高架です。
 右 2本目の橋から下流を臨んでいます。遠くに東横線電車が走っています。


 これで、「地下鉄、地上に出る その1銀座線渋谷」をすべて終わります。
 地下鉄シリーズは、次の取材ができるまで時間がかりそうです。しばらくお待ちください。 


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