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日本の真ん中について考える2-2
 続編です。2005年の国勢調査のデータを元にした人口と人口重心です。
 
 新しい人口重心探検記 07/11/11作成 
 新しい人口重心点のある町       

 わが地元の『岐阜新聞』(2007年9月7日朝刊)によると、2007年9月6日、岐阜県関市は、新しい人口重心の場所に、標柱を設置し、この日除幕式を行いました。

 さきの2000年の調査の結果で新しい重心点となった
武儀郡武儀町富之保(当時、今は関市)にも、モニュメントが作られていました。
  また、その前の
旧郡上郡美並村(現郡上市)の場合は、「日本真ん真ん中」の巨大な記念施設を作りましたから、同じパターンが続いています。
 つまり、人口重心による町おこし、地域活性化です。 
 それではそこへ行ってみましょう。

 ※右の地図の赤い文字の地点をクリックするとそれぞれ写真にジャンプします。 


 人口重心を目指して       

【県道58号線から63号線へ】  | 地図へ |

 新重心点は、基本的には旧重心点の近くです。そりゃそうです。移動したといっても、僅か東南東に2.1kmですから、たいした違いはありません。
 長良川の中流部にある岐阜県関市から同水系の一つ津保川に沿って上っていく
県道58号線を30分ほど北上すると、旧武儀川町役場に至ります。県道58号線はこのまま行くと、一山越えて飛騨川(木曽川)水系の益田郡金山町へ至りますが、ここで左折して、58号線と別れ、63号線に入ります。

 左の写真は、県道58号線と63号線の分岐点です。右には、旧武儀町役場、現在の関市武儀事務所があります。 この交差点を左に行くと、県道63号線です。
 国道63号線に入って5分ほど北上すると、県道63号線と同325号線の分岐点に付きます。

【県道63号線から325号線へ】 | 地図へ |

 右の写真の中央の青い道路標識の所、左手にサークルKのある交差点を左折すると、県道325号線に入れます。
 余談ですが、この写真を撮影した場所から、右手を向くと学校の校舎が見えます。 
 次の写真の中央に白い校舎らしき建物が見えます。
 これは
岐阜県立関有知(せきうち)高校の校舎です。ただし、今はこの校舎に生徒はいません。 
 実は、以前はこの学校は中濃高校と呼ばれていましたが、関市内にあった中濃西高校と統合され、関有知高校となったと同時に、生徒募集が停止され、廃校となったのです。

【ちょっと寄り道 旧中濃高校】  | 地図へ |

 一時期、ここに県立の中等教育学校(中高一貫教育校)が設置される構想もありましたが、今は頓挫して、無人の校舎だけが残っています。
 我々県職員は、教育委員会教育財務課からのお触れによって、この校舎の近くに来たときは、無人の校舎に近づいて、建物の現状を確認するように言われています。
「はい、異常なし。」  


武儀東小学校から武儀倉へ】   | 地図へ |

 県道325号線は、関市上之保(旧武儀郡上之保村)を北上して、馬越峠を越えて、郡上市に入る山間の国道です。
 
武儀東小学校を左に見て、北上します。
 この小学校は、関市と旧武儀郡武儀町が合併して小学校が統廃合されるまでは、富之保小学校と呼ばれていました。
 


武儀倉川に沿って     | 地図へ |

 県道325号線は小学校を過ぎると橋を渡って武儀倉川の西岸にでます。(写真左上)
 武儀倉集落の二大産業は、
農業と林業です。武儀倉の集落の中には、道沿いにいくつも製材工場が、並んでいます。(写真右上)製材工場は昔は大きな都市の市街地の中にも有りましたが、今では、よほどの田舎に行かないとお目にかかれません。

 集落からでると、あとは、ひたすら山間の谷川、
武儀倉川に沿って北上します。(写真左下)


林道入口】           | 地図へ |

 橋を渡って県道325号線をしばらく進みます。 
 神社を過ぎて道が狭くなって、さらにいくと、人口重心点に向かう
林道の入口に付きます。

 小さな谷川に架かる橋の白いガードレールが目印です。(写真左上)

 拡大すると、右のような
案内板があります。
 そこを左(西側)に曲がると小屋を過ぎて20mほどで、
小さな駐車場があります。

 左下の写真は、駐車場から県道方向を写したものです。小屋の向こうが県道です。


  駐車場は乗用車3台が止まれる程度の広さです。(写真左)奥の白い立て札の向こうの林道は、車両進入禁止です。
 
林道を5分歩くとすぐに行き止まりになります。(写真右)
 写真の小型ショベルカーの上の部分から左手は、
杣(そま)道となります。


人口重心点の記念碑】     | 地図へ |

 左上は、林道の終点からそま道を撮影したものです。かなりの急坂です。左下の写真のように、途中に休憩所が作ってあります。

 それでも、そま道は途中で左折して合計7分ほど登れば、右上の写真の場所、つまり
記念碑の設置してある場所に着けます。

 お待たせしました。
 林道入口から、合計12分ほどで人口重心点のモニュメントに到着です。何か素晴らしいモニュメントが構築されているのかというと、そうではありません。
 
木の柱が3本あるだけです。
 ヒノキ製で中央の標柱には、「
日本人口重心地点 関市」と墨書されています。
 これが、2005年の国勢調査に基づく重心点です。
東経 137度00分27.43秒
北緯 35度36分20.65秒

 ちょっと機械と人手があれば引っこ抜いて持って行けそうな標柱です。
 無理もありません。
5年後には、重心点はまた東南東方向(東京の方向)に動くに違いありません。
 今度は
武儀倉側の東側、ひょっとすると、さらに津保川の東に移動してしまうかもしれません。
 5年限りの人口記念碑です。
 いや、重心点が移動したら、この標柱は移動されるのかもしれません。
 場所等の詳細は、、関市役所企画政策課にお問い合わせください。 0575−22−3131 

 
 人口重心の標柱の除幕式を伝えた『岐阜新聞』には、
「市は『人口重心は新たな観光資源』とし、同市下之保の道の駅平成で、同日から危険Tシャツの販売をはじめた。」
とありましたので、帰りに早速道の駅平成に立ち寄りました。
 左の写真がそのTシャツです。

 う〜ん、「シンプル is best.」としかいいようのない商品です。


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