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日本の真ん中について考える2-1
 続編です。2005年の国勢調査のデータを元にした人口と人口重心です。
 
 平成17年の国勢調査による新しい人口重心 07/11/04作成 
 はじめに                                               

 2007(平成19)年6月25日、総務省統計局は、2005(平成17)年の国勢調査結果による新しい人口重心の位置について発表しました。
 それにともなって、あたらしい人口重心の場所に、
地元岐阜県関市によって、人口重心点を示すモニュメントが、2007年9月6日に設置されました。
 ちょっと遅くなりましたが、地元岐阜県と関市の話題をお届けします。

 なお、前回、2000(平成12)年の国勢調査による人口重心については、「
日本の真ん中について考える1」で詳細を説明しています。ご覧になっていない方は以下をクリックしてください。

まずはセンター試験問題です。
(大学入試センター試験問題に出題されたアメリカの人口重心についての説明です。)

人口重心というのはどうやって算出するのか

日本の人口重心の推移

現在の人口重心探検記(2000−2005年の人口重心点のモニュメントです。)

岐阜市の人口重心の変遷(岐阜市の人口重心の推移です。)


 2005年国勢調査による新しい人口重心       

 総務省統計局によると、2005年の人口重心の位置は、東経137度00分27.43秒、北緯35度36分20.65秒となり、前回より、東南東に2.1km移動しました。
 人口重心点のこれまでの変遷は以下のとおりです。 


<人口重心点の変遷>

年  次

東  経

北  緯

位  置

1965年

136度45分46秒 

35度39分46秒

山県郡美山町円原(現山県市)

1970年

136度51分11秒

35度39分03秒

武儀郡洞戸村高賀

1975年

136度53分08秒

35度38分17秒

美濃市今淵ヶ岳と瓢ヶ岳の中間

1980年

136度54分08秒

35度38分19秒

郡上郡美並村片知山の北方

1985年

136度55分07秒 35度37分45秒 郡上郡美並村片知山の東方

1990年

136度57分06秒 35度37分19秒 郡上郡美並村半在駅の東北方

1995年

136度57分55秒 35度37分12秒 郡上郡美並村半在駅の東方

2000年

136度58分45秒 35度36分53秒 武儀町水成の北西方

2000年修正

136度59分16.83秒 35度36分54.50秒 武儀町水成(現関市)

2005年

137度00分27.43秒 35度36分20.65秒 関市富之保
  総務省統計局統計トピックス No22 「我が国の人口重心」より

  上表の中にも示されていますが、今回から、人口重心点の表示について変更が2点あります。

 重心点算出の方法が変更となりました。
 2000年までの算出方法は、
市町村役場の位置を基準とする方法でした。ところがこれでは、市町村合併が進んで市町村が位置や役場の位置が変わると、それだけで、人口の変化がなくても人口重心点が移動してしまいます。
 そこで、2005年からは、
基本単位区(約25〜30世帯の地域単位)の図形的中心点を基準とする方法へ変更になりました・
 このため、前回との比較を行うため、前回分を新しい算出方法で示したものが、上表の「2000修正」の位置です。
 

 緯度・経度の測定基準が、2002年の測量法の改正によって、日本測地系から世界測地系に変更になりました。上表の2000年以前の重心点の緯度・経度も、世界測地系でのものに修正が加えてあります。


 新しい人口重心点の位置                                                 

  その結果、日本の新しい人口重心の位置は、下の図のようになりました。
 
 下の図は、右の岐阜県の美濃地方の中央部の拡大図です。
 2000年の重心点は、武儀郡武儀町の水成地区にありましたが、新しい重心点は、関市となりました。

 これは、平成の市町村大合併によって、武儀町が関市と合併したことによります。
 重心は、旧武儀町内で、東南東に2.1km移動しました。
 



 さて、こうなると、新しい人口重心がどんなところか、見聞に行かなければなりません。
 次ページは、その探検記です。(探検と言うほど未開の地ではありませんでしたが・・・・。)


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