前ページのような輸送船団の実態であれば、油は順調に運ばれてくるはずもありません。
次の表は、1944年後半期と、1945年の石油還送実績です。
アメリカ軍がフィリピンのルソン島に上陸するのが、1945年1月9日です。直後にハルゼー大将指揮下の空母機動部隊が南シナ海に侵入し、航行・在泊していたタンカー群は大打撃を受けます。
これ以後、タンカーによる油送は、ほとんど成功しなくなり、3か月の間に、僅かタンカー6隻分しか手に入りませんでした。それが、上表の3月分に計上してある8万7000キロリットルと考えられます。
海軍については、備蓄量も明らかにされていますから、表を引用します。
表7 海軍の内地月頭在庫量 (単位:原油・重油はトン、航空揮発油はklキロリットル)
1944年 1945年
月 |
10月 |
11月 |
12月 |
1月 |
2月 |
3月 |
4月 |
5月 |
原油トン |
26,428 |
24,048 |
18,714 |
18,435 |
5,127 |
3,827 |
1,285 |
1,285 |
重油トン |
107,714 |
67,474 |
55,117 |
46,013 |
51,475 |
38,060 |
49,162 |
46,245 |
航空揮発油kl |
57,704 |
35,841 |
35,868 |
− |
32,659 |
21,272 |
36,491 |
24,727 |
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三輪宗弘前掲『太平洋戦争と石油』P188の表の一部を引用。引用書には、航空揮発油の1月の数値は、385,521となっています。前後と桁が一つ違うため、誤記載とも考えられるが、確認できないのではずしました。 |
大和の出撃が計画されるのは、1945年3月です。この月の月頭の重油備蓄量は、僅か3万8000トンになってしまっていました。キロリットルに換算すれば、およそ4万2000キロリットルです。
これがどのくらいの油の量なのかは、なかなか、分かりづらい所です。
過去の海戦ではどれぐらいの量が消費されているのでしょう。
前掲書によれば、ミッドウエー海戦では60万キロリットル、マリアナ沖海戦では35万キロリットル、レイテ沖海戦で20万キロリットルを消費したということだそうです。
ということは、僅か、4万2000キロリットルでは、もはや、海軍の戦いはできないに等しいということです。
大和は、燃料を満載すると、6300トンも積めました。備蓄量の1割以上です。こういう比較をすると、そろそろ「片道燃料」の意味が見えてきます。
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