西濃鉄道石灰石専用列車と
大垣赤坂金生山15
 通称「矢橋ホキ」って知っていますか?貨物列車の1編成から産業と故郷を考えます。
| 未来航路Topへ | | メニューへ | | 前へ | | 次へ |

 新日本製鐵1 

 名古屋臨海鉄道の東港駅を出た矢橋ホキは、まっすぐ南下して、目的地の新日鐵駅に向かいます。その間、距離にして約5km、時間にして13分少々です。

 このページと次の16ページでは、新日鐵駅での矢橋ホキの動きは紹介しますが、それだけではなく
  1 新日本製鉄名古屋製鉄所の紹介↓
  2 運び込まれた石灰石の利用や製鉄業界の紹介↓
  3 矢橋石灰工業の石灰石がどう利用されるか↓(次の16ページで)
 について、久しぶりに地歴公民科の教師に戻って、いろいろ解説します。

上の地図は、グーグル・アースGoogle Earth home →http://earth.google.com/)の写真から作製しました。

| このページの先頭へ |
 新日本製鐵名古屋製鐵所

 新日本製鐵名古屋製鐵所は愛知県東海市の埋め立て地に存在する、高炉を2基備えた巨大製鉄所です。
 
 この製鉄所のルーツは、
1958(昭和33)年に設立された東海製鉄にあります。
 
東海製鉄は名古屋財界の期待を担って銑鋼一貫生産(鉄鉱石を高炉で溶かして銑鉄(粗鋼)をつくり、それを様々な鉄鋼製品に一貫して加工すること)する工場の建設を目指しており、1960年にはこの地の埋め立て工事が始まりました。
 1961年に冷延工場が完成したのをはじめとして工場群が整備され、
1964(昭和39)年には、第1高炉が完成し、銑鋼一貫体制が確立しました。
 
1967年には第2高炉が完成し生産力を高めましたが、この年には、富士製鉄所と合併しています。(第2高炉は1979年に吹き止めされ、その後解体されました。)
 
1969年、第3高炉稼働。
 
1970年には富士製鉄株式会社と八幡製鉄株式会社が合併し、新日本製鉄が誕生しました。この時から、この製鉄所は、新日本製鐵名古屋製鐵所となりました。
 
 現在は第1高炉と第3高炉の2基で銑鉄を生産しています。昨年後半からの不況で粗鋼生産量は減少していますが(あとで詳しくレポートします)、それまでは年間およそ600万トンほどの生産量(全国第7位)を続けていました。
 ※新日本製鉄名古屋製鉄所のHPはこちらです。→http://www.nsc.co.jp/index.html  


上の地図は、国土交通省のウェブマッピングシステムのカラー空中写真から引用した写真をもとに作成しました。写真は1987(昭和62)年のものを2枚つなげています。ちょっと古い写真ですが、工場建物の配置等、現在と大きな変化はありません。なお、2枚をつなげた部分は、若干歪み等がみられます、ご容赦ください。
 →国土交通省ウェブマッピングシステム(http://w3land.mlit.go.jp/WebGIS/)


 新日本製鐵名古屋製鐵所は、名古屋ドーム130個分の広さ、623万平方メートルの広大な面積を持っています。
 西側の伊勢湾側には、鉄鉱石・石炭を船から下ろして積み上げておくヤードがあります。
 現在稼働している二つの高炉、
第1高炉第2高炉は、並んで、工場の中央部やや海側にあります。正門からみるとちょうどま西の方角に当たります。
 正門からは他の建物のために撮影ができず、やや南の太田川の堤防などからはよく見えます。内部の見学(工場見学)はできますが、工場構内での写真撮影は禁じられています。
 
 
名古屋臨海鉄道南港線新日鐵駅は、正門のすぐ東、知多産業道路の加家インターチェンジのすぐ西側にあります。貨物線の駅ですから、駅舎やプラットフォームがあるわけではなく、ただ単線の本線の横に、1本側線があるだけです。
 そこから、名古屋工場構内へは2本の引き込み線が入っています。駅の北側に入る線(これを上の地図では、
引き込み線@としました)と、駅の南側へ入る線(図中の引き込み線A)です。
 そのうちの
引き込み線@は、正門の北側に入り、引き込み線Aは、そのまま工場の東外側を南へ進み、太田川の川筋と工場のへりを300メートルほど走って、地図中の「入線口」から工場内に入り、工場南部の石灰石下ろし場所まで進みます。


 写真15−01   第1高炉(右)、第3高炉(左)                 (撮影日 09/04/04)

 名古屋製鐵所構内の見学は、平日の団体客によるものか、または毎年11月に行われる「東海秋祭り」の土曜日・日曜日に限られています。しかも、構内での撮影は禁止です。したがって、高炉の撮影は、工場外部からの撮影となります。
 これは、名鉄常滑線太田川駅のやや西の町中からの撮影です。

| このページの先頭へ |
 名古屋臨海鉄道新日鐵駅

 名古屋臨海鉄道南港線は新日鐵名古屋工場の部分では、工場の東側に沿って南下しています。南港線のすぐ東側に知多産業道路が走っており、南港線新日鐵駅は、知多産業道路と工場に挟まれた位置にあります。
 産業道路の加家インターチェンジから名古屋製鐵所の正門に入る道があり、その高架橋の下に駅がります。 


 写真15−02 名古屋製鐵所と新日鐵駅
            (上の地図13と同じ国土交通省ウェブマッピングシステムの写真を利用、1987年撮影)

 写真の中央に名古屋製鐵所の正門ゲートがあります。 


 写真15−03  正門ゲートと新日鐵駅のアップです  (上と同じ写真のアップです 撮影は1987年)

 一番下が正門ゲートです。中央斜めに本線と待避線の合計2本の線路からなる、名古屋臨海鉄道南港線の新日鐵駅があります。この写真では、両方の線路に貨車が停車しています。本線上(右側)の貨車の南側(下側)には、ディーゼル機関車が見えます。
 また、右上には、引き込み線@から構内に引き込まれた貨物車両が10両ほど映っています。


 写真15−04   産業道路と新日鐵駅駅の南半分です           (撮影日 08/07/19)

 写真15−05       (撮影日 08/07/19)

 写真15−06       (撮影日 08/07/19)

 新日鐵駅を中央の道路橋の上から撮影しました。左は南側半分、右は北側半分です。


 写真15−07   南にある名古屋南貨物駅方面からコンテナがやってきました。  (撮影日 08/07/21)

 


 写真15−08        (撮影日 08/07/21)

 写真15−09        (撮影日 08/07/21)

 コンテナ列車は、新日鐵駅に停車せず、そのまま東港方面へ向かいます。

| このページの先頭へ |
 新日鐵前駅に到着

 名古屋臨海鉄道東港駅を17:30に出発した矢橋ホキ石灰石積載2番列車は、17:43には新日鐵駅に到着します。 


 写真15−10 やってきました。ND機関車に牽引された矢橋ホキです。    (撮影日 08/07/21)

 写真15−11 ND55210に牽引された矢橋ホキです          (撮影日 08/07/21)

 機関車の狭い運転室内には、運転手のほかに、3名も係員が乗車しています。 


 写真15−12 引き込み線に入る矢橋ホキ                 (撮影日 08/07/21)

 上の地図13の引き込み線Aの部分から本線をはずれるND55210と矢橋ホキ。 


 写真15−13  工場へ入線する直前の矢橋ホキ            (A空 撮影日 09/04/04)

 名古屋臨海鉄道南港線の本線から離れて引き込み線に入り、太田川沿いを走る矢橋ホキ。先頭のND機関車はまもなく茂みの中に入り、見えなくなります。
 この太田川の河口沿いを走る矢橋ホキの写真は、他では紹介されていないと思います。本ページだけの特ダネです。 


 写真15−14   矢橋ホキの製鉄所内への入線  
         (上の地図13と同じ国土交通省ウェブマッピングシステムの写真を利用、1987年撮影)

 矢橋ホキは、右端の太田川河口に沿って進み、川沿いの緑の植込みの幅が広くなっている部分から構内に入ります。そして、一番左端の石灰石を降ろす場所まで牽引されていきます。


 写真15−15    石灰石を下ろす場所に停まる矢橋ホキ       (撮影日時は上と同じです)

 この写真は、1987年の撮影ですが、矢橋ホキの運行が始まったのは、1969年からです。

| このページの先頭へ |
 なぜ石灰石が必要か 社会科や理科の勉強です

 矢橋ホキは、大垣赤坂金生山から石灰石を運んできます。この石灰石は、新日本製鐵名古屋製鐵所にとってどういう意味があるのでしょうか?石灰石は製鉄とどのようにかかわるのでしょうか?
 ここでは、ちょっと真面目に地歴公民科の授業をします。 


 写真15−16   第1高炉                       (撮影日 06/11/12)

 この写真は、2006年11月12日の「東海秋祭り」の時に撮影しました。名古屋製鉄所の見学は、通常の平日は、10名以上の団体でしかできません。しかし、秋祭りの2日間のみは、個人や家族での見学も可能です。見学以外のいろいろなイベントもあります。
 しかし残念なことに、いずれの場合も工場内の撮影は禁止です。この写真も、工場外からの撮影です。これを撮影したのは今から2年半前のことですから、のちにHPで「矢橋ホキシリーズを作成」するということはまだ考えていませんでした。まだ日の目を見ていない別の取材での撮影でした。

 さて、この高炉の中で矢橋ホキが運んできた石灰石が活躍しています。
 


  次の説明図04は、高炉内部での反応と鉄鉱石が溶けて出てくるのを示したイメージ図です。


 細かい勉強で恐縮ですが、上の説明図04をこまなくチェックしていただいて、次のクイズにお答えください。冗談抜きのまじめな授業です。    
 ※例によって、黒板をクリックしてください。答が現れます。

 写真15−17    旧八幡製鉄所東田高炉                  (撮影日 04/01/10)

 ここでとっておきの写真の登場です。5年前に北九州に行った時に撮影した、旧八幡製鉄所の東田高炉です。あの官営八幡製鉄所の発祥の地です。すごいです。感動的です。(と自分だけ思っています。)右の3本のサイロのようなものは、高炉に熱風を送り込むための熱風炉です。


 写真15−18        (撮影日 04/01/10)

 写真15−19         (撮影日 04/01/10)

 左:熱風を送り込む送風管です。  右:いわゆる古典的な鉄鉱石(赤鉄鉱)です。
 (いずれも旧八幡製鉄所東田高炉にある展示物です。)


 少し解説をします。
 ※  参考にした文献は、上記の新日本製鐵編『NIPPON STEEL MONTHLY』の 2004.1・2や2006.66などです。

 黒板クイズの答えの1と2のうち、より知られているのは、スラグのほうです。先にこちらを説明します。

 鉄鉱石が溶けて銑鉄になる過程で、ケイ素やアルミニウムの化合物であるシリカやアルミナなどの不純物が分離されますが、これらはべたべたに固まってしまう傾向が強いものです。(つまり融点が高いわけです。)
 もし固まって層をなすと、炉内で上部に上がっていく熱風の動きを阻害して炉内温度を下げたり、酸素と分離されて鉄鉱石から銑鉄となっていく鉄の流れを妨げてしまうことになります。また、高炉の一番下の、銑鉄を取り出す出銑口に詰まってしまうことも起こります。
 そこで、これに石灰石を混ぜておくと、石灰石がそれらと結合し、スラグととなります。スラグは固まらずサラサラに溶けた状態で炉内に存在し、炉内の熱風や物質の動きや反応を妨げることはありません。しかも比重の軽いスラグは、銑鉄の上に浮いた形で、出銑口から容易に流れ出てきます。
 さらに、取り出されたスラグはセメントの原料として再利用されます。石灰石は一石二鳥の役割を果たします。
 石灰石の役割はもともとこれしかありませんでした。
 
 ということは、
焼結鉱の方はより新しい役割です。しかも、より専門的な内容となります。
 
 まず、「鉄鉱石」の常識について説明します。
 現代の製鉄所では、原料の鉄鉱石はオーストラリア、ブラジル、旧ソ連、インドなどから輸入されています。一般の方に、それがどんなものかと質問すれば、常識的に考えて、「鉄鉱石」ですから、「石」状のものを想像されるはずです。上の写真15−19のようなものが鉄鉱石のイメージです。
 ところが、現代では違っています。

 含んでいる鉄分の量や不純物によってあまり均質ではない鉄鉱石を、より均質なものとして利用するためには、「鉄鉱石」を粉砕する必要があります。この時、比較的大きな鉄鉱石は、
塊鉱石、いわゆる「石」状の鉄鉱石となります。しかし多くは、直径5mm以下の粉状の鉄鉱「粉」=粉鉱石として製鉄所に運ばれてきます。
 現在では、
塊鉱石と粉鉱石の割合は、15%対85%と圧倒的に粉鉱石が多くなっています。
 
 それでは、黒板クイズの答えの
焼結鉱とは何かを説明します。
 
塊鉱石を高炉に投入する場合は問題はないのですが、粉鉱石は問題があります。
 たとえて説明すれば、一斗缶を使って焚火(たきび)をしているシーンを想像してください。そこへ木片を順に入れていく場合は燃焼の継続という点において何ら問題はありません。ところが、小さな葉っぱやおがくずを一気に入れてしまった場合どうなるでしょうか。
 きっと火は消えてしまうと思います。理由はわかりますよね、一斗缶の中を下から上へ動く空気の流れを阻害してしまい、結果として酸素の供給を止めてしまうからです。
 
塊鉱石ではなく粉鉱石を高炉上部から投入すると、これと同じ原理が起きます。
 そのためには、
粉鉱石を事前処理して、ある程度の粒にしておくことが必要です。この技術の一つが焼結技術であり、その結果できるのが焼結鉱です。
 具体的には、直径2〜3mm程の粉鉱石に燃料となる粉コークスと溶剤の役目をする粉石灰石を混ぜ、パレットと呼ばれる鉄製の箱に入れて高温ガスにより点火します。すると、コークスが燃えてその熱によって粉鉱石が部分的に溶け、粉石灰石を仲立ちとして直径15〜30mmほどの塊になります。これが
焼結鉱です。
 ここで石灰石が重要な役割を果たすことになるのです。

 さらに正確に細かく言うと、この焼結鉱は、
上の85%の中の75%分でしかありません。残りの10%分は、さらに細かい微粉鉱石が使われています。
 この
微粉鉱石焼結技術とは違って、ペレタイジングという技術によって高炉に投入する前の事前処理がなされます。
 
ペレタイジング技術は、微粉鉱石を石灰石やドロマイト(石灰石と似ていますが、マグネシウムを含んだ石です)と一緒に10〜15mmの大きさに成形し、焼成して固めペレットにするものです。(ペレットというのは、小さな球状の物質のことです)
 こちらでも石灰石が使われています。

 非常に専門的な話になりましたが、
焼結鉱にしろペレットにしろ、粉鉱石の事前処理・投入には石灰石が大きな役割を果たしていることがわかっていただけたでしょうか。

 実はこのほかにも、銑鉄をいろいろな鋼材に仕上げる際や、電気炉その他で粗鋼を生産する際にも石灰石は不純物除去を目的に利用されています。 

| このページの先頭へ |
 どれぐらいの石灰石が必要か

 それでは、鉄を作るにはどれぐらいの割合で石灰石が必要なのでしょうか? 


 ※例によって、黒板をクリックしてください。答が現れます。


 つまり、1トンの鉄を作るための原料総合計2.3トンのうち、7%にあたる0.2トン分は石灰石生産トン数比では20%、5分の1)が使われていることになります。 逆にいえば、石灰石1トンが製鉄用副原料として使用されてということは、その約5倍の5トンの粗鋼が生産されているということになります。(鉄1トン対石灰石0.2トン鉄5トン対石灰石1トン

 2006年11月2日新日鐵名古屋製鐵所を見学した際に配布された、新日本製鐵株式会社編『工場見学記念 資料』(説明用の下敷き)より。数字は2002年のものですが現在も大きくは違ってはいません。

 ページ6「石灰石採掘と石灰石工業」のところで学習しましたが(→)、日本石灰石鉱業協会のHPの説明では、2007年には1憶7000面トンの石灰石が採掘され、その13%にあたる2200万トンが製鉄の副原料に使われたとなっています。
 一方、2007年の粗鋼生産量は、約1億2000万トンでしたから、おおむね両方の数値が符合します。

 繰り返して言いますが、
石灰石は製鉄における重要な副原料なのです。


| このページの先頭へ |
 金生山の石灰石は新日鐵名古屋製鐵所ではどう使われているか 次ページへ

 こうなると、矢橋ホキによって運ばれた石灰石が名古屋製鐵所内でどのように利用されているかが、気になるところです。
 このページの後半は、あまりにもたくさんの勉強をしてしまいましたので、このテーマは次の最終16ページで説明することにしましょう。
 16ページは、そのテーマと、名古屋製鐵所での任務を終えて、製鐵所を離れる矢橋ホキを説明します。 


| メニューへ | | 前へ | | 次へ |