西濃鉄道石灰石専用列車と
大垣赤坂金生山16
 通称「矢橋ホキ」って知っていますか?貨物列車の1編成から産業と故郷を考えます。
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 新日本製鐵2 

 このページでは、まず最初に、15ページの最後に予告した、矢橋ホキによって名古屋製鉄所に運ばれた石灰石がどのように利用されているのかを説明します。
 また、矢橋ホキは、約30分ほどで石灰の積み下ろしを終えて、また新日本製鉄構内からゲート前の駅へ戻ってきます。そして、そのあと東港駅方面へ牽引されていき、次の輸送に備えることになります。
 このページの後半では、この物語の最後の部分、任務を終えた矢橋ホキを紹介します。


 新日鐵名古屋製鐵所の石灰石使用量

 まずはじめに、名古屋製鐵所で使われる石灰石の量を確認します。どこかに公表されているといいのですが、探しても見つかりませんので、前ページで確認した、「鉄を1トン作るのにどれぐらいの石灰石が必要か」という数値から推計します。
 
 まず、名古屋製鉄所の粗鋼生産量は、同製鐵所の公式HPによると、
2007(平成19)年の数値で、628万トンです。
 ということは、前ページ15で学習したように(→)、
その20%の126万トンほどの石灰石が使用されている推定されます。 

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 金生山の石灰石は新日鐵名古屋製鐵所ではどう使われているか

 では次に、矢橋ホキによって運ばれた石灰石は名古屋製鐵所内でどのように利用されているのでしょうか。
 まず、基本的なことを復習します。

 
矢橋ホキによる石灰石の総輸送量は、2007年で62万4,171トンでした。
 ということは、新日本製鐵名古屋製鐵所での
推定使用石灰石総量のおよそ半分が、矢橋ホキによって運ばれていることになります。

 次に大事なことを復習します。
 下の写真の違いがわかりますでしょうか。 


 比較写真16−00A   普通の小石の石灰石(塊石灰石)です      (西岐阜@積 撮影日 08/07/19)
 比較写真16−00B    粉状の石灰石(粉石灰石)です       (新日鐵A積 撮影日 08/07/26)

 矢橋ホキの毎日3列車は、実は、運んでいるものはみな同じではありませんでした。
 1番列車と3番列車は小石状の石灰石(塊石灰石、かいせっかいせきを運び、2番列車は、砂状の粉石灰石(直径4mm以下)を運んでいました。まとめると次の表のようになります。
2007年の石灰石輸送実績 総量 62万4,171トン
 列車の種類  輸送品目  輸 送 量
 1番・3番列車分  通常石灰石(塊石灰石)  47万8,738トン 
 2番列車分  粉石灰石 4mm以下  14万5,433トン 

 この違いは、新日鐵における需要という点ではどういう違いに結び付くのでしょうか?


 これについては、またまた電話取材によって確かめました。取材先は・・・・・・、新日鐵名古屋製鐵所ではありません。新日鐵名古屋製鐵所の中にある、矢橋工業名古屋事業部です。(052−603−1341)担当のNさんから、お忙しい中、親切な説明をいただきました。ありがとうございました。

 それによると、運ばれた塊石灰石と粉石灰石は次のように利用されています。 

 ※焼結鉱については、前ページ15で説明しています。こちらです。(→) 

 何気なく運ばれていく石灰石ですが、調べてみるといろいろ面白い話題に行きつきました。
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 任務終了

 矢橋ホキ2番列車は、約30分ほどで石灰をおろす作業を終えて、18:12、また新日本製鉄構内からゲート前の駅へ戻ってきます。
 ところが、すぐには消え去りません。


 写真16−01     再び登場                    (撮影日 08/07/26)

 入って行った時と同じ引き込み線から、同じND機関車に引かれて、本線へ戻ってきました。


 写真16−02    2番列車が新日鐵駅停車                (撮影日 08/07/21)

 当たり前ですが、中は空っぽです。
 そして、16両編成の2番列車は、そのまま東湊駅へ向かうのかと思ったら、実は違いました。


 写真16−03         (撮影日 08/07/21)

 写真16−04          (撮影日 08/07/21)

 なんとND機関車は、矢橋ホキを切り離して、そのまま側線を通過し、反対の南貨物駅方面へ行ってしまいました。 


 写真16−05 駅南側通過 (撮影日 08/07/26)

 写真16−06 引き込み線部通過(撮影日 08/07/26)

 写真16−07  南へ向うND機関車                       (撮影日 08/07/21)

 ND機関車は、係員をたくさん載せて、南貨物駅方面へ行ってしまいました。

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 一休み

 構内から引き出された矢橋ホキですが、そのまま本線上に留め置かれてしまいました。つかの間の休息です。
 観察者の私にとっては、まじかでゆっくり矢橋ホキを観察・撮影する絶好のチャンスとなりました。


 写真16−08    本線に残された矢橋ホキ                  (撮影日 08/07/21)

 ちょうど道路橋の真下に停車していますので、上からの撮影には絶好です。


 写真16−09         (撮影日 08/07/26)

 写真16−10         (撮影日 08/07/26)

 係員による点検の様子です。 


 写真16−11        (撮影日 08/07/26)

 写真16−12         (撮影日 08/07/26)

 ホキ車の中には、積み荷の石灰石が残っています。この列車は夕方に新日鐵名古屋製鐵所に到着する2番列車ですから、その積み荷は塊石灰石粉石灰石のどちらかといえば、もちろん粉石灰です。このページの先頭で確認しました。


 写真16−13 ホッパー車の内部です。                    (撮影日 08/07/26)

 ホッパー車は、横の扉が開きます。その時に中の石灰石が滑り落ちるように、中央部が高くなっているのです。

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 東港駅へ帰還 次の任務へ

 矢橋ホキは、いつまでここに留め置かれるのでしょうか?時刻表の上では、19:18までには東港に戻ることになっています。


 写真16−14 コンテナ列車がやってきました。              (撮影日 08/07/26)
 しばらくすると、南貨物駅方面から、ND機関車がコンテナを牽引してやってきました。 

 写真16−15       (撮影日 08/07/26)

 写真16−16        (撮影日 08/07/26)

 ND機関車は、待避線に入り、矢橋ホキの横を通過していきます。先頭に乗っている若い乗務員さんは陽気な人で、「暑い、暑い」と言いながら、私に手を振ってくれました。


 写真16−17    コンテナ車が構内へ                   (撮影日 08/07/21)

 どこへ行くのかと思いきや、北側の引き込み線から新日本製鐵所の構内へ入って行きました。
 「なるほど、そういうことか。」


 写真16−18       (撮影日 08/07/21)

 写真16−19       (撮影日 08/07/21)

 期待の通り、ND機関車は、しばらくすると単機で出てきました。


 写真16−20       (撮影日 08/07/21)

 写真16−21       (撮影日 08/07/21)

 スイッチバックして本線へ入ると、運転手も含めると4人がかりで、矢橋ホキと連結します。 


 写真16−22   出発です。                     (撮影日 08/07/21)

 ND機関車の連結が完了すると、すぐに出発です。


 写真16−23   目的地は・・・・                    (撮影日 08/07/21)

 ND機関車が牽引した矢橋ホキは、東港駅に向かいます。時刻は19時ごろです。東港で一晩眠り、次の日の朝、2番列車として、乙女坂駅へ向かいます。 


 写真16−24    黄昏の製鉄所                     (撮影日 08/07/21)

 太田川の向こうに製鉄所の第1高炉(右)、第3高炉(左)。
 矢橋ホキの2番列車が石灰石を下ろすと、夏の製鉄所は夕闇に包まれていきます。


 矢橋ホキの任務が終了したところで、このページ、そして、このシリーズも終わりです。
 2008年の4月末に矢橋ホキに初めて出会って以来、ほぼ1年間の取材でした。そして、2008年12月の初掲載委以来、5ヶ月に及ぶシリーズとなりました。
 おつきあいしてくださった辛抱強い読者のみなさん、ありがとうございました。
 この次のページは、シリーズの付録で、本編では紹介しなかった写真集です。しばらく時間をおいて掲載します。
   


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