岐阜県の東海道線あれこれ16
 岐阜県の東海道線についてあれこれ紹介します。
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 岐阜駅の変遷3 岐阜駅周辺高架事業その1 高架事業の概要

 開かずの踏切と香蘭貨物駅

 岐阜市民にとって、東海道線と高山線によって南北に分断されている市街地の交通を鉄道高架によって解消することは、年来の悲願でした。
 大きな駅の近くにはどこにも、いわゆる「開かずの踏切」があります。
 岐阜駅の場合は、駅東の
清住町踏切、駅西の愛宕踏切がその代表的なものでした。

上の写真は、国土交通省のウェブマッピングシステム(試作版)のカラー空中写真から引用しました。こちらです。国土交通省ウェブマッピングシステム http://w3land.mlit.go.jp/WebGIS/) 以下の地図はすべて同じです。


 これは地図29の写真の一番左(西)端の部分の続きです。愛宕踏切と西陸橋のです。1975(昭和50)年の航空写真です。


 高架前の鉄道に関して、もう一つ市街地の発展を阻害しているものがありました。それは、西陸橋の西側の香蘭地区にあった貨物駅です。
 ご存じとおり、鉄道の開闢以来、荷物の陸上長距離輸送はほとんど鉄道に依存してきましたが、昭和40年代後半からその主役の座を次第に自動車輸送に譲りつつありました。
 にもかかわらず、旧来のまま駅近くの一等地に貨物駅があるのは困りものであり、駅周辺再開発の「癌」ともいうべき問題でした。


 高架事業の概要

 かくて、これらの諸問題を解消し、岐阜市の発展と岐阜駅周辺再開発を促すために、鉄道高架事業が計画されました。
 岐阜市議会に「
国鉄東海道線高架特別委員会」を設置されたのは1966(昭和41)年、岐阜県知事を会長とする「岐阜駅周辺鉄道高架事業促進協議会」(岐阜県・岐阜市・国鉄・名鉄の4者で構成)が設置されたのは1970(昭和45)年のことでした。
 しかし、計画が具体化いていく1970年代にはいると、こういう大規模な事業にはつきものですが、いろいろな問題点、反対がおこりました。
 主なものは次のとおりです。

 貨物駅の移転場所候補として、当初から市橋地区が検討されたが、当然地元からは反対運動が起こりました。これは、結果的に、駅規模の縮小、隣接地に新駅を設置(西岐阜駅)することによって地元の了解が得られました。

 すでに名鉄本線が国鉄を跨いでいたため、国鉄の高架をどのような方法で進めるかが最大の問題点となりました。
 当初は、「
国鉄2階、名鉄地下化案」が提案されましたが、地下化による建設費用が莫大なものに昇ることが推定され、「国鉄3階・名鉄2階」案が採用されました。
 結果的に他のJR線と違って、岐阜市内のそれは、随分高いところを通る鉄道となりました。

 結果的に、次の計画で、高架事業が実施されました。


 高架事業は東海道線部分に関しては、次の事業からなっていました。

 名古屋方面からのルートで説明すると、境川鉄橋を渡った北側から鉄道を平面から高架にし、岐阜駅部分前後は3階建てとし、現在の岐阜環状線(この部分は道路が地下に潜って鉄道をくぐる)との交差部分で平面に降ろす。

 岐阜環状線部分から長良川鉄橋の上りの手前部分までは、西岐阜駅と貨物駅の新設部分とする。この部分は鉄道は平面とするが、道路は、陸橋または地下をくぐる方式とし、踏切は作らない。

 これによって、境川鉄橋の南部分から、長良川鉄橋まで、連続して踏みきりのない鉄道線路となるように設計されました。

この部分の踏切については、すでに、「岐阜県の東海道線あれこれ12 踏切の話」で説明しました。(こちらです。→

 高架事業の期間

 高架事業はまずは貨物駅区間の整備移転からはじまりました。
 すべてが完成したのは1998(平成10)年のことです。
 各部分の工事の状況は次の説明図のように進みました。

岐阜駅周辺鉄道高架事業促進協議会編パンフレット『Railway Grade Separation in Gifu 岐阜駅周辺鉄道高架事業』(2002年)P13−14より



 当時の変化を刻々と撮影した写真を持っていると、超お宝なのですが、残念ながら私は持っていません。いつもの国土交通省の航空写真で確認します。 

工事の進捗状況は次の参考文献に詳しく掲載されています。
渡利正彦著『岐阜駅物語』(岐阜新聞社 2001年) 貴重な本ですがまだ購入できます。ちょっと高いです。(4571円)岐阜県図書館や岐阜市立図書館には、ちゃんとあります。 

 地図29(1975年の写真)と比較すると、次の変化が分かります。
 

 新貨物駅が完成したため、岐阜駅構内にあった貨物取り扱い設備とそのための測線が撤去され、駅の西側部分は更地となっています。

 同じく駅東部分の測線や建物が撤去され、高山線の架設ホームと線路が設置されています。


 写真による高架事業の概要

 このページの後半部分では、高架事業の概要を写真によって説明します。

岐阜駅周辺鉄道高架事業促進協議会編パンフレット『Railway Grade Separation in Gifu 岐阜駅周辺鉄道高架事業』(2002年)P13−14より


  写真16−01                                     (撮影日 07/12/30)

 岐南町の国道21号線の南から見た高架への上がり口の部分。国道21号線陸橋の向こうに見えるのは、境川を渡る橋梁部分、そのさらに先が高架部分となります。


  写真16−02                                     (撮影日 07/12/30)

 写真16−01とは反対に、上り線の電車から、高架部分の最東端(最南端、上り線の降り口)の撮影した写真。遠方の青信号のあるところが境川の橋梁部分。その先で平面におります。


  写真16−03                                     (撮影日 08/03/16)

 写真16−02と同じ高架部分の最東端(最南端)を岐阜駅に向かう、下り大垣方面行き電車。車内では「まもなく岐阜に到着です」とアナウンスが入るところです。岐阜シティ・タワー43の展望室から撮影。 


  写真16−04                                     (撮影日 08/01/15)

 東海道線が大きくカーブして高山線と合流し、西へ向かって岐阜駅へ入っていく部分です。


  写真16−05                                     (撮影日 08/03/16)

 上の写真16−04の高山線と合流部分のアップです。写っている車両は、岐阜駅へ向かう名古屋行き高山線特急ひだ号です。高架の下は、岐阜東通り(竜田町(たつたまち)通り)です。昔はここに竜田町踏切がありました。


 上の写真16−05の部分の高架前の状況です。曲線は東海道線、真っ直ぐ東へ向かうのは高山線です。


  写真16−06                                     (撮影日 08/03/16)

 岐阜駅西の高架部分。
 下り電車は、昔の西陸橋の部分を通過中です。陸橋の北西側にあった旧貨物駅の部分(地図32参照)には、現在大型電気店のビルが建っています。すっかり再開発が進んだ岐阜駅西香蘭地区の現況です。


  写真16−07                                     (撮影日 07/12/30)

 高架部分の西の端、岐阜環状線の上にさしかかろうとする下り特急しらさぎです。
 手前の制限時速40kmの標識が立っているすぐ後ろを岐阜環状線がくぐっています。西岐阜駅のホームの東端から撮影しました。 


 岐阜駅周辺高架事業のその1はこれで終わりです。高架事業の概要を説明しました。
 この次のページ、「岐阜県の東海道線あれこれ17 岐阜駅の変遷4 岐阜駅周辺高架事業その2」では、本体の高架事業に先立って行われた、
貨物駅・西岐阜駅の建設について説明します。
 その次の「岐阜駅の変遷5 岐阜駅周辺高架事業その3」では、
岐阜駅本体や路線・車両の写真を紹介します。
 さらに、その次の「岐阜駅の変遷6 岐阜駅周辺高架事業その4」では、将来の
名鉄線高架事業について説明します。
 ご期待ください。
  


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