岐阜県の東海道線あれこれ15 |
岐阜県の東海道線についてあれこれ紹介します。 |
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岐阜駅の変遷2 3代目岐阜駅と東陸橋 |
3代目岐阜駅への移転 |
八間道の南端にあった2代目岐阜駅ですが、大正時代になってから2度目の移転が計画されます。 |
1891年の地図から作製した2代目岐阜駅周辺の街路・市街地の状況図です。2代目駅と旧中山道沿いの加納町の間には、比較的広い田地が広がっていました。 |
このため、1909(明治42)年になって、鉄道院は岐阜県知事に対して岐阜駅の南方への移転の検討を諮問しました。
3代目岐阜駅の開業は、1913(大正2)年7月22日でした。 |
写真15−01 岐阜市編初代『岐阜市史』(1928年発行)のP376の掲載写真 |
3代目岐阜駅の駅舎です。 |
東陸橋 |
駅本体の位置が、当初の計画から東へ移動したため、八間道(現神田町通り)を直進して加納と結ぶことはできなくなりました。 |
駅移転の7年後、1920年の状況を示した地図です。 |
しかし、厳密に言うと、最初の陸橋がそのまま廃止まで続いたのではありません。 |
写真15−02 御大典記念勧業共進会協賛会編『岐阜名勝案内大正4年』(1915年)の写真より複写 |
東海道線をまたぐ鉄道橋を渡る美濃電気軌道の郊外線電車です。東海道線の北側、鉄橋の西側から撮影です。 |
写真15−03 1975年の航空写真 |
※ | 上の写真は、国土交通省のウェブマッピングシステムのカラー空中写真から引用しました。こちらです。国土交通省ウェブマッピングシステム http://w3land.mlit.go.jp/WebGIS/) |
まだ鉄道高架になる前、1975(昭和50)年の東陸橋の航空写真です。上が北、右が東です。 |
写真15−02と写真15−03を比較すると、同じ陸橋でも「変化」があることに気付かれるでしょう。
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地図28は、東陸橋周辺の変遷図です。 |
写真15−04 (撮影日 08/03/03) |
地図28のエリアを、駅前通を跨ぐ歩行者デッキの上から、東方向を撮影しました。 |
現在の東陸橋 |
現在では、岐阜駅周辺高架事業(駅舎の完成は1998年3月完成)によって、周辺は高架となっています。 |
写真15−05 (撮影日 06/11/05) |
上の写真15−02とほぼ同じアングルのJRと名鉄のクロス部分の現在の状況です。名鉄線は2階をJR線は3階を走ります。 |
写真15−06 (撮影日 08/03/15) |
JRと名鉄のクロス。上の写真とは反対の、高架橋の南側、国道157号線の西側の歩道からの撮影。 |
写真15−07 (撮影日 08/03/15) |
上の写真と同じ、クロスの南側、国道の東側の歩道からの撮影。歩道右手の土留めブロックの上の枯れ草のあたりが、旧東陸橋の歩道部分の端にあたります。 |
写真15−08 (撮影日 06/11/05) |
国道157号線のJRの高架橋の真下から東方向を撮影したものです。高架橋の下は何もありません。 |
写真15−09 (撮影日 06/11/05) |
名鉄の線路橋の南端のアップです。この橋の名称は、いまでも「JR東海跨線橋」です。もちろん、今では跨ぐ線路はありません。煉瓦積みがこの高架部分の歴史を物語っています。 |
写真15−10 (撮影日 06/11/05) |
「名鉄跨線橋」の北端部分。同じく煉瓦積みです。 |
写真15−11 (撮影日 08/03/15) |
名鉄岐阜駅を出て、跨線橋に入ろうとする上り普通電車。中央の高架土盛りをくぐるトンネルもまた、大正時代からの貴重な遺物です。岐阜シティ・タワー43の展望室からの撮影です。 |
写真15−12 (撮影日 05/01/22) |
この写真は名鉄岐阜駅とそれを跨ぐJR高架橋の全貌を示したものです。駅の4番線には、往年のスター電車、パノラマカーが停車しています。JR高架橋上は、高山発名古屋行き特急ひだ号です。岐阜駅を出たところです。 |
写真15−13 (撮影日 05/01/22) |
上と同じ場所から撮影したクロス部分のアップです。写真15−08で紹介した名鉄の跨線橋は、実は現在に至るまで単線です。 |
このページでは、1913年の3代目駅への移転と、その時点から存在していた、東陸橋及びその直後に作られた名鉄の跨線橋について紹介しました。 |
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