岐阜の原風景・現風景4
 写真を題材に、岐阜の「名所」を紹介します。
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 岐阜シティ・タワー43 −新しい岐阜のランドマークタワーの誕生−その1
 
 誕 生

 2007年10月13日(土)、岐阜市の新しいランドマークタワー岐阜シティ・タワー43がオープンしました。10月から11月にかけて、オープン記念のイベント、その名も「誕城祭」が行われています。

 このビルは、岐阜駅改札口から歩いて3分、駅に隣接する一等地に建設された、
43階建ての商業施設と居住施設の複合ビルです。


 43階建てのこのビルの高さは163m

 それまでは、岐阜市には10数階建てのビルしかありませんでしたから、このビルはぬきんでて背の高いビルとなりました。背景の山々のうち、一番左の高い山が
金華山です。

 左端の白いビルは、現在では岐阜市唯一の百貨店となった
高島屋です。屋上に赤い高マークが見えます。
 写真中央の赤白の塔の上の飛翔物体は、単なる烏です。(市南西部の集合住宅の非常階段から撮影 撮影日 07/11/11)


 岐阜市西部のJR東海道線長良川橋梁横からの撮影。 (撮影日 07/11/03)


 このタワービルにかける岐阜市関係者の思いは相当なものです。
 2007年10月1日発行の『広報ぎふ』には、次のような細江岐阜市長の挨拶が掲載されています。

 「永年の懸案であった岐阜市の玄関口であり、また顔でもある岐阜駅前の活性化の象徴として高々と聳(そび)え立つ163メートル、43階建てのこのタワーは中部圏9県で最も背の高い居住系複合ビルとなります。1千人近い市民が居住することになるこのビルには多くの関係者が出入りするようになり周辺地域は大いに賑わうことが期待されます。」(一部引用)


 引用文中の「最も背の高い居住系複合ビル」というのは、微妙な表現です。隣の愛知県名古屋市の中心には、これよりもはるかに高いビルがいくつもありますが、それらは、「居住系複合ビル」ではなく、純粋な商業施設ですから、同じジャンルではないのです。

 このビルは中味は下のようになっています。

 分譲と賃貸と併せて351戸のマンションがあり、全戸が入居すれば、市長のコメントにあるように、1000人規模の「ニュータウン」となるはずです。


 夕焼けと県境の山を背景にしたシティ・タワー43。写真右手の山は滋賀県との県境にある伊吹山
(岐阜市東部の岐阜県立病院近くの歩道橋上から撮影。 撮影日 07/02/25)


 
 JRの高架化によって
旧東陸橋が撤去され、名鉄岐阜駅の西南側はずいぶんと様変わりしました。
 
 この写真は、
名鉄岐阜駅の高架ホームのすぐ西下からの撮影です。外装の完成直前の姿で、屋上にまだクレーンが1基だけ残っています。
 (撮影日 07/01/27)


 このビルの起工式は、2005年1月でした。
 この写真は、岐阜県庁から撮影した2006年4月28日の写真です。背景は
金華山です。やっと半分ほどできた状態です。最上部でクレーンが2基頑張っています。(撮影日 06/04/28)


 43階までできあがり、大型クレーンも必要なくなりました。東西に2基あったクレーンは、東だけになっています。(撮影日 07/01/27)


 上の写真と同じ日、西側のクレーンは、下へ降りつつありました。北西側の道路からの撮影です。(撮影日 07/01/27)


 このタワーにどういう期待がかかっているか 岐阜市の現状

 最初に引用した市長のコメントの中に、「岐阜駅前の活性化の象徴として」という文言があります。これは、どういう意味なのでしょうか。
 現在岐阜市はどういう状態にあり、このビルにはどういう期待がかかっているのでしょうか?

 それには、最初に、岐阜市中心部の現状に触れなければなりません。
 実は、岐阜市の中心部は、
中小地方都市の「危機的状況」の典型のような状況となっています。

 中小商店が潰れて、
柳ヶ瀬やその他の商店街が「シャッター商店街」となるだけではなく、百貨店も次々と撤退し、現在では、高島屋が唯一の百貨店となってしまいました。


 名鉄の市内電車も走り、新岐阜百貨店も健在だった、2004年秋の名鉄新岐阜駅前。今は、市内電車も新岐阜百貨店もありません。(東北側十六銀行本店前から撮影 撮影日 04/11/28)

 上の写真と同じ日に、北東側から撮影。新岐阜百貨店PARCOもありました。今は両方ともありません。(撮影日 07/11/28)

 現在の名鉄岐阜駅。透明のスマートな駅舎になりましたが、地方都市のターミナルとしての貫禄はありません。(撮影日 07/08/19)


 岐阜市の現状その1 人口減少・ドーナツ化

 このような中心部商店街の衰退の原因のひとつは、地方都市における人口のドーナツ化現象と、郊外への大型店の出店です。

 
岐阜市でも、人口のドーナツ化は明らかです。次の小学校の校区別人口増減をご覧ください。
 左は、1995年と2000年の国勢調査の比較、右は、2000年と2005年の比較です。

 ※1995年以前の国勢調査との比較は、目から鱗「日本の真ん中について考える1」で説明しています。


 岐阜市そのものの人口も減少しています。(新たに合併した旧柳津町分も含めると増加)
 また、1995−2000と、2000−2005を比較すると、中心部での減少地区数、減少率ともに、2000−2005をが高くなっています。

 この状況に合わせて大型複合店舗が郊外に次ぎ次と建設され、中心部の商店街は、閑古鳥が鳴く有様となりました。


 岐阜市の現状その2 繊維産業の衰退 


 岐阜駅前の場合は、さらに、別の事情が加わります。
 岐阜駅前には太平洋戦争直後に引揚者によって創設された市場(当時は
ハルピン街と呼ばれました)を起源に持つ繊維問屋街(通称問屋町、とんやまち)があり、長く岐阜の経済を牽引してきました。

 しかし、1970年代半ば以降、繊維に期待することはできない状況となりました。ファションだ、アパレルだと言い方を変えてデザインを重視しても、しょせんブランド力のない地方産業では、安価な外国製品に立ち向かうことは不可能です。

 
長期的な「地盤沈下」が続く駅前商店街をどうするか?
 この岐阜市にとって死活問題ともなりうる大課題を解決する一つの方法が、駅前における「ニュータウン」の建設でした。
 
 1000人の新住民によって新たに創成される需要によって、JR岐阜駅や名鉄岐阜駅周辺に金が落ちること、さらには、人の流れが集まって、それ以上の効果が生じること、それが、岐阜市の切なる願いなのです。

 商業に於いても、工業に於いても繊維関係は、しだいに地盤沈下していることが分かります。


 さて、この岐阜シティ・タワー43は、岐阜市の中心部、とりわけ、JR岐阜駅前の復活の起爆剤になるでしょうか。
 次ページは、43階からの展望(夜景もあります)をご覧になった上で、岐阜駅前再開発の将来を考えます。


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