名鉄揖斐線・廃線物語08 |
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□揖斐線における経営努力U 直通運転2 |
直通運転開始 |
1954(昭和29)年12月21日の岐阜市内線忠節駅と揖斐線忠節駅の統合によって、忠節駅での乗り換えは、大変便利になりました。 |
現在の忠節駅。深夜。(撮影日04/12/09) |
西側(揖斐線側)から見た忠節駅。中央のレールら右へ1本、左へ2本のレールが分岐しています。 |
しかし、この時点では、まだ直通運転は考えられていませんでした。 |
モ510形による揖斐線−市内線直通運転記念乗車券 名鉄資料館にて撮影(撮影日 04/11/26) |
旧美濃駅に展示されているモ512とモ601。 |
新型導入 | このページの先頭へ | |
直通運転は、いくぶんかの効果はあったかもしれませんが、結果的には、3線利用客の減少に歯止めをかけることはできませんでした。 |
利用者数は、昭和40年代から50年代60年代と確実に減少しました。上のグラフの緑色の□内は、揖斐線のみの利用者数です。 |
危機的な状況に対応するため、名鉄は、揖斐線に対して思い切った、改善を図りました。揖斐線初の新型車両の導入です。 |
1987年に登場し現在も活躍中のモ770形。 |
モ770形の内部。右は中央の連接部分。 |
これにともなって、左の写真にあるように、忠節駅に4番ホームが新設され、3番線と4番線が直通電車のホームとなりました。 |
そして、さらに、画期的な努力が行われました。 |
期待 | このページの先頭へ | |
つまり、名鉄は、利用客の減少という事態について、決して手をこまねいて見ていたわけではありませんでした。むしろ、積極的に利用者拡大策をとったのです。 |
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