この「春雑感1 やりがいのある仕事だから覚悟して取りかかる」では、教育というものすごい仕事をしているから、教師たるもの謙虚であらねばならないことを、強調しました。
そのことについて、もう少し説明します。
当たり前ですが、まずは他人に対して、周りの世界に対して謙虚でありたいものです。
年齢が私よりも20歳近く上の大先輩S氏が、ある時、ずいぶんまじめな問いを発せられました。
S |
「先生、「あなたは何のために生まれてきたのか」、と問われたら、なんと答えますか。」 |
私 |
「Sさん、そのような人生の根幹にかかわる本源的な問題を急に言われても・・・・。」 |
S |
「答えられんですか。
よもや、『日本史の教師をやるために生まれてきた』というんじゃありませんよな。
あなたが普通の人なら、こんな難しい問題に答えろとは言いません。しかし、教師なら、これには答えないといけない。何のために生きているのかというのも同じ質問になる。」 |
私 |
「・・・・・・・」 |
この時は、突然の質問に何も答えられませんでした。
確かにS氏のおっしゃるとおりです。一般の方ならともかく、教師なら、「何のために生まれてきた、何のために生きている」ということについて、人を納得させる答えをもっていなければなりません。
S氏は、こういっておられました。
S |
「私はなぁ、ご先祖様に感謝するために生きている。」 |
そういわれれば、それ以外の答えは見つかりません。
生命が誕生して40億年。私たちの命は、その時点からずっと続いています。「人造生命体」などというのは、現段階ではSFの世界にあるだけで、普通の生命は、すべて、40億年前の生命の誕生につながっているはずです。
このことを奇跡といわずに何というか。
それを思えば、その生命の連鎖を続けてくれた両親に、そしてご先祖に、その奇跡に感謝する。それが人生の目標だというのは、最も本質的な答えと思われます。
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