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042 学校で大切なこと 春雑感4 「自分探し」、そして「自分づくり」 |
今回は、今までと違って、とても歯切れの悪いお話をすることになるかもしれません。
その時以前まで私は、新任以来、ずっと普通科の学校に勤務し、20年間ごく普通に進路指導をやってきました。しかし、総合学科にかかわってから、上記のキーワードをずいぶんこだわって使用するようになり、生徒もこの言葉で指導するようになりました。そして同時に、新たな悩みを持つことになったのです。 |
個性という場合には、広義には、暗記力・論理的思考力・表現力などに優れているとか、歌を歌うことや絵を描くことが上手とか、スポーツが得意とか、人前で話すことが得意とかいろいろな能力も含まれると思います。狭義には、いわゆるその方の性格でしょうか。
この僅か6つのポイントであっても、実際にはいくつかの組み合わせタイプが存在し、それが狭義の個性と呼ばれるものの実体となるのでしょうか。ちなみに、私は、項目@からDはA、EはBです。(^.^) |
では、高校生の進路という場合、どちらの意味の個性でしょうか? |
最近読んだ本で、若者たちの個性についての意識の分析で気になったものがありました。筑波大学の土井隆義教授の分析です。
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この指摘は、「自分探し」を指導する教師としてはとても重要なポイントになると思われます。 |
上記の引用文中で、土井隆義先生が言っておられるように、本来、自分の個性というのは、「社会のなかで創り上げていくもの」であり、「人間関係のなかで欝欝しなが培っていくもの」であると思います。 |
我が岐阜県の生んだ、若き直木賞受賞作家朝井リョウさんの受賞作、『何者』は、大学生の就職活動、「シューカツ」を扱った作品です。
「就活がつらいものだと言われる理由は、ふたつあるように思う。ひとつはもちろん、試験に落ち続けること。単純に、誰かから拒絶される体験を何度も繰り返すというのは、つらい。そしてもうひとつは、そんなにたいしたものではない自分を、たいしたもののように話し続けなくてはならないことだ。」(P40−41) |
勤務先にある、藪内佐斗司作の屋外彫刻「うつせみ童子」(撮影日 2013/04/14) |
人は時々、無理矢理に成長を促される時があります。それは受験であったり、就職活動であったり、結婚であったりします。 |
58歳になっても、新しい職場に移って新しいポストに就けば、「今年はどんな存在で生きようか」と悩む日々です。この歳になればおおむね固まってしまっている「個性」ですが、まだまだ「あがく」余地はあるように思えます。 |
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