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 026 民間人校長の登用 その5 1年を振り返って                

  私の大学時代からの友人のY氏が、昨年の4月から関東地方のある私立高校の校長をやっていることはすでに紹介しました。
 みずほ銀行の個人企画部次長からの転職した彼です。

 そのY氏が、3月9日に、地元のNHK・FMの番組に出演しました。
 番組は、民間人出身の校長として1年間過ごした彼が、学校外の常識から見て、「学校のいい点、おかしな点」を語るという設定です。
 彼の意見に耳を傾けてみました。
  ※青字は、Y氏の意見、黒字は、私の感想です。
  ※一部分の引用であるため、分かりやすくするため、( )内は私が補足しました。
  
 ○さすが聖職者
 ○1年間のサイクル

 ○発想の違い
 ○トップダウン・ボトムアップ
 ○組織力か個人の力か
 ○成績以外の尺度
 ○内弁慶

○さすが聖職者                                       | このページの先頭へ |
 教師のおかしなところが目につくのは事実だが、反面感心させられることも多い。その最大のものは、生徒に対する愛情。放課後、深刻な顔をした生徒と話し込んでいる先生がいる。2時間程経ってまた覗くと、まだそのまま。別の日は、また違う生徒の相談に乗っている。

 また、どの先生も、生徒に何かあると夜でも直ぐに飛び出して行く。
 
 (進路指導部が実施している)模擬面接でも、生徒が出来るまで夜の8時9時まで残して練習させ、最後は自腹を切って出前のラーメンを食べさせ、車で家まで送って行く。このような姿を見ていると、先生というのは凄いなあと心底から感心させられる。


 これは、教員なら結構当たり前の常識ですね。給料や手当の見返りを顧みずに働くというのが、教員の誇りです。勉強する本も、パソコンも、ソフトウエアーも、全部自前です。

 いつか生徒指導のことで警察官にほめられました。
 学年主任をやっていた時、あるクラスで生徒が大量に万引き事件を起こすという事態が発生しました。担任と一緒に、警察で保護者が生徒の身柄を引き取りに来るのを待っていると、夜12時近くになりました。
 私が警察官に、「夜通しぶっとおし勤務ですか。大変ですね。」と聞いたら、
「いや、私たちは、ちゃんと交代制ですから。先生こそ、朝からずっと勤務でしょ。」

 そうでした。朝7時半に学校に行ってから、その時点では、16時間以上の連続勤務でした。


○1年間のサイクル                                        | このページの先頭へ |
 学校では、1年経たないと行事が一巡しないので、この1年はじっと観察していた。
(何故こうなっているのか、どうしてこの教員はこういった発言をするのかetc.)

 例えば、学校ではどこも新年度前に詳細な年間行事予定表が作られるが、企業にはそのような習慣はない。着任してこの予定表を見せられて、変だなと思ったが、学校は授業展開を考える上で、行事スケジュールを確定させておく必要があるのだということが、暫く観察していてようやく分った。
 逆に、去年これをこの時に行ったという理由だけで実施されているような、形骸化したものもあった。

 企業では、最近は、採用も4月とは限りません。学校の常識とは違うことは想像できます。
 学校では確かに、入学式から卒業式まで、1年間のスケジュールが確定していることが重要です。そうしないと、一番重要な授業の計画がたちません。
 
 しかし、だからといって、「授業の年間計画」がしっかりしているわけではありません。この辺は、我々のまずいところです。歴史の授業が、20世紀の前半までで終わってしまうなんてのは、ごく普通のできごとです。

 
○発想の違い                                       
学校は正解と満点のある世界、ビジネスでは正解など無く、ベターかどうかだけ。逆にとんでもない大ヒットを出せば、百点満点ではなく二百点や三百点もありうる

先生に新しいことを何か提案すると、すごく抵抗感を示す人がいるが、これは恐らく今やっているものが正解なので、それを変えることは間違った答えに繋がるという意識が知らず知らずのうちにでも有るか、もしくは既に何か目標に向かって始めているものを途中で変えられたくないとの思いの方が強いからではないか。

 銀行員時代は、去年と同じようにやると能が無いと思われるので、どこか改善しないといけないという世界で育ってきた。それで、「駄目なら又変えればいいから」といって新しいことをやらせようとするのだが、先生達はとかく新しいことに何故か尻込みをする。
 
 何かを行う以上百点満点を取りたいとの意識が強く働くらしく、準備にとんでもなく時間をかけたがる。失敗したくないとか、やり始めた以上はずっと続くものにしたいとの思いが強いようだが、こちらは全く逆の発想で、とにかく始めて後は走りながら考えればいいと思っている。
 
 あと、よく言われるのは、「生徒は代替が効かない。失敗したらその生徒の3年間を無駄にしてしまうから、新しいことはやりたくない」との意見で、この思いがあるから、変更と言ってもせいぜいマイナーチェンジしか出来ない。でも、時代は急速に動いているから、それに合わせてこちらも変化し続けなければならない。


 そうですねぇ。やはり、「生徒は実験台ではない」という意識があって、これは大切なことなのですが、また一番のネックとなっているのでしょうか。

○トップダウン・ボトムアップ                              | このページの先頭へ |
クラスで何かを決める時は、基本的には全員が納得するまで討議することが多い。一方会社では上が決めたことを忠実に遂行するのが部下の勤めで、それが失敗したら決定した上司の責任になる。

 
学校では、物事を行う時に全員が納得するように何度も職員会議を開いて議論し尽くしてからでないと実行できないような雰囲気があるが、ビジネスの世界でそんな悠長なことをしていたら他社に負けてしまう。

 評価スケールが明確で、しかも、有能な校長のトップダウンの指示なら、結構組織は動きます。学校では、その二つともそろっている場合は、多くありません。

○組織力か個人の力か                                | このページの先頭へ |
 企業は組織で動いているから、全員を強くしないと競争を勝ち抜けない。したがって、新商品を出す時などは事前の研修を徹底して行い、セールスに携わる全員に商品知識を覚えこませる。
 
 学校という世界では、各教師が、特に自分の担当する教科については自分で勉強することが前提になっており、組織だって(先生を)教育するという仕組みがあまり見られない。また、突出して教え方の上手な先生がいたとしても、その教え方を皆が学ぶようなことをしていない。
 教員側の意見は、「それぞれ個性が違うからA先生のやり方をB先生が真似しても上手く行く筈がない」というのが多い。しかし、どこか参考になるところはあるだろうし、盗んで自分流にアレンジすればいい。本校でも若手の教員の中には、他教科の先生の授業を見に行っている人もいる。このような教員は伸びると思う。


 これは全く同感です。
 教員も、少なくとも全員が身に付けなければならないことについては、もう少し組織的に、徹底して身に付けなければなりません。一見すると個性を殺すように見えて、それこそが個性を生かす土台になると思います。

○成績以外の尺度                               | このページの先頭へ |
 一般社会では「教師の常識は社会の非常識」という言葉がある。これは銀行員にも言われていたから、あまり偉そうには語れないが、学校以外の社会をあまり知らないためか、教師は何でも学校の評価基準つまり成績本位制で考えてしまいがち。
 
 一般的には、各進路先に生徒を振り分けるときに、成績の良い順にしがちだが、例えば就職などは業務の内容に本人の特性がフィットしているかが重要で、成績の良い子だからどこの企業でも大丈夫ということはありえない。

 就職について付言すると、千葉黎明高校では就職希望者に対して、私が模擬面接をしている。「私は銀行でずっと採用面接を行って来たから、企業が学生のどのようなところを見ているか、本音の部分が分る」と言って、面接練習の最後の段階に加わってきた。
 
 このとき、先生達が行うのを見ていると、生徒がどのように答えるか、その台詞をすごく気にして細かな言い回しまで修正するのに、生徒の表情や声の調子にはあまり注意をしていないという場面もあった。
 
 私自身が面接官をしている時は、受験者の細かな言葉などはそれほど気にしていない。むしろ明るいとか暗いとか、全体のムードの方がずっと気になる。この学生を部下として使えるかと考えながら面接していることが多い。
 
 だから、生徒には台詞など気にせず、明朗快活なイメージを出せるように指導してみたが、これは結構成果があった。

 これまたそのとおりです。

○内弁慶                                            | このページの先頭へ |
校長が集まる、ある会議に出たときの話。
 会議の主催者側に某銀行の頭取がいた。開会まで時間があったし、頭取は一人で座っていたため、こちらはサラリーマン時代の習慣で、名前を売り込むチャンスと直ぐに近づいて行き名刺を出して挨拶し、数分間立ち話をしていた。
 会議終了後、親しい校長から「あなたはすごいですね、あんな偉い人のところにさっと行って挨拶されていましたね」と感心されたので、逆に驚いてしまった。
 こちらは、他の校長連中は古顔だから、皆とっくに名刺交換ぐらいは済ませているのだろうと考えていたが、誰も挨拶などしたことがないとのこと。

 別に頭取に挨拶しても学校にメリットは無いかも知れないが、PRのチャンスがあれば行っておいて損はないと思うのは企業人だけか。
 そういえば、学校の先生にはそもそも名刺というものを持っていない人もいる。本校でもそうだったので、事務にお願いして非常勤講師も含め全員に名刺を持たせた。「どんな時に使うんですか」と聞いた人も居たが……。

 
 私は、初めて名刺を使ったのは、教師3年目の時でした。それでもまだ比較的早いほうで、かなり年齢が上でも、名刺をもってない人はたくさんいるはずです。
 企業では、名刺は企業の費用で作成するのでしょうか?学校には少なくともそんな予算も発想も、ありません。

 しかし、これからは、自分の頭の中だけでなく、いろいろな人材との協働の中で、授業を作り進路指導等を進めていくことが望まれます。
 「売り込む」という発想ではないかもしれませんが、「ネットワークを作る」ということは大事なことです。

 その昔、進路指導部の末席にいて、とんでもない失敗をしました。

 学校に挨拶に来た企業の若手女性社員から名刺を受け取る時のことです。
 相手が作法通り、自分の名刺入れの上に名刺を載せて差し出したのを、勘違いしました。
 その女性の名刺入れがあまりにも可愛いものだったので、粗品か何かと勘違いし、名刺入れごと受け取ろうとしてしまいました。今でも、その時の女性の驚きの顔が目に浮かびます。大顰蹙ものでした。(+_+)

 人の名刺入れを取ってしまってはいけません。


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