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 024 民間人校長の登用4 具体的に                           

 『毎日新聞』1月14日版(朝刊)によれば、本年度の民間人校長の登用は、6都府県18人(岐阜県の2人も含む)でしたが、2003年度は一挙に、23都道府県50人以上になるそうです。

 民間人校長については、すでにこの項目で3度書いてきました。私の基本的な考えは、次のとおりです。
 本来なら、教育は教育関係者に任せておいてくれればいい。しかし、改革をする場合は、何事に付け、内部勢力だけでの変革は難しいものがあり、発想の違う外部勢力の意見を聞きながら、よりよい方向へ持っていけたらそのほうがよい。
 仲間の教員の中には、いろいろな考えの人がいます。誰が来たって学校などというものはそう変わるものではないという意見や、民間人校長を全く拒否したり、なかには、年賀状に、「大失敗してさっさとやめてくれればいい」と書く人までいます。
 
 しかし、私は、特に授業や進路指導の改善において、自称教育改革派です。現実にスタートしてしまっている民間人校長の登用については、点数稼ぎではない「本当によい方向への改革」につながってくれる手段にしたいと思っています。
 おりもおり、私の大学時代からの友人で首都圏在住のY氏が、この4月から関東地方のある私立高校の校長に赴任することになりました。
 大学を卒業して日本興業銀行に入った彼でしたが、合併等いろいろ変転があって、「みずほ銀行」の個人企画部次長からの転職となりました。
 『産経新聞』1月23日付朝刊の地方版に紹介されています。(この県では公立高校にはまだ民間人校長は登用されていません。)
 そのY氏と、「民間の常識」と「学校の常識」の差について語らいました。双方の思いが理解されていく貴重な時間となりました。
 Y氏の側から見た疑問点、私の説明という形で書きます。

 自分の学校の生徒はいわば自分所のお客さんであり、別の見方をすれば、「商品」でもある。校長は一人一人すべての名前を知っていなければならないと思うが、どう思うか。

 理想的にはそうだが、名前を覚えるのはなかなか大変である。もしそういう校長がいたら、生徒の意識も変わると思う。授業で教えている生徒ですら、しっかりと覚えていない教科担当もいるのが現実。今まで最高に悲劇的だったのは、秋になって、生徒指導上叱られることをしてしまった生徒が、「なんてことをするんだ。お前の担任は誰だ。」と担任から叱られているのを見た。秋になって、だ。


 先生がどんな授業をしているか、校長は、見ていないと評価もできないし、保護者に説明もできない。先生方の授業を見てまわろうと思うが、これは普通に行われていることか。

 最近、少し増えてきたが、まだ、一般的ではない。本県の銀行員出身の校長先生も、それを実施しようとして、当初は苦労された。私個人は、見に来てもらって何故いけないのか分からない。強引にやる前に、何故見られたくないのか、理解することが必要である。

 銀行では支店長は、外に行って顧客と話しているか、支店内で部下と話をしている。1日に必ず1度は部下の顔を見て話をして、様子を見るのが支店長の重要な仕事である。普通の校長は、校長室の中で何をやっているのか。

 校長室の中で何をやっているのかは知らない。教員の顔を一人一人毎日見る校長は、よほど小さな高校でもない限り、あり得ない。


 銀行では、目標があってそれを具体化する重点施策(行動プログラム)が具体的に示されている。学校では、目標に、「分かる授業をしよう」、施策に「授業改善」と書いてあるが、具体的にどうしようとは書いてない。こんな内容で、みんな同じ意識で目標を達成できるのか。

学校では、個人の努力の範囲が広い。目標は、阿吽の呼吸で実施されたりされなかったり、よくいえば柔軟、悪く言えばぬるま湯である。


 銀行では、全員の意志の疎通を図るため、情報はできるだけ共有するシステムになっているが、学校はどうか。

 共有できる情報の内容とエリアは広くない。たとえば、1年1組の教科担当者が10人いるとして、生徒情報がうまく共有される度合いは、システムと言うより、それぞれの努力とネットワークに依存している

 とにかく、誰から指摘されようと、非常識はあらためて、よい方向へ向かわなければなりません。    


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