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 018 「わかりやすい岐阜県史」とふるさと教育・船来山古墳02/05/04記述12/05/03訂正

 相手と相互に理解し合うためには、相手のことをよく知り、相手を尊敬することが不可欠です。また、それと同時に、自分のことを相手に語ることができ、相手の敬意を受けることも必要です。言い換えれば、自分に語るものがなければ、厳密には、相互理解はできません。これは、恋愛という、非常に日常的でしかも最も難しい相互理解の場面でも、同じです。

 「地理歴史科」の「高等学校学習指導要領」の目標には、「国際社会に主体的に生きる民主的、平和的な国家・社会の一員としての必要な自覚と資質を養う」とあります。
 目標達成のためには、国際理解・異文化教育が必要であることは言うまでもありませんが、それと同時に、いやそれより先にというべきでしょうか、自分の国を知り、自分の郷土を知り、そのいい点悪い点をを理解しつつ、国や郷土に限りない愛着と誇りを持つことが重要であり、また、それを実現することが、社会科や公民・地歴科教師の仕事というべきでしょう。

 いきなり、無茶苦茶堅苦しい話で始まってしまって申し訳ありません。
 公民・地歴科教師的考え方でいえば、「国際理解=英語の上達」、だとか「国際理解=相手のことを知る」ということにあまりに重点を置く発想にはとても違和感があります。むしろ「国際理解=その前提としておのれを知りおのれについて語るものがある」、ということのほうが、より優先的であると思いを説明したかっただけです。

 ちょっと、話が大げさになりましたね。これからが本編です。

 郷土の歴史を知る手段として、格好の著作物が発刊されました。
 『わかりやすい岐阜県史』(編集・発行 岐阜県 平成14年3月31日)です。

 もともとの『岐阜県史』は、昭和30年代に編纂が始まり、昭和40年代にかけて刊行されました。但し、それは、その当時の各県史がそうであったように、何十冊もある研究者向けの「大作」であり、一般の方が読んだり、教員が授業用にちょっと利用するといった軽いものではありませんでした。

 今回の『
わかりやすい岐阜県史』は、岐阜県の通史を1冊にまとめたものです。(但し分量は700ページ余もあります)見開き2ページに1項目ずつのテーマ別の叙述を基本とし、なにより写真・地図・絵などビジュアルなものをふんだんに採り入れて、とてもわかりやすい、内容と構成になっています。

 とても身近な話で申し訳ありませんが、私の家の西には、我が家の用語で通称「裏山」、正式には、「
船来山舟木山)」があります。
 この山は、一番高いところで標高116m余りしかない小丘陵ですが、これまでの調査で、6〜7世紀の後期古墳時代の横穴式石室をもつ小古墳を中心に、弥生時代末から古墳時代全時代にわたる多数の墳墓が発見されており、その数は、調査されたものだけで200基、合計推定1000基に及ぶとされています。
 この丘陵は、その時代には、聖なる墓域だったのです。

 『よくわかる岐阜県史』のページをそのままコピーできませんから、苦肉の策です。
 上の写真は、「国土交通省ウエブマッピングシステム」の「国土画像情報 空中写真情報」からダウンロードした1987年の岐阜市西部の空中写真をもとに、『わかりやすい岐阜県史』のP101の「舟木山古墳群全景」に示された古墳群の位置をトレースしたものです。
 フリーハンドのトレースですから、多少の誤差はお許しください。
 山全体が「古墳だらけ」ということはおわかりいただけますでしょうか。未発掘の分も含めると、丘陵全体で1000基以上と推定されています。
 ちなみに、我が家は、上記地図上ののところです。


 この身近な「遺跡」は、少なくとも、丘陵の周りの小学校、岐阜市立西郷小学校・本巣市立本巣小学校・同(旧糸貫町立)席田小学校にとっては、格好の教材となるはずですが、岐阜県小学校社会科研究会編『岐阜県のくらし』や岐阜市小学校社会科研究会編『私たちの岐阜市』など、身近な副教材には、十分な説明はなされてはいません。

 『
わかりやすい岐阜県史』には、本巣市教育委員会所蔵の写真によって、空からの丘陵全体の古墳群の位置が示され、それぞれの古墳群の出土物などもわかりやすく紹介されています。P58・P59・P64・P100

 著作権の問題上、ここにそのままコピーはできませんが、スキャンすれば、教室で教材として利用することは可能です。
 
 本来は、学校で教材として利用できる写真等は、教育委員会等が、Web上で公開していくことが理想でしょう。それが、これからの教育のIT化を一層充実させる基本的な条件となります。

 県教育委員会でも、今、教育の情報化に資する「教育用コンテンツ」の開発を進めていますが、それより先に、とりあえず、紙ベースのものとして、『
わかりやすい岐阜県史』が発刊されたことは、大きな意味があると考えます。
 執筆には、大学の先生方以外に、岐阜県内の小中高校の先生方がたくさん参加していますが、その努力がいい形で、広がっていくことを望みます。(
ひとつ難点があります。値段が高いのです。4700円です。(-_-;)
 
いろいろな工夫と熱意で、自分の郷土について、日本について、語ることができる子どもたちを育てていきたいと思います。
  ※古墳については「日本史クイズ古代編」へどうぞ   


船来山全景。2003年12月13日写真を更新。西郷小学校屋上より撮影。3枚の合成写真。左端は本巣市糸貫町。右端は本巣市本巣町。(無理して撮影に協力頂いた西郷小学校の先生方、ありがとうございました。)

 前掲写真の赤い◆部分にある横穴式石室。天井部分は崩壊し、内部は草が繁茂。

 左の石室跡から丘陵の西側を望む。本巣市糸貫町の水田とはるかに遠くに池田山。

 上記の横穴式石室のやや北から、東側岐阜市方面を望む。赤い■は、百々ヶ峰、黄色い▲は岐阜市立岐北中学校、青い●は岐阜市立西郷小学校。
 この丘陵は、バブル時代、全体をゴルフ場にする計画が持ち上がり、さるデベロッパーが買収しました。
 どこにでもある話で、計画は挫折し、おかげで、自然と古墳群は守られました。
 但し、全山私有地であるため、勝手には入山はできません。近所の私たちが、勝手に「通行」するのをお目こぼしいただいている状況です。
 まもなく、写真左手の御望山の山腹をうがって東海環状自動車道路の工事が始まり、写真手前の水田を斜めに横切ってこの船来山を貫通し、糸貫町へ通じていくはずです。
 今までも何回も「登山」したことはありますが、入山が禁止されてから、保育所や小学校の「山登り」遠足(長男の頃はあった)もなくなり、登山道(一応あるのです)は、荒れるままとなっています。
 この時期の入山は命がけでした。山頂の一番見晴らしのいいところで撮影しようとすると、なんと、巨大な蜂の群れが私の周りを乱舞。命からがら逃げ帰ってきました。


 いろな工夫と熱意で、自分の郷土について、日本について、語ることができる子どもたちを育てていきたいと思います。
  ※古墳については「日本史クイズ古代編」へどうぞ   


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