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 016 民間人校長の登用 その2 数値目標       

 民間会社で重んじられていることといえば、当たり前ですが、確実に利益をあげることでしょう。
 そのための手段として、「経営の品質」をあげること、いいかえれば、投じた費用との比較によって最も効率のいい(対費用効果が高い)仕事をすることが求められるのは当然です。

 その結果、次ぎに来るものは、対費用効果がわかりやすくするための、あるいは、前年度と今年度の比較がわかり、さらに来年度への目標が掲げやすい業務や目標の数値化です。

 行政組織でも、さかんに、数値目標の設定が進められています。
 しかし、これを教育現場に持っていくと、よほどうまく考えない限り陳腐なものになってしまうことは、次の例が雄弁に物語っていいます。

「世田谷区教育委員会は19日、4月からすべての小中学校で教育活動、進路指導などに数値目標を導入すると発表した。例えば、「深く考える子どもを育てる」という教育目標なら「貸し出し図書の倍増」という数値目標を掲げて、達成度を検証する。
 区教委によると、各校とも3つ以上の数値目標を掲げる。例としてほかに「情操教育の充実」の数値目標は「4〜10月、常に10種類以上の花が咲くようにする」、「児童理解」なら「児童と個人面談を年間3回以上実施する」など。
 保護者にもわかるように学校要覧にも掲載する。学期か半年毎に達成状況を調べ、必要に応じ取り組みの改善を図るとしている。
 「教育に数値化はそぐはない」と都教組などは反発しているが、「数値を重視するのではなく、教育目標へのアプローチの仕方をわかりやすく説明するのが狙い」と区教委は行っている。」
 ※『朝日新聞』(平成14年2月20日朝刊)

 文部科学省の諮問機関の中央教育審議会でも、ある委員が数値目標を提案しました。「10年後、いじめを現在の3分の1にし、13万人の不登校の子も数万人に減らす。」
 ※『朝日新聞』(平成14年3月14日)

 10種類の花というのを聞いて、誰もが「陳腐な」と思うのではないでしょうか。
 いじめの件数といっても、調べ方によっては、何とでもなります。熱心な教師が報告すれば、件数はどんどん増えていってしまいます。
 
 数字による管理というのが、たとえ利益という単純な尺度がはっきりしている企業においてさえ、大変に危険なものであることは、企業の関係者は、十分理解されていると思います。
 私でさえ、本を通して、かの自動車会社フォード社のヘンリー・フォード2世が犯した過ちを知っています。

 彼は、乱脈経営によって腐りかかった会社を建て直すための財務部門に主導権を握らせ、数値による管理を徹底させました。その結果、製造業の原点ともいうべき、ものをつくる情熱、技術革新への夢、確かな製品を作る誇りといったものを、技術者・労働者、そして会社が失い、魅力のない会社へと転落していきました。
 ※詳しくは、クイズ現代社会「フォード社を動かした経理畑の人々の呼称は?」参照

 数値は、評価を検証する視点として有効なものであることは認めましょう。しかし、数値第一だと、人格など数に表現できない視点が抜け落ちていきます。
 何より大事なのは、数字をノルマと考えた時、それは、突如として教師を縛る否定的な存在となってしまうということです。そこでは、教育の情熱や、児童生徒を尊重し、一人ひとりを見つめる優しさは置き去りにされ、ただ数字だけが一人歩きして進んでいきます。
 それが反対にどれほど心がこもらず効率的でないかは、かの壮大な実験、ソビエトによる計画経済のノルマ主義の結果を見れば、誰にでも明らかです。

 今度民間企業からおいでになった校長先生は、企業人ですから、反対に、そういう失敗については、よく御存知のことと思います。
 企業が失敗した策を、そのまま学校に適用する愚は、決してなさらないでしょう。

 では、学校経営にとって何が重要なのでしょうか。民間人校長には、何を期待すべきなのでしょうか。(続く)
 


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