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 015 民間人校長の登用 その1 どの方向へ進化すればいいか     

 2月26日のこの地方の朝刊には、教育に関する話題が大々的に掲載されました。県教委が、4月の来年度から、県立校長に民間人から2名の方を登用・任命することを発表したのです。
 新聞によれば、二人とも53歳の地元の銀行マンで、勤続30年の職場を離れての、トラバーユとのことです。

 公立学校への民間からの登用は、本県が始めてではありません。すでに、昨年4月から東京都、埼玉県、広島県が公立高校・中学校で民間からの校長登用を実施しています。
 もちろん、以前はこういうことはできませんでした。2000年度に学校教育法施行規則が改正され、教員免許を持たなくても、県教委がよしと判断すれば、校長への登用が可能となったのです。
 
 県教委は、本県経済同友会に人選を求め、二人に小論文を書いてもらい、面接を実施して登用を決定しました。
 二人のうち、十六銀行事業部長から転身のT新校長は「生徒一人ひとりの優れた個性と才能を伸ばし、社会から尊敬される思いやりのある人物を育てたい。また、民間企業の競争原理を学校経営の改善に役立てられれば」と抱負を語り、また、大垣共立銀行の赤坂支店長から転身のI新校長は、「企業も人を育てることが一番大事なのは、教育と同じ。生徒が夢と希望を持ち、『自己責任』で人生の目標を決められるようサポートしていきたい」と語りました。

 県教委は、「二人が校長になる高校にとどまらず、県内の高校教育全般に新風を吹き込んでもらい、教育改革を充実させたい」と期待しています。また幹部の発言として、「地域に開かれた学校運営をしていく際に、大きな力を発揮すると思う。校長や教員同士の切磋琢磨にもつながる」とも書かれていました。(『読売新聞』平成14年2月26日朝刊)

 県教委や幹部の発言は、充分に理解できます。この施策は、教育改革の施策として、大きな意味のあるものです。
 しかし、しかし、個人的には、どことなく、教育も軽く見られたものだ、という寂しさも少しは感じています。
 教頭OBのある先生は、他県の民間人校長の記事を見て、「民間からひょいっときて教員になる。教員ってそんなに簡単な仕事なのか?教員が突然銀行員になれって言っても無理だと思うのに何故その逆は簡単だと思われるんだろう。こういう記事を見るたびにとても悔しい。」とおっしゃっていたことがありました。教員の率直な思いを代弁されておられます。

 また、友人のS高校の先生は、こんな意見を送ってくれました。
「民間の手法とか、コスト・効率意識とか、視野の拡大とか視点の転換とか…民間校長については、様々論調がありますが、将来頭取になる方とか、一騎当千のやり手とか、職場で頼りになる人格者とか、そういった最上級に貴重な方を民間企業が「どうぞ」と渡してくれるものでしょうか?
 企業には失礼ですが「明日の岐阜県,日本を担う人間を育てる教育は、一企業の社会的影響力とは雲泥の差…」という理念の元に最優秀の人材を派遣してもらえるという可能性もありうるでしょう。または、我々の業界でもよくある、人格能力ともに優れているにもかかわらず、時の管理職の狭量や不明、思わぬ不幸なアクシデント等に巻き込まれるなどによって周囲から当然と思われていても上って行けなかった(行かなかった)方。民間企業にもこういう方がきっとおられるでしょう。こうして埋もれている方を聡明な管理職が見出して新しい道へ導いてくだされば、教育の現場としては大歓迎ですね。
 ただ、「民間の手法、コスト意識」という言葉から言えば、「企業は人なり」の人をそんなに容易く他へ渡すものでしょうか。」
 十分考えるに値する意見です。

 私は民間企業に勤めたことはありません。したがって、そこで上に立つ人が、どのくらいの才能と見識があるのかも分かりません。
 
 二人の校長先生は、現場に何をもたらしてくれるのでしょうか。私たちは、新しいタイプの校長先生何を与えればいいのでしょうか。学校という運命共同体は、どの方向へ進化すればいいのでしょうか。(来週へ続く) 


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