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 012 予備校講義のビデオの制作・配布について               

 昨年末・および今年の年頭、岐阜県教育委員会に関する二つの施策が、新聞紙上をにぎわしました。
 ひとつは、昨年末の高校の「生徒いきいきプラン」、つまり、少子化によるこれからの高校の生徒数の減少に伴って、いかに、魅力ある高校を作り出し、同時にまた、事実上高校の数を減らしていくかという問題です。有識者からなる「高等学校活力向上検討委員会は、平成19年度までに総合学科などいろいろなタイプの学校をいくつか作るとともに、現在の学校数を74校から64校に減らすべきであるという報告をしました。

 この報告に基づいて、これから教育委員会の担当部局が、具体案を計画実行をしていくことになります。
 この問題については、ここでは触れません。

 もう一つは、1月10日の新聞に掲載された「予備校の名物講師の授業をビデオに収録したものを、教育委員会が各高等学校に配布しようというものです。
 上の高校数の減少の問題は、どの府県でも取り組まなければならない大きな問題ですが、こちらの方は、、岐阜県独自のユニークな施策であったため、事柄は小さくても各新聞こぞって取り上げました。

 内容はというと、河合塾と代々木ゼミナールの”名物講師”に、各教科全部で15のテーマで授業してもらってビデオに収録したものを、各高校の希望に応じて配布するというものです。総事業費は、830万円です。

 内容は、河合塾の大竹真一講師の「数学を学に当たって」のように、授業の心構えを説いたものもありますが、「英語で学ぶ岐阜城の歴史」や「日常生活の中の遺伝子組み換え」、「古典文学から見た道長」など、科目の面白さや勉強する醍醐味をアピールするものが多くそろえてあります。

 県教育委員会のねらいは、「受験対策ではない。予備校の名物講師の授業から、学習の参考や手助けになることを生徒や先生がそれぞれくみとってもらえればいいのではないか」(『読売新聞』2002年1月10日朝刊)(このページでは便宜的に
意見@とします。)です。

 これに対して、いろいろなところから批評がでました。以下、その紹介も含めて、私の私見を述べます。

 早稲田大学下村哲夫教授(教育経営論)の意見。(出典は上の『読売新聞』)
「予備校は受験のための覚える教育が主体だ。多様な生徒を受け入れる学校の授業に採り入れるべきではないし、教育的効果も疑わしい。東京都では、高校の教師を大手予備校で研修させている。予備校の講義から、教師に授業の仕方を学んでほしいのであれば、教師を予備校で研修させる方が、まだ、ましではないか。」意見A 

 名古屋大学安藤忠彦教授(カリキュラム学)の意見。(『中日新聞』2002年1月10日朝刊)
教師より教養があり、豊富なエピソードを話せる予備校の講師もいるのでビデオ教材を作るのはよい試み。教師への刺激や参考にもなる。ただ、生徒のへの学習効果を上げるには、ビデオを使う授業を流れの中でどう位置づけ、どのような使い方をするかが大切。きちんと研究し、工夫する必要がある。」意見B

 岐阜県教職員組合高木正一書記長の意見。(出典は上の『読売新聞』)
「ビデオを見ていないので断定はできないが、受験のためではないといっても、受験の視点がどこかに入り込み、競争意識を必要以上にあおる心配がある。意見C

 15本もありますから、全部見るまでは時間がかかりますが、とりあえず、専門外ではあるけれど興味があるの「英語で学ぶ岐阜城の歴史」と、専門分野の「時事問題から歴史を見る」の2本を見ました。

 「岐阜城」は、英語の長文を読む際の技術をわかりやすく教えているもので、専門外のものには、その視点はなかなか新鮮でした。内容的にも、私が、他のページで説明している斎藤道三ふたり説をちゃんと説明していてしっかりしたものでした。(日本史クイズ「岐阜城が敵の手に落ちたのは、歴史上何度でしょうか。」
 ただ、そのような視点を、高校の英語の先生が誰も知らないかどうかは、30年前の経験しかない私には判断できません。

 「時事問題」は、代々木ゼミナールの佐藤幸夫氏の講義で、現代の従軍慰安婦訴訟・北方領土返還・護衛艦のインド洋派遣などに注目して、「太平洋戦争」とは何だったのかを説明するものです。

 意見Cの指摘のように、時々口癖のように、「覚えておきなさいよ、入試にでてきます。」というセリフが入りますが、全体の視点は、これからいろいろな体験をしていく中で、太平洋戦争について「自分なりの認識」を持つためにという授業で、受験のための講義という狭い視野ではありません。
 講師のキャラクターが登場するマンガ、写真等も使ってあって、普通の教室の授業のお話しと黒板だけというわけではありません。
 このビデオから意見Cのような、受験に関する競争をあおるという心配はあまり考えなくてよいでしょう。

 但し、予備校の授業というのは、全体的にそういうものだと認識していますが、高校の授業に比べて授業時間が少ないため、ひとつひとつ事項の処理がとてもスピーディーで、内容の深さがないのは否めません。
 日本の大陸への進出を江華島事件から説明していますが、「征韓論による江華島事件」、「ポーツマス条約へのアメリカの介入」、「盧溝橋の向こう側に中国軍、こっち側に日本軍」、「国共内線であったため、あっという間に北京が占領」、「日本軍が懸命に重慶で戦うが落ちない」、「近衛内閣時代の10月半ばにアメリカ国務長官ハルが最後通告めいたものを送り、日本人資産を凍結」、「開戦後、僅かで日本軍がオーストラリア北部まで移動」などなど、すっとばしたので、曖昧な表現になったのか、そのくらいのあやふやさでも、まあストーリーさえわかればいいのか、ちょっと心配な部分が、多々、多々ありました。
 
 そのひとつ、講師は、日中戦争で日本が重慶を占領できなかった理由を、重慶の気温が高いこと(夏の夕方で37度と体験談を披露)と、「川と川の中州の町で戦車でせめきれない。ジャングルで囲まれたこの町に空爆しても落とし損」と説明しています。
 どうやら、講師は、日本陸軍が、重慶のそばまでいったと誤解しているようです。

 このビデオのねらいは、意見@のとおりであり、それは、意見Bの要素があるからです。教師の側から見れば、通常のように自分の隣の先生の授業を見て相互研修するのとは違って、全く別の授業が見られるのですから、おそらくは意味があるでしょう。なんといっても、若くても公立学校の教員よりも相当高い給料をもらっている先生方の講義なのですから。
 
 予備校に、授業をするという点で、優秀な講師(授業の手法、内容、視点、背景の教養)がたくさんいることも事実です。しかし、意見Aのように、予備校というところが、特殊な教育の場(目標も条件も)であることは間違いありません。
 私の経験では、高校の授業で最もやりやすい授業は、受験生相手の放課後の補習です。それが夕方遅くで、12月以降は暖房もなくて寒くてしょうがない時でも、授業は盛り上がります。
 もうひとつ。
 10数年前、先輩の日本史の先生が、50半ばにして予備校にトラバーユされました。彼は、私たちにこういいました。「生徒指導も何もかもほっぽり出して、敵前逃亡して申し訳ないな。」とっても正常な感覚の持ち主でした。 

 これを機会に、授業の手法などについて議論し、活性化を進めましょう。


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