2012-05
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134 2012年04月01日(日) 春雑感、300系・ハチ公・予定表・ホンダフィット・唯一の生徒

 平成24年度がはじまります。年度初めに当たり、いろいろ思っていることを書きます。

 昨年4月は、我が家の公務員家族4人が全員転勤となり、フレッシュな春となりました。
 私も、それまでとは全く異なる職場に赴任しました。アメリカの高校で教員をしている友人のアメリカ人が昨年7月に来日し、私の職場を見てもらいました。今までとは全く異なる仕事をしている私を見て彼が心から驚いて言いました。
「転勤という仕組みはとてもスリリングだ。」
  ※アメリカの友人の来日については、こちらです。→アメリカとの草の根交流「19年ぶりの来日」

 確かに転勤すれば仕事が変わりますから、大きな発想の転換が必要ですし、戸惑うこともしばしばです。
 しかし、私個人は、この2000年から現在までの12年間に7回転勤しましたから、むしろ転勤して、「次はどんな仕事?」と思えるようになっています。
 この1年も新しい職場でいろいろな失敗をしました。しかし、上司・部下・友人、そして外部のいろいろな方に助けられて、なんとかやってくることができ、それを元に、平成24年度は次のステップを踏み出すことができそうです。感謝、感謝です。
 岐阜県の各地域の方、東海北陸の6県の同業者の方、さらに、東京のアドヴァイザーの方、いろいろな方とのネットワークもできあがりました。他の人とのネットワークは、同じ職場で働いていると、年がたつにつれて1年ごとにはそれほどは広がらなくなります。経済学的にいうと
限界効用の逓減が起こります。ところが、転勤をすると、少し努力すると、一気に新しいネットワークが実現します。
 自分を成長させてもらって、本当に嬉しく思います。
 


 写真−01 岐阜羽島駅で撮影できた300系。 (撮影日 12/03/08)

 今年度2度目の東京出張の際、岐阜羽島駅で、偶然新幹線300系車両を撮影できました。この3月17日にダイヤ改正が行われ、引退した車両です。3月16日がラストランでした。 後ろ姿ですが、去りゆく300系を見送るといった感じが出見れば、これもまた一興です。


 写真−02・03 渋谷のハチ公です (撮影日 12/03/08)

 この日は、もう一つ偶然に出会いました。東京の渋谷駅に行くと、ハチ公の銅像に人だかりが・・。近づくと、銅像の前に花が添えられています。 


 写真−04・05 ハチ公の銅像の前に花が・・・・・。 (撮影日 02/03/08)

 なんと、3月8日は、ハチ公の命日でした。1925年に死亡した飼い主の上野博士を慕って渋谷駅に通い続けて10年。ハチ公は、1934年に自身の銅像の完成を眺め、その翌年の1935年3月8日に死亡したということです。
  ※渋谷駅については、こちらです。
→目から鱗の話:「各地の鉄道あれこれ 地下鉄地上に出る 渋谷」 


 去年の4月には、「我が家のあゆみ(予定表)」カレンダーをつくりました。食堂の壁に貼る、横101cm縦74cmの大きな書き込み式予定表です。
 これを使って、1年の予定を書き込んでいきました。
 この特大予定表は思惑通り、成功でした。
 家族の予定を全員で確認でき、また、今から振り返ると、我が家の平成23年度の動きがすっきりわかる「記録書」となりました。
 いいことは続けようと、平成24年度分をつくりました。 


 写真−06 23年度スケジュール表
                   (撮影日 12/04/01)
 昨年4月、つくったばかりのこのスケジュール表に行事を真っ先に書き込んだのは、次男でした。彼の誕生日は、4月に入ってすぐにあるので、忘れ去られて過ぎてしまわないように、アピールしたのでした。「学校に行っていた時代は、友達に誕生日を祝ってもらえなかった。誕生日が4月のはじめというのは、つまらない。」
 スケジュール表は終わってみれば、「我が家のこの1年のあゆみ」となりました。 


 写真−07・08 スケジュール表作成中 (撮影日 12/04/01)

 普通のカレンダーの用紙を2枚つなげて、その裏を利用して、全く手書きでつくります。 


 写真−09・10  3色のマジックを使って、日付の色分けをします。 (撮影日 12/04/01)

 40分ほど細々とした作業を続けるとようやく完成します。 


 さて、今年はどんな出来事で埋まるでしょうか? 


 もうひとつ、我が家の自動車のうちの1台が新しくなりました。
 
ホンダのフィットのハイブリッド車
10th アニバーサリー)です。トヨタのプリウスはもちろん、新発売のアクアも排気量が高くて、ちょっと価格の面で手が出せませんでした。しかし、1300ccエンジンのこの車なら、値段も低めです。(優遇税制による割引前価格で190万円あまり) 


 写真−11・12 我が家の新しい自動車、ホンダ・フィット (撮影日 12/04/01)

 原理はプリウスと同じで、燃費は30.0km/gです。よく走ります。
 何しろ、交差点で停止すると、ブレーキを踏んでいる間中は、エンジンが止まります。ブレーキから足を離すと、自動的にエンジンがかかります。優れものです。
 


 最後に、この3月にある「生徒さん」から、とてもいい話を聞きましたので、報告します。
 
 まずは、私にとっての「生徒さん」についての説明です。
 これまでも書いたように、私は現在は学校には勤務していませんから、本来は教えている生徒は存在していないはずです。では、なぜ、「生徒さん」が存在しているのか?

 その「生徒さん」を仮にA子さんとしましょう。
 A子さんから、突然メールが届いたのは、2011年1月12日でした。
 趣旨は、私がこの未来航路に掲載した日本史のプリントを見て、そのプリントで勉強したいというものでした。理由は、私にとって大変嬉しいことに、私のプリントがとてもわかりやすくて、歴史を見る視点や歴史観を勉強できるからと書かれていました。

A子さんが見てくれたのは、ページはこちらです。
「わかる授業・目指す授業 その4」の日本史授業プリント103−11
ただし、「よくわかる授業とは何か」の項目は、2004年に書き始めていまだ完結していないものです。今年こそは何とかしなければなりません。

 嬉しい話でしたが、最初のメールにはA子さん自身に関する情報が書かれてはいませんでしたので、ちょっと警戒しつつ、「希望に応じてもいいが、あなたの事情等をもう少し教えて欲しい」と返事しました。
 返事はすぐ来ました。A子さんは、私が住んでいる岐阜県とははるか離れた遠いところに住んでいる高校2年生で、将来は大学で歴史の勉強をすることを目指しており、受験勉強やそれ以上に楽しめる勉強として私のプリントを使って学びたいということでした。
 私は、二つ返事でA子さんの願いを受け入れ、日本史Bや日本史Aのプリントを、郵送やメール添付によって送り続けました。
 インターネットがない時代だったら、おそらくは出会うこともなかった二人が、日本史のプリントを通して「先生」と「生徒」になったわけです。念のためにA子さんの保護者の同意も確認しました。(^_^) 
 こうして、A子さんは、私の「
唯一の生徒」になったわけです。
 
 ただし、日本史のプリントを送ったものの、私は、A子さんがそのプリントを使って学習できるかどうかについては、はなはだ疑問をもっていました。というのは、授業プリントというのは、毎時間の授業を受けてこそ理解できるもので、授業を受けずに独学で理解するというのはなかなか難しいことだったからです。
 しかし、その心配は、杞憂に終わりました。
 彼女の歴史に関する基礎的な知識と、いろいろなことを組み合わせて理解する力と、そしてわからないことがあるといろいろ調べていく解決力は、なかなか見事なものでした。
 もちろん、A子さんからはいくつかの質問メールが届きましたが、それらは、大変奥の深い、レベルの高いもので、私もあらためて勉強することができました。A子さんの才能には、全く驚くばかりです。
 彼女は、受験勉強と教科書にはない興味ある歴史の学習との両方を無事成し遂げ、大学受験に挑戦しました。

 そして、3月下旬に、試験に合格したというメールが届きました。本当におめでとうございます。
 そのメールに書いてくれました。
「受験で辛かった事は疑問に思ったことがあって、とことん探究したくても脇に置いてあまり深入りしないようにする、という事でした。でも、反面、受験という形でも自分の努力や能力、意欲を一つの目標に向かって 集中して高めていく作業は自分を自分でプロデュースしているみたいでなんか達成感がありました。」

 受験勉強をこんな風にとらえることができる人って、素晴らしいですね。
 A子さん、私の
日本史授業は無事卒業です。これからは、あなたが思っている、 疑問に思って「とことん探求したい」ことに、心ゆくまで取り組んでください。
 誰かが、いい春を迎える話を聞くのは、本当に嬉しいことです。頑張って。 


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