2009-05
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112 2009年06月14日(日) 映画「真夏のオリオン」と大日本帝国海軍潜水艦隊    

 旅行記では「長野・群馬・新潟・富山旅行 碓氷峠」のシリーズを掲載中ですが、今週は、そちらはちょっと1回お休みをいただきます。
 今日は、6月13日(土)から封切りとなった、
東宝映画「真夏のオリオン」(監督篠原哲夫、監修・脚色福井晴敏、原作池上司『雷撃震度一九・五』、主演玉木宏)の見所と、ついでに得意の分野、大日本帝国海軍の潜水艦隊の説明をして、映画への理解を高めていただくことにします。
 我が未来航路の定番の展開ですね。(^_^)

 映画は、封切り初日の6月13日(土)に本巣市のモレラ岐阜にあるTOHOシネマで見ました。例によって、「夫婦どちらか50歳以上」割引を使って、二人で2000円です。

 まず、端的に評価を示します。

「真夏のオリオン」
お薦め人 お薦め度
(3点満点)
コ  メ  ン  ト

★★  戦争映画と言うより、艦長という組織の長の在り方を問う映画だった。

妻(53歳)

★★  戦争映画の割には怖くなかった。みんな生き延びてよかった。

 結果は二人合わせて、★★★★の4点となりました。5点や6点の絶賛というわけではないけれど、まずまずの所という感じでしょうか。妻はもともと「戦争映画は怖い」という評価しかしない人間ですから、彼女からすると★★はいい評価です。反対に戦争映画の通を自認する私から見れば、今ひとつだったことになります。

 では、この映画の見所や、今ひとつの点の補足説明をします。 


1 「この艦長のもとで過ごしたあの時間は一生忘れられない」

 映画は、元潜水艦長(艦名はイ77号、艦長倉本孝行少佐)の孫が、現代に元乗組員の水兵(鈴木)と会って、当時の思い出を聞き出すという定番のわかりやすい展開となっています。その水兵が、艦長の組織の長としての魅力と、「ただ一生懸命に過ごしただけ」の時間を語ります。
 この映画の魅力はこれにつきます。
 敵駆逐艦との生死をかけた戦いという極限の状況の中で、玉木宏演じる艦長は、頭脳明晰でかつ乗組員に対する深い愛情を持っています。
 このメインテーマは、TVのコマーシャル等でも協調されて点ですが、それがわかりやすく表現されているという点では、成功の作品です。
 ただし、私の妻の目(女性)から見るとほぼ合格点なのですが、私の目には、「ちょっと理想的すぎる」と映る点もなくはありません。いつでも1時間で解決する刑事番組の持つ、「ご都合の良さ」も感じます。
 また、表現不足の点もあります。
 ラストシーン近くで、無防備のイ77号が敵駆逐艦の近くに浮上し、このままでは砲撃を受けて沈没は間違いなし、という危機的な状況にります。この時、艦長は「総員退艦」命令が出ます。艦長としてはあたら艦にしがみついて犠牲者を出すより、乗組員の命を多く救いたいという意識から出た命令です。
 この命令を受けた乗組員はというと、もちろん、艦を見捨てるような見苦しい行動はしないのですが、彼らの一体感を表現する時間、「この艦長の下で頑張ってきたのだから命なんか惜しくない」という感覚を乗組員と映画の観客とが共有して感動の涙を流す時間が短すぎます。この後に、場面は急展開していきますので、ここでの盛り上げがほしかったです。
 さらに、艦長は若い海軍少佐の設定となっていますが、部下に乱暴な物言いをしません。特に自分より年齢が高い部下に対しては、非常に丁寧な接し方をします。
 これは、「階級」という者を意識した当時の海軍の常識からは反するものですが、これがこの映画の大事な基盤をなしています。そこにこそ艦長倉本少佐の思いの源泉があるのです。
 この思いは、池上司原作の小説とは別に映画のシナリオ小説化した
福井晴敏監修飯田健三郎著『真夏のオリオン』には、ちゃんと描かれています。以下は、彼が16歳で海軍兵学校に入ってまもなくの回想シーンです。

「つい三、四日前まで、東京の下町で、近所のおじさんやおばさんたちと身を寄せ合うようにして暮らし、叱られ、助けられ、励まされ、笑い合って育ってきた。しかもまだ歳は16だ。
 周囲にはもちろん皇族や華族の出の者も多くいる。だが魚屋の息子や電器屋の息子など、倉本と同じような庶民だって少なくはない。
 それが兵学枚に入った途端、何かの特権を得たかのように、まだ一六、七歳の若造が偉そうに人を呼びつけ、お茶を持ってこさせる。それにはどうしても違和感があった。
 その翌日の夕食の時、彼の分隊のテーブルに味噌汁がひとつ足りなかった。倉本は食堂の奥にある烹炊所に向かって手を挙げ、思わず言った。
 「すみません!味噌汁ひとつお願いします!」
 町場の食堂で注文するようなその口調に、周囲から笑いが起きた。だがその声はすぐに鎮まった。倉本の分隊の「一号」と「二号」(引用者注:上級生のこと)が一斉に立ち上がり、倉本の周りを取り囲んだのだ。
 「……どういうつもりだ」
 「キサマ、兵学校七十余年の伝統に泥を塗るつもりか」
 別にそんな大それた気持ちではなかった。ただ倉本にはそれが自然だと思えた。
 「歳上の人は敬えと、父母から教わりました」
 それは軍人であろうが誰であろうが、人間ならば誰にとっても変わらない真理だと倉本は思っていた。
 「キサマ・・・・まだ婆婆気が抜けんらしいな・・・・」
 夜の自習時間に呼び出された倉本は、暗闇の練兵場でしたたかに「修正」を受けた。「修正」と言えば聞こえはいいが、要は鉄拳制裁だ。
 だがその後も倉本は、烹炊貝や清掃作業員たち兵学枚で働く人々に、それまで通り丁寧な言葉で語りかけ続けた。それが発覚するたびに「一号」「二号」から呼び出され、制裁を受けた。それが二度、三度続いた。そして四度目には倉本だけでなく、分隊の「三号」(注:下級生)全員が呼び出され、一列に並ばされた。
「連帯責任だ。全員足を開け! 歯を食いしばれ−」
 そして静かな練兵場に、次々と「三号」たちが殴られ、地べたに倒れ込む音が響いた。何発殴られても倉本は痛みを感じなかった。それ以上に、同期生に対する申し訳なさが心に痛かった。

飯田健三郎前掲書P30−31

 残念ながら、映画の中では説明としては、この重要な思いは描かれていません。私としてはとても大事な思いだと考えますので、あえて引用しました。
  ※私としても、これもについては同じ思いです。→なんだこりゃ「おごるな上司 マイノリティの発想」

 四の五の言いましたが、さすがは福井晴敏監修作品です。
 「ローレライ」「亡国のイージス」でもそうでしたが、「明日も頑張ろう。」という勇気を感じる作品です。


2 「なぜこの楽譜がアメリカ人の艦長の家に・・」

 映画の題名、「真夏のオリオン」は、倉本艦長に思いを寄せて戦後結婚することになる有沢志津子が、倉本に送ったお守りの「楽譜の曲名」です。この設定もなかなか見事です。ロマンです。ちなみにオリオンはかの有名な冬の星座ですが、夏にも地平線近くに見ることができます。


 我が家の「家宝」、44年前の学研「科学」の付録、星座早見盤です。ドラマの舞台となったの8月中旬の明け方にセットした場合、この星座が見られます。

 天中高くには、天の川を挟んで、わし座のアルタイル、こと座のベガがいますが、東の地平線近くに、オリオン座を見ることができます。 


 冒頭の場面で、倉本艦長の孫は、その楽譜をアメリカ人艦長の孫から送られて手にし、当時の様子に興味を持つという設定になっています。
 観客も疑問持ちます。なぜ、日本人艦長が恋人からもらったお守りの楽譜が、アメリカ人艦長の手に渡ったのか?

 この映画のもう一つのテーマは、日本軍とアメリカ軍の区別を超えた、戦闘部隊の指揮官の共通の思いです。「価値のある敵と意味のある戦いをしたい」。いわば好敵手と出会った武将の思いです。
 私は最初に福井晴敏監修飯田健三郎著『真夏のオリオン』を読んだ時、「これは昔見た映画の『精神』と同じだな」と思いました。
 それは、解説書の「イントロダクション」を見て明らかとなりました。次に引用します。

「1957年公開のアメリカ映画『眼下の敵』という作品がある。
第二次世界大戦中のドイツ潜水艦とアメリカ駆逐艦と一対一の攻防を描いたものだが、いわゆる戦争アクションとは一線を画し、両艦二人の艦長が繰り広げる人間対人間の信念と誇りのぶつかり合いこそが、ドラマの主軸だった。深海という極限状況下で息をひそめ、孤高の戦いを挑む潜水艦、その閉ざされた空間の中で、生と死を確実に共にすることを運命づけられた乗員たち、一方、海中からの魚雷攻撃の恐怖にさらされながらも、研ぎ澄まされた探知能力で、その見えざる敵を追い詰めていく駆逐艦乗員。
彼ら一人一人の未来が、自らの判断に託されている過酷な責務を負う中で、二人の艦長はあくまで冷静に、誇り高く、自分たちの艦を操る。
すべての決着がついたとき、二人の艦長の間には、深い友情が生まれていた。
本作の原点は、この名作にある。こんな作品を作りたいという、我々製作陣のストレートな重いが、「真夏のオリオン」の出発点だった。」

新坂純一発行『真夏のオリオン』(2009年)P2

 この「真夏のオリオン」は、悲惨な戦争映画が平和を訴えるといったこれまでの日本の戦争映画とは異なるコンセプトで作られた作品です。その象徴がこの楽譜『真夏のオリオン』ということになります。大変美しい見事な設定となっています。
 もっとも、そのさわやかさは大事ですが、観客としては別の視点も必要です。『眼下の敵』は、ドイツ人対アメリカ人の戦いでした。日本人の潜水艦長とアメリカ人駆逐艦長との間に、当時同じ事は可能だったでしょうか。
 これは難しい問題だと思います。すでに別のところで問題を提起しています。こちらをご覧ください。
  →
目から鱗の話:「戦艦大和について考える14『戦艦大和神話確認11 漂流者銃撃と「人種差別」1』 


3 大きな犠牲

 映画の見所はこれぐらいにして、最後は、この映画ではあまり出てこなかった、大日本海軍の潜水艦隊の全体像についてお話しします。映画のいい面ばかりではなく、真実も理解していただきたいと思います。 
 大日本海軍帝国海軍の潜水艦隊は、開戦時は、各国海軍に劣らない戦力を持っていましたが、結果的には、敵のアメリカ海軍のそれと比較すると、犠牲ばかりが多く、大きな戦果を上げることはできませんでした。
 要因は、次の諸点にあります。

 潜水艦については航空母艦や戦艦ほどには日米の建造能力に大きな差はありませんでした。しかし、作戦(運用に)に一貫性や合理性がなく、安定した戦果が得られませんでした。
 戦争初期には、アメリカ合衆国本国沿岸での通商破壊や、インド洋においてイギリスと東南アジアの通商ルートの待ち伏せ攻撃などに効果を上げました。しかし、基本的には日本海軍の潜水艦は、敵の戦闘艦の攻撃に重点を置いており、補給路に待ち伏せして敵の脆弱な輸送船団を撃破するという発想は、脇役に回ってしまいました。

 戦争途中からは、潜水艦隊の大きな役目に、前線部隊への輸送任務が加わりました。本来の攻撃用潜水艦がこの任務に従事して次々と撃沈され、また、輸送専門の潜水艦も建造されました。
 そもそも輸送力や護衛艦隊を重視しなかった日本軍全体のツケが潜水艦隊に回ってきたわけですが、他国の潜水艦隊にはない特別の苦労でした。

 潜水艦が上げる「戦果」への分析があまく、一方的な期待による誇大な戦果報告が、次の作戦をミスリードし、結果的に合理的な作戦とはほど遠い作戦が続けられました。
 映画の中の潜水艦イ77号は現実には存在しませんが、モデルになったイ58号は、戦争末期の1945年7月に、アメリカ重巡洋艦インディアナポリス(テニアン島に原爆を輸送した艦)を通常魚雷で撃沈した艦として有名です。この艦も人間魚雷回天を積載しており、インディアナポリス撃沈とは別に回天4艇を発進しましたが、大きな戦果を上げることはできませんでした。
 回天による攻撃は「起死回生」と信じられていました。しかし、現実には、大戦末の9ヶ月間に回天攻撃が8回行われ、喪失潜水艦9隻、乗組員の戦死882名、回天搭乗の犠牲者89名を数えました。しかし、戦果は、護送駆逐艦・給油艦・歩兵上陸艦各1隻の撃沈、その他2隻に損傷を与えたにとどまりました。
  ※木俣滋郎著『日本潜水艦戦史』(図書出版 1993年)P848

 アメリカ軍ができるだけ効率化を図ろうと同じタイプの潜水艦の大量生産してたくさんの潜水艦の配備を実現したのに対し、日本は、巨大潜水空母イ400型や、高速潜水艦イ201型など、多くのバリエーションにこだわりました。結果的に、必要な量をまかなえず、劣勢を挽回できませんでした。

 潜水艦隊の無念については、すでに別のところで説明しています。
    →
目から鱗の話:「戦艦大和について考える09『戦艦大和神話確認06 片道燃料2』


 イ68号のプラモデルです。
 この潜水艦は、1942年のミッドウエイ海戦時に、空母ヨークタウンを撃沈するという手柄を立てました。航空攻撃によってダメージを受けていた空母にとどめを刺したのですが、こういう戦闘艦撃沈の手柄が重視され過ぎたことが日本海軍の問題点でした。

 イ370型は日本の潜水艦隊の苦労を二重に物語る艦です。 この艦はもともと輸送専用の潜水艦として建造されました。
 そして、回天による攻撃が始まると今度は、回天搭載用に改造されました。モデルは回天を5隻積んでいます。1945年2月の回天攻撃で沈没しています。
 


 この映画『真夏のオリオン』の作成には、旧帝国海軍潜水艦呂50号艦長今井梅一氏はじめ合計5名の元乗組員が協力しておられます。
 日本海軍潜水艦隊は、大戦中に131隻が沈み、1万人あまりが犠牲となりました。この映画が、その鎮魂と明日への勇気の両方につながれば幸いです。 


【参考文献】
木俣滋郎著『日本潜水艦戦史』(図書出版 1993年) 
坂本金美著『日本潜水艦戦史』(図書出版 1979年) 
鳥巣建之助著『日本海軍潜水艦物語』(光人社 2002年) 

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