冒頭の場面で、倉本艦長の孫は、その楽譜をアメリカ人艦長の孫から送られて手にし、当時の様子に興味を持つという設定になっています。
観客も疑問持ちます。なぜ、日本人艦長が恋人からもらったお守りの楽譜が、アメリカ人艦長の手に渡ったのか?
この映画のもう一つのテーマは、日本軍とアメリカ軍の区別を超えた、戦闘部隊の指揮官の共通の思いです。「価値のある敵と意味のある戦いをしたい」。いわば好敵手と出会った武将の思いです。
私は最初に福井晴敏監修飯田健三郎著『真夏のオリオン』を読んだ時、「これは昔見た映画の『精神』と同じだな」と思いました。
それは、解説書の「イントロダクション」を見て明らかとなりました。次に引用します。
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「1957年公開のアメリカ映画『眼下の敵』という作品がある。
第二次世界大戦中のドイツ潜水艦とアメリカ駆逐艦と一対一の攻防を描いたものだが、いわゆる戦争アクションとは一線を画し、両艦二人の艦長が繰り広げる人間対人間の信念と誇りのぶつかり合いこそが、ドラマの主軸だった。深海という極限状況下で息をひそめ、孤高の戦いを挑む潜水艦、その閉ざされた空間の中で、生と死を確実に共にすることを運命づけられた乗員たち、一方、海中からの魚雷攻撃の恐怖にさらされながらも、研ぎ澄まされた探知能力で、その見えざる敵を追い詰めていく駆逐艦乗員。
彼ら一人一人の未来が、自らの判断に託されている過酷な責務を負う中で、二人の艦長はあくまで冷静に、誇り高く、自分たちの艦を操る。
すべての決着がついたとき、二人の艦長の間には、深い友情が生まれていた。
本作の原点は、この名作にある。こんな作品を作りたいという、我々製作陣のストレートな重いが、「真夏のオリオン」の出発点だった。」 |
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新坂純一発行『真夏のオリオン』(2009年)P2 |
この「真夏のオリオン」は、悲惨な戦争映画が平和を訴えるといったこれまでの日本の戦争映画とは異なるコンセプトで作られた作品です。その象徴がこの楽譜『真夏のオリオン』ということになります。大変美しい見事な設定となっています。
もっとも、そのさわやかさは大事ですが、観客としては別の視点も必要です。『眼下の敵』は、ドイツ人対アメリカ人の戦いでした。日本人の潜水艦長とアメリカ人駆逐艦長との間に、当時同じ事は可能だったでしょうか。
これは難しい問題だと思います。すでに別のところで問題を提起しています。こちらをご覧ください。
→目から鱗の話:「戦艦大和について考える14『戦艦大和神話確認11 漂流者銃撃と「人種差別」1』
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