2004-10
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079 2004年10月24日(日) newデジカメand医学的記念写真partU父編      メニューへ 

 新しいデジカメを買いました。
 これまで使っていたのは、OLYMPUSのCamediaC2020Zでした。
 1999年の秋に買ってから、ちょうど5年間働きました。この「未来航路」の写真のほとんどは、このカメラによるものです。
 200万画素光学3倍ズームは、今では何でもない性能ですが、購入価格は10万円程でしたから、当時としては、思い切った買い物でした。

 さすがに、5年の活躍で、ガタが来ました。
 シャッターが3回に一度ぐらいの割合でしか利かなくなりました。
 人物写真ならやり直すだけでいいですが、今取材中のプロジェクト「名鉄揖斐線・廃線問題」では、致命的でした。
 「夕陽を背景に橋を渡る電車」という絵になるシーンを作っても、シャッターがおりません。
 次に電車が来る10分あとには、夕陽は動いてしまって、撮影はチャンスは・・・。というのを経験して、次の投資を決断しました。


先代OLYMPUS CamediaC2020Z

新登場、Panasonic LUMIX DMC FZ20 


 しかし、何を買おうかには、少し悩みました。
 
 本来なら奮発して、最近安くなって10万円近くにまで価格がダウンしてきた
デジタル一眼レフという手もあったのですが、それは、その次の楽しみに残しておくことにしました。
 結果的に、右の写真のパナソニックのLUMIX DMC FZ20にしました。価格は、256Mのメモリーカードを含めて7万3500円です。

 先代より安いカメラですが、
500万画素光学12倍ズームが売りです。12倍ズームというのは、通常の35mmカメラのレンズに換算すると、36mmから432mmのズームになるそうです。

 もともと私は、カメラ歴は素人同然です。
 25年ほど前にCanonのA1という一眼レフカメラを買って、教材にするために色々な写真、たとえば、上野の西郷隆盛の銅像、鎌倉の鶴岡八幡宮や縁切り寺、福岡の元寇の時の防塁などを撮影したことはありますが、一眼レフカメラの使用歴はたいしたことはありません。
 というわけで、「芸術的な写真」は、このカメラで勉強して、デジタル一眼レフはその次にということにしました。

 本日公開以降の写真(例 別項目の「各務原・川崎航空機・戦闘機」の「航空自衛隊岐阜基地」)は、すべて、新カメラによります。

 これからも、色々な写真を撮って掲載していきますから、ご期待ください。
 


 さて、今日の本題は、上のデジカメ購入のことではありません。

 先日の、三男Dが脳のレントゲン写真をとったことの続編、「医学的記念写真partU 父編」です。つまり、自分でもそんなことはまず起こらないと思っていたのですが、なんと脳のレントゲン断層写真を私も撮影してしまったというわけです。
 ※3男Dの「医学的記念写真」をご覧になっていない方は、日記のこちらのページへどうぞ。

 3男Dが脳の断層写真を撮影したのは、学校の体育の時間に転倒したからです。
「父はそんなドジなことはしない。」
と豪語していたら、もっと深刻なことが起こってしまいました。

 その経緯からお話します。
 まず、右の写真を見てください。ただし、あまり見つめると気分が悪くなりますから、注意してください。


 2004年10月18日(月)の朝、6時半におきて、布団をたたんで2階から1階へ階段を下りようとした所で、自分の視野が回転し始めました。

 右のアニメーションは、その再現です。
 左回りにぐるぐると、「いわゆる目が回る」、医学的には回転性のめまいに陥ったのです。

 写真の中央の部分が階段の上の踊り場ですが、すぐに立っていられなくなり、そこに倒れ込んでおさまるのを待ちました。

  もちろん、目をつぶっていれば回転は見えませんが、自分がどうなっていくのかを見定めたいという気持ちもあって、意外と冷静に、目を開けたり閉じたりしながら、この回転を体験していました。
 時計も見て、「開始時間」も確認しました。

 すぐに、猛烈な吐き気と頭痛、寒気がしてきました。
 ひどい乗り物酔いの時と同じです。
「はは、これは、三半規管の病、巷に聞く、メニエール氏病のめまいかな。」とも思いつつ、あまり気分が悪いので、隣の部屋にいた同じく起きたばかりの次男Yをよびました。

「おおい、Y。ちょっと来てくれ。」

Y

「とうさん、どうしたの?」

「ちょっと母さんを呼んできてくれ。」

 
 下では、妻が朝食を作っている平和な風景が普通に展開しているはずです。次男Yは、落ち着いて下に降りていきます。

Y

「お母さん、上で、お父さんが呼んでいる。」

「え、何この忙しいときに。」

Y

「ちょっと来いって。」

「なに、もお」


 夫の変事は、次男Yの口調では、妻には伝わっていません。次男Yは父に似て冷静な男ですが、こんな時ぐらい、「もう少し感情込めろよ」、といいたくなります。

Y

「あのね、お父さん、2階で倒れとる。」

「えー、何故もっと早くいわんの。」

 やれやれ、やっと救援隊がやってきます。 
 
 視野の回転は、およそ2分30秒ほど続きました。
 次第に回転がゆっくりとなり、おさまっていきました。

 しかし、たったの2分半で、吐き気・頭痛・動悸もろもろで、からだは一挙に衰弱してしまいました。回転がおさまっても立ち上がれません。

 映画で宇宙ロケット乗船の訓練に使うぐるぐる回る訓練機を見たことがありますが、あれに乗ったらこのくらいのことは起こるかなと思われる不快感です。

「これは、メニエール氏病のめまいではないか?」
妻は一応看護婦免許も持っています。

Y

「うん、そうかもしれないけど、歩けるようになったら、谷村医院(近所の開業医)へいってりゃー。あの先生は、もともと脳神経外科が専門だから。
ひょっとして、腫瘍とか脳内出血とかだったら、大変だし。」

「そうだな。」

 
 この時、私の脳裏には、二つのことが思い浮かびました。
1「腫瘍とかだったらいかんなー。念のため検査するか。」
2「検査というと、あれ、例の脳のレントゲン断層撮影か。すると、3男Dが経験した写真を私も・・。」

 2時間ほどたって、歩けるようになり、レントゲンの画像をもらうためのCD−RWをちゃんと準備して、谷村医院へ行きました。

 先生も、レントゲンを撮ったほうが良いという判断でした。例の機械に頭からもぐったあと、すぐにコンピュータの画像を見ながら先生の診断です。

「よかったですね。脳には何も異常はありません。腫瘍でも、出血でもありません。」

「スカスカの脳になっていませんか。」

「いや大丈夫。健康な脳です。」

 まずは、一安心です。

「ということは、メニエール氏病の症状ですか?」

「メニエール氏病というのは、回転性めまいがもっと続きます。吐き気や頭痛、それから耳鳴りもひどくて、今日あなたが経験されたような軽いものではありません。
まあ、本日のは、メニエール氏病類似症候群ということです。」

「今後どうなります。」

「いちおう、薬をあげますから、様子見てください。といっても、根本的に治療する薬ではありません。ビタミン剤と、神経の安定剤のようなものです。」

「端的に言って、気休めですか?」

「そうです。多くは疲れによる自律神経の失調が原因ですから、身に覚えがあるなら、体をいたわることを考えてください。」

 身に覚え、あります。
 前日の10月17日(日)の日程は、朝5時に起きて名鉄市内線の一番電車の撮影、9時からシニアサッカーの試合、午後は、航空自衛隊岐阜基地の航空祭の撮影、夜は、所属するサッカーチームの元締めである本巣市サッカー協会の総会出席と、まるで、秘書が必要なくらいの日程でした。
 妻は、「あなたは過労死ではなく、過趣味死。労災の対象にはならない。」と嘆いています。
  
 とりあえず、これで一件落着です。
 
 というわけで、回転性めまいとひどい吐き気と頭痛と4300円の治療費と引き換えに手に入れたのが、下のレントゲン写真です。

 頭を輪切りにして、下から見た写真だそうです。



 実は、上の青字の番号のものは、3男Yの写真で、下の
緑の番号が私のものです。
 同じように撮影されていますが、親子でもちゃんと違いがあるのがわかります。
  ※Demo Version という文字の意味や、この画像処理の仕方については、こちらをどうぞ。

 下の写真を見ると、3男の方が長い頭で、私は、前面がえらく扁平な顔をしています。(-.-)
 また、周辺の白い部分、筋肉や脂肪だそうですが、それも、私の方がぶ厚いですね。(年のせいです。)
 私の方が全体に脳ミソの色が薄いですが、これは老化でしょうか?お医者さんに聞くのを忘れました。
 脳の表面のしわしわは、私の方がくっきり出ています。どんなもんだ。(威張ることはない。)

 どうです。
 皆さんも親子で、頭のレントゲン断層撮影を・・・・・・。(しないってか。) 



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