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@ 出発前

※ ※

A ラスベガス

8月19日(土)

B グランドキャニオン観光

8月20日(日)

C ロサンゼルス市内

8月21日(月)・22日(火)

D ユニバーサルスタジオ

8月22日(火)


@ 出発前                           | <目次>へ戻る |

1 時間のやりくり  
 教員の時代でも、夏休みとはいえ、まとめて4日間の休みとることはなかなか難しい状況でしたのに、役所勤めとなった以上、さらに困難が予想されました。その一つは、自分が担当する会議の日程が、自分の旅行予定日に重なってしまうかどうかでした。6月にその会議の第1回目を開いた後、第2回目をいつにするかが問題でした。上司が、「8月下旬にする」といった時は、ありったけの理由を具申して、開催日を8月上旬に代えてしまいました。あのとき申し上げた理由は、すべて作り話です、ごめんなさい。
 やっとの思いで8月21日〜24日の4連休を確保しましたが、教員時代と違って、全くのフルタイムの労働、つまり、いつもの8時から20時までの毎日の労働時間12時間×4日分=48時間を休んだですから、それを補うのが大変。
 埋め合わせは毎日4時間余分に働いても、12日間かかると言う計算になります。行く前のお盆の時も、9月になってからも、必死で働かなければなりませんでした。
妻や子どもたちは「来年も行くぞー」といっているが、お父さんは今のところ「う〜ん」と唸るしかありません。

2 費用
 8月19日出発という、お盆の時期と少しずれただけの渡航期間を選んでしまったので、費用は、あまり安くなりませんでした。
 本当は安心なパック旅行と行きたかったのだすが、比較的安い会社を選んで、HISのパック旅行にしました。 飛行機代・5泊6日のCクラスホテル宿泊費、グランドキャニオン遊覧料・ユニバーサルスタジオ見学費と併せて、出発前に103万円払いました。これには食事は一切含まれていません。 15万円をドルに替えて持っていきましたが、途中でほとんど使い切ること明白となったので、3日目からカードをどんどん使って、お土産代も含めて、2131ドルを使用しました。合計日本円で143万円ほど使ったことになります。
 やっぱり来年もとは、そう簡単にはいけません?

3 旅行社  
 少しでも費用を下げるため、HISのパックを選びました。他のがどういうのか詳しくは知りませんので、自分では比較できませんが、自分たちの実態は次の通りでした。
 まず、ほとんど家族単独行動なので、「アメリカ一人旅」の本を買って、名古屋空港の出国から勉強しなければなりませんでした。出国カード・アメリカ入国書類・税関提出書類などなど・・・・。
 オレゴンのポートランド空港での入国・通関手続きは自分たちだけ。ラスベガス空港で、やっとHIS現地案内員に会えて、バスでホテルまで送ってもらいました。その時の到着便では、案内員は、我々含め5組のツアーを待っていましたが、その5組は、泊まるホテルもすべて違い、明日からの日程も、滞在日数も、アメリカ出発都市もすべて違うという、HISならではの仕組みでした。何組とはそれから何回と会い、「やあまたご一緒」という感じでしたが、基本的には、宿泊も食事もどこかへのオプションもみんな家族単位という、家長としては、なかなか気が抜けない旅行でした。 
 場所と時間を間違えなければ、移動・オプション時にはHISの現地案内員が来る仕組みで、結果的にうまくいきましたが、どんな人が来るのかも分かりませんので、なかなか緊張でした。2度ほど、日本語を話せない人、白人と東洋系に案内された時もありました。
 食事・自由行動・不慮の事件(子どもが財布を紛失、子どもの3人部屋にベッドが足りない等)などなど、「度胸の英会話」を磨くには十分な旅行でした。


A ラスベガス            | <目次>へ戻る |

 ラスベガスはネバダ州にあります。

 空から見たラスベガス。市街地以外は一面赤茶けた独特の色彩の土と岩です。 


  左 私たちの宿泊したホテルSAHARA。ここではC級ホテルです。 

 右 パリエッフェル塔が「看板」のホテルBallys 


 HISの旅行では、利用者が航空会社を選ぶことはできません。私たちは、DELTA航空の名古屋発ポートランド乗り換え、ラスベガス行きでした。国際線には日本語が話せる乗務員がいましたが、当然ながらポートランド→ラスベガスの国内線にはいませんでした。機内アナウンスの英語はいつもながらまったく理解できません。何かあったらまったくアウトですが、幸い何もありませんでした。

 名古屋を19日の17時半に出発して、ポートランドを経由してラスベガスについたのは、日付変更線の関係で、同じ19日の15時です。時差は16時間。
 ラスベガスは砂漠の中の人口の町です。人口は100万ほどですが、観光以外に産業はありません。ネバダ州独特の赤茶けた岩の色がこの町の基調となっています。映画「ペイフォワード」は、ラスベガスの町が舞台ですが、映画の冒頭で、赤茶けた岩がでてきたとき、すぐにこの町とわかったほど、印象的な色です。
 空港に降りたときの気温は40度。但し、乾燥していて、汗はほとんどかきません。
 市のメインストリート「Strip」には、いろいろな奇抜な形をしたホテルがたくさん並んでいます。
 私たちは、宿泊費をケチった関係で一番場末のCクラスのホテル「SAHARA」。(上の写真に見える塔のようなものは、ジェットコースターです。垂直に上がって垂直に落ちます。)
 でも、各ホテルのカジノやレストランやショーは、宿泊に関係なく自由に利用できるので、もっぱら「いいところへ」出かけていきました。ラスベガスは、アメリカで唯一「夜出歩るいても安全」な都市なので、睡眠を削れば24時間遊べます。
 この町で、「pawnshop」というのをいくつも見ました。日頃使わない単語なので、調べてみると、「質屋」です。さもありなん。きっとギャンブルですってんてんに負けてしまった人が、自分の時計とか宝石とかを預けるのでしょうね。日本にはもうあまり存在しない職業が、ラスベガスには、ちゃんと生きていました。
 
 ギャンブルに行ったのは、2日目の深夜1時。子どもたちが寝静まってから妻と出かけました。
 ところで、どの国でも同じですが、ここでも未成年者はギャンブルはできません。見学も禁止です。これはしっかりと守られていました。日本ならパチンコ屋に平気でいそうな茶髪の高校生のような若者は全くいません。アメリカ文化の成熟度を見る思いです。
 100$をコインやチップに換えて、ルールの分かるスロットマシン、ポーカー、ルーレットに挑戦です。
 勝負事とはいつもそういうものかもしれませんが、一時は結構もうかって、「これはひょっとしたら」という時期もありました。しかし、午前4時頃になって、敗勢は明らかとなりました。

「もう眠い。帰ろ。」という妻の声にあきらめて、「よし、あるだけ全部使おう。そこのスロットに入れて。」といって妻に残務整理をさせ始めました。ところが何回目かに、「$$$」みたいな変な記号が並んでしまったのです。いや気持ちいいものです、スロットマシンからコインがざらざらと出てくるのは。何倍が当たったのかも分からないのでほんのしばらくの間、「億万長者か、?。帰ったら仕事やめるか。」などと考ていられました。
 出ているコインは25セント硬貨なので、大したことはないと思いましたが、ここは引き際が肝心。さっと精算すると、何とトータルで損害は10ドルとなりました。10ドルで3時間も遊べば、満足、満足。(未だに「私が当てたのだからね」と妻にいわれ続けていることを除けば。)

 ラスベガスの夜は、平和にふけていきます。
 いや、ラスベガスの夜明けは、極度の寝不足とともに空けていきます。

 
B グランドキャニオン観光           | <目次>へ戻る |

 国際空港とは別のヘンダーソン飛行場からAIR VEGAS社の双発機で出発。

 これはワゴン車はではありません。
 「機内」です。
 


 ラスベガス2日目はグランドキャニオン観光。
 ホテルの待合い場所で「Mr. MIzuno?」とアメリカ人のでっかいおじさんに声をかけられてつれて行かれたのが、国際空港とは別の「ヘンダーソン飛行場」。ここはエアーベガス社の本拠地で、上の写真の双発機が20機以上いました。  そして圧巻の、いや悪寒の「グランドキャニオン空中観光」が始まります。
 個人的には、飛行機で「こわい」経験というのは、一度だけあります。さる理由から、名古屋空港から海上自衛隊厚木基地まで、航空自衛隊の基地連絡用のYS11機に乗ったときです。運悪く、低気圧が日本に近い太平洋上にあって、行くのはやめようかどうか思慮するほど悪い天候でした。
 それでも出発したのですが、途中で機長の意志とは関係なく上がったり下がったり、とんでもないフライトでした。ジェットコースターで「キャー」とか声が出せるのは、まだ本当に怖い状態とは言えません。あくまでお遊びです。「本当に怖いと人間声も出ない」という真理を体得できた経験でした。
 この双発機は、YS11機より小さい15人乗りです。
 飛び上がってまず最初の旋回からして「すげー」。あとで大型旅客機で確かめましたが、離陸後の旋回というのは、大型機でも45度以上のかなりの角度で傾いているんです。大きいから安心して気が付かないだけで。
 小型機は、もう回りずっと見えるわけですから、これはもう機内で必死に踏ん張るほどの怖さ。しかし、これはほんの序の口でした。
 ヘッドホンにはちゃんと日本語の案内が流れていますが、それに併せて、下の景色が見えるように、機長が右に左に機を回します。おまけに、夏で上昇気流が不規則にあるからとかで、全く予想外の上昇と降下が頻発。
 1時間でグランドキャニオン空港に着きましたが、その直前には我が家族を含め、客のほとんどは、顔は青ざめ、手足は鳥肌の状態。着陸してすぐの昼食は全く喉を通らない状態でした。(どんな時にも異常者はいるようで、走行中の乗用車の中で普通に漫画を読みゲーム機を操れる我が三男は、全く平気。三半規管が異常としか思えません。)
 現地案内員が、「いかがでしたか。」といったので、思わず「帰りは歩いてもどりたい。」と答えました。そしたら真顔で、「いいですが、ラスベガスまで300kmぐらいありますよ」といわれてしまいました。胃薬と酔い止めの薬をもらって、一命を取りとめました。  
 地上でのグランドキャニオンはすばらしい一語。写真をご覧ください。


  グランドキャニオンは、ロッキー山脈に源を発し、カリフォルニア湾に注ぐコロラド川が大地を浸食して作った景観です。ネヴァダ州の隣のアリゾナ州にあります。 

  空港に降りてからは、ツアーバスで各ポイントと土産物店を回ります。天気も良く素晴らしい眺めです。 


 グランドキャニオンの眺望です。4枚の写真の合成です。壮大の一語に着きます 


C ロサンゼルス市内           | <目次>へ戻る |

左 スーパーマーケットにあったジャポニカタイプの米。その名も「SUSHI」。 アメリカ人はライスは食べますが、普通はインディカタイプのパサパサご飯に何かをかけて食べます。たとえば、中国料理でも、酢豚とライスをぐちゃぐちゃに混ぜて食べるといった例が多いです。日本人のように、ご飯とおかずという発想はあまりありません。


下 地下鉄で探検に行ったロサンゼルス駅。アムトラックの機関車。


 ロスでは、綿密な計画をさぼって、お買い物ツアー・市内見学ツアーを申し込んでしまったので、ユニバーサルと夜のガンシューティング以外は、いまいちでした。疲れて「もう帰ろう」という心が出たのが失敗でした。うまくやれば、大リーグドジャースの試合見学もできたし、市内をいろいろ歩くということもできたかもしれません。
 
 ツアーというのは、見所半分後は旅行業者がいかに特定の店で土産物を買わせるかといったことがねらいですから、あちこち引っ張り回されます。
 但し、ラスベガスと違って、治安が悪いロスですので、男の仲間たちとの旅行ならともかく、女子どもがいる家族旅行ではしょうがないかもしれません。

 家族がユニバーサルスタジオで遊んでいる間中、私は、地下鉄で市内探検に出かけました。HISの日本人ガイドから、中で眠ったり、いろいろ品物を持っていかないようにといわれていましたので、眠らない、乗る車両はなるべく中央の人がたくさんいるところ、じろじろ他人を観察しない、といつもと違った心構えで行きました。

 ところが、ホームに着くと、いきなり中国系青年が警察官と何事か話をしているではありませんか。どうも、盗難にあったようです。いきなりこの場面を見て少しびびりましたが用心の結果、無事探検できました。
 地下鉄で一番驚いたのは、改札口がないことです。もちろん切符は買うのですよ。しかし、改札も集札もありません。後でHISのガイドに、「切符買わずに乗ったってばれないのに」といったら、それはとんでもない発想とのことです。時々、検札があり、その時見つかるとあたり前ですが罰金とか、ひどい目に遭うので、みんな切符を買うのだそうです。

 確かに多くの人は、ちゃんと切符を買っていました。但し、見るからに悪っぽい連中は、明らかに無賃乗車しています。それでも、改札係を置いたり、常時車内検札をする経費を考えれば、この方がよいのだそうです。アメリカ式発想の代表例と言えましょう。
 
 そういえば、空港やいろいろなところで順番を待って並んでいる時、知らずに横入りをする人、わざとそうする人などに対しては、みんなが注意をします。先のラスベガスで気がついた未成年者が賭博場にいないことと言い、一般的アメリカ人のルールを守るということに関する厳しさは、日本人以上の様な気がします。日本人にとって残念なことですが。 


 マグナムに弾を込める長男。25口径は、おもちゃのピストルという感じでしたが、38口径は、重さといい発射時の感触といい、「これは銃だ」という感じでした。どちらも映画の刑事のようには、的に命中しません。

 マグナム38を撃つ3男小学校5年生。日本でやっちゃいけないよ。
 三男は、この時まで普通におもちゃの剣や銃を使っての「戦い」遊びが好きな男の子でしたが、帰国以後、人におもちゃの銃を向けるような、そういう軽はずみなことはしなくなりました。
 親が意図したわけではありませんが、やはり「教育」とはそういうもんです。


D ユニバーサルスタジオ         | <目次>へ戻る |

 ユニバーサル映画スタジオは噂どおりとても素敵でした。
 
ジュラシックパークのテーマ館では、ボートに乗って「探検」するのですが、最後に超びっくりの水中突入がありました。濡れるのが嫌いな人は「ポンチョ」を借りることになっていますが、用心に借りた妻と次男以外は、本当にバケツ3倍の水をかぶったぐらいの水浸しになりました。でも湿度が低いので、すぐ乾きます。
 
 他にも、ターミネーターの3Dとか、消防隊の映画「バックドラフト」の火事のシーンとか盛りだくさんです。ディズニーランドと違って、大人が充分楽しめる施設です。但し、ユニバーサル映画が、これからもどんどんヒット作を出し続けるという前提が必要ですが・・・。
 今年大坂にオープンする日本のユニバーサルスタジオも受けることは間違いありません。 


 ジュラシックパークの探検のラストにある水中突入です。左の写真の水の中に客の乗るボートがいるのです。水を浴びる量は、東京ディズニーランドのスプラッシュマウンテンのボートの水中突入とは桁が違います。           
 右の写真は、ずぶぬれになった3男です
。                  


 アメリカ旅行の常ですが、5日目は朝早く空港へ行って、ひたすら帰るだけです。ロサンゼルス空港に行くハイウエイに沿って、市の中心部からしばらくの間電車の線路が見えていました。電車マニアの私はすかさず日本人運転手に尋ねました。「市街地と空港が電車で結ばれているのか」と。「いや、もう少し行くと線路は海岸の工場地帯へ向かう。空港のすぐそばまで線路が来ているのだから、空港へつなげばいいものを、アメリカ人には、電車で行き来するという発想がない。」とのことでした。

 行きと同じくポートランドの空港で乗り換えました。中学生の一団と同じ便になりましたが、どうも言葉が自分たちに似ています。聞くと岐阜県美並村の郡南中学の生徒でした。(ものすごいローカルな話題)町が援助して、希望者が夏休みにアメリカ研修に行くのだそうです。近頃の中学生は、すごいもんです。
 しかし、英語の世界からいきなり岐阜弁の世界とは。まあ、とにかく、さよならアメリカ。
 
 アメリカ時間の23日の朝に出発したのに、日本に着くといきなり24日の午後でした。
 ありがとう、アメリカ。また行きたいね。
 


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